出発準備2
保存食屋を出た三人は、市場の奥へと進んだ。
露店の並びを抜けるにつれて、人の流れは少し落ち着いていく。通り沿いには軒を構えた店が増え、呼び込みの声よりも、戸口を出入りする客や荷を運ぶ者の足音が目立つようになった。
やがてガラティアが一軒の店の前で足を止める。
扉の脇には、乾燥させた薬草を束ねた看板が吊るされていた。
中へ入ると、薬草の乾いた匂いと、わずかに鼻へ残る薬品の香りが混じっている。壁際の棚には大小の瓶や木箱が並び、正面には横長のカウンターが置かれていた。
その奥で品を整理していた女性が顔を上げる。
「あら、ガラティアさん。こんにちは」
「ああ、こんにちは」
ガラティアはカウンターへ歩み寄った。
「少し補充にな。止血薬を八つ、傷薬を三つ。包帯を六巻頼む」
「はい。少々お待ちくださいね」
女性店主は柔らかく笑うと、すぐに背後の棚へ向かった。
止血薬の小瓶を次々と取り出し、数を確かめながらカウンターへ並べていく。続けて傷薬を揃え、下段の引き出しから包帯を取り出す。
動きに迷いがない。
さくらはカウンター越しに、その手元を眺めていた。
ガラティアがふと横を見る。
「そういや、さくらは薬いらないか。癒しの舞があるしな」
口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。
「欲しい! 癒しの舞は自分には効かないんだから!」
さくらが反射的に答える。
「そうなのか?」
冗談半分だったガラティアの眉が少し上がった。
「うん。自分以外の人には使えるんだけど……」
クローディスもそちらへ顔を向ける。
「他の舞も同じなのか?」
「うん、全部。全部自分には効果がないの」
「俺たちに使った舞もか?」
「うん。身体を強くする舞も、動きを軽くする舞もそうだよ」
ガラティアは意外そうにさくらを見る。
「他にもあるのか?」
「あと、浄化の舞がある」
「浄化?」
「うん。悪いものを取り除くための舞。まだ二人には使ったことないけど」
その間にも、店主は傷薬を小箱へ収め、包帯をまとめて紐で留めていた。
ガラティアはカウンターへ並んだ薬を見ながら言う。
「まあ、どのみち薬を減らすつもりはないけどな」
「良かった…」
「お前がどれだけ舞えるのか、私たちもまだ分からないしな」
「私も、どこまで続けて使えるかはまだ……」
「なら、なおさらだ」
それを聞いて、さくらも小さく笑った。
店主が最後の包帯をカウンターへ置く。
「こちらでご注文分は揃いましたよ」
「ああ。ありがとう」
クローディスが並んだ品へ目を向け、少し考える。
「霊薬の雫も一本あるか?」
「ええ、ございますよ」
店主はそう答えると、今度は店の奥へ向かった。
さくらがクローディスを見る。
「霊薬の雫って何?」
「魔力を回復する薬だ」
「魔力を?」
「ああ。汚染された中位精霊との戦いでも一本使った」
さくらの目がわずかに見開かれる。
「あの時の……」
やがて店主が戻ってきた。
手には小さな瓶が一本。
透明な液体の中で、ごく淡い光が揺れている。
「こちらですね」
店主がカウンターへ置く。
さくらは小瓶を覗き込み、その横に添えられた値札へ目を移した。
「えっと……ゼロが1、2、3……」
横からガラティアも値札を覗き込む。
「使わないから気にしたことなかったが……これ、こんなにするのか」
「高いの?」
「高いぞ」
さくらは値札と小瓶を交互に見る。
クローディスは霊薬の雫を手に取った。
「使った分だけ補充しておく」
店主が代金を確認し、ガラティアとクローディスが支払いを済ませる。
包まれた薬を三人で分けていく中、さくらもまとめられた包帯を受け取り、自分の荷物へしまった。
「ありがとうございました」
店主が穏やかに頭を下げる。
「ああ。またな」
ガラティアが先に扉へ向かい、クローディスとさくらも続いた。
外へ出ると、市場のざわめきが再び耳へ戻ってくる。
三人は薬を収めた荷物を持ち直し、次の店へ向かった。
薬屋を出た三人は、再び市場の通りを歩いていく。
