人魚王子と女王様
「陛下、こちらの書類の内容は」
「うむ、一両日中に決議する」
「陛下、大臣が至急お会いしたいと」
「・・・内容を吟味した上で必要があれば予定に組み込め」
「陛下」
陛下、陛下と呼ばれる都度返事をしながらも、書類を読み、決裁する手は止めたりしない。
何しろ私は女王様。
父も母も亡くなってから、小国とは言え一国を纏める立場にある。
一日二十四時間じゃ足りないくらいだ。むしろ二十四時間働き続けたい。
それでも終わらないくらいの仕事がどんどんと回ってくるので、自然と動かす手も早くなる。
毎日毎日こつこつこつこつ仕事をしていたらいつしかスキルも上がっていて、有能な女王として近隣諸国にも名が届くほどになった。
ちなみに態々そんな情報を収集する暇はないので、私が自分から調べたわけではない。
各地に根付かせた草から纏めた情報を一手に纏める、我が有能なる宰相が自慢げに告げた世間話の一つだ。
他国では男性を重鎮に据える場合が多いらしいが、私の国では力を使う戦闘部隊こそ7:3で男性の割合が高いが、他は8:2で女性が官吏として務めていた。
女性は感情で動くと言われがちだが、女性ほど強かになれる生き物もない。
それが今は亡き母が口癖のように教えてくれた言葉だったけど、女王の立場についてしみじみとそう思う。
己の価値を知る助成ならではの手腕で各地の草は忠誠を誓う女王のために働き、寝物語として聞くささやかでありながら重要なそれは、小国である自分の国を守るには丁度よかった。
お陰で海と山に囲まれて豊かな土地を持つわが国は、海の幸山の幸の恩恵にあずかり今日も長閑に過ぎている。
あとは有能な後継者を作るべく、よりよき伴侶を見つけるだけなのだが───。
「おい」
「・・・・・・」
「離れてくれないか、人魚王子殿。いい加減鬱陶しい」
「・・・・・・」
自慢の豊かな黒髪を、ずっと弄っていた男に視線を向ける。
両手に海で取れた珊瑚や真珠で作った髪飾りを持った彼は、太陽を紡いだような金色の髪と、彼の故郷を思わせるマリンブルーの瞳を満足気に細めた。
人の姿になるために声を失った彼と会話するためには、私が彼の口の動きを読むしかない。
波打つ豪奢な金髪を右側で一本に結った彼───人魚王子は、私の視線を独り占めできたのが嬉しいのか、両手を広げてきゅっと抱きついてきた。
彼との出会いは、もう二年ほど前になる。
私が所要で他国に出かける際に船に乗って海を渡ろうとしたところ、急な嵐にあって海に落ちたところを助けられた。
薄れゆく意識の中、半身が人間、半身が魚という物語の中でしか聞いたことがないような生き物が、必死に唇を噛み締めて海上に連れ出してくれたのを覚えている。
一夜明けて浜辺に打ち上げられた私は、前日の嵐が嘘のように晴れ渡る太陽を最初に見て、彼は夢の中の人物だろうと思った。
しかしどっこい、現実はそう甘くない。
『───お目覚めかい、可愛い人の子』
垂れ目がちな瞳をうっとりと細めた彼は、浅瀬に下半身をつけてこちらをじっと見ていた。
男の癖に、女の私より遥かに色気ある視線に、じとりと眉間に皺が寄る。
町にいたらいかにも女の子に囲われてそうな色男だ。
甘ったるいテノールの声は、滑らかでもっと聞きたくなるほどの美声だった。
マリンブルーの瞳をとろりと蕩けさせ、砂浜に肘をついてこちらを眺める彼は、心底楽しそうに微笑んでいた。
とりあえず助けてもらった礼として持ち合わせていた指輪を渡したところ、嬉しげに瞳を輝かせた人魚は、両手でそれを包み込むように持つと海へと帰っていった。
