最高の従兄
マーカス侯爵家の次男として、生を受けたルドフィル。マーカス侯爵家は、一芸に秀でた者が多いことが特徴だった。
例えば、ルドフィルの母親のメリル様は、音楽の才に恵まれており、そのピアノの音色は聴く者すべてを魅了した。そして、ルドフィルの兄、ディルク様は、学問の神に愛されており、国内に彼に勝る知識人はいないとまで言われた。
そんな才能溢れるマーカス家に生まれた、ルドフィルも当然、周囲を圧倒するほどの才能を期待されていた。
そんなルドフィルが自分を表すものとして選んだのは、剣だった。ルドフィルは、剣を持つことを許された日から、毎朝毎晩、鍛錬を重ねた。
その頃からルドフィルによく懐いていた私は、ルドフィルが鍛錬する様子をよく眺めていた。
「ねぇ、ルドフィル」
幼い私はずっと疑問に思っていたことを尋ねたくて、休憩する頃合いを見計らって声をかけた。
「どうしたの?」
「どうして、ルドフィルは剣を振るの?」
そうだなぁ、と言いながら一瞬瞼を伏せたルドフィルは、けれど、すぐに微笑んだ。
「僕が、ルドフィル・マーカスだから、かな」
……よくわからない。
「ブレンダにはまだ、難しかった?」
ごめんね、と笑うルドフィルは、でも、それ以上説明はしてくれない。
「じゃあ、ルドフィルは、剣が好き?」
「……好き、か、どうかじゃないんだ。僕は、僕自身を表す何かを見つけなきゃいけない。それが、たまたま剣だった。それだけだよ」
「ふぅん」
「そういえば、ブレンダ、クッキー食べる? 休憩時間に焼いたんだ」
「食べる!」
――剣についてルドフィルの言うことはやっぱり難しくてよくわからなかったけれど。それでも、ルドフィルの悲しそうな瞳はとても印象に残った。
それから、数年が経ったある日のこと。ルドフィルは、国が主催する剣術大会に出場した。そして――。
「ルドフィルー、遊ぼうよ」
いつものように週末、マーカス家に遊びに行った。そして、ルドフィルの部屋を訪ねたけれど、ルドフィルがいない。そのことを使用人に尋ねると、使用人はどこか痛々しいものを見るような顔をした。
「ルドフィル様は、きっとお庭にいらっしゃるのではないでしょうか。ですが……」
出来ることなら放っておいてあげてほしい、と言われる。
「えぇー、どうして? ルドフィルと遊びたいのに」
そんなことを言われたのは初めてで、不満に思っていると実は……、と使用人は声を落とした。
「ルドフィル様が、剣術大会に出場されたのはご存じですか?」
「……ええ、知ってる。三位だったのよね」
「……ご存じだったら、話は早いですね。そう、それが原因です」
「三位だったから、外に出てるの?」
あぁ、もしかして、外でお祝いパーティでも開いているのかしら。だったら、納得よね。でも、おかしいな。来るときにパーティをしている様子はなかったけれど。
「はい。三位だなんて、マーカス家では有り得ませんから」
「そうよね、とってもすごいわ!」
ルドフィルが頑張っていたことを知っているから、素直に嬉しい。
「いいえ、そうではなく。三位だなんて、マーカス家のご子息として、恥ずかしい、という意味です」
「え――」
なにを、なにを言っているんだろう。だって、ルドフィルは頑張ってて、それで、大会で三位も取って。それなのに、ルドフィルが恥ずかしい、だなんて。
驚いた私に、使用人は教えてくれた。私が朧げにしか理解していなかったマーカス家のことを。
「だから、ルドフィルはあんなにたくさん、頑張ってたんだ……」
「ええ、ですが過程に意味はございません。結果が、全てです」
……そんなことない。ルドフィルが頑張っていたことに意味があるもの。
私はまだ何かを言っていた使用人を置いて走り出し、侯爵邸の庭に急いだ。
ルドフィルは、すぐに見つかった。
マリーゴールドの生い茂る庭で、ルドフィルは蹲っていた。
「ルドフィル!」
私が大きく名前を呼ぶと、俯いていた顔を上げた。
「ああ、お前か」
……お前。ルドフィルにそんな風に言われたことは一度もなかった。
「なに、僕を笑いに来たの?」
「違う、違うよ。私は、ただ――」
ルドフィルは、どうだか、と横を向いた。
「あのね、ルドフィル。私ね、ルドフィルが頑張ってたの、知ってるよ」
「……それが? 頑張ってたからなんだっていうんだ! 結果が全てだろ」
そんな風に声を荒らげることも、ぞんざいな口調も、一度も聞いたことがなかった。でも、それはきっとルドフィルがそれだけ傷ついているからで。
「ううん、私は、頑張ることってすごいことだって思うよ」
「すごくない。努力なんか、して当然だ。一番じゃなきゃ意味がないんだ。一番じゃ、ないと……」
ルドフィルの瞳が暗く、沈む。
「私は、知ってるよ。ルドフィルが一番なこと」
「え――……」
ルドフィルは驚いたように、目を瞬かせた後、きっと睨んだ。
「嘘だ。僕はどうせ、何も出来ない! 何にもなれない!」
「そんなことないよ」
一歩ルドフィルに近寄る。
「口ばっかりうるさくて、小さなお前なんかに、僕の何が――」
「ルドフィル」
ゆっくりとその名を呼んで、それから、ルドフィルの隣にしゃがみ込む。
「あのね」
一面に生い茂っているマリーゴールドが揺れた。
「私はね、ルドフィルの作るお菓子が一番大好きよ」
どんな甘いケーキ食べたって、ルドフィルが作ってくれたあの優しい味には敵わないの。
そう囁くと、ルドフィルの瞳が僅かに揺れた。けれど、それは一瞬で。
「貴族で、お菓子が少し作れたからって、なんだっていうんだ。それともなに、僕にお菓子職人になれってこと?」
「ううん、そうじゃなくて。ルドフィルのお菓子には優しさがこもっているの。甘いものがお好きな叔母様には、いつもより少しだけ、砂糖を多く。甘いのが苦手なリヒト兄様には、砂糖を少なく。……そして、白色が好きな私には、白のリボンで包んでくれた」
そうでしょう、と言いながら、私はルドフィルの手を包み込んだ。拒絶されるかと思ったけれど、振り払われはしなかった。
「そんなの、当然だろ」
「ううん、誰にでも出来ることじゃないわ。がんばり屋で、みんなのことを考える優しいルドフィルは私の一番で最高の従兄よ!」
だからね、と私は続ける。
「どうか、ルドフィルが頑張ったことを、ルドフィルに受け入れてほしいの。ルドフィルが毎日頑張ってたの、私は知ってるよ」
「……っ」
「ルドフィル、よく頑張ったね」
私はもう片方の手でルドフィルの頭を撫でた。柔らかな茶髪は、さわり心地がいい。
偉いよ、頑張ったね、そう繰り返しながら頭を撫でると、やがて、嗚咽が聞こえた。その嗚咽が聞こえなくなるまでずっと、私は、頭を撫で続けていた。




