第九話 さよなら
アイリーンは目を覚ますと祖母の家の寝室にいた。
父と再会してからの2週間はあっという間に過ぎ、今日は9月の3日。
少女の5歳の誕生日だ。
いろいろなことがあった。
少女は布団の中でこの2週間を思い返していた。
* * *
父は祖母の家に来ることになった。
もとのアパートは17日の空襲で倒壊してしまい、少女たちも祖母の家に居候することになっている。
母の判断で15日から祖母の家にいたのでほとんどアパートの部屋は空だったとはいえ、少女は悲しくなっていた。
すでに祖母や祖父、久我家もいた家にさらに3人入ったので、少し狭いなと少女は思った。
そんな中で父も来たためフィオナ叔母さん(フィオナはエクシードの姉)と父の間で家のことと父の今までの行いが悪かったために一悶着あったが、仲直りし今は姉の顎でこき使われている。
少女は少し前まで憎み、今は少しだけ尊敬する父が叔母にこき使われるのを見て少し不思議な気持ちになっていた。
この二週間、父と少女は一緒に釣りに行ったり山菜採りに行ったりとずっと一緒に過ごした。
父の狩りを見せてもらったりもした。
狩りをするときの父はまるで別の人格が移ったかのように静かになり、目は鳶のように鋭い、蝦夷鹿を見つけいざ猟銃で狙うと父はまるでそこにいないように気配が無くなり、その後すぐになった銃声が少女の耳を突き抜けた。
父と少女は死んだ鹿に手を合わせたあと家まで持っていき、鹿鍋を食べた。
少女にとって鹿肉は初めてであり、噛み切るのにかなり苦労した。
それを横で父は笑いながら見ていた。
その後父は毎日のように山に行き、鹿を数頭獲ってリヤカーに積んで持ってきたあと母とともに解体し、鹿鍋にしたあと町の人々に配るようになった。
少女も横で手伝い、色んな人と話した。
そんな日々も今日で終わる。
父達は今日室蘭を出てまた戦争に向かうことになっていた。
* * *
少女が布団から出ようとすると隣からうめき声が聞こえてきた。
驚き、隣を見てみるとそこでは父が丸くなって寝ていた。
いつもは少女が起きるよりも遅く寝、早く起き、すでに山に入っている父だったが、今日は隣で口を半開きにして寝ている。
父の寝姿を始めてみる少女はもう少し見ていようと思った。
「アイちゃん!エクシード!もう朝よ!起きなさい!」
しかしその後下から叔母の声がし、しかもシードが布団を剥いでしまったためもう起きるしかなくなったため、渋々少女は下に降りていった。
その5分後、叔母が2階にフライパンとお玉を持って父を起こしに行った。
母は仕事の当直だったらしくすでに家にはおらず、祖父母も家にはいなかった。
義姉とひまりは食料配給をしに行ったらしく、ソウジも昨日から柏先生のところに行っている。
それに叔母もこのあと義姉たちに合流するらしい。
つまりこのあとこの家には少女と父の二人しかいなくなるということだった。
少女は自分の誕生日が忘れられているのではないかと思い悲しくなっていく。
いくら戦争のせいでもおめでとうだけ入ってほしかった。
「なあアイ、このあといっしょに出かけないか?今日誕生日だろ?」
そんななか、向かいで朝食をとっている父が話しかけてきた。
「空襲のせいで色々吹っ飛んじまったがちょっと北の方に行けばいくらかはあるだろう。誕生日プレゼント、一緒に探しに行こう」
少女はとても嬉しかった、誰もおめでとうを言ってくれないなか父が言ってくれた。
「うん!」
アイリーンは大きく頷いた。
* * *
2時間後、二人は室蘭工業大学にいた。
その周りでは大きな市場が開かれ、多くの人々が往来している。戦中とは思えない賑わいだった。
しかし少女は違和感を覚えた。
嫌に値段が高い。
「なんかおかねたかいね」
「しょうがない、闇市だからな。まあ気にするな、欲しい物があったら言いな」
少女には闇市と言われてもわからなかったが、父がそう言うならと走り出していく。その後ろをシードがついてくる。
普通の父親なら心配してついてきそうだが、父は少女を見送ると反対側に歩いていってしまった。
少女には何もかもが不思議に見えた。
自分が住んでいる周りはすでに焼き払われ、家をなくした人々が野宿をしている。物資も何もかもが不足し、道端に餓死者が横たわっているほどだった。
しかしここには貴重な砂糖も、安全な水も、あったかいスープも、何もかもが揃っている。
どこにこれだけの物資があったのかとは考えなかったが、それでも不思議だった。
そんな中で少女は自分の欲しい物を探してみた。
しかし無い。
少女が好きなもの、というよりも好きになってしまったもの。
銃器類がなかった。
ソウジが持つ猟銃を見て以来、自分も一つ銃を持ってみたいという衝動がずっと少女の中に渦巻いている。
もちろんそれ以外にも欲しい物はあったが、一人になった途端それを探してみたが、無かった。
しょうがなく少女は服を探してみることにした。
そうするとすぐに見つかった。
青色のワンピース。
少女には少し大きいように見えたが、それが一番欲しいと思えたものだった。
ただ高い。
5の後ろに0が5つくっついていた。
「あれが欲しいのかい?」
気づけばすぐ後ろに父が来ていた。全く気配がなく、突然現れたようにしか少女は思えなかった。
