帰った人間
00:29:40
数字は減り続けていた。
田中隼人はしばらく何も言わなかった。
さっきまでは気になることが多かった。
魔法は本当に存在するのか。
王国の外にはどんな国々があるのか。
ここの人々はどうやって暮らしているのか。
しかし残り時間が三十分を切ってからは、そういったことが急にどうでもよくなったようだった。
隼人が携帯電話の画面をつけた。
しばらく見つめてからまた消した。
アデリアが聞いた。
「なんでずっとそれ見てるの?」
「時間を確認してます。」
「私が教えてあげてるでしょう。」
「その時間じゃなくて。」
隼人が携帯電話を少し持ち上げて見せた。
「俺がいた場所の時間。」
アデリアが首を傾げた。
「今見てもわかることはないでしょう。」
「戻ったら比較できるので。」
その言葉にアデリアの目つきが動いた。
それはなかなか良い考えだった。
「召喚される直前の時間、覚えてる?」
「大体は。」
「何時だったの?」
隼人が画面を確認した。
「午後三時十七分くらい。」
アデリアが頷いた。
「覚えておいて。」
隼人がふっと笑った。
「それは俺が言うべき言葉な気がしますが。」
「なんで?」
「戻るのは俺ですから。」
アデリアがしばらく口をつぐんだ。
正しい言葉だった。
ただ問題が一つあった。
隼人が戻って何を確認しても、再び会えなければ自分は結果を知ることができない。
「また会えたら聞けばいいね。」
隼人が彼女を見た。
「俺をまた呼ぶこともできるんですか?」
「わからない。」
隼人はしばらく沈黙した。
そして頷いた。
「もうその答えにも慣れてきましたね。」
アデリアの眉が少し上がった。
この人間はいつの間にか自分の答え方に適応したようだった。
少し気に入らなかった。
残り時間は減り続けた。
十五分。
十分。
そして――
[残り時間 : 00:05:00]
「五分。」
隼人の手が止まった。
「正確にですか?」
「うん。」
部屋にいた全員の視線が彼に向かった。
ミレイユも。
ローウェンも。
テオも。
人間が現れる光景は見た。
しかし戻る瞬間は誰も見たことがなかった。
隼人が立ち上がった。
アデリアが聞いた。
「なんで立つの?」
「別に。」
隼人が自分の腕と脚を一度見下ろした。
「座ったまま急に消えるのはちょっと変な気がして。」
「立ったまま消えるのは変じゃないの?」
隼人はしばらく考えた。
「それは少しマシな気がします。」
アデリアは理解できなかったが、あえて突っ込まなかった。
隼人はポケットを確認した。
携帯電話。
財布。
鍵。
自分が元々持っていた物だった。
そしてふと顔を上げた。
「ここの物を持って帰ったらどうなるんですか?」
アデリアの目つきが動いた。
それは自分も気になった。
「確認してみましょう。」
テオがポケットを探った。
小さな銅貨を一枚取り出した。
「これを使ってみますか?」
ローウェンが彼を見た。
「なぜお前の金を出すんだ?」
「銅貨一枚ですから。」
「それでもお前の金だ。」
テオが肩をすくめた。
「戻ってきたら返してもらえばいいでしょう。」
隼人が笑った。
「戻れなかったら?」
テオが一瞬止まった。
「……その時は差し上げます。」
隼人が笑いながら銅貨を受け取った。
アデリアが言った。
「ポケットに入れて。」
「はい。」
隼人が銅貨を入れた。
「これを持っていくか見ればいいんですか?」
「うん。」
「本当に記念品目的じゃなくて?」
「実験です。」
隼人が首を振った。
「やっぱり。」
[残り時間 : 00:01:00]
「一分。」
今度は隼人の表情も完全に真剣になった。
本当に戻るのか。
どこへ戻るのか。
そこでは時間がどれくらい経っているのか。
誰にもわからなかった。
隼人は携帯電話を手に握った。
そしてしばらく悩んでからカメラをつけた。
アデリアが聞いた。
「何してるの?」
「写真を一枚残そうと思って。」
「なんで?」
「戻ってこれが残っていたら証拠になるじゃないですか。」
隼人が携帯電話を持ち上げた。
画面の中にアデリアとミレイユ、後ろに立つローウェンとテオが入った。
カシャ。
小さな音がした。
アデリアの眉が上がった。
「許可してないのに。」
「もう来られないかもしれないので。」
隼人が写真を確認した。
「俺が別の世界に行ってきたって言っても誰が信じますか。」
アデリアも画面を覗き込んだ。
さっきと同じ部屋。
その中にいる自分たちがそのまま写っていた。
「これも確認になるね。」
「そうですね。」
「時間、写真、硬貨。」
「はい。」
アデリアが頷いた。
確認すべきことが三つに増えた。
[残り時間 : 00:00:30]
部屋の中が少しずつ静かになった。
隼人が一度息を吐いた。
「もう本当に残り少ないですね。」
「うん。」
「最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
「何?」
隼人がアデリアを見た。
「なんで人間を召喚しようとしたんですか?」
戦いが上手い人間という条件をつけたことはもう話した。
しかし隼人が聞いているのはそれより前の話のようだった。
