西への道
南門を離れてしばらくすると、背後から聞こえていた人の声や荷車の音も遠くなっていた。
西へ続く道を進んでいた三人は、ほどなくして街道脇を流れる沢へ立ち寄った。
浅い流れの底には丸みを帯びた石が連なり、その隙間を縫うように澄んだ水が流れている。陽を受けた水面が揺れるたび、細かな光が川底を走った。
クローディスが腰の水袋を外し、流れのそばへしゃがみ込む。ガラティアもその隣で水袋の口を開いた。
さくらも二人を見て、腰につけたばかりの水袋へ手を伸ばす。
流れの中へ口を沈めると、空だった革袋が少しずつ膨らんでいった。
いっぱいになったところで引き上げる。
「……重っ」
思わず声が漏れた。
空の時とは、まるで違う重さだった。
ガラティアが横目を向けた。
「水入れたんだから、そりゃ重くなるだろ」
「分かってるけど……こんなに変わると思わなかった」
さくらは両手で持ち直し、口をしっかりと閉じる。
腰へ戻して立ち上がると、今度はその重みが身体の横へ掛かった。
試すように数歩歩いてみる。
水袋が揺れるたび、腰に今までとは違う重さが伝わってきた。
それを確かめるように一度だけ見下ろしてから、さくらは二人の後を追った。
三人は沢をあとにし、再び西へ向かう。
街道の周囲には草地が広がり、ところどころに低い木々が立っている。吹き抜ける風に草の穂が波打ち、その上を雲の影がゆっくりと流れていった。
さくらは歩きながら何度も周囲を見回していた。
遠くを飛ぶ鳥を見つけて顔を上げ、見慣れない草花があればそちらへ視線を向ける。気になったものを見つけては二人に声をかけ、そのたびに少し足取りまで弾んだ。
日はいつしか頭上近くまで昇っていた。
それでも三人は歩き続ける。
街から遠ざかるにつれて、行き交う人や馬車の姿も少なくなっていった。
さらに歩みを重ねる。
さくらは変わらず二人について歩いている。道端に見慣れないものを見つければ目を向け、ときには振り返って遠くなった景色を眺める。
ただ、いつの間にか二人へ飛んでいた声は少なくなっていた。
クローディスが一度だけ振り返る。
声が減っている。疲れているのかもしれない。
さくらはその視線に気づき、首を傾げた。
「どうしたの、クロさん?」
「いや、なんでもない」
「?」
少し不思議そうな顔をしたものの、さくらはすぐに前へ視線を戻した。
しばらくして、ガラティアもさくらの様子をちらりと見る。
無理をしている様子ではない。だが、慣れない距離ではあるだろう。
さくらは気づかない。
そのまま三人は歩き続けた。
やがてクローディスが足を止める。
「ここで昼にしよう」
「え?」
さくらが顔を上げた。
「もうお昼?」
「とっくにな」
ガラティアが街道から少し離れた草地へ向かう。
「そんなに歩いてたんだ……」
さくらもその後に続き、三人は休めそうな場所に腰を下ろした。
地面に座ると、さくらの肩からふっと力が抜けた。
「ふぅ……」
膝を伸ばし、つま先を何度か動かす。
「……ちょっと重いかも」
ガラティアは何も言わず、荷物から保存食を取り出している。
さくらも腰から水袋を外し、口を開けた。
一口。
喉を鳴らして、もう一口。
「……おいしい」
そのままもう一度水袋を傾ける。
ガラティアが横目を向けた。
「飲み過ぎたらすぐなくなるぞ」
「だって美味しいんだもん」
「沢で汲んだ水だぞ」
「歩いた後だと美味しいの」
そう言いながら、さくらはもう一口だけ飲んだ。
それから水袋の口を閉じ、自分の荷物へ手を伸ばす。
クローディスも保存食を取り出した。
「食べたら少し休む。急がなくていい」
