疑惑
それからの葵の日常は、悪い状況が加速していった。
「葵ー、この課題のワーク、明日提出だからやっておいて。あと今日の昼、焼きそばパンとジュースね」
クラスのそこかしこで、玲央が葵に頼み事をする光景が日常茶飯事となっていた。
だが、周りのクラスメイトたちの受け取り方は、葵の思惑とは大きくかけ離れていた。
「また相沢くんに押しかけてるの? 葵ちゃんって結構しつこいよね」
「相沢くんも優しいから、断れずに仕方なくやらせてあげてるみたいだけど……ちょっと可哀想」
陰で囁かれる心ない噂。葵が玲央に付き纏い、親切心を押し付けている——教室ではそんなストーリーが出来上がっていた。
玲央が口裏を合わせるようにそう吹き込んでいることなど、葵は知る由もない。
何より心を痛めていたのは、凛華と颯太だった。
葵の顔から以前のような陽だまりのような温かい笑顔は消え、いつしか引きつったような、痛々しい作り笑いばかりが浮かぶようになっていたからだ。
「葵、玲央の頼みを聞きすぎよ。断ることも覚えなさい」
「そうだぞ葵。あいつ、最近調子乗りすぎてないか?」
二人からの切実な指摘に、葵は視線を泳がせながら無理に笑ってみせる。
「ううん、違うの……! 私が勝手にやってるだけだから。玲央は悪くないんだよ」
そうやってすべてを自分で背負い込む葵に、凛華は悔しそうに唇を噛み締め、颯太はやり切れない思いで拳を握りしめることしかできなかった。
そんな折、玲央の要求はついに一線を越えた。
「葵、悪い。今月ちょっと金が厳しくてさ……二万ほど貸してくんない?」
校舎裏で申し訳なさそうな顔(を作った)玲央にそう言われ、葵は断ることができなかった。
「恋人だから」「自分を頼ってくれているから」と自分に言い聞かせ、貯金を切り崩して渡した。だが、一度成功した玲央の無心は二度、三度と続き、葵の手持ちの現金はあっという間に底をついてしまった。
玲央に嫌われたくない。
頼りにされない自分なんて価値がない。
追い詰められた葵は、放課後に喫茶店でのウェイトレスのアルバイトを始めることにした。
「……見つけたわ」
ある放課後。あまりにも様子がおかしい葵を心配し、こっそり後をつけていた凛華は、駅前の喫茶店でエプロン姿で働く葵の姿を発見した。
疲労困憊の様子でトレーを運ぶ葵の姿に、凛華の胸が酷く痛む。
(今までの様子からして……理由を聞いても、どうせはぐらかされるわね)
そう察した凛華は、葵のバイト上がりのタイミングを見計らって声をかけた。
驚く葵に、凛華は真っ直ぐな視線を向ける。
「葵。……学校にバイトの許可、取ってるの?」
突然の問いに、葵は顔を青くして固まった。この進学校では、家庭の事情等がない限り原則としてアルバイトは禁止されている。
「えっ……あ、あの……」
「取っていないのね。……理由は聞かないわ。でも、無許可なのがバレたら大変なことになる。明日、私と一緒に職員室へ行くわよ」
翌日。凛華は怯える葵を伴って職員室へと向かった。
案の定、担当の教師は事情を明確に話そうとしない葵に対して渋い顔を作った。
「日向、特別な事情がない限り許可は出せないぞ。理由をちゃんと言いなさい」
言い淀み、涙目になる葵。その時、横から凛華が毅然とした態度で足を踏み出した。
「先生。葵には今、どうしても社会経験と自分で自由に使える資金が必要なんです。白銀家の名に懸けて、彼女が学業を疎かにしないとお約束します。……私からも、強くお願いできないでしょうか」
地元の名士であり、学校への寄付金も莫大な「白銀家」の令嬢からの頼みだ。教師は驚き、困惑しながらも頭をかいた。
「……はあ、白銀さんがそこまで言うなら仕方ないな。条件付きで許可を出そう」
手続きを終え、廊下にでた葵は、深々と頭を下げた。
「凛華ちゃん、本当にありがとう……! ごめんね、詳しい理由……話せなくて……」
「いいのよ。あなたが無事なら、それで」
凛華は優しく葵の髪を撫でたが、その瞳の奥には氷のような冷たさと確信が宿っていた。
(絶対に……絶対に何か異常なことが起きているわ。葵をここまで追い詰めている原因が)
葵を守るため、凛華の鋭い観察眼が、いよいよ真相の闇へと向けられようとしていた。




