身に余る願い
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よろしくお願いします!
「憎い……憎い……」
息苦しい、全身が石のように重い。
「……許さない」
体が何かに侵されていると感じる。
「……殺してやる――」
自分が、自分でなくなっていく。
「ステラ・ローランド……ディアナ・ローランドっ」
――――――
「はっはっ! やっぱ、お前は人間の中でも強えな。やりがいがあるぜ!」
「ははっ、こんなに評価してくれるとは嬉しいぜ!」
レオードさんの爪とカイルさんの剣が、目にも止まらぬ速さで激しくぶつかり合う。
カイルさんは動き回れるほど回復し、今はリハビリも兼ねて剣の訓練に励んでいる。
レオードさんは例の日からすっかりカイルさんを気に入ったらしく、剣を持った途端に勝負を仕掛けたらしい。
カイルさんもまんざらでもなさそうに、嬉しそうに応戦している。
もちろん、レオードさんが手加減する前提で。
一通り打ち合いを終えたのか、レオードさんは私の方を見て、大きく手を振った。
「ディアナ! 俺の戦うところどうだった?」
まるで褒められるのを待っている犬のように目を輝かせている。ないはずの尻尾が、激しく左右に振られている気がした。
「すごかったです! お二人の動き、見えないくらい素早くて、キレキレでした」
レオードさんは嬉しそうに目を細め、今にも抱きつこうと手を広げる。
その瞬間、ふわりと後ろから温もりを感じた。
「野蛮な犬が、僕のご主人様に触らないでくれるかな」
アイセルは片手で私の肩を抱き、もう片方の手でレオードさんの頭を押さえつけた。
「この……くそ猫!!!」
不服そうにレオードさんが襲いかかる。
私の後ろで喧嘩が始まった――とはいえ、レオードさんが攻撃し、アイセルは分身を作ってからかっているだけのようにも見えた。
そこへカイルさんもこちらに来た。
「カイルさん、体の調子はいかがですか?」
「ああ、お前さんのおかげで調子はいいぞ」
「それはよかったです。では、私はライアンさんの様子も見に行きますね」
「おう、頼む」
カイルさんは軽く手を上げ、私を見送った。
私はアイセルの本体――猫の姿――と共に書庫へ向かった。
中央のテーブルでは、デビトさんとライアンさんが何かに没頭している。
テーブルの上には、いくつものブローチが置かれていた。
デビトさんは私に気づくと、隣の椅子を引いた。
「ディアナ様、どうぞおかけください」
言われた通り座り、ブローチを覗き込む。
「このブローチは?」
「瘴気の浄化装置です。勇者パーティの方々がここまで来られたのは、これのおかげのようです」
向かいのライアンさんは、ブローチに魔法をかけながら集中していた。
「彼は今、改良を行っています。帰路でもより効率よく作動するように」
「へえ、すごいですね。こんな装置が作れるなんて」
「ええ。私も少々感心しています。我々魔族は瘴気を浄化する発想自体がありませんので、人間の発想力は実に興味深い」
デビトさんは柔らかく微笑みながら、宝石に魔法をかけていく。
やがて作業が一区切りついたのか、ライアンさんが顔を上げた。
「おや、ディアナ様。いらしていたのですね。何かご用でしょうか?」
「いえ、体調をお聞きしたくて」
「とてもいいですよ。もう動かしても痛みません」
「それはよかったです……この瘴気浄化装置は、ライアンさんが?」
「ええ。正確には浄化魔法を蓄える装置です。急ごしらえだったので効率が悪くて……デビトさんのような方がいて助かりました。とても刺激になります」
「そうですか……楽しく過ごされているようで何よりです。では、私はこれで」
二人の邪魔にならないよう、静かに書庫を後にした。
長い廊下を歩きながら、先ほどの光景を思い返す。
(カイルさんも、ライアンさんも、魔族と仲良くしている……嬉しいな)
これまで出会ってきた魔族たちは、多少行き過ぎることはあっても、皆いい人たちだった。
そんな彼らが他の人間とも打ち解けているのを見ると、胸が温かくなる。
――もしかしたら、人間と魔族は仲良くできるのではないか。
「ディアナ、面白いことを考えているね」
「……あなたにはお見通しなのね」
アイセルが愉快そうに覗き込む。
「わからないな。君は人間に酷い目に遭ってきたのだろう? それなのに、なぜ仲良くしようとするんだい」
彼は魔力交換を通じて、私の記憶を知っている。
けれど、感情までは共有されていない。
「きっと、ステラとバルドがいてくれたからね」
辛い日々の中にも、わずかな安らぎがあった。
「それにカイルさんとライアンさんも、普通に接してくれたのが嬉しかった」
――だから。
この短い共同生活は、楽しいことばかりだった。
だからこそ、叶うはずのない願いを抱いてしまう。
「この願いは、胸の奥にしまっておくわ」
自分に言い聞かせるように呟いた。
行く当てもなく廊下を歩いていると、向かい側からバルドがやって来た。
「ディアナ様。ちょうど良かった。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「ええ」
私たちは空き部屋に入り、向かい合って腰を下ろした。
「どうしたの?」
バルドは真剣な表情を浮かべる。
「カイルとライアンも回復してきましたので、そろそろここを発とうと思います」
胸がちくりと痛んだ。
ステラたちと過ごす時間があまりにも心地よくて、別れが寂しく感じてしまう。
――でも、私には彼らを引き止める資格はない。
「……そうね。いつ出発するの?」
「ライアンの魔道具の調整が終わり次第です。……ディアナ様は、どうなさいますか?」
バルドは、いつものようにまっすぐな視線を向けてくる。
その瞳の前では、嘘をつくことなどできない気がした。
「どう、というのは?」
「僕たちと城へ帰りませんか?」
少し驚いた。
彼らが私を連れ戻すために来たことは分かっている。けれど、今になって改めて聞かれるとは思わなかった。
――けれど、答えは決まっている。
「帰らないわ。私の居場所は、もうここにあると思っているから」
「……どうしても、ここにいなければならないのですか」
バルドの表情に影が落ちる。
どこか思い詰めているように見えた。
「僕は国へ帰ったら、国王に反発するつもりです。あのような形でディアナ様を処刑したことは、決して正しいとは思えません。それに――僕は、あの国をディアナ様にも優しい場所にしたいのです」
彼は次々と言葉を重ね、私を説得しようとする。
それでも、私は首を縦に振ることはできなかった。
「ありがとう、バルド。私のために、そんなふうに考えてくれて。でも……私はもう、あの城を帰る場所だとは思えないの。それに――」
――ここには、一緒にいたい方がいる。
喉まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。
口にするには、あまりにも気恥ずかしかったから。
けれど――
「あの魔王から、離れたくない……と?」
「……ええ」
見透かされていた。
気恥ずかしさはある。それでも、この気持ちを誤魔化したくはなかった。
「そうですか……」
バルドは小さく息を吐いた。
「短い間でしたが、あの魔族たちは……少なくとも、ディアナ様だけは決して傷つけないと確信できました」
諦めたように、静かに言葉を続ける。
「分かりました。もう、ディアナ様を無理に連れ帰ろうとはしません」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「しかし、一つだけお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ。私にできることなら、何でもするわ」
ずっと私を気にかけてくれた彼に、せめてもの恩返しがしたい。
バルドは、まっすぐに私を見つめた。
「ディアナ様にしかできないことです。どうか――ステラ様と一度、話し合ってください」
「ステラと……?」
「彼女はきっと、僕以上に……あなたと一緒に帰りたいと思っているはずですから」




