2. 招かれざる『迷子』
テリーがこの極上の監禁生活を始めて、数ヶ月が経った頃。
彼の日課は「何もしないこと」で完全に固定され、魂の純度は神々が涙を流して喜ぶほどに安定していた。
だが、運命というものは、神々ですら完全にコントロールしきれない『バグ』を生み出すことがある。
「――主よ。結界の最外周部に、奇妙な反応があります」
リビングでレオの腹を枕にして昼寝をしていたテリーは、シルフィの張り詰めた声に片目を開けた。
「反応? 魔獣か?」
「いえ、人間です。……それも、致命傷を負った人間の少女が一名。おそらく、魔王軍の残党に追われ、逃げ惑ううちにこの『不帰の樹海』の奥深くへ迷い込んだものかと」
テリーは眉をひそめた。
「おいおい、話が違うぞ。他世界の生命体の侵入は概念レベルで遮断してるんじゃなかったのか?」
「魔神様の結界は完璧です。ですので、その少女は『結界の中』には一歩も入れず、外側ではじき返されています。ただ……その衝撃で、結界のすぐ外の地面に倒れ伏しており、このままでは数分と持たずに命を落とすでしょう」
シルフィが空間に魔法の映像を投影する。
そこに映っていたのは、血に染まった銀色の甲冑を身にまとった、うら若き金髪の少女だった。その背後からは、不気味な咆哮を上げる大型の魔獣――魔王軍の斥候らしき狼型の化け物が、今まさに彼女にトドメを刺そうと迫っている。
少女は薄れゆく意識の中で、テリーの家がある方向を虚ろに見つめ、血に濡れた手を伸ばしていた。
「神よ……どうか、我が民を……」という、絶望的な祈りの言葉が、魔法の音声を伝ってリビングに響く。
シルフィとレオが、じっとテリーの顔を見つめた。
彼らは神のしもべ。テリーが「助けろ」と言えば、一瞬で外の魔獣を消滅させ、少女を治療することができる。
だが、テリーの反応は、冷酷そのものだった。
「無視しろ」
テリーはそう言い放ち、再びレオの毛並みに顔を埋めた。
「主、よろしいのですか?」
シルフィが確認するように問う。
「当たり前だ。ここで俺が色気を出してあの女を助けたらどうなる? 『ありがとうございます、救世主様! 我が国をお救いください!』って、また面倒なイベントに巻き込まれるに決まってる。前世の会社と同じだ。一回親切で他部署の手伝いをしてやったら、次からそれが『お前の担当業務』にされて使い潰されるんだよ。俺はもう誰の利益のためにも動かない。あの女が死ぬのもあの女の国が滅びるのも俺の知ったことか」
テリーの言葉には、一切の揺らぎがなかった。
彼は、前世で「親切心」と「責任感」を人質に取られ、死ぬまで搾取された男なのだ。そのトラウマと学習能力は、神々の想定を遥かに超えていた。
「畏まりました。では、自然の摂理に任せます」
シルフィは静かに映像を消そうとした。
――その時だった。
どォン!! という、結界全体を揺るがすような凄まじい衝撃音が響いた。
「な、何事だ!?」
テリーが跳び起きる。
消えかけていた魔法映像が自動で拡大される。そこには、信じられない光景が映っていた。
トドメを刺そうと飛びかかった魔獣の爪が、少女を守るように突如として発動した『黄金の光』によって粉々に砕け散ったのだ。それどころか、その余波で周囲の魔獣どもが跡形もなく消滅していく。
【警告:至高の女神の祝福『過剰防衛・強制生存因果』が自動発動しました。主の半径一キロメートル圏内で、主の精神に『不快な罪悪感』を与える可能性のあるイベント(無辜の民の死亡など)を感知したため、世界のシステムが強制的に介入し、対象を救済しました】
「……は?」
テリーは口をあんぐりと開けた。
システムのアナウンスは、さらに続いた。
【追加措置:運命の神の祝福により、対象の少女は『主の引きこもり生活の快適性を向上させる潜在的因子(有能なメイド候補)』と判定されました。結界の権限を一部書き換え、少女を敷地内へ自動転送します】
「おい、ふざけるな!!」
テリーが叫んだ瞬間、リビングの床にまばゆい魔法陣が展開し、ドサリと、血まみれの金髪の少女が転がってきた。
神々は、テリーに「罪悪感で憂鬱になられて引きこもり効率が落ちる」のを恐れるあまり、テリーが無視しようとした垂れ込み案件を、システム側で自動解決して家の中にまで放り込んできたのだ。
「う、ううん……」
気を失ったまま、ふかふかの特級絨毯を自らの血で汚していく少女。
テリーは頭を抱え、天を仰いで絶叫した。
「あのクソ神どもおおお!! どこまでお節介なんだよ!! 営業妨害だろこれ!! 頼むから俺を、完全に、一人にさせてくれよおおお!!」
誰の指図も受けず、何も持たずに引きこもるはずだったテリーの絶対の檻に、神々の超絶ブラックな過保護システムによって、最初の「闖入者」が強制デリバリーされてしまった。
最強の引きこもり魔導師の、平穏を守るための(主に神々への)孤独な戦いが、ここに幕を開ける。




