第二十一話 出立
「お〜い、アイちゃ〜ん。起きて〜」
ベッドに深く沈むアイの身体を節子は大きく揺らす。
「あ、あと5分…」
「そう言ってもう30分経ってるんだよぉ!」
そう言ってアイを揺らす力がどんどん強くなる。
これ以上揺らされると身体が2つに折れ曲がりそうだ。
「…る」
「え?」
「お……から」
「なんて?」
「起きるから揺らすのやめて!」
そう叫んで身体を起こそうとしたが、体中に激痛が走りまともに起き上がれない。
「アイちゃん大丈夫?」
「大丈夫、ただの筋肉痛だから」
「なら大丈夫だね、先行ってるよ」
そう言って節子はそそくさと部屋を出て行ってしまった。
アイは筋肉痛に蝕まれた身体をベッドから出す。
昨日の地獄から生きて帰れたことだけでも感謝すべきなのかもしれない。
激痛が走る体をなんとか動かし、着替え、出発の準備を整える。
しかし、最近切る暇がなかったとはいえ背中の辺りまで伸びた髪はかなり鬱陶しい。
目にかかる髪を避けようと手を動かせば腕全体に激痛が走る。
いつもなら10分ほどで終わる準備も30分近くかかってしまった。
そうしていると、ドアの方からノック音が聞こえてきた。
「はーい」
「ん、おはよ」
レイだった。
いつも通りの銀髪はきれいに整えられている。
「あれぇレイちゃんじゃん。どうしたの?」
「アイ。髪伸びたね」
何故か微妙に話をそらしてくる。
しかしよく見ると、レイの右手には散髪用のハサミ、左手には新聞紙が握られていた。
「出発前に整えていこうよ」
* * *
「おおお、結構良くなったな」
あれから1時間、レイに髪を切ってもらったあと、一週間世話になった部屋を出て『パリロイア』のいる第12バースに来ている。
聡太と望夢は朝の8時頃からすでに来ており、出発準備をしていたそう。
朝に強い二人だ、頼りになる。
「今日私筋肉痛だからあんまり力になれないね」
「そうなの?アイの怪力結構当てにしてたんだけどね」
聡太が残念そうな顔をして言う。
「そういや昨日バカでけえ爆発音がしたがなんか関係あんのか?」
「さあ、どうだろうね」
されるであろう質問だった。
でも詳しくは教えられない、みんなへのサプライズだ。
「まあ何かあるんだな、楽しみに待っとくぜ」
相変わらず望夢は聞き分けが良くて助かる。
「ならしょうがないね」
聡太もそれに続く。
二人はなにか話しながら船に戻っていった。
アイもリアカーを引いてそれに続いていった。
なにせ体中痛くて荷物を持てないのだからリアカーを引かなければ荷物を持っていけない。
するといきなり、後ろから押される感覚があった。
「Das sieht schwierig aus. Überlass das mir」(大変そうだね、手伝うよ)
オイゲンだった。
その衝撃で背中に激痛が走る。
「急に押さないでください…。痛いですから…」
「HAHAHA.悪いね、昨日の地獄で筋肉痛か」
ー「あなたも横で見てたでしょ」
その言葉をかろうじて飲み込む。
最悪もう一回押されかねない。
最初にあったときはドイツ軍艦ということもあり厳しそうな印象があったが、彼女の本性はかなりいたずら好きらしい。
昨日もしょっちゅうちょっかいをかけてきた。
「まあいいじゃないか、瀕死の病人を助けてやろうとしてるんだから」
「私はオスマン帝国じゃありません。戦争はもう懲り懲りです」
「HAHAHA! その歳でその例えが出てくるのはどうなのかしらね」
オイゲンは笑いながらリヤカーの持ち手を掴む。
「それに、私は病人じゃなくて筋肉痛です。」
「同じようなものでしょ?」
「全然違います。」
「そう?」
そう言いながらも、オイゲンは軽々とリヤカーを押し始めた。
二人分の荷物が積まれているというのに、その足取りは驚くほど軽い。
「……やっぱりPMって力持ちなんですね。」
「まあね。伊達に鋼鉄の身体を持ってるわけじゃないわ。」
少しだけ間が空く。
「……でも、助かりました。ありがとうございます。」
その言葉に、オイゲンは目を丸くした。
「おや、珍しく素直じゃない。」
「何ですか、その言い方。」
「いやぁ、昨日散々しごかれた相手にお礼を言うなんて偉いなぁって。」
「うっ……。」
思い出しただけで全身の筋肉が悲鳴を上げる。
オイゲンはそんなアイを見て、楽しそうに笑った。
「ま、これも全部、これからの旅のためよ。」
そう言うと、彼女は海の向こうへ視線を向ける。
「……楽しい旅になるといいわね。」
その横顔は、いつものいたずら好きな表情とは少し違って見えた。
* * *
「う〜ん、なにかいいの無いかな?」
パリロイアに荷物をおいて、所定の時間になるまでの自由時間の間、アイは節子と葛城に捕まっていた。
「な、何する気?」
