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11 診断

「失礼いたします」

 襖の前で深く頭を下げ、有田に連れられて室内に入った。


「央ノ都で診療所を開いております、楠本綾子と申します」

「あら、女性の医術師なのね」


 意外そうな声。まだ顔を上げてはいけない。声は静かで落ち着いている。違和感はない。


「頭を上げてちょうだい」

 ようやく鈴のような凛とした声がした。もう一度深く頭を下げ、ゆっくりと頭を上げる。


 深窓の令嬢。そんな言葉がよく似合う女性だった。


 日焼けのない真っ白な陶器のような肌に、乱れのない緑色の髪。そして、どこか楽しそうな翡翠のような瞳。


「……珍しいのね。綺麗な髪だわ」

 この国で黒髪は珍しい。母のような深い青のような色はあるが、父のような黒髪は今まで会ったことがない。


「父譲りですので」

「そう」

 綾子の答えに、彼女は穏やかに答えた。


「診てくれるのよね。横になった方がいいかしら」

「では、よろしくお願いいたします」


 まずは普通の診察。腕から脈を取り、聴診器で胸の音を聞く。そして観察も忘れない。

 昨日の夜、兄と話し合って出た病名を、1つ1つ潰していく。


「先生」

「はい」

「……私、治るのかしら」


 それは、不安に満ちた声だった。

 様々な病気の可能性を排除して見つけた1つの病気の可能性。それは、綾子にとっても未知の病気。


「大丈夫です」

 それでも、綾子は笑みを浮かべた。この笑顔が、病気になった患者の不安を少しでも拭えることを、知っていたから。


 全ての診察を終え、最後に質問をする。


「普段の生活のことを伺ってもよろしいでしょうか」

「えぇ。なにかしら」


 貴族ではない女の言葉に耳を傾ける貴族の女性は、きっと数少ない。そんな彼女だからこそ。

「今、一番不安なことはありますか?」


 綾子の優しい声音に、彼女は少し考え

「……やっぱり、病気かしら」

 とつぶやいた。


「不思議なのよ。他の時は、何ともないの。でも、人が集まる場とか……家族との食事の時ね。苦しくなるの。胸がドキドキして、息ができなくなって……」


「死にそうなくらい?」

「あら、どうしてわかるの?」


 やっぱり、父の医学書にある通りだ。昨夜、兄と話し合って、2人で意見があった病気でもある。

 チラリと兄を見た。彼は、笑顔で頷くだけ。綾子を信じて任せるという意味。


 その笑顔を見て、綾子は覚悟を決めた。


「お嬢様は、パニック症という病気の可能性があります」

「ぱに……。聞いたことがないわ。それはどういう病気なの?」


「自律神経の乱れによる脳の誤作動……。体内の時計が乱れることによる、指令する機関が間違った指示を出している状態です」


 医学書に書かれた内容をできるだけかみ砕きながら。慎重に説明していく。


「ひすてりーと言った医術師がいたわ。それとは違うの?」

「そう呼ばれることもあるそうです。間違ってはいけないのは、これは心の病ではなく、脳という身体全体の指令系統を司っている器官が関係しているということです」


 患者やその周囲に誤解を与えないように。


「動悸……心臓が激しく波を打ったり、息ができなくなったりします。時には気分が悪くなったり、手足が震えることも」

「そうね。その通りよ」

「しかし、数分したら元に戻ります」

「……確かにそうね」


 綾子の言葉に、患者はうんうんと頷く。


「こういった症状を発作と言い、一度発作を起こすと、また苦しくなるかもしれないという予期不安という状態に陥ることがあります。特に、簡単に席を外せない場や周りに人が多い時など。これもパニック症の症状の1つです」


「どうすればいいの?」

 ふっと息を吐く。正直、この病気を見るのは初めてだ。


 医学書を読んで知っているというだけで、里で診療所をしていた時にもいなかった。

 しかし、父が記していたのだから、父は見たことがあるということ。


「まず、この病気で命を落とすことは、絶対にありません」

 大丈夫。父は間違っていない。父の治療に誤りはない。そう信じることで、言葉を紡げた。


「苦しくなった時、ゆっくり数を数えながら呼吸をしてください。息を吐くことに集中するのです」

「わかったわ」


「念のため、頓服薬という薬をお出しします。苦しくなった時に飲むと、苦しさを押さえてくれる薬です」


 準備してきておいてよかった。これも出しすぎるのはよくない。


「これから5日に一度、診察させていただきたいのですが」

「もちろんいいわよ。この量の薬ならすぐになくなってしまいそうだもの。その時に持ってきてくれるのよね?」


「この薬は効き目が強すぎるため、一度にたくさんお渡しすることができません。まずは症状が落ち着くまで、不安になる場面を避けるようにしてください」


「わかったわ」

 これで今日のところは終わり。まだまだ勉強しなければ。

 綾子は深々と頭を下げた。




「よくやったね」

 お屋敷を出ると、ぽんっと頭の上に手が置かれた。兄の手だとすぐにわかった。


「落ち着いて説明できていた。さすがだ」

「……初めての病気です。不安しかありません」

「父上は知っていたんだ。きっと治る病気だよ」


 兄妹にはそう信じることしかできなかった。


「おかえりなさいませ!」

 家が近づいてくると、露子が飛び出してくる。


「外で遊んでいたのですか」

「淡路兄さまが遊んでくれました!」

「そうですか。岩木さん、ありがとうございます」

「……いえ」


 言葉少なく首を振る彼に、綾子は丁寧に頭を下げる。


「兄さま、何の病気だったのですか?」

「医術師には守秘義務があるんだよ」

「えー! 露には教えてください!」


 露子をあしらいながら家に入っていく兄と妹を見送り、綾子も屋敷に入ろうとした時。足元に視線が落ちた。

 砂の上に書かれているのは、文字のようだ。


「……露に文字を教えてくださっていたのですか?」

 後ろにいた弟子に尋ねる。

「簡単なものですが」


 彼は短くそう答えただけだった。あんなに勉強嫌いな露子に文字を勉強させたなんて。

「ありがとうございます」

 誰にもできなかったことなのに、と、綾子は改めて感謝した。


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