騒ぎ
「誰か! 助けて!」
切羽詰まった助けを求める声につられ、その方向に視線を向けると、そこには倒れている老人と、その様子を緊張した面持ちで見つめている婦人がいた。
その尋常ではない叫び声にただならぬものを感じ、私たちと屋台のおばさんは急いで二人に近づいた。
「どうしたの!? ……っ」
おばさんは婦人に問いかけながら老人の様子を窺うと、すぐに息を呑んだ。
私たちもその老人の姿を捉えた瞬間、息を呑んだ。
「っ! そんな……」
その老人は、片方の頬から首筋にかけて、紫がかった大きな忌々しいあざが広がっていた。
そして頭からは血が滴り落ち、地面には血溜まりができていた。意識を失っている老人の顔色は、ひどく青ざめている。
「これはっ……ちょっと待っててね。うちの店に置いてあるタオルを持ってくるから」
おばさんはすぐに、屋台の方へ駆け戻った。
「あ……私はっ、どうすれば——」
一番近くにいた婦人は、ひどく狼狽えていた。
こういう状況は初めてで、どう動くべきかわからないのだろう。
カイルさんはすぐに跪き、その婦人を宥めた。
「落ち着け。清潔なタオルが来るまで、なるべく怪我人を動かさない方がいい」
「わ、わかったわ」
婦人はすぐに、自分を落ち着かせるようにじっと動きを止めた。
その間、カイルさんは彼女に問いかけた。
「お前さんが見た範囲でいいから、状況を説明してくれないか?」
「え、ええ。さっき、ここを歩いていた時、このおじいさんとすれ違ったの。顔に大きなあざがあったから、なんとなく気になっていたの。そしたら後ろから大きな音がして、振り返ってみれば、このおじいさんが倒れていたの。打ちどころが悪かったみたいで、頭から血が出て……私、もうどうすればいいのかわからなくて——」
「タオルを持ってきたわ!」
婦人が懸命に説明していると、おばさんがタオルを持って戻ってきた。
カイルさんはすぐにそれを受け取り、老人の頭の傷に当てようとした。
「頭を少し支えてくれないか?」
「ええ!」
カイルさんに言われた通り、婦人は老人の頭を支える。
今までじっと見ているだけだった私も、一緒に手伝うことにした。
「手伝います」
「助かる。おばちゃん、医者を呼んできてくれねぇか?」
「急いで行くわ! それまでお願いね」
おばさんは走り去り、カイルさんは顔を強張らせながら、なんとか老人の頭にタオルを当てた。
「くそっ……全然、血が止まらねぇな」
普段は落ち着いているカイルさんも、珍しく緊張している様子だった。
それほどまでに、今の老人の状態は酷いのだろう。
(私に、できることは——)
「あの!」
必死に思考を巡らせていた私を遮るように、ステラが大きな声を上げた。
私たちは全員、彼女に視線を向けた。
「私に、やらせてくれませんか?」
彼女は緊張しているようで、両手をきつく握りしめていた。
「ステラ……何を?」
ゆっくりと近づいてくるステラに、私たちは戸惑っていた。
彼女は跪き、老人の頭に手を翳した。
すると、その手から光が放たれた。
「これはっ」
カイルさんは、わずかに息を呑んだ。
かくいう私も、内心では驚いていた。
(これって、聖女の癒しの力? ……でも、聖女の力は取り上げられたはず——)
ステラは冷や汗を流しながら、しばらく癒しの光を放っていた。
やがて光が消えると、彼女はふうっと息を吐いた。
「……終わったわ」
「——傷が、塞がっている」
ステラの一言を合図に、カイルさんが傷の具合を確認すると、驚きを露わにして目を見開いた。
「お医者さんを連れてきたわよ!」
「怪我人は?」
その時、おばさんが医師らしき男性を連れて戻ってきた。
医師は急いで、倒れている老人の傷を確認する。
「……傷が、ない……! こんなに血が流れたのに」
「えっ! どういうこと!?」
「あなた、何をしたの?」
医師とおばさんはひどく戸惑い、婦人はステラを見て問いかけた。
「えーと、その、これは——」
ステラが何か言おうとした時、強い風が私たちを襲った。
「っ!」
私は慌ててマントを押さえ、同じくマントを被っているステラを見る。
