歪み
翌朝、キッチンに立った葵は、無意識のうちにお弁当箱をふたつ並べていた。
(あ……つい玲央の分まで作っちゃった)
秘密の関係なのだから、渡せるチャンスなんてないかもしれない。
それでも「万が一」を考えて、葵は心を込めて作ったお弁当を大切に鞄へと忍び込ませた。
昼休み、スマホに玲央から「屋上に来て」とメッセージが入る。
ドキドキと高鳴る胸を押さえながら屋上へ繋がる扉を開けると、そこには眩しい笑顔の玲央が待っていた。
「あ、葵。来てくれたか」
「うん! あのね玲央……これ、もし良かったらと思って……」
おずおずとお弁当箱を差し出すと、玲央は「マジで!? ちょうど腹減ってたんだよ、ありがと!」と大げさに喜び、一口食べて「うまっ!」と目を輝かせた。
昨日の冷たい態度が嘘のような優しさに、葵の胸は幸せで満たされていく。
だが、卵焼きを口に運んでいた玲央が、ふと気やすい調子で尋ねてきた。
「そういえばさ葵。凛華ちゃんって、どんなものが好きなの?」
「えっ……凛華ちゃん?」
唐突な親友の名前に葵が首をかしげると、玲央は申し訳なさそうに困り顔を作ってみせた。
「いやさ、俺って凛華ちゃんに嫌われてるだろ? そのせいで親友の葵まで凛華ちゃんとギクシャクしたら申し訳ないなって思ってさ。少しでも仲良くなれるきっかけがないかと思って」
「玲央……私のためにそんなこと考えてくれてたんだ」
葵はすっかり納得し、胸を熱くしながら凛華の好みを教え始めた。
「凛華ちゃんはね、チョコレートなら甘いものよりビターな方が好きなの。甘すぎるのは苦手みたい。音楽なら、クラシックが好きだよ」
「へえ、ビターチョコとクラシックね。他には?」
玲央はスマホのメモアプリに手早く入力しながら、熱心に葵の話を聞いてくれた。
数日後。
放課後の校舎裏に呼び出された葵を待っていたのは、暗雲のような怒気を撒き散らす玲央だった。
「お前さ……俺に嘘教えただろ」
「えっ……? 嘘って、何が……?」
氷点下の声に葵が震え上がると、玲央は舌打ちをしてスマホをポケットに放り込んだ。
葵から聞いた情報を元に凛華に声をかけたものの、凛華からは「興味ありません」と一蹴され、会話すら成立しなかったのだ。
「甘いものが苦手だのクラシックが好きだの知った風なこと言っといて、全然ダメじゃねえか! 恥かかされた俺の身にもなれよ!」
「そんな……っ! 嘘なんてついてないよ! 本当に凛華ちゃんは——」
「うるせえな! 使えない奴だな、マジで!」
弁明しようとする葵の言葉を遮り、玲央は葵を強く睨みつけると、荒々しい足取りで去っていった。
「玲央、待って……ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
一人取り残された校舎裏で、葵は何度も謝罪を繰り返した。
何がダメだったのだろう。
どうして玲央を怒らせてしまったのだろう。
重い足取りで教室に戻った葵は、自分の席でポツンと俯いていた。
そんな葵の異変に、真っ先に気づいたのは凛華だった。
「葵……? どうしたの、顔色が悪いわ」
「……あ、凛華ちゃん」
心配そうに顔を覗き込んでくる凛華に、葵はすがるような思いで問いかけた。
「あのね、凛華ちゃん……凛華ちゃんって、甘すぎるお菓子が苦手で、チョコならビターが好きだよね? 音楽もクラシックが好きだよね……?」
「ええ、そうだけど……葵、知っているでしょう? どうしたの急に」
凛華は不思議そうに眉をひそめた。
やっぱり間違いじゃなかった。
葵の胸に、大きな疑問と戸惑いが押し寄せる。間違っていないのに、なぜ玲央はあんなに怒っていたのだろう。
私はいったい、どうすれば良かったのだろうか。
「おいおい、葵、本当に大丈夫か?」
そこへ、颯太も歩み寄ってきた。
凛華と颯太は顔を見合わせ、目線で会話を交わすと、凛華が葵の肩にそっと手を置いた。
「葵。……何か困ったことがあったら、私か橘君にちゃんと相談するのよ? いいわね」
凛華の真剣な眼差しと、静かに頷く颯太の気遣い。
二人の優しさに胸が痛むけれど、玲央との「秘密の恋人」という約束を破るわけにはいかない。
「二人とも、ありがとう……。でも本当に、なんでもないから! 大丈夫だよ」
必死に笑顔を作る葵を、凛華と颯太は深く険しい眼差しで見つめていた。




