計略
バイト先からの帰り道、凛華は震える指で颯太の電話番号をタップした。呼び出し音が二回鳴るか鳴らないかのうちに、颯太の焦ったような声が鼓膜を叩く。
『白銀か!? 葵は大丈夫なのか?』
「……落ち着きなさい、颯太。とりあえず葵の置かれてる状況の目星がついたわ。」
凛華は夜の冷たい空気を吸い込み、先ほど目撃した衝撃的な光景を頭の中で整理しながら、努めて静かに言葉を紡いだ。
「あの男……相沢玲央は、葵の好意を利用して、彼女を都合の良い金づるとして使っているわ。……おそらく葵の中では、『大好きな恋人のために頑張っている』という認識になっている。しかも、あのアホな男に『付き合っていることは秘密にしろ』と吹き込まれてね」
電話の向こうで、颯太が息を呑む音が聞こえた。
『……秘密……? だから葵の奴、あんなに一人で抱え込んで……』
「ええ。よく考えれば分かりそうなことだったわ。葵があの男に好意を抱いていた事は知っていたんだから、葵の様子がおかしくなった時点で、私たちはもっと早くあのクズ男を締め上げるべきだったのよ……っ」
凛華は強く悔しさを滲ませ、唇を噛み締めた。
「あいつはね、葵から聞き出した私の好みを利用して、私にアプローチしてきていたの。……だから、決めたわ。しばらく私があのクズの相手をしてあげる」
『は!? 白銀、お前正気か!?』
「正気よ。葵に『運動音痴を克服したがっている』とでも話しておけば、あいつはすぐに飛びついてくるわ。まずは、葵とあの男が接触する時間を物理的に削り取る」
冷徹な計算を口にする凛華に、颯太は言葉を詰まらせた。
凛華は続けて、相棒への重要な命令を言い渡す。
「橘君。あなたは葵に何も追求せず、ただ側にいてあげて。今の葵を一人にするのはあまりにも危険よ。それに葵自身を問い詰めて、万が一私達が彼女に拒絶されたら……葵は逃げ場を失って完全に壊れてしまう。それだけは絶対に避けなければならないわ」
『……わかった。葵のことは俺に任せろ。お前も……無茶だけはすんなよ』
翌日、凛華たちの計画は即座に実行に移された。
颯太は朝から葵の家の前で待ち伏せし、「たまたま近所に用があったから」と爽やかな笑顔で登校に付き添った。
放課後も、葵がアルバイトを終えるまで近くで課題をしながら待ち続け、夜道を安全に家まで送り届けた。
葵は「申し訳ないよ」と恐縮していたが、颯太の「俺がそうしたいんだから気にすんな」という真っ直ぐな優しさに、久しぶりに肩の力を抜いて笑みを浮かべていた。
一方、凛華は昼休みの教室で、葵との何気ない雑談の中に仕掛けを施していた。
「……はあ。私、本当は自分の絶望的な運動音痴をどうにかしたいと思っているのよ。この完璧主義な性格が災いして、昔からそれがずっとコンプレックスでね」
うつむき加減に溜息をつく凛華。葵は「凛華ちゃんにもそんな悩みがあったんだ……」と親友の知られざる告白に目を丸くし、親身になって頷いていた。
そして、その日の放課後。
葵から「凛華ちゃんが運動音痴に悩んでいる」という情報を仕入れた玲央は、狙い通り意気揚々と凛華の元へやってきた。
「白銀ちゃん! なんか最近、体を動かしたい気分なんだって? 俺、こう見えてスポーツ得意だからさ。今度、二人で体を動かすデートでもしない?」
葵という踏み台を利用して手に入れた情報を誇らしげに掲げ、愛嬌のある笑みを浮かべる玲央。
凛華は、心底反吐が出るのを完璧な微笑みで覆い隠した。
「あら、相沢君。本当? 実は私、自分の運動音痴を克服したくて……手伝ってくれるのなら、喜んでお供するわ」
「マジで!? やった、じゃあ今週末決まりね!」
凛華の快諾に、玲央は「勝った」と言わんばかりに鼻高々な顔で去っていった。
遠ざかる玲央の背中を、凛華の氷のように冷たい瞳が見つめる。
(今はせいぜい、調子に乗りなさい)
優雅に髪をかき上げる凛華の胸中に、ドス黒い殺意にも似た情熱が静かに燃え上がっていた。
(——突き落とすなら、一番高い場所から落としてあげないと面白くないものね?)