「そりゃ決まってるでしょう?」
葛城は怪しく微笑む。
「レイちゃんがせっかく髪を切ってくれたなら」
節子もいたずらっぽく笑う
「「可愛くしないとね?」」
* * *
ー二十分後
「可愛くなったねぇ」
短くなった髪は長めのポニーテールで、顔の周りが長く残り、前髪はセンターよりに分かれて片目にかかるような髪型になった。
「まあ、動きやすくはなったかもね」
アイは腕を回してみるが、案の定とても痛い。
だが、鬱陶しい髪が無くなったおかげで、首周りが楽になった。
少し首に髪がこすれるのは気になるが、許容範囲内だ。
その時だった
「あ、もうこんな時間」
節子が腕時計を見て眼を丸くしている
「そろそろ機関室行ってるよ」
そう言って走り出したが、アイは節子の腕を掴んで止める。
「どしたの?」
「ちょっとやってみたいことがある」
アイは片目を閉じてウインクをしてみせた。
* * *
5分後、アイは特殊なヘッドセットをしてパリロイアの艦橋にいた。
このヘッドセットはアイの身体と船体をつなげる際の補助的機能を果たすらしい。
形はほとんどゲーム用のヘッドホンそのものであり、色は真っ黒であり、つけてみれば頭に穴が空いたのではないかと思えるほど完全な黒だ。
しかも作ったのが父親と来た。
レジストは「ヤツが作ったものに危険なものはあんまりない」
と言っていたが、安心していいのか良くないのかアイにはわからない。
「まあやってみるしか無いか!」
そうしてヘッドセットのスイッチを入れる。
すると、体の周りに三本の青い光の輪が浮かび上った。
「!?」
それと同時に頭の中に大量のなにかがが流れ込んでくる。
艦内全員の位置
電子回路数百万本の状態
レーダー反応
気流
波浪
搭載機状態
弾薬管理
兵器の状態
超重核子エンジンの鼓動
原子力発電機の回転数
燃料残量
係留索の張力
艦内気圧から温度までありとあらゆる船の情報が一気に頭の中に流れ込んでくる。
アイはすぐにその場に倒れ込んでしまった。
眼は周り、手足は痙攣を起こし、脂汗が止まらない。
「…う……あ…あ…」
声にならないうめき声が口から漏れ出る。
軽率だった。
通常なら300人以上で操る船だ。
それを5人で動かしている時点で(自動航法システムなど一部自動化がなされているが)異常だと言うのに、更にそれを一人で行うなどどれだけ無謀なことか。
悶え苦しみながらスイッチに手を伸ばそうとするが、あまりの情報量と筋肉痛で腕が全く動かない。
その間にもおそらくリアルタイムの船の情報が次々と流れ込んでくる。
このまま情報過多で死ぬのではないかとすら思える。
そうなればおそらく情報量に圧殺された唯一の人類となるんじゃないかと間抜けな考えすら出てくる。
「誰か……助けて…!」
その瞬間だった。
情報の渦の中に声が響き渡る。
『大変そうね。手助けしましょうか?』
聞いたことのない女性の声だ。
だが迷っている暇はない。
「お願いします」
そう言うと、急に頭の中に入ってくる情報量が減った。
少し頭は痛いが全然マシだ。
『どうかしら?』
再び声が響く。
やはり、今までに聞いたことのない声だ。
『結構楽になったと思うけど?」
「はい、ありがとうございます」
そうすると、声は満足したように話しだした。
『いいのよ、あなたが情報過多で死んだなんて間抜けな報告を貴方の父にしたくないだけだから』
「はあ…。ところで貴方のお名前は…」
『そうね…オットーとでも呼んでもらいましょうか』
「オットーさん…。あの、さっきのは一体」
『この船を操るうえで必要な情報群よ。本来のPMならこの程度じゃものともしないのだけど、貴方は半純血だものね。この先苦労するわよ』
ー「この程度!?」
あまりの情報量に本当に頭が割れるかと思ったというのに「この程度」だといった声の主に驚いた。
というか「オットー」という名、どこかで聞いたことがあるな気がする。
歴史の授業で習ったような習わなかったよな…。
『この先は私を通してこの船を操艦することになるわ』
「オットーさんを通して?」
『そう。私があのとんでもない情報をふるいにかけてあなたに必要なものだけを渡して必要ないものは私が処理するわ。まぁそのせいでこの船の性能を100%は引き出せなくなるけど』
あの洪水を受けずに住むというのならこれ以上嬉しいことはない。
「問題なしです」
『そう、それなら良かった』
「ところでオットーさんはこの先も手伝ってくれるんですか?」
そう聞くと、声は黙ってしまった。
『残念だけどそうはいかないわ。そういう約束だからね』
「約束?」
『あと、私のことは誰にも言わないこと。よろしくね』
そう言うと声は聞こえなくなり、かわりにある程度の艦内情報が頭の中に流れてくる。