だけど彼女は押さえるのが間に合わず、マントが外れ、波打つブロンドの髪が露わになった。
「ステラ、髪!」
「っ!」
私の声を聞き、ステラはやっとマントが外れたことに気づき、慌てて被り直そうとした。
しかし、何もかも遅かった。
すぐ近くにいる婦人、おばさん、医師はすでに、その髪を見てしまっていた。
「きれいなブロンドの髪……どこかで見たような」
「ええ……見覚えがあるような——」
幸い、彼らはまだステラが何者なのか気づいていない。
今なら誤魔化せる。
「あのね、彼女は——」
——聖女さま。
それは、囁くような、耳をくすぐるような、小さな声だった。
どこから発せられたのかはわからない。
でも、この小さな声が、この状況を変えるには充分だった。
「聖女? ……確か、この国の聖女はブロンドの髪だったはず」
「聖女は……万病を癒す力を持つと言われている」
「じゃあ……もしかして——」
三人の視線が一気に、ステラへと注がれる。
その視線は、怖いと思うほどギラついていた。
「万病を癒す聖女様なら……うちの夫を——」
「この村の患者も——」
「うちの子も——」
三人から発せられる圧に、私たちは後ずさる。
「ち、違うの……さっきのは、その——」
ステラは声を震わせながら、説明しようと口を開く。
けれど、目の前の三人はどう見ても、大人しく話を聞ける状態ではなかった。
さらに、騒ぎを聞きつけ、他の店にいた人たちも一人、また一人と出てきた。
「聖女様……だって?」
「聖女様、どこ?」
「聖女様、助けて……息が——」
徐々に多くの人が集まり、私たちは少しずつ囲まれていった。
「おいおい……落ち着けよ、お前ら。まずはそこの爺さんの様子を見た方がいいんじゃないか?」
カイルさんは私たちの前に出て、両手を上げながら、人々の注意を逸らそうとした。
それでも、ほとんどの人はステラから視線を逸らさなかった。
やがて一人の婦人が飛び出し、ステラにしがみつこうとした。
「きゃっ!」
「お願いです! 聖女様! うちの子を!」
「おいおい、乱暴はよくないぞ——」
カイルさんがその婦人を引き剥がそうとし、私はステラを人々から遠ざけようとする。
しかし、すぐに次の人が飛び出してきた。
「ずるいわ! うちの夫も——」
「助けて! 聖女様! うちの父を——」
「お母さんを助けてください!」
混乱しつつある状況の中、私は急いで辺りを見回し、叫んだ。
「レオードさん! アイセル!」
今まで私たちと距離を置き、状況を見守っていた二人の名前を呼んだ。
すると、レオードさんはどこからか軽々と人混みを飛び越え、アイセルは白い霧に包まれながら、私の後ろに現れた。
「待ってたぜ、ディアナ!」
「さあ、ご主人様。なんなりと」
突然姿を現したアイセルと、人混みを飛び越えてきたレオードさんの姿を見て、人々はわずかにどよめいた。
「なんだ!?」
「えっ! どこから——」
そんな人々には目もくれず、私は二人に言った。
「彼らを傷つけずに、私たちを逃がして!」
「え? 傷つけちゃダメなんか……しょうがねぇな」
「喜んで! さあ、犬。ディアナは僕に任せて、君はそこの二人を——」
「うっせぇ! 指図すんな! つーか、なんでお前がディアナを——」
「もう二人とも! 喧嘩している場合じゃないでしょう!」
まだ喧嘩を始めようとする二人を止めると、二人はやっと動き出した。
アイセルは私を抱き上げ、レオードさんは雑にステラとカイルさんを担ぎ上げた。
「ディアナ様、しっかり捕まっていてくださいね」
アイセルが私に柔らかな笑顔を見せる。
そして二人は助走をつけ、一気に飛び上がった。
再び軽々と人々を飛び越えた二人は、私たちを抱えたまま着地すると、その瞬間、素早く走り出した。
「っ!!!」
「わあああああ!」
「おおおお! すげえなー!」
私はあまりの速さに、アイセルに必死にしがみつく。
隣からは、ステラの悲鳴とカイルさんの感心した声が聞こえてきた。
私たちは人々の表情を見る余裕すらないまま、その場から走り去った。




