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初めて召喚した人間

初めて召喚した人間


アデリアの指が文字を押した。


【召喚】


その瞬間。


何も起こらなかった。


「……?」


アデリアは目を瞬かせた。


四人の男は相変わらず自分に向かって近づいてきていた。


虚空にも何も現れなかった。


アデリアはもう一度ステータス画面を見た。


【条件に適合する人間を探索中です。】


「今?」


アデリアの口から呆れた声が漏れた。


そんな説明はなかった。


召喚と言うからには当然すぐに現れると思っていた。


「何ブツブツ言ってんだ!」


右側から男のひとりが飛びかかってきた。


アデリアが急いで体をひねった。


男の手が肩をかすめた。


「お嬢様!」


ローウェンが前に出ようとした。


「まだ!」


アデリアが叫んだ。


同時に男の腕を押しのけて横に抜けた。


今度は最初に相手にした体の大きい男までもが近づいてきていた。


ステータス画面を見る余裕はなかった。


〈こういうのは前もって教えてくれるべきじゃない?〉


不満は後回しだった。


とにかく目の前の相手から片付けなければならなかった。


アデリアは自分に襲いかかってきた男を見た。


速くはなかった。


王宮で相手にしていた騎士たちに比べると、動きが大きすぎた。


右手が上がった。


拳。


アデリアは一歩後ろに下がった。


拳が顔の前をかすめて通り過ぎた。


すぐに前へ踏み込んだ。


男の胸を押して重心を崩し、足を引っかけた。


「え?」


男がそのまま地面に倒れた。


アデリアが短く息を吐いた。


ひとり。


完全に倒しきったわけではなかった。


男が悪態をつきながら再び体を起こそうとした。


その時、別のひとりが横から襲いかかってきた。


今度は避けるのが少し遅れた。


アデリアが腕を上げて防いだ。


ドスッ。


衝撃が腕全体に響いた。


「うっ」


思ったより痛かった。


アデリアの表情が一瞬強張った。


王宮での訓練と実際の喧嘩は違った。


騎士たちは訓練の時、自分を怪我させないよう力を加減する。


目の前の男にはそんな配慮がなかった。


〈あんまり好きじゃないわね〉


アデリアが一歩下がった。


男が再び手を伸ばした。


今度は手首を避け、体の内側へ入り込んだ。


習った通りに肘を折り曲げ、男のみぞおちの下を打った。


ドスッ。


「ぐっ!」


男が腰を折った。


アデリアはすぐに彼の膝の横を蹴った。


よろっ。


男が片手を地面についた。


その時だった。


【条件一致対象を発見しました。】


【安全な転移を確認します。】


アデリアの目が一瞬ステータス画面へ向いた。


〈また?〉


召喚ひとつするのに、なんでこんなに段階が多いの。


その一瞬の隙を体の大きい男は見逃さなかった。


「どこ見てんだ!」


彼がアデリアに向かって突進してきた。


今度はローウェンが本当に動いた。


鞘を握ったまま二歩踏み出した。


だがそれより先に。


アデリアが叫んだ。


「待って!」


そして体を横に投げ出すように避けた。


体の大きい男の腕がマントの端をかすめた。


アデリアがバランスを取りながら後ろに下がった。


今や二人は自分の前に。


残りの二人は少し後ろから接近中だった。


最初に思っていたよりずっと慌ただしかった。


〈二人くらいなら大丈夫だと思ってたのに〉


戦えるということと、余裕を持って相手できるということはまた別の問題だった。


腕も痛かった。


息も少し上がってきた。


それでもまだ危険だと感じるほどではなかった。


ローウェンとテオがすぐ後ろにいるのだから。


問題は――〈なんで召喚まだできないのよ〉


その時、ステータス画面がまた変わった。


【安全な転移が確認されました。】


【対象を召喚します。】


アデリアの目が輝いた。


ついに。


虚空が歪んだ。


最初は熱気の上の空気のように揺らめく程度だった。


やがてその揺らぎが、人ひとりが入れるほどの大きさになった。


周囲で悲鳴が上がった。


「な、なんだ!」


「魔法?」


「あれ何だ?」


見物していた人々が後ろに下がった。


四人の男も一瞬動きを止めた。


そして、何もなかった空間から――ひとりの人間が現れた。


黒い半袖Tシャツ。


灰色のジャージパンツ。


見慣れない形の運動靴。


短く刈った黒髪。


背はそれほど高くなかったが、体は引き締まって見えた。


特に肩と腕が目を引いた。


男は両手に黒い包帯のようなものを巻いていた。


そして召喚された直後に発した言葉は――「……なんだ?」


アデリアが目を瞬かせた。


男も目を瞬かせた。


二人の視線が合った。


「ここどこだ?」


アデリアの目が少し見開かれた。


言葉が理解できた。


発音も自然だった。


だが明らかにおかしかった。


服からしてすべてが見慣れないものだった。


召喚された男もまた、狂ったように周囲を見回した。


石造りの建物。


馬が引く馬車。


見慣れない服を着た人々。


剣を差した人間たち。


そして自分をじっと見つめる銀金色の髪の女。


男の表情が強張った。


「……撮影現場?」


アデリアが首をかしげた。


「撮影現場?」


男がアデリアを見た。


「日本語、話せるんですね?」


「日本語?」


今度はアデリアが聞き返した。


二人ともしばらく沈黙した。


確かに互いの言葉は聞き取れていた。


なのに、相手の話す言葉の意味は半分も理解できなかった。


「なんだ、これ」


男が頭に手を当てた。


「俺、さっきまでジムにいたのに」


「ジム?」


「いや、待てよ」


男がもう一度周囲を見回した。


「ここどこですか?」


アデリアが口を開きかけた瞬間だった。


「どけ!」


体の大きい男がまた動いた。


突然現れた人間に驚きはしたが、怒りが収まったわけではなかった。


彼は自分とアデリアの間に立った隼人を押しのけようとした。


「おい、お前何だ!」


召喚された男が反射的に体を回した。


「は?」


手が彼の肩に向かって伸びてきた。


男は腕を軽く払いのけた。


そして一歩後ろに下がった。


「ちょっと待って」


「どけよ!」


体の大きい男が拳を振り回した。


召喚された男の表情が変わった。


さっきまで動揺していた顔が一瞬で落ち着いた。


体が自然に動いた。


顎を引き、上体を少し沈め、両手を上げる。


拳が飛んできた。


男は頭をわずかに動かしただけでかわした。


トッ。


ほぼ同時に、短い一撃が体の大きい男の顔に突き刺さった。


「うぐっ!」


強く振り抜いたようにも見えなかった。


それなのに男の頭が大きく回った。


召喚された男が一歩踏み込んだ。


ドスッ。


今度は腹。


体の大きい男がそのまま座り込んだ。


周囲が静まり返った。


アデリアの目が少し見開かれた。


〈やるじゃない〉


本当に条件に合った人間だった。


後ろにいた別の男が叫んだ。


「この野郎!」


彼が召喚された男に襲いかかった。


男がため息をついた。


「いや、なんで皆して俺にこんなことすんの?」


口ではそう言いながらも、体はもう動いていた。


突っ込んでくる相手と正面からぶつからなかった。


横に抜けながら腕を掴んだ。


重心を流した。


そして足を引っかけた。


ドン!