「うん、でもおかねたかいよ?」
遠慮がちにそう言うと父は少し鼻息を吹いて
「子供が金の心配をするんじゃない、少なくともおとうさんについてはしなくていい」
父はそう言ってお金を出すなりあっさりと青色のワンピースを買ってくれた。
なぜかわからないが父が大きく見える気がした。
* * *
「ほんとうによかったの?これ」
「だから言ったろう。お父さんに任せなって」
ワンピースを買ったあと家の前まで帰ってきた二人は何度目かわからない会話をしていた。
そう話したあと少女が家のドアを開けると、いきなり火薬の音がした。
そして少女の全身に紙のリボンがかかってきた。
「「「アイちゃん誕生日おめでとうーー!」」」
家の中から節子が走ってきて抱きついてきた。
「…え?」
少女の頭の中は何が起こったのかを理解できていなかった。
「あれ〜?アイちゃんどうしたの〜?」
節子の間の抜けた声が真っ白になった頭の中に入ってきた。
「みんなでアイのたんじょうびのじゅんびをしていたんだよ」
聡太が教えてくれた。
彼の手元を見るとクラッカーは発射できていなかった。
少女の目から涙が出てきた。
とにかく嬉しかった。
みんな誕生日のことを忘れているものだと思っていた、でもみんなこのサプライズのために黙っていたのだ。
「ありゃりゃ~、アイちゃんないちゃったねえ」
「アイ、だいじょぶ?」
二人が少女の顔を覗いてくる。
「うん、みんなありがとう!!」
少女の顔は1週間ぶりにみんなに見せる満面の笑顔だった。
* * *
パーティーが終わったあと、少女たちは父を見送るために室蘭港跡に来ていた。
8月の夕日は西の空を真っ赤に染め、焼けただれた港跡をてらしている。
その向こうの海には多くの船が浮かんでいる。
小さく、スリムな形をし、数が多い船
中くらいの大きさ、軽快な動きをする船
大きく、ずんぐりとした体を持つ船
平らで、そこから飛行機が飛んでくる船
それらの艦隊が夕日に照らされ巨大な影を作っている。
それは少女にとってこの先忘れられることのない景色の一つとなった。
そして旧港内に1隻の駆逐艦が停泊している。父を迎えに来た船だった。
確か名前は響だったか。
洞窟の中にある潮と瓜二つの外見をしている、その船のメンタルモデルと思われる人は母と親しげに話している。
そんな船の上に少女と同じ髪と目の色をした女性がいた。
その女性は少女に気づいたのかこちらに向かって大きく手を振っている。
その姿はどこか母に似ていると少女は漠然と感じていた。
「アイ、ちょっとこっちに来てくれないか」
後ろから父が手招きをして呼んできた。
防波堤の端っこで二人は海を見ながら話し出す
「なあに、おとうさん」
「アイ、ちょっとこっちに手を出してくれ」
「うん」
そうして手を出すとその上にずしりとした冷たいものが置かれ、またその上から父の大きい両手が覆いかぶさってきた。
「お前にこれを渡す、だがこれはとても危険なものだ。ソウジによく言われているだろうがこれは人を簡単に殺めることができる道具だ。絶対に簡単に使うんじゃない」
少女の手の上には拳銃が置かれていた。
「使い方を教えてやる」
そう言うと少女の手を銃を構える形にして一つ一つ丁寧に教えてくれた。
基礎的な打ち方
弾の込め方
安全装置
非常時の対処の仕方
父は少女を少女として扱わず、一人の大人に向かって教えているようだった。
そして父から教わった使い方は確実に少女の記憶に焼き付いていった。
「アイ、最後にこっちを見てくれ」
「うん?」
そうして父の方を見ると、父は少女の手を痛いほど強く握ってきた。
「お前はこの先いろいろなことを見るし経験する。
中には楽しいことだって嬉しいことだってある。
でもそれがすべてじゃない。
苦しいこと、悲しいこと、何もかもが嫌になって死にたくなったりもするだろう。
お父さんは生きることを諦めた人を何人も知っている。
お父さんもそうなりかけた。
でも生きることを諦めちゃいけない。
苦しいこと、悲しいこと、それらを乗り越えてこそ意味がある。
人生というのは素晴らしいものだ。
お父さんにそのことを教えてくれたのはお前だった。
お前の生き方を強制する権利は誰にもない。
もちろんお父さんにだってない。
でもお父さんはお前にいろいろな人に希望を持たせられる人になってほしい。
いろんな人に勇気を持たせられる人になってほしい。
そう思っているよ」
父は少女の目を真っ直ぐ見て言う。
その言葉は少女が一人の人間として生きていくうえで大きな支えになる言葉の一つになった
少女の手には一丁の拳銃とそれ以上の父からの思いが握られていた。
* * *
父からの言葉を受け取ったあと、二人で響のもとに戻ってきた。
空は少女の心のように晴れ渡り、空には薄く星が見え始めてきている。
「それじゃ、またどこかで」
父はそう言って船の中に行ってしまった。
そして響は大きく汽笛を鳴らして進んでいく。
それと同時に遥か遠くにいた艦隊も動き始める。
少女はそれを大きく手を振りながら見送った。
艦隊が水平線に消えるその時まで。
* * *
その日の夜
少女は夢を見た
それはムサシとともに海に沈んでいく父の姿だった