なぜわざわざ人間を呼んでみようとしたのか。
アデリアはしばらく考えた。
答えは簡単だった。
「できるか気になったから。」
隼人が止まった。
「……それが全部ですか?」
「うん。」
数秒後、隼人が力なく笑った。
「本当に王女様らしいですね。」
アデリアの目が細くなった。
「それどういう意味?」
「良い意味だと思っておきましょう。」
「あんまり良い意味じゃなさそうだけど。」
隼人は答えなかった。
00:00:10
アデリアの視線が数字に固定された。
「十秒。」
隼人も口をつぐんだ。
九。
八。
七。
隼人の体の周りに淡い光が生まれた。
テオが息を呑んだ。
ローウェンの手が反射的に剣の柄近くへ動いた。
六。
五。
光がもう少しはっきりしてきた。
隼人が自分の手を見下ろした。
四。
三。
彼が顔を上げた。
そしてアデリアを見た。
「戻れるといいですね。」
アデリアはしばらく彼を見つめた。
「そうだといいね。」
二。
一。
[召喚維持時間が終了しました。]
隼人の姿が揺らいだ。
最初に現れた時と似ていた。
周囲の空間が歪み。
体の輪郭がぼやけた。
そして――
消えた。
光も一緒に消えた。
数秒前まで人間が一人立っていた場所には何も残っていなかった。
テオがつぶやいた。
「本当に消えましたね。」
アデリアは答えなかった。
目の前に新しい文字が現れたからだった。
[召喚対象の帰還処理を進行します。]
数秒後。
[帰還完了。]
アデリアの目が少し見開かれた。
「戻ったんだ。」
ミレイユが聞いた。
「確実ですか?」
「帰還完了って出てる。」
ミレイユの表情が少し和らいだ。
ローウェンもようやく剣の柄から手を離した。
少なくともステータスウィンドウが正しければ、隼人は元いた場所へ戻った。
その時また別のウィンドウが現れた。
[人間召喚 Lv.1 再使用待機中]
アデリアが下の方を確認した。
[再使用可能まで : 6日23:59:56]
アデリアが数字をしばらく見つめた。
「……一週間?」
テオが聞いた。
「そんなにかかるんですか?」
「うん。」
アデリアの表情に落胆の色がよぎった。
思ったよりずっと長かった。
一度人間を呼べば一週間は再び使えない。
つまり何でも条件を入れて試すこともできなかった。
次の一回はもう少し慎重に選ばなければならない。
ローウェンがすぐに口を開いた。
「お嬢様。」
アデリアが彼を見た。
「王宮へお戻りいただかなければなりません。」
「もう?」
「もうではありません。」
ローウェンの視線がさっき隼人が消えた場所へ向かった。
「今日のことは必ず報告しなければなりません。」
アデリアの口角が少し下がった。
通りの真ん中で人間を呼んだ。
目撃者も多い。
警備隊も現場にいた。
王室近衛隊の紋章まで見せた。
なかったことにするのは難しかった。
アデリアが短くため息をついた。
「面倒なことになったね。」
ミレイユが言った。
「最初から人の少ない場所を選んでいれば、少しは面倒が減ったと思います。」
アデリアがミレイユを見た。
「今その言葉、言わなきゃいけない?」
「次に役立つと思いまして。」
アデリアは反論できなかった。
それがもっと気に入らなかった。
同じ瞬間。
日本、東京。
田中隼人は目を瞬かせた。
そしてそのまま固まった。
ゴムマットの匂い。
エアコンの回る音。
低く流れる音楽。
目の前には見慣れたジムの壁があった。
「……あれ?」
右手には携帯電話が握られていた。
隼人は急いで周りを見回した。
何も変わっていなかった。
確かにさっきまで――
石造りの部屋にいた。
剣を差した人間たちがいて。
不思議なほど平然とした王女がいた。
隼人は急いで携帯電話の画面をつけた。
15:17
目が見開かれた。
召喚される直前も三時十七分だった。
あちらでは三時間近く経っていた。
なのにこちらではほとんど時間が流れていなかった。
「何だよ……。」
隼人はすぐに写真を開いた。
さっき撮った写真。
アデリアとその一行。
確かにあったはずだった。
写真一覧を素早くめくった。
ジムの写真。
食べ物の写真。
友人たちと撮った写真。
そして終わり。
「……ない。」
もう一度確認した。
なかった。
今度はポケットに手を入れた。
銅貨。
テオがくれた銅貨。
それもなかった。
隼人はしばらくじっと立っていた。
写真もない。
硬貨もない。
時間もほとんど経っていない。
まるで何もなかったかのように。
その時ジムのドアが開いた。
「コーチ!」
次のレッスンの会員が入ってきた。
「来ましたよ。」
隼人が反射的に携帯電話を下ろした。
「あ、はい。」
会員が彼を見た。
「どうしたんですか?」
隼人はしばらく口をつぐんだ。
「何でもない。」
会員は特に気にせず奥へ入っていった。
隼人は再び携帯電話をつけた。
メモ帳を開いた。
一行目。
アデリア
確かに自分で書いた名前だった。
なのに変だった。
さっきまで鮮明だった顔と声。
王都の通り。
そこで交わした会話。
記憶が少しずつ薄れていっていた。
隼人は画面をしばらく見つめた。
「……これはどういう意味だ?」
第8話です。




