親子としての情
気がつくと、私は謁見室の中央に立っていた。
先ほどまで視界を埋め尽くしていた強い光のせいで、体の感覚がうまく戻らない。ふらりと体勢を崩しかけた、その時――。
「ディアナ様!」
隣から伸びた手が、私の体をしっかり支えた。
「セ、セロくん? なんで、私たちだけ……?」
「ディアナ様は、あの女に転移させられたのです。僕は無理やり魔法陣の中へ踏み込みましたので、一緒に飛ばされました」
穏やかな黒い瞳を見て、少しだけ安心する。
――しかし、その直後。
ガチャリ、と無数の金属音が響いた。
顔を上げると、私たちは大勢の兵士に囲まれていた。何本もの槍が、一斉にこちらへ向けられている。
「……アステリア様の言った通りだな。まさか生きていたとは」
低く冷たい声が、謁見室に響き渡った。
コツ、コツ、と足音が鳴る。
王座の奥から現れた人物を見て、私は息を呑んだ。
「……お父様」
ローランド国王――私の父。
白銀の瞳は相変わらず冷たく、感情のない視線で私を見下ろしていた。
「髪色を変えたようだが、それだけで国に受け入れてもらえると思ったか」
「違います! この髪は――」
視界に映るのは、淡く柔らかな菫色の髪。
皮肉なことに、この髪色はここへ来るまで私を守ってくれた。けれど、お父様の冷たい眼差しまでは誤魔化せなかった。
体が反射的に震え出す。
すると、セロくんが私の前へ静かに歩み出た。
「ディアナ様、安心してください。誰ひとり、あなたを傷つけさせません」
凛と立つ背中と、力強い声。
それだけで、不思議と震えが少し収まっていく。
私は深く息を吸い、激しく脈打つ胸を押さえるように、服を強く握った。
「……お父様。ずっと、お聞きしたかったことが――」
「黙れ!」
怒声が、空気を震わせた。
「貴様に父親と呼ばれるのは不快だ!」
お父様が勢いよく手を振り下ろす。
それを合図に、兵士たちが一斉に動き出した。
「行け! その忌子を殺せ!」
「「おおおおっ!!」」
兵士たちは槍を構え、容赦なく襲いかかってくる。
「っ……!」
目の前まで迫った槍に、私は思わず目を閉じた。
――だが。
「がっ……!」
「ぐあっ!」
鈍い音と悲鳴が立て続けに響く。
恐る恐る目を開けると、襲いかかってきた兵士たちは全員、床へ倒れ伏していた。
「……ディアナ様には、髪一本傷つけさせません」
セロくんが、兵士の一人を床へ押さえつけている。
あの一瞬で、複数の兵士を無力化したのだ。
「な、何が起きた!?」
「見えなかったぞ……!」
兵士たちは動揺し、後ずさる。
「怯むな! 相手はたった二人だ! 必ず忌子を仕留めろ!」
お父様の怒声に、兵士たちは再び突撃してきた。
「うおおおおっ!!」
次々と振り下ろされる槍を、セロくんは最小限の動きで捌いていく。
「うっ!」
「ぎゃあっ!」
兵士たちは次々と地面へ沈んでいった。
(セロくん、強い……)
メイリーをあっという間に拘束したと聞いた時も驚いたけれど、大人数相手でもここまで圧倒できるなんて。
しかも、彼は一切魔法を使っていない。
これが魔族の力なのか、それともセロくん自身が特別強いのか――私には分からない。
でも、今は考えている場合じゃない。
セロくんが兵士たちを抑えているうちに、聞かなければ。
「お父様! ステラが聖女ではなくなったとは、どういうことですか!」
戦闘音に掻き消されないよう、私は声を張り上げた。
けれど、お父様は答えない。ただ冷たく私を見下ろしているだけだった。
「ステラは、立派な聖女になるために、ずっと努力してきたんです! お父様だって、それをご存知でしょう!?」
「……」
「何とか言ってください! ステラは、あなたの愛する娘でしょう!」
感情が抑えきれず、語気が強くなる。
その瞬間。
お父様の口元がぴくりと歪んだ。
「……忌子のくせに」
低く吐き捨てるような声。
次の瞬間、彼は顔を歪めて怒鳴った。
「すべて貴様のせいだろうが!!」
私は言葉を失った。
「ステラは、貴様が生きているというくだらない希望を抱いたせいで、国から抜け出し、聖女の力を奪われたのだ!」
「えっ……?」
頭が真っ白になる。
ステラが城を抜け出したことで罰を受けた――そこまでは理解できる。
でも。
(力を……奪われた?)
