瘴気とは?
この日、デビトさんから研究結果を報告したいと言われ、帰ってきたレオードさんも含め、全員が集められた。
「ウー、はっはっはっはっ」
なぜかレオードさんは狼の姿になって私の前に座り、うるうるした目で見上げてきた。
「えっと……」
恐る恐る頭を撫でると、待ってましたと言わんばかりに擦り寄ってくる。
(正解みたい。よかった)
しばらくレオードさんを撫で、モフモフした感触を楽しんでいると、後ろからアイセルが覗き込んできた。
「ねー、ディアナは僕のご主人様だよ? 犬じゃなくて僕に構って〜」
アイセルは私の肩に手を回し、そのまま抱きついてくる。
それを見たレオードさんは、低く唸り始めた。
「ガルルルルル……」
「脅しても無駄だよ。君は自分のご主人様に甘えたらどうだい?」
レオードさんとアイセルは互いに睨み合い、火花を散らす。
間に挟まれて困っていると、不意に腕を引き上げられた。
「何をしている」
ついさっき入ってきたテオ様が、険しい表情で私たちを睨みつけていた。
さっきまで喧嘩寸前だった二人の身体が、一瞬で強張る。
「帰ってきたレオードさんを労っていました」
「……」
素直に答えると、テオ様はさらに眉を顰めた。
そのまま私を軽々と抱え上げ、ソファへ腰を下ろす。
不機嫌そうなテオ様をこれ以上刺激しないよう、私は大人しく彼の膝の上に座った。
やがてデビトさんとセロくんも、書類や実験器具を抱えながら部屋へ入ってくる。
「全員揃いましたね。では、報告を始めましょう」
デビトさんは書類に目を落とし、淡々と読み上げた。
「瘴気の成分を調べたところ、その大半は極めて高濃度の魔力で構成されていることがわかりました。その他にもいくつか異なる成分が含まれていましたが、どれも無害なものです。もし人間を魔族へ変える要因があるとすれば、間違いなくこの高濃度の魔力でしょう」
デビトさんは合図するようにセロくんへ視線を向ける。
セロくんは布で覆われた何かを運び込み、その布を外した。
現れたのは、一匹のネズミが閉じ込められた籠だった。
「次に、人間の国から取り寄せたネズミで実験を行いました」
デビトさんは、瘴気が蓄えられた小さなブローチをネズミへ近づけた。
「チ……チ、ヂ……ギャァアア!」
最初の数秒は変化がなかった。
しかし、みるみるうちに毛色が紫がかり、苦しそうに籠の中を駆け回り始める。
ガタン、ガタン――。
ネズミは痛みを感じていないかのように格子へ激突し続け、徐々に籠の形が歪み始めた。
「そこまでです」
デビトさんが指先を向けると、放たれた魔力がネズミの身体を貫いた。
ネズミがぱたりと倒れる。
すぐにセロくんが籠へ布を被せた。
正直、その姿は痛々しく、目を逸らしたくなっていたから、隠してくれて少しほっとした。
「このように、瘴気を浴びた動物は桁違いの力を得て、最終的には魔物化します。これは僕の推測ですが、生物は瘴気を自然に吸収し、その影響で身体能力などが強化されるのでしょう。しかし、体が瘴気に含まれる強大な魔力へ耐えきれず、暴走、あるいは衰弱していくのだと考えられます」
デビトさんの報告が終わり、この場にいる全員が説明を咀嚼していた。
(生物が、魔物になる……。俄かには信じがたいけど、さっきの光景を見てしまうと、信じざるを得ないわね)
「ふーん。魔物になるってのはわかったけどさ、じゃあ魔族とは何の関係があるんだ?」
珍しく真面目に話を聞いていたレオードさんが、不意に問いかける。
「珍しく良い質問をしますね、犬」
「うっせ、舐めんな」
レオードさんの呟きを無視し、デビトさんは眼鏡を軽く押し上げた。
「我々の認識では、魔物と魔族は別種の存在です。魔族は知性を持ち、複雑な魔法を扱える。一方で魔物は理性を持たず、物理攻撃や魔力放出といった単純な攻撃手段しか持ちません……では、この差は何によるものなのでしょうか?」
誰も答えず、デビトさんの続きの言葉を待った。
「これも僕の推測ですが、その違いは“瘴気への耐性”にあると考えています」
デビトさんは一つ咳払いをする。
「魔物は瘴気に耐えられず、中途半端に強化された動物。対して魔族は、幸運にも耐性を持ち、吸収した瘴気を使いこなせる生物……そう考えれば、辻褄が合うと思いませんか?」
(確かに……メイリーが突然魔族になったのも、耐性が生まれたからだと解釈できる)
「……ご苦労だった。引き続き研究を続けろ」
「仰せの通りに」
テオ様の一言を合図に、皆がそれぞれ動き始めた。
「なあ、ディアナ。さっきの続きを――」
「君はもう少し遠慮してくれないかな? ディアナは僕のご主人だよ――」
「お二方とも、ディアナ様を困らせないでください――」
レオードさんとアイセルが再び言い争いを始め、セロくんが慌てて仲裁へ入る。
「ディアナ様、お疲れでしょう。私と読書でも――」
「お前は自分の仕事をしろ」
デビトさんが微笑みながら声をかけてきたが、テオ様が容赦なく遮った。
ステラたちが来る前と同じ光景。
賑やかなはずなのに、今は少し寂しい。
(ステラたちは、無事に戻れたのかな……)
その時、ふと手首のブレスレットが視界に入った。
(そうだ、これを使ってみよう)
私は言い争うテオ様たちから少し距離を取り、ブレスレットへ魔力を流し込む。
(えっと……確か、少し魔力を流して――)
魔力交換と同じ要領で注ぐと、ムーンストーンが淡く光り始めた。
私は恐る恐る声をかける。
「ステラ? 聞こえる?」
返事はない。
(魔力が足りなかったのかな?)
もう一度魔力を流そうとした時、小さな啜り泣く声が聞こえた。
「ステラ? ……ステラ?」
さらに呼びかけると、ようやく声が返ってくる。
「っ……ディ、アナ……?」
その声は今にも掻き消えそうなほど弱々しく、胸の奥から不安が湧き上がった。
「ステラ、どうしたの? 今、何してるの?」
しばらく沈黙が続いた後、今にも泣き出しそうな声が震える。
「ディアナ……助けて――」




