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32 医術師の資格


「痛みはありませんか?」

「……ん」


 公爵の答えに、弦太郎はニコリと微笑む。


「もう問題ありません」

 弦太郎から道具を受け取り、綾子は丁寧に道具を片付けていく。

「よかった……」


 そのそばで、公爵夫人がホッと息を吐く。


「楠本殿」

 見守っていた杉田が、そっと歩み寄った。


「経過観察はもう必要ないかと。傷も膿んでいませんし、しっかり閉じています。その他の気になる症状も出ていません」

「そうですか」


 本当なら、これくらいは医術院に任せるつもりだった。しかし、杉田の方から、この前代未聞の医術の後は見られないと言われ、弦太郎が経過観察を引き受けた。


「褒美をとらす」

「薬代だけで充分ですよ」


 医術師として当たり前のことをしただけだ、と弦太郎が遠慮する。その顔を、公爵が意外そうに見ていた。


「こちらが薬代の一覧です」

 綾子が公爵に紙を渡す。公爵はそれを静かに見ていた。

「たくさんの薬を使いましたので、少し高くなっていますが……」


 そう言いながら、大貴族にしてはほんのちっぽけなはした金。綾子はもっとふっかけてもいいと訴えたが、父の教えを守ろうと言われれば何も言えなかった。


「明日、準備をしておく。取りに来なさい」

「承知いたしました」

 この場で渡してくれてもいいのに。なぜ明日なのだろう、と綾子は不思議に思う。


「よかったら、美味しいお菓子も用意しておくわ。妹さんもいらっしゃるのよね。一緒につれてきたらどうかしら」


 露子も、と公爵夫人が付け足す。ますますわからない。


 しかし、大貴族のここまでの言葉を断る術を知らない。弦太郎と綾子は静かに引き受けた。




 翌日、兄妹は3人そろって再び公爵邸を訪れた。

「お招きいただき、ありがとうございます」

「よく来たわね」


 公爵夫人が嬉しそうに招き入れる。


「さ、お菓子を用意したの。好きなものを食べてちょうだいね」

 大量に並べられたお菓子を前に、露子がごくっと唾液を飲む。それを、綾子がたしなめた。

「……驚かせてごめんなさいね」


 固まる三兄妹に、公爵夫人が寂しそうに微笑む。


「あなたたちが、孫のように思えて……」

 ハッとした。


「公爵夫人」

 綾子は即座に呼びかける。

「あぁ、ごめんなさい。何でもないの」


 公爵夫人は慌ててそう取り繕い、悲しそうに微笑む。


「……悲しいのですか?」

 口を開いたのは、露子だった。


「悲しい時は泣いてもいいって母さまが言っていました。いっぱい泣いたらすっきりするって。……わたしは、姉さまから聞きましたけど」

「露」


 綾子がそっと妹を止める。


「無礼な物言いをお許しください。妹はまだ幼いので」

「いいえ。……いいえ、大丈夫よ」

 公爵夫人はそう笑い、膝を折って露子に手を伸ばす。


「お露さんというの?」

「露子です」

「いい名前ね」


「母さまが考えてくれたと聞きました。露が生まれた時、朝露が綺麗だったからって」


 里の産婆は母だけ。だから、父の指示で弦太郎と綾子も出産を手伝った。一晩中かかって、ようやく産声が聞こえた時。外は明るかった。


『露……』

 荒い呼吸の中、母は窓の外を見てそう呟いた。


「母は」

 綾子が口を開いた。


「幸せだったと思います。父を愛していました。そして、私たちのことも愛してくれました」

「……そう」


 その言葉に、公爵夫人が涙を浮かべる。


「笑顔で、送り出してやればよかった……っ」


 この言葉は、きっと聞かなかったことにした方がいい。


「何をしておる」

 そこに、公爵が杖をつきながら入ってくる。


「減っておらんな。腹が減っておらんのか」

 手つかずの料理たちに、少しだけ不満そう。


「食べてもいいのですか?」

「露」

 まっすぐな妹の言葉を、慌てて綾子が止める。


「食べたいなら食べればいい。お前たちのために準備させたものだ」


 公爵の答えを聞いて、露子は姉を見る。いい?と確かめる視線だ。


「……お行儀よくなさい」

「はいっ」

 綾子の言葉を聞いて、露子は嬉しそうに駆けだした。


「公爵様、ご体調はいかがでしょう」

 弦太郎が穏やかに尋ねる。


「……ふん。何ともないわい。手足のひとつくらいは動かなくなると思ったがな」

「刺されたところが良かったのです。場所が悪ければ、歩けなくなる恐れもありました」


 もし骨がやられていれば。そのそばの神経をやられていれば。きっと今のように元気に歩くことはできなかったに違いない。


「妹を褒めてやってくださいませ。妹がいなければ、私は手術をできませんでしたから」

「……!」


 兄の言葉に、綾子はハッと兄を見る。彼は笑っていた。いつもの優しい笑顔で。


 それを聞いた公爵が、杖をトンとつく。そして、綾子の頭に手を伸ばした。


「よくやった」


 その手はゴツゴツとしていて、温かった。父のように硬く、そして母のように優しく。両親を思い出させる温もりに、綾子は涙腺が緩む。


「ありがとう、綾子」

 公爵夫人が綾子の手を取る。

「あなたは立派な医術師ね」


 その言葉が、じわりとにじんだ。




 公爵家からの帰り道。


「公爵様が職人を探してくださるそうです。すぐ見つかるといいのですが」

「大丈夫だろう。同じ人じゃなくても、同じように作ってくれる人がいてくれればいいんだ」


 公爵の力を使って探してくれるなら、きっと見つかるはず。


 職人が見つかり、定期的に作ってくれる約束を取り付けた後。当初の予定通り里に帰るには、都で知り合いを作りすぎた。


「露、離れてはいけませんよ」

 離れて歩いていた妹を呼び寄せる。

「兄上」


 そして、隣を歩く兄に声をかける。


「私は、医術師を名乗ってもいいのでしょうか」

「え、違うのですか?」


 露子が不思議そうに見上げた。そんな妹の頭に、綾子は手を置く。


「いいと思うよ」

 弦太郎がそっとつぶやくように言った。


「綾は、教わった医術を信じて、行動に移せた。綾がいたから、公爵様の命を救えたんだ」

 弦太郎は綾子の目を見ていた。


「綾は立派な医術師だよ」


 何よりも求めていた言葉。


「露にとっては、姉さまはずっと医術師でした!」


「そうだね、露」

「はい!」

 兄に同意されて、露子は得意げに口を開く。


「あとはお小言が減れば、いい医術師です!」

「うるさいですよ、露」


 これには綾子がコツンと頭を叩いた。


「いたい! 姉さまが叩いた!」

「騒ぐほど強くはしていません」

「ほらほら、道の真ん中だよ」

 三兄妹は仲良く歩いた。




 その日、いつものように薬を持ってきた弦太郎は、熟睡する妹の寝顔を見て、ふっと笑った。


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