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10 客

「どうぞ」

 綾子がお茶を出す。露子は下がらせておいた。まだ幼い子どもをかしこまった場所にはおいておけない。


 滝川と弦太郎、綾子、そして5人の弟子たち。人数が多いせいだろうか。どこか緊迫した空気が流れる。


 女性はお茶を一口飲み、わずかに眉を寄せて。しかし何も言わなかった。安いお茶が口にあわないのはわかるが、そこまであからさまに出さなくてもいいではないか。と綾子は不快に思う。


「中村伯爵家で乳母をしております、有田と申します」

「有田様、どのようなご病気かお聞きしてもよろしいでしょうか」

「病気なのは私ではありません。とある高貴なお方です」


 これは詳しく聞かない方がいい空気だ。兄がどこまで踏み込んで聞くのかによって、情報はかなり狭められる。


「どういったご病状がお聞きしても?」

「晩餐の席で、苦しいと倒れられるのです」

 それから、有田という女性は淡々と語り始めた。


「呼吸ができないと仰っておられます。しかし、部屋に戻るとすぐに治られる。これを何度も繰り返しておられます。主治医によれば、心臓や肺には問題ない、原因不明だと」


 なんとなく絞れてくる。しかし、まだ十分ではない。


「そのお方の年齢や性別は?」

「……そのようなものが、診断に必要なのですか?」

「はい。年代や性別によって、かかりやすい病気というものもございますので」


 さすがは兄だ。母に鍛えられた礼儀作法と、父に教えられた医術師としての誇りを忘れていない。


「18歳の女性です」

 まだ若い。綾子と同い年か。そして、女性。話を聞きながら、綾子は頭の中で情報を整理していく。


「ある医者はひすてりーという外国の病気に似ていると言いました。心の病とか。しかし、お嬢様はお心が弱い方ではありません。幼い頃から病気1つせず、いい子に育ってこられた方です」


 隠す気があるのだろうか、と思いながら、黙って話を聞く。それは弦太郎も同じのようだ。下手なところには触れず、ただ必要な情報だけを抜き出していく。


「楠本殿、おわかりになられますか?」

 滝川が尋ねた。


「……ある程度可能性のある病気は絞れました。しかし、実際に見てみないことには、なんとも……」


 それはそうだ。医術の基本は、医術師と患者の1対1。面と向き合ってみなければ、簡単に治療を始めていいものではない。


「必要ありません。病気が治る薬だけいただければ」

 が、有田という女性はそう首を振る。


「今のままでは、病気に合う薬が絞り切れません。素早く治療するために、一度お会いすることはできませんでしょうか」

「なりません」

 頑固だ。


「なぜですか?」

 それでも、弦太郎は諦めなかった。

「お嬢様はまだ結婚されていません。殿方を引き合わせるなど」


 未婚の女性は、家族以外の男性に会わずに過ごす。そんな昔ながらの慣習を守り続ける人たちもいると、母が言っていた。

 面倒だ。綾子は素直にそう感じた。


「では、妹に診せてはいかがでしょう」

「……は?」


 女性の顔が固まった。そして、綾子もぎくっとした。押し付けないでほしい。

「まだ若いですが、医術の腕は確かです」

 視線を感じる。綾子はじっと頭を下げていた。


「あなたは、今の話を聞いて病気がわかったのですか?」

 綾子に問いかけられているとわかった。

「はい」

 静かに、しかししっかり答える。


「おそらく、兄と同じ病気を浮かべているとぞんじます。しかし、私も医術師の端くれです。確証のない状態で断言はいたしかねます」


 医術師として、冷静に。それだけは守っておく。

「……わかりました」

 ようやく有田が頷く。


「兄を同席させることはできますか?」

 すかさず綾子が尋ねる。


「お嬢様には近づきません。私の診察の様子を離れて見るだけです」

「……それくらいなら、まぁ……」


 綾子の気迫に押され、有田は頷いてくれた。




 翌日、綾子と弦太郎は、2人で伯爵邸を訪れた。


 弟子たちに留守を任せた。露子も連れて来られなかったが、弟子たちと仲もいいし、きっといい子に待っていることができるだろう。


「ここ……ですね」

 巨大な門に、中村という表札。


「綾、落ち着いてね」

「わかっています」


 医術に冷静さは不可欠。それは父からも兄からも何度も言われていること。

 弦太郎が門を叩く。すぐに内側から開けられた。


「有田様とお約束している楠本です」

「……どうぞ」


 不愛想な門番に通され、門を潜る。広がった視界に映ったのは、豪華な庭園だった。

「お待ちしていました」

 玄関に有田が出てきていた。


「お嬢様のお部屋にご案内いたします」

「お願いします」

 ここからは、綾子が主導となる。弦太郎はただの付き添い。


 今まで兄の手伝いばかりだった。兄が消極的な時に積極的に治療をすることはあったものの、前に出すぎないようにと気をつけていた。それが母の教えだったから。


 しかし、ここでは違う。綾子が患者に寄り添わなければ。

 18歳。自分と同い年の、病気に苦しむ女性。どこか親近感を覚える。相手は貴族のお姫様なのに。


「お嬢様、失礼いたします」

 綺麗な絵が描かれた襖の前に座り、有田が声をかける。


「どうぞ」

 返ってきたのは、綺麗に澄んだ声だった。


「まぁ、お嬢様。また起き上がって……。横になっていらしてくださいと何度申し上げればよろしいのですか」


 強い口調の有田に

「大丈夫よ。今日は気分がいいの」

 少女の声が答える。その声は、楽しそうに軽やかだった。


「医術師の方をお連れいたしました。寝台にお戻りください」

「はーい。ふふ」


 シュッシュッという衣擦れの音がして、

「どうぞ」

 その音が止まった時、ようやく有田が振り返った。


「失礼いたします」


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