理解が追いつかない。
問いただそうとするより早く、お父様は憎悪に満ちた目で私を睨みつけた。
「貴様はいつもそうだ! 何食わぬ顔で、吾から大切なものを奪っていく!」
その瞳は、今まで見たことがないほど激しく歪んでいた。
(どうして……?)
生まれ持った髪色が違う。
ただ、それだけで。
実の父親に、ここまで憎まれなければいけないの?
「私は……何をしたというのですか?」
ずっと心の奥に押し込めていた感情が、堰を切ったように溢れ出す。
「髪色が違っても、神に祝福されていなくても……私も、あなたの娘でしょう!」
愛されたいなんて、もう思っていない。
でも、せめて理由だけは知りたかった。
その思いを込めて、お父様を睨み返す。
お父様もまた、私を鋭く睨み返していた。
「娘だと?」
彼は鼻で笑った。
「貴様を娘に持ったせいで、吾の人生は狂わされたのだ」
マントを翻し、彼はゆっくり口を開く。
「この茶番の間だけ、教えてやろう。貴様が生まれたことが、どれほど罪深いことだったのかを」
そして。
「貴様は、吾の最愛の人――オフィーリアを死に追いやったのだ」
私は目を見開いた。
「お母様は……病で亡くなったと……」
「そうだ。神に愛されぬ忌子を産んだことで、周囲に蔑まれ、迫害され、心を病み……自ら命を絶った」
「自ら……?」
お父様は王座へ腰を下ろし、苦しそうに前髪を掴んだ。
「貴様が生まれた時、吾も……オフィーリアも、愛そうとしたさ」
苦しげな声だった。
「神に祝福されなくとも、我々が愛せばいいと、そう思っていた」
けれど、と彼は続ける。
「周囲はそれを許さなかった。忌子が生まれたのは、オフィーリアが神の怒りを買ったからだと……」
その瞳から怒りが消え、代わりに深い悲しみが滲む。
「オフィーリアは悪意に晒され続けた。社交界では陰口を叩かれ、疎まれ、心を病んでいった。そして……貴様を見るたび、泣き崩れるようになったのだ」
お父様は唇を強く噛み締めた。
「『私のせいだ』と、何度も呟きながらな」
真実に、私は衝撃を受けた。
けれど――。
(どうしてだろう)
お父様は苦しそうなのに。
悲しそうなのに。
私は、その痛みを共有できなかった。
お母様の顔すら、まともに覚えていない。
現実感がなかった。
それに――。
(私は、お母様に何かをしたわけじゃない)
昔の私なら、全部自分のせいだと思っていたかもしれない。
でも、今は違う。
テオ様たちに愛されて。
自分を少しだけ、好きになれそうな今なら。
もう、全部を抱え込もうとは思えなかった。
「……貴様は、もう罪悪感すら抱かぬのだな」
お父様は立ち上がり、王座のそばに置かれていた剣を掴んだ。
「魔族の森で生き、心まで人間を捨てたか」
鞘から剣が引き抜かれる。
切っ先が、真っ直ぐ私へ向けられた。
「やはり貴様は、吾の手で断罪しなければならん」
白銀の瞳が、憎悪に染まる。
「ディアナよ。この城へ戻ってきたことを感謝しよ」
そして、お父様は低く笑った。
「おかげで吾は――今度こそ、自らの手で復讐を果たせる」