燃料残量
レーダー反応
兵器の状態
それだけになった。
「何だったんだろう、あれ…」
そう呟く。
苦しみの中に手を差し伸べた声。
母の身体の中にいるもう一つの人格なのか、それとも全く別のものなのか。
オイゲンは「身体が動かせなくなる」と言っていたが、問題なく動き、船の操作もできる。(今は舵の操作をしてみているが、何も問題はない)
そして「約束」とは何なのか。
今まで家と思っていた船が急に得体のしれないなにかに変わってしまった。
でも「オットー」と名乗った声は不思議と信頼できる気がした。
アイはゆっくりと通信器に近づき、みんなに出港の準備ができたことを伝える。
「出港準備できたよ。みんな乗って」
* * *
自分の声が艦内に響き渡る。
その時、不思議な感覚が走った。
機関室でエンジンを始動させる節子。
甲板に係留索を確認しに行く聡太。
倉庫区画で荷物を固定している望夢。
そのすべてが手に取るようにわかる。
「これが、パリロイア…」
船そのものが自らの身体となったような感覚。
不思議と嫌ではなかった。
むしろ安心感に近い。
艦内の隅々まで意識が届く。
それはまるで、自分の手足が増えたような感覚だった。
『係留索、解放準備完了オッケ〜だよぉ」
節子の声が聞こえる。
『荷物固定完了!』
『いつでも出られるぜ!』
望夢と聡太も続いた。
アイは深呼吸する。
「パリロイア、出港準備完了」
そう呟いた時、艦橋の扉が開いた。
「お、ちゃんと生きてるじゃない」
オイゲンだった。
後ろにはレジスト、葛城、そしてレイの姿もある。
「死ぬかと思いました」
「最初はみんなそう言うのよ」
オイゲンはケラケラ笑う。
レジストは腕を組みながら満足そうに頷いた。
「どうやら問題はなさそうだな」
「はい」
アイが答えると、彼は少しだけ表情を柔らかくした。
「なら行ってこい。お前たちの旅の始まりだ」
「はい」
アイも力強く頷く。
「じゃ、またな」
そう言ってレジストたちは艦橋を出ていく。
それと入れ替わるようにレイが入ってきた。
「大丈夫みたいだね」
「知ってたの?」
「少しだけ」
ー「なら言ってくれればよかったのに」
その言葉を飲み込む。
別に言わなくたって問題のないことだ。
「アイ」
「ん?」
急にレイはアイの顔を覗いてくる。
あまりに近すぎて少しのけぞってしまうほどだ。
「ふふふ、やっぱりそっくり」
「???」
更に意味不明なことを言ってくる。
レイはたまにおかしくなったのではないかと思ってしまうことが多いが、今回もそれだろう。
過去様々なことがあったと言うし、そっとしておいたほうがいい。
「アイ、向かうところはわかってるね?」
「ラディオスでしょ、レイの母校」
そっけなく言うと、レイは少しいたずらっぽく笑う。
「ごめんね、実はちょっと嘘ついてた」
「え?」
素で出てしまった。
というか確かラディオスの正式名称は「学園都市ラディオス」。
都市が母校なんてことは流石にありえないか。
「私の母校。その名前は『学園都市ラディオス所属ヤヴィン校区タナヴィー高等学校』。君たちがはいる学校の名前だよ」
「へぇ…」
ようやくだ。
ようやく入学する学校の名前がわかった。
というか「ヤヴィン」て…。
スター◯ォーズかな。
「あそこにいる生徒はみんな優しい。だから楽しみにしてて」
その言葉に思わず笑みがこぼれる。
不安はある。
分からないことも山ほどある。
それでも少しだけ前を向けた気がした。
「よし」
アイは操舵席へ座る。
頭の中へパリロイアの情報が流れ込む。
風速。
潮流。
周辺海域。
すべてが自然に理解できた。
「パリロイア、出港します」
その宣言と同時に係留索が解放される。
超重核子エンジンが低く唸りを上げた。
巨大な船体がゆっくりと岸壁から離れていく。
甲板では護衛団の面々が手を振っていた。
「いってらっしゃーい!」
「死ぬんじゃねえぞー!」
「困ったら帰ってこい!」
様々な声が飛んでくる。
そして。
港の沖合に停泊していたオイゲンが不敵な笑みを浮かべた。(あまりに遠いため管内カメラを最大ズームにして)
『パリロイアへ』
通信機から彼女の声が響く。
『新たな船出を祝して――祝砲を贈るよ』
次の瞬間。
久々に聞いた腹の底から響く轟音。
オイゲンの主砲が空へ向けて火を吹いた。
続いて二発、三発。
祝砲の炸裂音が天井の穴を越え青空へ響き渡る。
爆炎の代わりに白煙が空へ大きく広がった。
『Gute Reise!』
良い旅を。
その言葉を最後に通信が切れる。
アイはゆっくりと前を見た。
水平線の向こう。
そこに最初の目的地――ラディオスがある。
「行こう」
パリロイアは静かに加速を始めた。
少女たちの最初の航海が、今始まる。




