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12 医術院の医術師

 それから5日後、綾子は再び中村邸を訪れた。

「よく来たわね」


 そう微笑む令嬢、中村桜子のそばには、厳しい顔つきの男性。医術師だとすぐにわかった。壮年、といったところだろうか。医術の経験はかなりありそうだ。


「ごめんなさいね。この者が話を聞きたいというものだから」

「……いえ、当然かと」


 おそらくこの伯爵家の主治医。桜子の容態を見て、診断を出せなかった医術師だろう。

 若く、そして女が診断を出したと知って、腹を立てているに違いない。

「綾子、私から話そうか」

 この前のように後ろにいた兄が助け舟を出してくれる。


 確かにこの場合、少しだけでも年上で、それも男である兄に説明してもらった方が、納得は得られやすい。

 それでも、綾子の性格上、ここで逃げるのはイヤだった。


「いえ。お嬢様は私の患者様ですので」

 医術師という仕事に矜持を持つ彼女らしい答えに、弦太郎は微笑んだ。


「お話させていただく前に、お嬢様とお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

 まずは患者を優先する。

「えぇ」


 強面の医術師の返事に、

「では、頼むわね」

 桜子が微笑んだ。


「以前とお変わりありますでしょうか」

「晩餐に出られなくなったの。やっぱり不安でね。また苦しくなるのはイヤだし」

 行動範囲が狭くなっている。これも、この病気の弊害か。


「発作は起きますか?」

「部屋にいる時は大丈夫よ。それに、絶対に死なないと言ってくれたからかしら。少しだけ気分が楽になった気がするの」

 やっぱり父の教えは正しい。


「お食事は食べられていますか?」

「部屋に持ってきてもらえば食べるわ」

 食欲は問題ない。


「夜は寝られていますか?」

「時々不安になって眠れない時があるわね」

 この話の感じだと、不眠というほどではなさそうだ。


 頭の中で整理しながら、ひとつひとつ確認していく。


 一通り確認すると、

「お薬は念のためお渡ししておきます」

「えぇ、ありがとう」

 これで診察は終わり。黙って見ていた医術師を見る。


「お待たせいたしました」

 と告げると、

「はぁ……」

 男が息を吐いた。その溜息はいったい何の意味があるのか。


「央ノ都の参ノ町で診療所を開いております、楠本綾子と申します。こちらは兄の弦太郎でございます」

 まずは綾子が名乗ると、


「医術院の医術師、夏見と申します」

 医術院。弟子たちが言っていた。央ノ都で、主に貴族に向けて医術を提供している。


「ぱにっく症、と言いましたかな」

 夏見の方から口を開いた。

「はい」

 綾子は静かに頷く。


「聞いたことのない病です」

「私も実際にお会いするのは初めてです。医学書で読んだことはあります」

「なんという書ですか?」

 疑われている。


「父が書いたものです。私たちの医術は、父から教わったものですので」

「では、お父君はどちらで医術の勉強を?」

「……わかりません」

「ほぉ……?」


 嫌な目だ。ぐっとこらえる。


「父は、どこで学んだか私たちに話しませんでした。央ノ都医術所の滝川先生もご存じない医術ですから、おそらくこの国ではないでしょう」

「そのような不確かな医術で、伯爵家のお嬢様にお薬をお出ししていると?」


 落ち着いて。医術師に一番大切な資質。


「父はこの医術に自信と誇りを持っていました。私たちは父を信じ、父の医術を信じて、患者様を救っています」

 堂々と答えた。恥じることなんて、自信を失くすことなんて、どこにもない。


「では、ぱにっく症という病についてお聞きしましょうか」

「はい」

 綾子は頷き、携帯用の紙と筆を取り出す。


「人間の頭の中に脳と呼ばれる器官があります。ここは、全身への指令を出す器官です。そして、そこに繋がる神経に、自律神経というものがあります。自律神経には交感神経と副交感神経という神経があり、パニック症状が出る時は交感神経が優位になりすぎている状態です」


 あえて専門的な用語を多用していく。父の医術を知らない人間には伝わらないかもしれないと思ったが、きっとわからないとは言えないはず。

 入っている知識が違うのだということを知ってもらえばいい。


「動悸や呼吸困難、嘔気、手足の震えなどの症状をパニック発作といいます。この発作が起きた時、まずは隠れている副交感神経を呼び戻します。ゆっくりと数を数えながら呼吸を繰り返す、この時呼気、吐く方を意識します」


 少し間違えれば、兄が助けてくれる。その安心感からか、落ち着いて話せている。


「一度発作を起こすと、また発作を起こすかもしれないという不安から、人が集まる場を避けることがあります。ですが、行動範囲が狭くなることで不安が大きくなり、その不安が発作を誘発することになります」


 夏見と名乗った医術師は、説明を聞きながら頷くことも眉を寄せることもなかった。無反応というのは、少しだけ怖い。


「大切なのは、意外と大丈夫だった、という成功体験です。もちろん急に大きな不安を感じる場に出るのは避けなければいけません。まずは小さいところから順に慣らしていく、という練習が必要になります」


 反応を期待するだけ無駄だ。ただ淡々と説明していく。

「……すごいわね、綾子」

 桜子が驚いたようにつぶやいた。


「医術の知識を持って医術師をしているだけでもすごいのに……。殿方にこんなに真っ直ぐ発言できるなんて」

「女でも医術師ですので、これくらいは当然のことです」


 綾子の発現に、桜子が楽しそうに笑う。

「夏見、納得したかしら?」

「……確かに、筋の通った話でした」

 医術師の男がゆっくりと口を開いた。


「あなたは」

 綾子を見据える、真っ直ぐな目。

「この病気を治せるのですか?」


「……お嬢様が治ると信じてくださるのなら、私はそのお気持ちに答えたいと思います」

 綾子もまた、その目に応えて、真っ直ぐ見つめ返す。

「私は信じるわ。綾子がいてくれるのだもの」


 それに対し、桜子が言い添える。一瞬驚いた顔をした医術師の男は、ふっと視線を落とした。

「この病について、私は何も知りません」


 再度確認のように呟いた男は、

「私がお嬢様のためにできることはありますか?」

 次には綾子の目を見た。


「はい」

 受け入れてもらえた。その言葉だけでわかった。綾子は頷き、説明に移った。




「次から、僕は必要なさそうだね」

 その日の帰り道、兄が言い出した。


「兄上、そのような」

「綾は十分やれてるよ。僕がいてもできることはないし、それなら他の患者を診た方がいい。そうだろう?」


 確かにその通りだ。弟子たちがいるとはいえ、中村邸を訪れている時間、診療所の実質止まっている状態。


「……わかりました」

 兄がいないのは少し不安ではあるが、兄の信頼に応えたいと思った。


「そんな顔をしないで。綾はもう十分、立派な医術師だ」

 兄のその言葉が、綾子を支えてくれた。


「どうせなら、1人くらい誰かつけようか。道中も1人では心配だし」

「兄上の弟子でしょう。皆さん兄上に教わりたいのは?」

「そんなことはないと思うけどな」


 女から教わる医術なんて、いらないに決まっている。面と向かってはそう言われないが、きっと思っているはず。


 そんなことを思いながら、綾子は兄とともに歩いた。


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