第十四話 終戦
あれから三日経った。
空襲は連日続いていた。
爆撃機の数は少ないが少しずつ街は焼かれていっている。
聡太たちが巻き込まれた不発弾の爆発地点には規制線が張られた。
あの日以来学校はずっと休みだ。
アイは呆然と窓の外の雲一つない青空を見上げる。
その手には濡れた布が握られていた。
「少し、熱下がったかな…」
ベットに横たわる聡太の額に布を乗せながらアイは小さく呟く。
あの爆発の後、ぞろぞろと大人たちが駆けつけ聡太を病院まで送ってくれることになった。
だが医療品もまともにない病院にできることは何もなく、一番家が近いアイの家で看病することになり、容態が落ち着いた後雛罌粟家に送られることになっている。
左腕は二の腕から先が無くなり、左脚も膝から先が切除されている。
薬品の匂いが部屋に充満していった。
聡太の意識はまだ、戻らない。
* * *
明子の葬儀は1日前に行われた。
棺の中に遺体はほとんどない。
近くで見つかった体の一部だけが白布に包まれて納められていた。
そこに生前彼女が良くつけていた焼け焦げた髪飾りだけがそこに「明子」という人間がいたということを示している。
節子は葬儀の最中一度も泣くこともなく棺の横に座っていた。
まるで魂が抜けていってしまったかのようにアイには思えた。
そんなことを考えているうちに徐々に本当にそうなのではないかと信じてしまいそうになり、葬儀が終わった直後節子に話しかけに行った。
「セツ…」
隣にアイは座る。
でも節子に反応はない。
かなりの時間が過ぎた後、節子の小さな声が聞こえてきた。
「ねえ、アイちゃん…」
「どうしたの?」
「あたし、最後まで『いってらっしゃい』も言えなかった…」
その声はあまりにも小さく細かった。
それでもアイの耳にははっきりと聞こえてきた。
「昨日…いや一昨日だったっけねぇ?お母さんが起こしに来たんよ『もう朝じゃ〜』って。でもうちは『あと五分〜』言うて寝ちゃったんよ」
節子はうつむきながら話し続ける。
「そしたら、それが最後じゃった」
『普段は広島弁を使うことを隠して話しているのに今は…』
アイはそう思いながら節子の隣に居続けた。
アイは何も言えなかった。
その代わり節子の手を握り続けた。
小さく、冷たく、震えた手を。
* * *
また何もできない一日が過ぎてゆく。
アイはこの数日ほとんど寝ることができずにいる。
寝てしまえばまたなにか良くないものを見るかもしれない、そんな不安がずっと胸のうちにうずまき、全く寝付けずにいた。
「……ぅ…」
小さな声だった。
アイは最初空耳だと思った。
ここ数日の警報や不眠のせいで幻聴や幻覚が増えてきていた。
だが違った。
小さなうめき声がまた聞こえてきたのだ。
「聡太!?」
ベッドの上の聡太の指がわずかに動いている。
アイは椅子を倒しそうになりながら立ち上がった。
「聡太、わかる!? 私! アイリーン!」
聡太はゆっくりと目を開ける。
焦点の合わない目が天井を彷徨い、やがてアイの顔を捉えた。
「……アイ……?」
かすれた声だった。
その瞬間、アイの中で張り詰めていたものが一気に崩れた。
「よかった……っ、ほんとに……っ」
涙が止まらない。
聡太はぼんやりしたまま周囲を見回している。
「……ここ、どこ……」
「私の家。病院じゃもう無理だって……」
そこまで言って、アイは言葉を止めた。
聡太も気づいたらしい。
布団の下にあるはずの左脚の感覚がないことに。
そして左腕を動かそうとして、途中で止まる。
部屋の空気が凍りついた。
聡太は何も言わなかった。
「ごめん……私、知ってたのに……」
「え?」
「夢で見てた……。爆発するの……。なのに、なのに止められなかった……!」
アイは俯いたまま震える声で言った。
「…だいじょうぶだよ。僕今生きてるから」
聡太は弱々しくだがしっかりとした笑顔を作った。
アイはそれを見て再び声を上げて泣き始めた。
* * *
その後、聡太の容態は少しづつ回復し2週間後には雛罌粟家に戻ることになった。
「本当にありがとうございました…。こんな事になっても…」
「可奈美ちゃんそんな泣かないで。今はみんな大変なんだからお互い様だよ」
聡太の母である可奈美と潮が玄関で話し込んでいる。
「ソウくん身体だいじょうぶなのぉ?もう少しゆっくりしてけばいいのに」
「いやなんでセツがそんな事言うのさ、ここ私の家だよ?」
「はははっ」
その横では聡太とアイ、そして節子の三人で仲良く話している。
「だいじょうぶだよ。この通り」
聡太は残った右腕で力拳を作ってニヘっと笑ってみせた。
でもその姿が逆にアイを不安にさせる。
聡太は昔からドジが多い、それに合わせ今回の爆発のせいで左手足を失ったことで更に大きな怪我をするのではないかと深読みしてしまうのだ。
「まあ〜あんまり無理はしないことだねぇ。ただでさえソウくんはドジっ子なんだから」
節子は手を頭の後ろに組んで言う。
「うん、わかってる」
そして間をおいてもう一言いう。
「節子、その…」
「お母さんのことならだいじょうぶだよ」
「えっ…?」
「ああいう人だよ、お母さんは」
節子はニッコリと笑って言って見せている。
それがさらにアイと聡太には辛かった。
「でもっ…」
「だいじょうぶだから…。もうその話はしないで…ね?」
節子は笑顔を変えることなく話を止めさせた。
その時また警報がなり始めた。
「聡太、もう行こうか」
「うん」
可奈美が聡太の車椅子の後ろに回って進み始めた。