「うん」
さくらは自分の分の保存食を取り出した。
風が草の穂を揺らしながら、街道の向こうへ抜けていった。
昼食を終え、しばらく脚を休めてから、三人は再び街道へ戻った。
立ち上がったさくらは両腕を上へ伸ばし、ぐっと背筋を反らす。
「んーっ……よし!」
クローディスとガラティアの後を追い、さくらも再び歩き始めた。
午後の日差しが降り注ぐ街道を、三人は西へ進んでいく。
しばらく歩いたところで、さくらは腰の水袋へ手を伸ばした。紐を外して一口だけ水を飲み、口を閉じると、また腰へ戻した。
歩みを重ねるにつれ、周囲の景色も少しずつ変わっていった。
広く続いていた草地に木々が増え始める。
初めはぽつぽつと離れて立っていたものが、進むほど互いの間隔を狭めていく。遠くまで抜けていた視界も、幹や枝葉に遮られるようになった。
やがて街道の先を、深い緑が覆った。
三人はそのまま木々の中へ入っていく。
頭上へ伸びた枝葉が日差しを遮り、木漏れ日が足元へまだらに落ちている。
さくらが小さく息をついた。
「わ、涼しい……」
それまで肌を照らしていた日差しがなくなり、火照っていた頬を森の空気が撫でていく。
さくらは気持ちよさそうに目を細めた。
道の様子も変わっていた。
乾いた土の上には落ち葉が重なり、ところどころで木の根が地面を押し上げている。
クローディスとガラティアは変わらない歩調で進んでいく。
さくらも二人についていくが、平らだった街道を歩いていた時より、足元へ視線を落とすことが増えていた。
根を跨ぎ、落ち葉を踏む。
時折小さな起伏を越えながら、三人は森の奥へ進んでいった。
葉の隙間から差し込んでいた光が、少しずつ長く伸びていく。
さくらは一度、水袋へ手を伸ばした。
けれど途中でやめる。
少し考えてから、前を歩くクローディスを見た。
「クロさん」
「ん?」
クローディスが歩きながら振り返る。
「ちょっと休んでもいい?」
「ああ」
クローディスは辺りを見渡した。
「休める場所を探そう」
ほどなくして、街道の脇に木々の間隔が少し開いた場所が見つかった。
三人は道を外れ、そこで足を止める。
さくらは手頃な場所へ腰を下ろすと、今度こそ水袋を外した。
口を開け、水を飲む。
それから脚を前へ伸ばし、ほっと息を吐いた。
クローディスは近くの木の根元へ腰を下ろす。
ガラティアも荷物を置き、大剣を手の届くところへ寄せた。
風が枝葉を揺らしている。
葉の擦れる音が頭上を渡り、その向こうから鳥の鳴き声が聞こえた。
さくらは水袋を膝の上に置き、木々の間から覗く空を見上げる。
しばらく、誰も口を開かなかった。
クローディスがふと顔を上げた。
微かな物音。
視線が、木々の間で止まる。
「……いるな」
ガラティアが顔を向ける。
「どこだ?」
クローディスは答えず、視線だけがそこに固定されていた。
さくらもつられてそちらを見る。
木々の間。
一本の幹の向こうに、灰色の影が立っていた。
狼だ。
こちらをじっと見ている。
さくらの手が、膝の上の水袋から離れた。
「狼……?」
ガラティアが無言で大剣へ手をかけた。
その時、少し離れたところで葉が鳴った。
さくらがそちらへ顔を向ける。
別の木の陰にも、一頭。
さらに奥。
低い茂みの向こうにも、灰色の背が見えた。
ガラティアが立ち上がる。
クローディスも静かに腰を上げ、剣の柄へ手をかけた。
さくらも周囲を見渡した。
一頭。
また一頭。
木々の隙間を見るたび、こちらを窺う影が見つかる。
さくらがゆっくりと立ち上がった。
右へ視線を走らせる。
そちらにもいた。
「……囲まれてる?」




