逃げた先は......
「いやあああああ!!!速い!怖い!降ろしてー!!」
「うるせえ人間!耳元で喚くな!」
隣で悲鳴をあげるステラとレオードさんの苛立ち声が聞こえる。
でも私も、2人を宥める余裕はなかった。
(怖い怖い怖い怖いー!!)
私は恐怖を消すため、目を閉じて必死にアイセルにしがみつく。
「……犬、ここまで来ればいいんじゃない?追ってくる人間もいないし」
「そうだな。俺もそろそろ耳がギーんってなってきた」
走るスピードが徐々に落ち、やがて2人は完全に歩みを止めた。
「ほらよっ」
「よっと」
「きゃっ!」
レオードさんはカイルさんとステラから手を離し、カイルさんは余裕そうに両足を着地させた。
ステラはバランスが取れず、尻餅をついてしまった。
「ディアナ、大丈夫?」
「ええ……そろそろ降ろしてもいいけど」
傍らでアイセルは、いつもの笑みを浮かべながら私の状況を確認するけど、降ろしてくれる気配がまったくない。
むしろ喜んでいるように見える。
「おい、アホ猫!いつまでディアナを抱えているんだ?降ろせ!」
「嫌だな、嫉妬かい?僕が走っている時、ずっとディアナに抱きつかれたからって、嫉妬は見苦しいよ」
「なっ!テメェ、喧嘩売っているのか——」
隙あれば喧嘩を始めようとする2人に、私は少し辟易していた。
「喧嘩はいいから……早く降ろして〜……」
やっとアイセルが手を離してくれて、私はふらつきながらもなんとか立ち、周囲を確認する。
周りには木の小屋が一軒しかなく、その周りには雑草が生え茂っていた。
そしてその小屋のすぐ前に、井戸があった。
「ここは……」
「この村の水汲み場だな。山のもう少し上のところにきれいな川もあったが、村からだと行くのは面倒だから、井戸の水を使っていたのだろう」
私とカイルさんは、井戸の底を覗き込んだ。
底が深く、かろうじて水位が確認できるほどの暗さだった。
落ちるのか怖くて、私はすぐ井戸から離れた。
「とりあえずここには追手がいないけど……井戸がある以上、誰かいつ来るかわかんねぇから、すぐ移動したほうがいい」
「ええ……ステラ、大丈夫?」
ステラは痛そうにお尻をさすっていた。
「っ……ええ。痛いけど大丈夫みたい。歩けるわ」
「よかった。じゃあさっそく——」
「おや」
すぐにでも移動しようとした時、掠れた老人の声が聞こえた。
私たちは一瞬、体が強張った。
「この前来てくれた男前さんたちじゃないか。」
なんとなく聞き覚えのある声に、私たちは思わずその人の姿を確認した。
そして驚くことに、彼はまさに2日前に訪れた店のオーナーだった。
彼は、大きな樽を手に持っていた。水を汲みに来たらしい。
「こんなどこにいて、どうしたんじゃ?水でも汲みに来たのか?」
その口振りからすると、オーナーはまだ市場での騒ぎが知らないらしい。
どう答えるべきか思考を巡らせると、カイルさんが率先して前に出た。
「いやー、市場のどこでしくじってな。今追われているんだよ」
カイルさんはうまく詳細を誤魔化しながら、私たちの状況を説明した。
でも、その説明だと、変な方向に勘ぐられそうで、ハラハラしてしまう。
「そうかい、それは大変じゃのー」
幸い、オーナーは軽く聞き流しながら、水汲み作業を始めた。
「よいっしょ……来る時に、少し騒がしいと思ったんじゃが、君たちだったのじゃな」
「いやー、恥ずかしい。お騒がせしたな」
こんな状況でも、軽い口振りで話せるカイルさんが、とても頼もしく見える。
「それにしてもじいさん。そんなに大きい樽、1人で持てるか?手伝おうか?」
「おお、いいのか?」
「ああ、いいぜ!その代わりと言ってばなんだか……少しの間匿ってくれるか?」
(えっ!)
