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31 手術


 公爵が暴漢に襲われた。多くの医術師が集まる場。しかし、その誰も対応が思いつかない。


「楠本殿ならば」

 その中で、杉田が弦太郎を呼んだ。


「残念ですが」

 が、兄は断った。たった少し見ただけなのに。綾子がハッと駆け寄る。


 懐刀はそれほど深くない。体の構造からみて、刺さっているのはおそらく脾臓。


「兄上」


 やれる。綾子はそう思った。


「無理だ」

 が、兄は首を振る。


「父様の医学書に書いてあった方法を使えば、公爵様を救える可能性があります」

「道具がない」

「医術の道具でしたら、お貸ししますよ。持ち込んでいるので」


 医術所の滝川が言い添える。


「ですが……」

 それでも兄は戸惑っていた。気持ちはわかる。やったことのない手術。それも大がかりだ。


「……うた、こ……」

 公爵のかすれた声が聞こえた。

「……うたこ……きたのか……」


 伸ばされた手を、綾子がしっかり握る。


「……わかりました」

 綾子が口を開いた。


「兄上がやらないなら、私がやります」

「綾!」


 綾子の言葉を、弦太郎は慌てて止める。そんな兄を、綾子は睨んだ。


「助けられる命が目の前にあるんです。医術師として最善を尽くすのは、当たり前でしょう」


 真っ直ぐな目。命を救うことを当たり前としている。


「……わかった」

 綾子の気持ちが伝わったように、弦太郎が頷いた。


「まずは場所を」

「杉田先生」


 兄の言葉に、綾子がすぐに立ち上がる。


「皇帝陛下にお部屋をお借りできないか伺っていただけませんか」

「はい、もちろん」

 杉田がそれを聞いて去っていく。


「道具を取ってこさせます」

 滝川が弟子に指示を出す。


「あと、2人では足りない。せめてもう1人」

「岩木様」

 そこで綾子が呼んだのは岩木だった。


「お手伝いをお願いできますか」

「はい」


 彼はすぐに頷いた。


「部屋を手配できました」

 杉田が戻ってくる。


「伊藤様、竹田様、患者様をお運びしてください。創部に触れないように、慎重に」

「は、はい!」


 弟子たちに任せ、綾子は周囲を見る。それを見て、露子が駆け寄ってきた。


「露、やれますか?」

 即座に尋ねる。

「はい」

 露子もすぐに頷いた。


「では、参りましょう」

「あ、あの……」

 そこに駆け寄ってきたのは公爵夫人だった。


「夫は……どうなるのかしら……」


 不安だろう。高齢とはいえ、こんなことで命を落とすなんて、あってはならない。


「ご安心ください。必ず助けます」

「え、えぇ……。お願い……お願いしますね」


 震える手を握り、綾子は勇気づけた。




「楠本殿、いったいどのような医術を?」

 杉田が聞いてくる。


「脾臓を摘出します」


 それに対し、弦太郎は端的に答えた。


「脾臓は血管が多く通っている臓器なので止血はできませんよね。かといって、摘出となると」


 やはり杉田もかなりの医学知識を持っている。人体で深い位置にある脾臓まで知っているとは。きっと、傷が脾臓にまで達していることも、察していたのだろう。


「脾臓の働きは、肝臓が補ってくれます。摘出しても人体に問題はありません」

「しかし、かなり高度な技術が必要になるのでは?」


 その通りだ。人体の奥深くに位置する脾臓を探り当てるのも大変。


「やれます」

 それには綾子が答えた。


「兄上は、父様の医学書を何度も読んでいらっしゃいました。想像できているはずです」

「想像だけですか?」


 杉田の言いたいことはわかる。医術の世界は、想像だけでは上手くいかない。


「父の元で解剖にも立ち会ったことがあります。が、ここまで大がかりな手術は初めてです」

 不安そうな兄に、綾子はさらに語気を強める。


「何もしなければ公爵様は死にます。しかし、手術をすれば救える可能性があります。わずかな可能性を信じて医術を行うことも必要かと」


「……確かに、綾子殿の言う通りですな」


 これには杉田も納得した。


「麻酔が効きました」

 露子が兄と姉を呼んだ。2人は患者を挟むように立ち、弦太郎が綾子を見る。


「失敗は許されないよ」

「わかっています」

「患者は大貴族だ。もし失敗すれば首が飛ぶかもしれない」

「大丈夫。失敗なんてありえません」


 弱気な兄の言葉に、綾子は強く返していく。


「大貴族でも農民でも、患者は患者です。いつもと変わりありません」

「……そうだね」


 患者に貴賤の身分は関係ない。その言葉に、ようやく兄が頷いた。


 すっと瞼を閉じ、はぁっと深く息を吐きだす。そして、ゆっくり目を開けた時。


 そこにはもう、弱々しい姿はなかった。


「脾臓摘出術を始めます」




 手術の様子を、医術師たちは静かに見守った。その中で、弦太郎も、綾子も、落ち着いて手を動かした。


 岩木の手も借りながら、3人で素早く処置を施していく。それは、まさに圧倒的だった。


 多くの医術師が、呼吸も忘れてその様子を見守った。




「終わりました」

 プツン、と糸を切る。その瞬間、綾子は張りつめていた息を吐いた。


 綾子がそっと兄を見れば、兄の方も柔らかく微笑む。終わったのだ。


「お、終わった……?」

「結果は……?」

 医術師たちがおそるおそる口にする。


「麻酔が切れたら目を覚ますと思います。経過を見る必要はありますが、この時点では成功です」

「おぉ……」

 小さな歓声があがった。


「傷口を見てもいいですか?」

「消毒してください!」


 露子がお酒の瓶を持つ。わっと医術師たちが集まった。


「兄上、お疲れさまでした」

 綾子が兄に歩み寄る。


「綾のおかげだよ。綾がいなければ、この方は救えなかった」

「医術師として当然のことをしたまでです」


 綾子の言葉に、弦太郎はふっと笑い、妹の頭を撫でる。

「兄さま、姉さま、お疲れさまでした」

 露子が嬉しそうに駆け寄ってくる。兄妹は3人で微笑んだ。


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