第二十三話 巨体の恐れるもの
新大陸は肉眼でもその植生が見えるほどに近づいた。
陸には巨大な原生林と植物が鬱蒼と茂り、奥まで見通すことができなかった。
その姿は、暗い森林の奥底から、見知らぬ生き物が飛び出してくることを容易に想像させた。
しかし、新大陸を目の前にした船長はなかなか上陸しようとしない。高い位置から何度も望遠鏡越しに新大陸をにらんでいた。
ふいに船長の顔がほころんだ。
「まったく、お前たちは本当に女神様がついているのかもしれねぇな」
望遠鏡を覗き込んだまま、船長は言う。
聞いていたソフィアが首をかしげるが、そんなことは気にも留めず船長は声を張り上げる。
「おめぇら!お誂え向きの海岸だ!座礁用意!」
船員たちは気合を入れるよう、叫んで返事をした。
いったい何が起こるのかと期待半分で待っていたソフィアたちだったが、従者ともども小舟に乗せられ、あれよあれよと海岸に降ろされてしまった。
船員たちは次々とボートを使い、荷物を海岸に降ろしている。
あまりの慌ただしさに、新大陸の地を踏んだという実感を得ることができなかった。
ルカが近くにいた船員に尋ねる。
「あの……これから何が始まるのですか?」
「あん?何って、座礁だよ。船を砂浜に乗り上げさせるんだ」
船員の言葉に、ルカは目を丸くする。
「そんなことしたら船が……」
言いかけたルカの言葉を、船員の笑い声がかき消す。
「壊れやしねえよ。いや、二流どもがやれば壊れることもあるが、俺たちがやるんだ。壊れないし、死人も出ねぇ」
そんな会話をしていると、砂浜に向かって、帆船が移動を始めた。二月も共にした船が、威圧感をもってソフィアたちに向かってくる。
船は意思を持っているかのように自在に動く。砂浜に近づくにつれ速度が緩やかになり、波に合わせるようにして砂浜に乗り上げた。
砂がすれる激しい音と、みしみし、めきめきという音が船体に響く。
思わず壊れたのではないかと錯覚するほどの轟音だったが、間もなく船は完全に浜に乗り上げ、波の音だけが静かに残った。
従者たちは、船員たちに思わず拍手を送っていた。
しかし、船員たちの仕事は終わらない。
船長が船から体を乗り出し、命令する。
「大工どもは全員で乾燥作業だ!残りは設営を始めろ!」
小気味よい返事と共に、船員が動き出す。陸に上がっても、船員たちに寛ぐ時間は与えられていない。
船大工たちは、木筒のようなものを肩に担ぎ、船底に向けていた。
縄梯子をつたって船から降りた船長がソフィアたちのもとに近づいてきた。
「おうおう、どうした。せっかく新大陸に着いたっていうのに、皆して呆けちまって。」
あきれたように言う船長だが、気にせずルカが尋ねる。
「船大工のみなさんは何をしているのですか?」
船長はひげに手を当て答える。
「あれは、火の魔道具を使って船底を乾燥させてんだ。そのまま航海を続けると、船に穴が開いちまうからな」
「穴?」
首をかしげるルカに、船長はいたずらを思いついたように笑う。
「ああ、ちょっと待ってな」
船長は船大工のもとに向かって何かを受け取ると、それを隠すように手に握り戻ってきた。
船長が握っていた手を広げる。手の中身を見たメディが短く悲鳴を上げた。
その手には細長い肌色の虫が1匹、蠢いていた。
「船食虫だ。こいつは船底に住み着いて、穴をあけちまう。だからこいつを殺すために、2月に1回は船底を乾かすんだ」
その話を聞いたルカは、感心したようにその虫を指でつついた。
「この虫1匹で船が沈んじまうこともある。だから俺たちは、鮫よりもこの虫を恐れるんだ」
船長の言葉に、宿営の準備をしていた船員たちが相槌を打つ。
船長は、「手をとめてんじゃねぇ」と一喝し、船員の尻を蹴り上げていた。
そんな喧噪が、ソフィアの耳にはだんだんと遠のいていった。
小さな虫1匹に巨大な船が沈められる。
そんな事実が、ソフィアの境遇と重なっていく。
虫が船を脅かすことができるのなら―――――
―――――ソフィアが帝国を脅かし、沈めることも可能なのではないか。
彼女は、その時、開拓してしまった。人生最大にして、最終の逆境を。
その瞬間の快楽は、想像もつかない。新大陸にたどり着いただけで、あの有様だったのだ。
しかし、思い至った彼女は、もう止まることができない。
彼女は、誓う。生涯をかけて、全身全霊をかけて、味わい尽くす事を。
帝国を崩壊させるという、途方もない目標に向けて、
歯車はゆっくりと回り始めた。




