貴様の覚悟
《テオボロス目線》
目の前にいる不気味な女は、ディアナをどこかへ転移させた。
しかも魔法陣も使わず、ただ魔力を放出しただけで。
魔族の魔法も、陣が必須というわけではない。だが、転移のような精密かつ大規模な魔法となれば話は別だ。
それを、この女はまるで息をするようにやってのけた。
――こいつはいったい何者だ。
(いや、今はそんなことより――)
「ディアナをどこにやった?!」
俺のものを、俺から引き離そうとするこの女に苛立ち、全身に魔力を纏わせた。
人間は言うまでもなく、魔族ですら、この程度の魔力を浴びれば卒倒するはず――
「まあまあ、少し落ち着いたらどうなの? ゆっくり話すこともできないじゃない」
女は怯える素振りを一切見せず、むしろ俺を嫌悪するように手を振った。
その瞬間、四方から光の鎖が伸びてきて、俺の身体に巻きついた。
「っ! なんだ、これは!」
鎖に触れた瞬間、纏っていた魔力が散らされる。さらに体内の魔力までもが強引に押さえ込まれた。
外そうとしても鎖はびくともせず、魔法も使えない。
こんなことは初めてだった。
「おい、貴様! この鎖を外せ!」
「本当にうるさいわね。私はステラと静かにおしゃべりしたいのに」
女は軽蔑するように俺を一瞥した。
「ディ、ディアナは? ディアナはどこに行ったの?!」
「ああ、悲しまないで、ステラ。ちゃんと答えてあげるから」
女は俺への態度から一変し、人間の聖女には媚びるような声音を向けた。
鳥肌が立つ。
「そうね……ただ答えるのもつまらないし、ステラには特別に、昔話を聞かせてあげる♡」
女はペラペラと、この国の話を語り始めた。
文脈からして、ディアナの親の話なのだろう。
正直、ディアナの過去になど興味はない。
だが聞いているうちに、人間の王に対して殺意しか湧かなくなった。
愛する女を守れなかった自分の弱さから目を逸らし、その怒りをディアナに向けるなど、不快でしかない。
しかし、人間の聖女は違った。
話を聞くたびに顔を青ざめさせ、今にも泣き出しそうな表情になっている。
(ディアナもこの話を聞けば、同じ反応になるんだろうか)
昔話を語り終えた女は、歪なほど不気味な笑みを浮かべた。
「あの忌子は今、ダーウィンのところにいるよ♡」
ディアナは、人間の王のもとにいる。
その王は、ディアナの死を望んでいる。
一緒に転移させられた召使いの姿も見えたが、いつまでもつかわからない。
(一刻も早く、ディアナのところへ行かなければ――!)
だが、鎖に巻きつかれた身体では、魔法どころかまともに動くことすらできない。
「さて、質問に答えてあげたことだし、時間も充分稼げたはず。私はダーウィンのところへ行って、見物してくるよ」
女は俺に目もくれず、部屋を出ようとする。
「また会いに来るね、ステラちゃん♡」
女が消えた部屋に、静寂が降りた。
俺はどうにか鎖から逃れようともがく。
しかし、女が消えた今でも、拘束が緩む気配はなかった。
「くそっ……おい、アホ猫! いつまで呆けている! この鎖をどうにかしろ!」
部屋の隅で突っ立っている猫に怒鳴りつける。
あの女を見てから、こいつの様子は明らかにおかしかった。
普段なら鬱陶しいほどディアナにまとわりついているくせに、さっきからまるで動こうとしない。
俺の怒鳴り声を聞き、ようやく意識を戻したようにビクッと震えた。
「あ、ああ」
猫は俺に近づき、鎖を観察する。
「これは……僕じゃ解けないね」
一目見ただけで、あっさり諦めやがった。
最初から期待などしていなかったが、なんとなく腹が立つ。
「解く術はないのか」
「魔族じゃ無理だね。これは僕たちと相性が悪い、勇者の剣や聖女の力と同じ性質を持っているから」
猫は、ベッドの上で縮こまっている聖女へ視線を向けた。
「聖女なら、どうにかできるんじゃない?」
「……わ、私?」
聖女はきょとんと目を丸くした。
だがすぐに、湿ったように俯く。
「でも私……もう、聖女としての力を持っていないの……」
(……そういうことか)
この城に入ってから、ずっと違和感があった。
――気配が、力が、この城だけ異様に濃い。
しかもその力は、勇者の剣や聖女から感じるものと同じ性質だった。
さっきまでこの部屋にも、その力が満ちていた。
だが、あの不気味な女が消えた途端、違和感も消えた。
そして目の前の聖女からは、何も感じ取れない。
ならば結論は一つ。
――あの女が、聖女の力をすべて奪ったのだ。
ならば目の前にいるディアナの姉妹は、もはや聖女ではない。
ただの人間だ。
……だが、それがどうした。
「力がなくとも、この鎖をどうにかすることくらいできるだろう」
「えっ……どういう意味?」
元聖女は、再び困惑した目を向けてくる。
思わずため息をつきたくなった。
「貴様は、力さえあれば魔法を扱えると思っているのか」
「……違うの?」
頭が痛い。
今すぐにでもディアナのもとへ行かなければならないというのに。
「いいか! 魔法は魔力と技術、その両方が揃って初めて発動する。聖女の力も同じだ。貴様には力がないが、技術は残っている」
元聖女は、まだ理解できていないように呆けていた。
(なぜ俺が、この人間に力の使い方を教えなければならんのだ!)
「貴様には技術がある。この鎖には力が宿っている! 魔法を発動する条件は揃っているんだ。説明はもう十分だろう。さっさとどうにかしろ!」
元聖女は数秒動きを止めたあと、自分の手を見つめた。
「でも……私なんかじゃ、アステリアの力には到底――」
「及ばんだろうな。だが、この鎖くらいなら貴様でもどうにかできるはずだ」
それでも、元聖女は動かない。
まったく呆れたものだ。
力が弱くても、必死に使いこなそうとしているディアナを少しは見習ってほしい。
「そうか、わかった。貴様はディアナがどうなってもいいということだな」
「なっ……なんでそうなるの?! 私だって、ディアナが心配で――」
「なら、なぜ動こうとしない。ディアナは今危険な状況にいる。そしてあいつを救える力を、俺は持っている。それでも動かないということは、ディアナを救う気がないということだろう」
「そ、それは……」
元聖女は一瞬シーツを強く掴み、その後ゆっくりと立ち上がった。
おぼつかない足取りで、こちらへ近づいてくる。
「……どうすればいい? どうすればこの鎖を――」
「知らん。自分で考えろ」
苛立ちながら言い放つ。
だが別に突き放しているわけではない。
俺は聖女の力の使い方など知らないのだから。
どうすればいいのかは、元聖女であるこいつにしかわからない。
元聖女は鎖を掴み、力任せに引き剥がそうとした。
しかし鎖はびくともしない。
「んっ……!」
何度も角度を変え、鎖を引っ張る。
「聖女、力任せじゃなくて、鎖に宿っている力の波を感じてみて」
見ていられなくなったのか、猫が助言した。
元聖女は言われた通り動きを止め、目を閉じる。
何かを感じ取るように、静かに呼吸した。
「……魔王、様」
「なんだ」
「なんの力も持たない私の代わりに……ディアナを助けてくれますか?」
「当たり前だ」
――俺からディアナを奪おうとするものは、すべて消し去る。
俺の答えを聞き、元聖女はふっと笑みを漏らした。
次の瞬間。
光の鎖が、音を立てて崩れ落ちた。