男が地面に叩きつけられた。


召喚された人間はすぐに距離を取った。


倒れた相手を追撃することもしなかった。


アデリアはその様子をよく見ていた。


二人。


あっという間だった。


自分が二人を相手にしてかなり手こずったのとは大きな差だった。


そしてまだ残りの人間が二人いた。


そのうちのひとりが状況を見て悪態をついた。


「くそ」


彼の視線が召喚された男とアデリアの間を行き来した。


逃げるか戦うか迷っている顔だった。


アデリアが彼を見た。


〈私の分なのに〉


自分が呼んだ人間が二人を片付けた。


だとすれば、最初に考えていた通り、残りは自分が相手をすればいい。


アデリアが前に一歩出た。


召喚された男がそれを見て呆れた顔をした。


「ちょっと待って」


「なんですか?」


「なんですかじゃなくて」


彼がアデリアの服装を上から下まで眺めた。


「下がって」


アデリアが目を瞬かせた。


「なんで?」


「喧嘩してるんですよ」


「知ってます」


「いや、知ってるのになんで前に来るんですか?」


「あの二人は私がやりますから」


男の表情が固まった。


「何をするんです?」


アデリアは答えなかった。


残った男のひとりが機会を狙って飛びかかってきた。


アデリアが体を低くした。


今度は相手の動きが見えた。


さっき二度戦った経験のおかげか、最初よりは余裕があった。


手をかわし、手首を掴み、横に体をひねった。


相手の力をそのまま利用した。


男が前によろめいた。


アデリアが足首を引っかけた。


ドン。


男が地面に倒れた。


だがすぐに体を起こそうとした。


アデリアが一足先に動いた。


彼の腕を背中に捻り上げて押さえつけた。


「痛っ!」


「動かないでください」


声は相変わらず穏やかだった。


「痛い」


「だから動かないでって言ってるんです」


最後の男はすでに戦意を失った顔をしていた。


アデリアが彼を見た。


男が一歩後ろに下がった。


そしてもう一歩。


それから急に体を翻した。


逃げようとした瞬間――テオが道を塞いだ。


「どちらへ?」


テオは笑っていた。


だが男は笑えなかった。


反対側にはローウェンが立っていた。


二人の腰には剣があった。


男は結局両手を上げた。


「……行きません」


アデリアが満足げにうなずいた。


ちょうど遠くで笛の音が聞こえた。


「道を開けてください!」


「衛兵隊だ!」


人々が道を開け始めた。


アデリアはそこでようやく自分が押さえつけていた男の腕を放した。


男はすぐに体を縮めながら後ろに下がった。


王都の衛兵たちが駆けつけてきた。


店主と周囲の人々が一斉に騒ぎ始めた。


「あいつらが先に人を殴ったんです!」


「金のために店を奪おうとしたんですよ!」


「あのお嬢さんが止めてくれました」


「急に変な魔法も――」


アデリアの表情が一瞬強張った。


最後の言葉はあまり気に入らなかった。


召喚の場面を見た人が多すぎた。


〈これは考えてなかったわ〉


だがもう起きてしまったことだった。


今さらなかったことにもできなかった。


その時、横から声が聞こえた。


「あの」


アデリアが振り返った。


自分がさっき召喚した男だった。


近くで見ると思ったより若かった。


二十代後半くらい。


汗に少し濡れた黒髪。


引き締まった体格。


そして何より、ひどく動揺した顔。


彼は周囲を一度見て、アデリアをまた見た。


「そろそろ説明してもらえますか」


アデリアが首をかしげた。


「何をですか?」


男の眉が上がった。


「何をって」


彼が自分の胸を指で指した。


「俺、さっきまで東京で働いてたんですけど」


「東京?」


「そうです」


アデリアは初めて聞く地名を頭に留めた。


男が続けた。


「ジムで会員さん見送って、ちょっと休憩してたら急に目の前がおかしくなって、気づいたらここです」


彼が石畳を指さした。


「ここは一体どこで」


周りの建物を指さした。


「あの人たちはなんであんな服着てて」


今度はアデリアを指さそうとして止めた。


「それであなたは……」


アデリアがその指を見つめた。