思わぬ提案に、私はひどく驚いた。
「カイルさん、それはさすがに——」
「いいぞ」
またまた予測不能の返事に、目を見開いた。
「サリーもお嬢ちゃんたちに会いたかっているしのう。狭苦しい家じゃが、君らが良ければ」
「まじか!助かる!その代わり、水汲みくらいは俺にやらせてくれ」
「それは助かるのー」
そうしてカイルさんは水の入った樽を担ぎ、私たちは人の多い場所を避けながら再びお店に訪れた。
「おかえりなさい、おじいちゃん!……ああ!この前のお姉ちゃんたちだ!」
店の奥には、生活部屋になっていた。
中央に小さめの四角いテーブルが置かれていて、サリーはそこに座っていた。
彼女は私たちを見るなり、すぐ駆け寄ってきた。
マントを被っているはずなのに、なぜ一目でわかったのだろう。
(マントは目立つからかな……)
旅人も訪れないような小さな村ではなおさら、マントは悪目立ちするかもしれない。
そう考えれば、髪色を隠す他の方法も考えた方がいいかもしれない。
「なんでお姉ちゃんたちがいるの?」
「お嬢ちゃんたちが困っていたから、少しの間ここに連れてきたのじゃよ」
オーナーはサリーの質問に答えながら、カイルさんに樽を置く位置を手で指示した。
「どうもね」
「いいってことよ」
オーナーは、引き出しからあるものを取り出して、樽の中に入れた。
「ん?何を入れたんだ、じいさん?」
「ああ、これは水をきれいにする石でね。大丈夫だとは思っているけど、うちは一応入れているのじゃよ」
全員が落ち着いた後、私たちはお互い顔を合わせた。
「少しの間世話になるから、一応名乗っておく。俺はカイルだ。んで、このお姫様たちの世話役みてえなもんだ」
カイルさんに続き私とステラはマントを外した。
「ディアナと申します」
「ステラです」
感謝の気持ちを示すため、感謝の気持ちを示すため、私はマントを外した。髪色を染めたとはいえ、誰かに見せるのはやはり一瞬戸惑う。
ステラがついさっき、髪色で身分がバレたこともあって、なおさら落ち着かない。
(まあ、前回も見られたし。いまさらよね)
しかし、サリーは相変わらず目を輝かせながら私たちを見ていた。
「ディアナお姉ちゃん……ステラお姉ちゃん……サリーはサリーというの!」
先日、少し恥ずかしがっていたとはまったく違い、サリーは興奮しているように見える。
その後ろで、オーナーは優しい笑みを浮かべていた。
「オーディじゃ、よろしくな。そこのお2人さんは——」
オーディと名乗ったオーナーは、私の後ろに控えているアイセルとレオードさんに視線を向ける。
アイセルはともかく、レオードさんには会ったことあるはずなのにと、一瞬戸惑ってしまった。
(そういえば前回、レオードさんはオーナーと話すことなく、始終マントを羽織っていたわね)
2人を見やると、彼らはつまらなさそうに宙を見ていた。
2人は魔族だから、人間の礼儀を知らないし、礼儀を尽くすという考えもない。
ならばと、私は前に出た。
「2人は私の付き添いです。白い髪の彼はアイセルで、マントを羽織っているのがレオードと言います」
私はレオードさんのマントを小さくつまむ。そして彼の耳元で囁く。
「マントを外してください」
レオードさんは大人しくマントを外してくれた。
彼の黒に近かった灰色の髪が、今や白みがかって見えるほど淡い。
一方で、そもそも髪色を隠す必要のないアイセルは、ただ無表情でサリーとオーディを見下ろしていた。
2人とも、どう話しかければいいのかわからないのか、それとも単に話すことがないのか、一言も発さなかった。
そんな2人を、特にアイセルを、サリーはまだキラキラした目を向けた。
彼女は、私のマントを掴んだ。
「ねえねえ……アイセルはお姉ちゃん?お兄ちゃん?」
「えっ……お兄ちゃん、かな?」
私はその質問に、少し戸惑っていた。
そして改めてアイセルを観察する。
(確かに、アイセルの容姿はどちらかというと中性的ね。体型はとても男性的だけど)
「そっか……アイセルお兄ちゃんも、きれいな人……」
それを聞いてアイセルは、目を細めて笑った。
「人間にしてはいい目をしているんじゃないか。有望だね、君」
「……うっぜ」
満足気に笑うアイセルと、その隣で悪態をつくレオードさん。
2人がここで喧嘩を始めないかハラハラしながら、私たちはしばらくここに隠れることにした。




