懐かしいその気配
視界を埋め尽くしていた強い光が徐々に収まり、私はゆっくりと目を開いた。
私は見知らぬ場所で座り込んでいた。
壁の塗装はところどころ剥がれ落ち、床には長年積もったと思われる埃が薄く広がっていた。
そして正面には、一体の大きな女性像が佇んでいる。
その像は祈るように両手を合わせていた。
(ここは......聖堂?)
古びてはいるが、その空気は間違いなく祈りの場のものだった。
私は周囲を見回した。
どうして私はここにいるのだろう。
「よかった。うまくいったのね」
背後から声が聞こえ、私は振り返った。
そこにいたのはアイセルだった。
「アイセル? ここは――」
問いかけようとして、私は違和感に気づく。
目の前にいるのは確かにアイセルだ。
なのに、どこか違う。
琥珀のように輝く瞳は白く染まり、その立ち姿はどこか女性を思わせる優雅さを帯びていた。
「聞きたいことはたくさんあるでしょうけど、今は時間がないの」
彼は私の前に膝をつき、視線を合わせた。
「あなたの仲間たちはほとんどここへ転移させたわ。もうすぐ目を覚ますはずよ」
静かな声が続く。
「ただ、勇者の彼だけは無理だったわ。アステリアの干渉が強すぎて、私の力ではここまで連れて来られなかったの」
私は言葉の意味を確かめるように室内を見回した。
長椅子の間に、見覚えのある人たちが倒れている。
「それと、魔族の彼はかなり重傷よ。すぐ治療してあげて。あの人間も酷い状態だけれど、早く処置すれば命は助かるはずよ」
そう言って彼は立ち上がった。
「待って!」
私は慌てて呼び止める。
「あなたは――」
「ごめんね。もっと話したいけれど、時間切れなの」
彼は柔らかく微笑んだ。
「またね、ディアナ」
一度閉じられた瞳が再び開く。
その時には、白かった瞳は見慣れた琥珀色に戻っていた。
「……ディアナ?」
アイセルは戸惑ったように辺りを見回した。
そして次の瞬間、目を見開く。
「ここに……あの方の気配が……」
恍惚とした表情で天井を見上げる。
この反応は間違いなく、いつものアイセルだった。
――今のは、いったい誰だったのだろう。
その疑問が浮かぶより先に、私は先ほどの言葉を思い出した。
『重傷』......『魔族の彼』......
「テオ様!」
私は慌てて立ち上がった。
室内の中央付近で横たわるテオ様を見つけ、駆け寄る。
彼は苦しそうに眉を寄せ、額や首には汗が滲んでいた。
傷口からは血と共に黒い粒子が流れ出している。
セロくんが斬られた時にも見た光景だった。
魔族にとって魔力は命そのもの。
このまま流出し続ければ――。
私は迷わず傷口へ手をかざした。
紫色の光が手から溢れた。
(お願い......間に合って!)
数分後、黒い粒子の流出は目に見えて減っていた。
けれど傷は完全には塞がらない。
強い眩暈が、私を襲う。
それでも私は治療を続けた。
「ディアナ、このままじゃ君が先に倒れるよ」
アイセルが背後から手を重ねる。
「僕の力も使って」
温かな力が流れ込み、私は再び治療に集中した。
その頃には、周囲から人が目覚める気配がし始めていた。
「っ……ここは……」
「なんだ、ここは?」
「……ディアナ様?」
デビトさん、レオードさん、セロくん。
次々と目を覚まし、私たちの方へ集まってくる。
けれど私は振り返る余裕もなかった。
「……っ!」
やがて強烈な疲労感が身体を襲い、視界が揺れた。
「ディアナ!」
倒れそうになった私を、アイセルが支える。
それでも私は再び手を伸ばした。
まだ黒い粒子が漏れている。
「ダメだよ」
アイセルが手首を掴む。
「これ以上続けたら、君が倒れる」
「でも……テオ様が……」
焦りとは裏腹に身体は言うことを聞かなかった。
霞む視界の中、デビトさんが傷口を確認しているのを見えた。
「傷はかなり塞がっています。魔力の流出も遅いですね」
「しばらくは大丈夫でしょう」
続いてセロくんが優しく言った。
「ディアナ様はまず休んでください。力が回復してから治療を続けましょう」
その言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が切れた。
私は力なく後ろへ倒れ込む。
「おっと」
「そんなところじゃなくて、もっと気持ちいい場所で休め!」
レオードさんは狼の姿へ変わり、私の隣へやってきた。
アイセルは少しだけ不満そうな顔をしたが、結局私をレオードさんの背へ預ける。
久しぶりに感じる温かな毛並みに、少しだけ安心した。
その頃になって、今度は人間たちが目を覚まし始めた。
「……あれ? ここはどこ?」
「……どこだ、ここ」
「……っ」
ステラ、カイルさん、ライアンさん。
そして――
「お父様!」
ステラの慌てた声が響く。
視線を向けると、お父様が倒れていた。
胸元は遠くからでも見えるほど、血で赤く染まっている。
「まだ息はあります」
ライアンさんが膝をついた。
「得意ではありませんが、治療魔法を試してみます」
「聖女さんは離れてろ。俺が応急処置をする」
ライアンさんは魔法を放ち、カイルさんは慣れた手つきで服を裂き、傷口を手当てしていく。
その様子を見て、私は少しだけ安堵した。
少なくとも命は助かりそうだった。
怪我人の処置が一通り終わった頃。
皆が自然と私の周囲へ集まった。
「ディアナ、大丈夫?」
ステラが心配そうに顔を覗き込む。
「ええ……だいぶ楽になったわ」
まだ疲労は残っているけれど、意識ははっきりしてきた。
「では本題ですが」
デビトさんが周囲を見回した。
「ここはいったいどこなのでしょう」
全員が改めて室内を観察する。
とても古びているけど、どう見ても聖堂であることは間違いない。
ただ、信心が深いこの国で、普通の聖堂がここまで荒れ果てることなどあり得ない。
ここは、何らかの理由で放棄された場所なのだろう。
――なのに。
不思議なくらい安心する。
身体の奥にある力が、喜んでいるような感覚さえあった。
「ディアナ」
アイセルが静かに声をかける。
「この場所から何か感じるかい?」
「そうね......」
私は素直に頷いた。
「とても安心するわ。それに……力の回復も早い気がする」
その答えを聞いて、アイセルは嬉しそうに微笑んだ。
「ディアナがこう感じるってことは、きっと間違いないね」
そして彼は女性像を見上げる。
まるで長年会いたかった人を見つけたかのような目で。
「ここは――」
懐かしむように呟く。
「月の君が祀られている聖堂だ」