男がさりげなく手を下ろした。


「とにかく」


彼が言った。


「俺をここに連れてきたのはあなたですか?」


アデリアは少し考えた。


嘘をつく理由はなかった。


「たぶん」


「たぶん?」


「初めてやったので」


「何を初めて?」


「人間召喚」


男の顔が強張った。


「……なんですって?」


アデリアがごく自然に答えた。


「私があなたを召喚したんです」


しばらく静寂が流れた。


男はアデリアを見つめた。


アデリアも彼を見つめた。


男の表情がだんだんおかしくなっていった。


「ちょっと待って」


手のひらで顔をこすった。


「まさか今これ」


もう一度周りを見回した。


剣。


馬車。


石畳。


貴族風の服。


自分が倒した男たち。


そして銀金色の髪の少女。


「本当にそういうことですか?」


「どういうことですか?」


男が口を開いたが閉じた。


しばらくしてようやく言った。


「……異世界?」


アデリアが目を細めた。


また初めて聞く単語だった。


「それ何ですか?」


今度は男が何も言えなくなった。


その様子を見ていたアデリアは、ふと重要な事実にひとつ気づいた。


自分はこの人間の話す言葉を全部理解できていた。


だがさっき、この人間は自分にはっきりこう言った。


日本語を話している、と。


アデリアは自分の唇を指で軽く触れた。


「変ね」


「何がです?」


「あなたの言葉」


男が目を瞬かせた。


「俺の言葉?」


「私はなぜ、初めて聞く場所から来た人間の言葉が理解できるんでしょう?」


男の顔にも困惑が広がった。


「……そういえば」


彼が周りを見回した。


店主が衛兵に状況を説明していた。


その言葉も理解できているようだった。


男の表情が強張った。


「ちょっと」


彼がアデリアに尋ねた。


「ここの人たち全員、日本語話してるわけじゃないですよね?」


「日本語が何かは分からないけど」


アデリアが答えた。


「少なくとも、あなたが初めて見る形の服を着ているのは分かります」


男が口をつぐんだ。


アデリアは彼をしばらく観察した。


そしてふと、まだ名前すら知らないという事実に気づいた。


「お名前は?」


男が反射的に答えた。


「田中隼人です」


「田中……」


アデリアがゆっくりと繰り返した。


「隼人?」


「田中隼人」


「変な名前ですね」


「そっちの名前は?」


アデリアが答えようとした瞬間。


ミレイユがごく小さく咳払いをした。


アデリアの視線が横へ向いた。


まだ周りには人が多かった。


王女だという事実をわざわざ明かす理由はなかった。


少し考えてから言った。


「アデリア」


「苗字は?」


「今はそれだけ分かれば十分です」


田中が力なく笑った。


「俺を別の世界から連れてきたくせに、自分の苗字も教えてくれないんですか?」


アデリアは平然としていた。


「はい」


「……」


隼人が口をつぐんだ。


アデリアはその反応が少し面白かった。


その時。


アデリアの目の前にまた文字が現れた。


【最初の召喚が完了しました。】


【対象:田中隼人】


【召喚維持時間が適用されます。】


アデリアの視線が止まった。


〈維持時間?〉


隼人が尋ねた。


「どうしました?」


アデリアは答えなかった。


その下に新しい数字が浮かび上がっていたからだ。


【残り時間:02:59:58】


数字がひとつ減った。


02:59:57 アデリアはしばらくそれを見つめた。


そして、ごく小さく呟いた。


「あ」


隼人が不安そうな顔で尋ねた。


「なんですか?」


アデリアが彼を見た。


「あなた」


「はい」


「3時間後にどうなるか知ってます?」


田中隼人の表情が強張った。


「……そんなの俺が知るわけないでしょう」


もっともな話だった。


アデリアも知らなかった。


二人の間に短い沈黙が下りた。


そして数字は何も知らないかのように減り続けた。


02:59:53 02:59:52 02:59:51

第5話です。

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