その後捜索隊として出ていた騎士団の団長(男)が、血相を変えて私を探しに来て、お姫様抱っこで城まで連れて帰られたのは、今ではいい思い出・・・いや、今でも恥ずかしい思い出だ。
確実に黒歴史の一ページに刻み込まれている。
それから一年が経ち、月に一度の浜辺の散歩中に、ふらりと歩く素っ裸の男と遭遇した。
気色ばんで奇声を上げた過保護な騎士団長は私の目を両手で塞いだが、こちらを向いた顔は見覚えのあるもので、とりあえず彼のマントを貸すように命令して着たのを確認してからそっと手をどけた。
心底嬉しそうに私を見て微笑を浮かべる男は、あの日私を助けた人魚だが、足は人間のものになっていた。
話を聞こうにも声は出ず、筆談しようにも文字が判らない。
仕方なしに唯一共通の言葉を読むべく唇の動きを解読したところ、話の内容はこうだった。
『声と引き換えに人間にしてもらったんだ。これからはずっと一緒だよ』
相変わらず蕩けそうな笑顔でそう告げると、彼は私を腕に抱き、即効で騎士団長に沈められた。
それから彼の身の上話を聞いて整理すると、こうだ。
彼は人魚が住む国の末っ子の王子で、嵐の夜に海に落ちた私を見て一目惚れしたらしい。
必死に助けて陸に送り届けてからも、一言言葉を交わしたいとずっと朝まで待ち続け、私から礼のつもりで渡した指輪を婚約指輪と勘違いして、一族の説得のために一年を要して勝利をもぎ取り、その後魔女の元に行くと声フェチな彼女に頼み声と引き換えに人間の身体を手に入れた。
腹心の部下である宰相と騎士団長、さらに宮廷魔術師長も話を聞いていたが、幼馴染の宰相と宮廷魔術師長は大爆笑し、騎士団長の顔はかなり引きつっていた。
蕩けるような笑顔を浮かべた人魚王子は、今日も今日とて私の傍で生活している。
元は王子であっても人間としては位がない彼だけれど、この国の女王は一妻多夫制なので、その気になれば結婚できた。
対外的には身分ある相手を選べばいいだけだし、何より彼は、この恋が実らなければ海の泡へと消えてしまうらしい。
話して聞かせる時点で脅しだと怒り狂った騎士団長の言葉に頷く他にやりようがないが、聞いてしまったからには命の恩人を見殺しには出来ない。
「───貴様、陛下から離れろ!」
「・・・・・・」
今日も今日とて罵声と共に、長閑な一日は過ぎていく。
この状況を楽しむ幼馴染夫妻を恨めしげに見詰めながら、それを楽しいと思っている自分に、深くて重いため息を吐き出した。
*女王様・・・小国の女王様。努力型の頑張り屋。最近は適齢期なので見合い話も増えているが、面倒で受けていない。というか、人魚王子や騎士団長に邪魔をされている。見た目は黒髪黒目の、きりりとした顔立ちのどちらかと言えば童顔な娘。それでもスタイルはいい。
*人魚王子・・・フェロモン垂れ流し型の垂れ目色男。人魚界では浮名を流す色男で何事も退廃的な男だったが、女王様に一目惚れして一途な男に転進。自慢だった声や、身分も何もかも捨てて恋に生きている。現在は命の恩人の立場を最大限に活かして女王様の執事のような仕事をしている。
*騎士団長・・・女王様にほの字の堅物。一途で、彼女に剣を捧げた頃から十年以上の片恋をしている。突然現れた人魚王子に仰天しつつも、ライバルの登場に焦って、奪われたくないと初めて動くことを決意した。一妻多夫制のこの国の制度を理解してるので、彼女の隣に立てるようになるべく努力中。
*宰相と魔術師長夫婦・・・二人は女王様と幼馴染。二人とも女王様を妹のように可愛がっていて、騎士団長と人魚王子のやりとりを楽しみつつも、若干騎士団長を応援気味。理由は人魚王子は何もせずとも進むけど、騎士団長はつつかないと前に進まないから。




