いざ、行こう
「人間の国へ向かうぞ」
テオ様は書庫へ入るなり、そこにいたデビトさん、セロくん、アイセルへ言い放った。
どうやら、私たちの話し合いが終わるのを待っていてくれたらしい。
デビトさんは予想していたのか、特に驚いた様子も見せない。
「そうですか。では、段取りを決めましょう」
その後レオードさんも呼ばれ、全員で改めて作戦会議が始まった。
「まず、人間の国へ行くにあたって、髪色を変えましょう」
デビトさんが指を鳴らす。
すると、彼の深い紺色の髪は、鮮やかな空色へと変化した。
セロくんは瑞々しい草色に、レオードさんは白に近い灰色になる。
「思った通り、ディアナ様は淡い色もお似合いですね」
その言葉で、私は自分の髪が変わっていることに気づいた。
黒に近かった紫色が、柔らかな藤色へと淡く染まり、光を受けてきらきらと輝いている。
「これ……私の髪?」
長い間、ずっと羨ましいと思っていた色。
なのに、不思議と胸が高鳴らなかった。
「俺は元の色の方が好きだがな。夜空みたいで、吸い込まれそうになる」
テオ様は私の髪を一束持ち上げ、じっと見つめる。
その言葉だけで、顔に熱が集まった。
「魔王様はご自分で変えてください。私ではあなたに魔法をかけられませんので」
「……こうか?」
テオ様もデビトさんに倣って指を鳴らす。
次の瞬間、光を飲み込むような黒髪が、淡く輝く銀色へ変わった。
威圧感が薄れた代わりに、冷たく鋭い美しさが際立つ。
まるで作り物みたいに整っていて――
「かっ……」
慌てて口元を両手で隠す私へ、テオ様が視線を向けた。
「どうした?」
「……かっこいい」
普段とはまるで別人みたいで、目が離せない。
「ふむ……お前はこの髪色が気に入ったようだな」
からかうように顔を近づけられ、心臓が激しく跳ねる。
「ちょっと! 僕も似た色でしょう!? ディアナは僕の色も好きだよね!」
「割り込むな、白猫」
アイセルが間に入ってくれたおかげで距離が空き、私はようやく呼吸を整えられた。
(でも……人間の国へ行く間、ずっとこの姿のテオ様が近くにいるなんて、心臓に悪いわ……)
「髪色は、人間の国にいる間は私が維持します。ただし、私の魔力が尽きかけた場合、解ける可能性はあります」
――もっとも、そうそう起きませんが。
デビトさんは淡々と付け加える。
テオ様に次ぐ実力者であるデビトさんの魔力が尽きる状況など、相当な異常事態ということだ。
そうならないことを祈るしかない。
「次に移動手段ですが、僕が普段使っている座標まで転移しましょう。転移魔法は、私よりもディアナ様の補助を受けた魔王様が行った方が効率的です」
転移魔法は、人数や荷物が増えるほど消耗する魔力も大きくなるらしい。
だからこそ、膨大な魔力を持つテオ様が行うのが最適なのだろう。
「そして城へ侵入する方法ですが――」
「正面突破だな!」
「正門を吹き飛ばして、そのまま入ればいいだろう」
レオードさんとテオ様の案があまりにも物騒で、私は思わず顔を青ざめさせた。
「あの……なるべく騒ぎにならない方向で……」
「人間が脅威ではないとはいえ、一応、調和協定があります。魔族だと知られれば後始末をするのは私ですので、控えてください」
デビトさんの冷静な一言に、私は心から安堵した。
「……別に、俺が結んだ協定じゃないが」
不満げに呟くテオ様の声は、聞こえなかったことにした。
「城へ入り込むまでは隠蔽魔法を使いましょう。短時間なら、セロでも問題なく扱えるはずです」
視線を向けると、セロくんは静かに頷いた。
「内部へ入った後は解除し、人目を避けつつ聖女の部屋へ向かいます。状況確認後、速やかに撤退。それでよろしいですね、ディアナ様」
「はい……色々考えてくださって、ありがとうございます」
こうして準備が整い、出発は翌日に決まった。
その夜。
私は一人、部屋へ閉じこもり、遠い記憶を思い返していた。
あの城での楽しい思い出は、ステラたちと過ごした時間くらいしかない。
いつだって周囲の視線を気にしながら生きていた。
思い浮かぶのは、金色の髪と、私を冷たく見下ろす白銀の瞳。
(お父様に……会うことになるのかな)
ずっと、あの人の愛情を求めていた。
ステラへ向ける優しい眼差しを、一度でいいから自分にも向けてほしかった。
でも、それが永遠に手に入らないと知った今は――会いたい気持ちと、会いたくない気持ちが、胸の中で激しくぶつかり合っている。
その時、不意に扉を叩く音が響いた。
「ディアナ様、セロです。お茶をお持ちしました」
慌てて扉を開ける。
「セロくん? どうして――」
「不安なのではないかと思いまして」
セロくんはテーブルへトレイを置き、丁寧にお茶を淹れてくれた。
甘い花の香りがふわりと広がる。
「厨房の者たちに、人間が落ち着けるお茶を分けてもらいました」
「……ありがとうございます」
私はそっと一口飲む。
温かさと花の香りが、じんわり身体へ染み込んでいった。
「セロくんは、いつも私の気持ちを察してくれるんですね」
テオ様にも、ステラにも見せられない。
黒くて、醜くて、卑屈な感情。
セロくんはいつも、何も言わずに掬い上げて、そっと和らげてくれる。
だから、彼の前だと気が緩んでしまう。
その優しさに、今でも涙が零れそうになる。
「僕は魔王様よりも……誰よりも、ディアナ様を見ていますから」
言葉の意味を理解できず、私は隣に立つ彼を見上げる。
けれど、その柔らかく、それでいてどこか意味深な瞳に見つめられ、思わず口を閉ざした。
「では、ごゆっくりお休みください」
セロくんはそれ以上何も言わず、静かに部屋を出て行った。
花の香りの残る部屋で、私は久しぶりに穏やかな眠りへ落ちていった。
翌日。
私たちは最低限の荷物を持ち、広間へ集まった。
全員すでに髪色を変えている。
後は出発するだけだ。
「ディアナ様は顔を知られている可能性があります。マントを羽織ってください。準備が整い次第、出発します」
デビトさんは座標の記された紙を、テオ様へ手渡した。
テオ様が私の手を握り、大きな魔法陣を展開する。
「――行くぞ」
魔法陣が眩く光り、思わず目を閉じた。
やがて光が収まる。
恐る恐る目を開けると――そこは、見知らぬ路地裏だった。