「あ、送ってくよ」
アイはそう言って走りながらついていく。
その後ろから節子もついてきていた。
* * *
「戦争の中での微笑ましい光景ね」
可奈美たちを見送る潮の横でフィオナがそう呟いた。
「…義姉さんはおかしいと思いませんか?この光景が…」
「え?」
潮は振り返ることなく話し続ける。
「アイたちは今三年生、節子ちゃんは二年生です。なのにあんなに落ち着いてしっかり大人みたいな話し方をしている。それがおかしいと思いませんか?」
「それに私達だって同じです。みんなおかしいんですよ。普通人が道端に倒れていれば『だいじょうぶですか』とか聞くものです。その人が死んでいればみんな無視することはないでしょう」
「でもみんなそこに死んだ人がいても何も無いそこら辺の石と同じ様に扱うようになってしまった」
「子どもたちだって人の遺体があるような場所で遊ぶようになってしまった」
「みんなおかしくなってしまったんですよ。長すぎる戦争に慣れてしまって」
潮は爆撃機が帰っていく空を眺めながらゆっくりと外に出ていった。
それを玄関の影からレイが聞いていた。
* * *
1ヶ月後
核の冬はとっくのとうに終わりを告げ、今は残暑が厳しくなっている。
「暑いねぇ、溶けちゃいそうだねえ」
節子が聡太の車椅子を押しながら何度目かわからない文句を言っている。
「たしかにおかしいな、いつもならもう秋になっているはずなのに」
その隣で望夢は空を睨みつけている。
すでに正午も近くなり、太陽の高さはほとんど真上にある。
ー本当に溶けちゃうかも
アイはそう思いながら望夢に習って空を見上げる。
その時けたたましいサイレン音が青空に響いた。
「ん、空襲が来る。みんな逃げよう」
レイがそう言って走り出そうとした時、サイレン音はどこかの放送局につながったのか声を発し始めた。
『室蘭市にお住いの方々、これは空襲警報ではございません。繰り返します、これは空襲警報ではございません』
「え?」
五人の声が重なる。
空襲警報ではないのならなんの放送なのか、それが次に上がってきた思いだった。
『本日1975年9月8日午前8時00分より、国際連合と聖道同盟より全戦線へ停戦命令が発令されましたことをご報告いたします。…繰り返します。本日…』
「え?どういうこと?」
アイは何を言っているのか一瞬わからず困惑している。
「戦争が終わったってことだよ。アイ」
レイはそっけなく言う。
ただしその声には大きな喜びが混ざっていることにアイは気づいた。
「みんな、一旦家に帰ろうか。親が心配しているよ」
レイはアイの手を引っ張りながら笑顔でそう言って歩き始めた。
アイたちが初めて見るレイの笑顔だった
* * *
「終わったんですね…」
潮は家で終戦の知らせを聞いた。
この上ないほどの喜びと一筋の不安が彼女の胸を覆っている。
「エクシード、どうなったのかしらね」
後ろからフィオナの声が聞こえてきた。
「たぶんどこかで生きていますよ。あの人がそう簡単に死ぬと思いますか?」
潮はそうは言ったが底しれない不安に襲われている。
そんな中玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
潮はすぐにでも底から離れたい衝動に駆られ、軽く走りながら玄関に向かった。
「はい、どなたです…か…」
ドアを開けると目の前には一人の男性が立っていた。
黄色い髪に青い目、そして腰に刺された太刀。
「ハインケルくん?」
「お久しぶりです、潮さん」
その時潮は激しい動悸に襲われ始めた。
玄関に立っていたのがエクシードではなくハインケルだった。
そのことに大きな違和感を感じた。
「潮さん、今回は再開を喜ぶというものではありません。残念ですが、その反対です」
「そうなの?殘念ね」
潮は笑顔で返した。
でもその内側には大きな悲しみが膨れ上がってきていた。
「残念ですが、貴方の旦那様であるエクシード・プロフィティアは1975年9月2日、フィリピン、タヤバス湾。北緯13度37分5秒、東経121度34分21秒にて戦死されました」
潮のうちから悲しみの感情が溢れ出し、目からは大粒の涙がこぼれ落ちてくる。
昔から、結婚したときからいつか来るだろうと覚悟していた。
それでも、耐えられなかった。
「そうですか…ありがとうございます……」
涙で声にならない声でハインケルに礼を言った。
* * *
夕暮れが西の空に沈んでいき、焼けただれた街を赤く照らしている。
涙はすでに止まっていた。
だが胸の奥には鉛のように思い気持ちが沈んでいた。
「エクシードくん、お疲れ様でした」
ようやく言えた独り言で潮は再び泣きそうになってくる。
その時だった。
「ただいまー」
娘が帰ってきた。
娘はそのまま潮のもとにやってきて笑顔で言った。
「お母さん!もう戦争終わったんだって!もう逃げなくていいって!」
「そうね」
アイは嬉しそうに潮へ抱きついた。
その温もりに、潮の心が少しだけ救われる。
だがその瞬間、娘は違和感に気づいたようだった。
「……おかあさん?」
「どうしたの?」
その言葉に、後ろにいたレイの表情も強張る。
潮は少しだけ迷うように目を伏せ、それからゆっくり口を開いた。
「……アイ、お父さんね」
その一言で、娘の笑顔が止まった。
風が吹く。
遠くで壊れた標識がカランと音を立てた。
「お父さん、帰ってこれなくなっちゃった」
娘は最初、意味がわからなかったようだ。
帰ってこれない?
