麓の小屋へ
しばらくしても、森の奥から新たな気配はなかった。
クローディスは木々の間から視線を戻し、剣についた血を払う。ガラティアも大剣の刃を確かめた。
さくらはまだ、森の奥を見ていた。
「犬っころどもなら、もう戻ってこないだろう」
ガラティアが言う。
「……うん」
クローディスが剣を鞘へ収める。ガラティアも大剣を背へ戻した。
三人はもうしばらく、その場で休むことにした。
さくらは水袋に口をつけ、喉を潤した。
しばらくして、ガラティアが木々の隙間から空を見上げる。
「そろそろ行くぞ」
「うん」
さくらは水袋を腰へ戻し、荷物を背負い直した。
森の中を、三人は再び歩き始める。
先を行くガラティアの背を追いながら、さくらは時折、道の脇へ視線を向けていた。
木々の間から差し込む光は、いつしか低く傾いていた。
三人の影が幹や地面を長く這う。
道に張り出した太い根を、ガラティアが跨いでいく。
その後ろをクローディスが越え、さくらも足を上げた。
「よいしょ……ふぅ」
根を越えたところで一歩、二歩と進む。
先を歩いていたガラティアが振り返り、さくらを一瞬見た。
再び前を向くと、その歩幅がわずかに小さくなる。
さらに森を進む。
頭上に残っていた明るさも徐々に失われ、木々の間には夕闇が入り始めていた。
「光よ現れ闇を照らす灯となれ――ライト」
ガラティアの傍らに、暖かな色の光が浮かぶ。
「わ……それも魔法?」
「ああ。暗いところじゃ便利だぞ」
さくらは浮かぶ光を見上げながら、二人の後をついていった。
それからもしばらく歩いた頃、ガラティアが周囲を見回した。
「そろそろか」
クローディスがガラティアを見る。
「何がだ?」
「この辺りに小屋があったはずだ」
「小屋?」
さくらが顔を上げる。
「ああ。麓にある。旅人や冒険者が休むのに使ってる」
「じゃあ、今日はそこ?」
「そうだな」
それからほどなくして、ガラティアが足を止めた。
「あったぞ」
クローディスとさくらも、そちらを見る。
暮れかけた森の中に、小さな木造の小屋が見えていた。
小屋へ近づくと、ガラティアが先に扉へ手をかけた。
軋む音とともに扉が開く。
ライトの暖かな光が差し込み、薄暗かった室内を照らした。
中は簡素な造りだった。壁際には何人かが横になれるだけの空間があり、中央には火を使った跡が残っている。
ガラティアが中へ入り、ざっと周囲を見回す。
クローディスもその後に続いた。
「問題なさそうだな」
「ああ」
二人の後ろから、さくらがおそるおそる中を覗き込む。
「ここで寝るの?」
「今日はな」
ガラティアが答えながら荷物を下ろした。
さくらも中へ入り、背負っていた荷物を床へ置く。
「ふぅー……」
そのまま壁際へ腰を下ろすと、肩から力が抜けた。
「疲れたか?」
ガラティアが尋ねる。
「ちょっとだけ……」
「今日はよく歩いたからな」
「……明日も?」
「ああ」
「そっかぁ……」
さくらは壁へ背を預けたまま、しばらく動かなかった。
外に残っていた明るさも、いつの間にか消えていた。
クローディスが荷物からパンと干し肉、ドライフルーツを取り出し、さくらへ渡す。
「ほら」
「ありがと……」
さくらは受け取ったものの、手をつけようとはしなかった。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……食欲が……」
クローディスがさくらを見る。
「少しでも食べておけ。食べないと保たない」
「…………」
さくらは手元のパンへ目を落とした。
昼間、木々の間から現れた狼たちの姿が頭をよぎる。
明日もまた歩く。その先で、今日と同じように何かと遭遇するかもしれない。
疲れたから食べたくない――そんなことを言っていられる場所ではない。
「……うん」
さくらがパンへ手を伸ばしかけたところで、ガラティアが口を開いた。
「こっちから食ってみろ」
差し出されたのは干し肉だった。
「癖が少なくて食いやすいやつを選んどいた。噛めばちゃんと旨味も出るぞ」
さくらは干し肉とガラティアの顔を交互に見る。
「……私でも食べやすいように?」
「まあな。こういうの、食い慣れてないだろ?」
「うん……」
さくらは干し肉を受け取り、小さくかじった。
すぐには飲み込まず、ゆっくりと噛む。
「……あ、おいしい」
「だろ?」
ガラティアの口元がわずかに緩む。
もうひと口。
今度は先ほどより少し大きくかじる。
それからパンにも手を伸ばし、時折ドライフルーツを挟みながら、さくらは時間をかけて食べていった。
三人が食事を終える頃には、小屋の外はすっかり夜の色に沈んでいた。
ガラティアが大剣を手の届くところへ置く。
「今夜は交代で見張るぞ」
「ああ。先は俺がやる」
クローディスが答える。
「なら、後は私だな」
二人のやり取りを聞いていたさくらが顔を上げた。
「私も起きてた方がいい?」
「いや、さくらは休め」
「でも……」
「明日も歩く。今は寝ておけ」
さくらは少し迷ってから、小さく頷いた。
「……分かった」
壁際に荷物を寄せ、身体を横たえる。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
「ゆっくり休め」
「うん……」
目を閉じてから、それほど時間はかからなかった。
やがて、さくらの静かな寝息が聞こえ始める。
クローディスは入口の近くへ腰を下ろし、剣を手元に置いた。
ガラティアも壁際に身体を横たえる。
小屋の中から人の声が消えた。
扉一枚を隔てた向こうでは、風に揺れる木々の音と虫の声が夜の森に続いている。
クローディスはその音に耳を澄ませながら、静かに外の気配を窺っていた。