どこから?
どうして?
戦争は終わったのに?
そんな顔だ。
「……え?」
声がかすれる。
「フィリピンっていう遠い海でね、亡くなったんだって」
娘は何も言わなかった。
ただ潮の服をぎゅっと掴む。
「……やだ」
小さな声だった。
「やだ……」
潮はしゃがみ込み、娘を抱きしめる。
娘の肩が震えていた。
「やだよ……っ」
その泣き声は、今までずっと我慢していた子どもの声だった。
戦争は終わった。
でも、
失ったものは戻ってこない。
その事実だけが、
夕暮れの街に静かに残されていた。
* * *
それから数日後。
空はきれいに澄み渡り、秋の星が光っている。
その星空の下でアイたち5人は花火をしていた。
「アイちゃん火ちょ〜だ〜い」
「いいよって多くない?」
節子の両手には十本近い花火が握られている。
「いっぱいあるしね〜」
その花火全てに火を付けるとまんざらでもなさそうな笑顔でレイのもとに走っていった。
「アイ、俺にもよろしく」
「はいはーい」
望夢は一本だけ持ってやってきた。
「やっぱり節子持ち過ぎだよね?」
「いいだろ別に、100本ぐらいあんだからさ」
望夢は縁側にある大量の花火を指さした。
「あ、これ聡太分な」
そう言ってもう一本差し出してきた。
可奈美が持ってきてくれた花火はとても多く、アイ達家族だけでは到底消費できそうになかったため、節子達家族を連れて来て花火パーティーをすることになったのだ。
戦争も終わり、空襲から逃げる日々も終わった。
このあとは普通に生きていける。
アイは幼いながらもそう思っている。
* * *
潮は縁側に座り、庭先を眺めていた。
少し離れた場所では、アイたちが遊んでいる。
節子の笑い声。
聡太の困った声。
望夢の呆れた声。
そして、その輪の中にはレイもいた。
以前より少しだけ自然に笑うようになっている。
潮はその姿を見つめながら、小さく息を吐いた。
「……レイちゃん」
「はい?」
縁側の横に立っていたレイが振り返る。
潮は少し間を置いてから言った。
「お願いがあるの」
「お願い?」
「アイが中学を卒業したら、あの子をラディオスへ連れて行ってあげてほしいの」
レイの目が見開かれる。
「え……」
「この世界は、まだ終わってないから」
潮は静かに続けた。
「戦争は終わったわ。でも、この世界は壊れたまま。きっとこれからも色んなことが起こる」
風が吹き、庭の草が揺れる。
「だからね、あの子にはもっと広い世界を見てほしいの」
レイは黙って聞いている。
「アイはきっと、この世界を変える側の子になる。だってあの人の娘だもの」
その言葉に、レイの赤い瞳が揺れた。
「……私なんかに、できますか」
潮は優しく笑った。
「できるわよ。だって貴方、あの子の友達でしょう?」
レイは少し俯いたあと、小さく笑った。
「……はい」
その笑顔は決意がみなぎった笑顔に潮は見えた。
遠くからアイの声が響く。
「レイちゃーん!なにしてるのー!?」
「ん、今行く」
レイは立ち上がり、駆けていく。
その後ろ姿を見ながら潮は空を見上げた。
どこまでも星の広がる空だった。
まるで三年間の戦争など最初からなかったかのように。
でも違う。
この世界はもう壊れてしまった。
大勢の人が死に、
街は焼け、
子どもたちは涙を覚えた。
それでも。
それでもなお、人は歩いていく。
未来へ。
――そして少女たちは、やがて大海へ辿り着く。
第二章 学園都市ラディオス編へ続く