少し進んだ先で、クローディスが軒先に縄や革袋を吊るした店へ目を向けた。
「次はここだな」
店内へ入ると、保存食屋とも薬屋とも違う、雑多な景色が広がっていた。
壁には太さの違う縄や革紐が掛けられ、棚には火打石やランタン、木製の食器、小さな工具が並んでいる。床際には木箱や布袋が積まれ、その隙間にも細かな日用品が収められていた。
物は多いが、散らかっているわけではない。狭い店内へ、使える場所を余さず商品棚にしているようだった。
「いらっしゃいませ」
カウンターから、のんびりとした声が届く。
眼鏡をかけた若い男が椅子に腰掛け、その膝の間には小さな男の子が立っていた。
子供は両手で木製の小さな器を持ち、しきりにひっくり返して眺めている。
「おとうさん、これなに?」
「お皿だよ」
「おさら?」
「そう。落とさないでね」
「うん」
返事をした直後、子供の手から器が傾く。
店主は慣れた様子で片手を伸ばし、床へ落ちる前に受け止めた。
「危なかった」
子供が笑う。
店主も困ったように笑いながら器を棚へ戻し、三人へ顔を向けた。
「ごゆっくりどうぞ。何かあれば声をかけてください」
「ああ」
クローディスたちは店の奥へ進んだ。
ガラティアが壁に掛けられた縄を手に取り、長さを確かめる。その隣ではクローディスが火打石をいくつか見比べていた。
さくらも二人について店内を見て回る。
保存食や薬とは違い、棚に並んでいる物の中には、用途の分からないものもある。さくらは二人が手に取るものや、棚へ戻すものを眺めながら歩いていた。
やがてクローディスが棚から顔を上げる。
「さくら」
「はい?」
「水袋は持ってないよな」
「水袋?」
クローディスが壁際を指した。
革製の袋がいくつも吊るされている。
「水を入れて持ち歩くためのものだ」
「あ、これに水を入れるんだ」
さくらが近づき、一つを手に取った。
柔らかな革で作られた袋に紐が付いている。持ち上げてみると、空の袋は思っていたより軽い。
「旅に出るなら一つ持っておいた方がいい」
「じゃあ、私も一つ買う」
そう答えてから、水袋を見下ろした。
隣に並んだ別の水袋へ目を移す。
一つ手に取り、また戻す。
今度は少し小さなものを持ち上げ、紐を伸ばしてみる。
しばらく見比べたあと、一つを両手で持った。
「……これがいい」
「ああ。それでいいんじゃないか」
必要な品を選び終え、三人はカウンターへ向かった。
店主は子供を隣の椅子へ座らせると、三人が持ってきた品を一つずつ受け取っていく。
子供に時折袖を引かれながらも、店主は慣れた様子で品を確かめ、代金をまとめていった。
会計を終えると、さくらは自分で選んだ水袋を受け取った。
紐を腰へ回し、位置を確かめながら留める。
腰元に水袋が収まった。
さくらは、しばらく動かなかった。
視線だけが腰元へ落ちる。
口角が上がりかけ、慌てたように唇を結ぶ。
それでも頬の緩みまでは戻らない。
ほんの少し身体を揺らすと、水袋も一緒に揺れた。
さくらの目がぱっと輝く。
「……なんか」
「ん?」
ガラティアが振り返る。
さくらは腰の水袋へ手を添えた。
「ちょっと冒険者っぽくなった気がする」
ガラティアも水袋を見た。
「水袋一つでか?」
「だって、こういうの初めてだから」
さくらは言いながら、もう一度水袋の位置を直した。
「そうか」
ガラティアの口元がわずかに緩む。
クローディスも、そんなさくらを見て笑った。
「行くぞ」
「はい!」
店主へ軽く挨拶をして、三人は雑貨屋を出た。
市場の通りへ戻ると、さくらの腰で水袋が歩調に合わせて揺れる。
数歩進んでは、さくらの視線がちらりと腰元へ落ちる。
また前を見る。
しばらく歩いて、もう一度見る。
必要なものは、これで一通り揃った。
市場をあとにする。
朝の街路には、旅支度を整えた者や荷を積んだ馬車の姿が多い。街へ入ってきた者たちと行き交いながら、これから街を発つ人々が通りを歩いていく。
その人波に混じり、市場から南へ延びる通りを進んでいく。
建物の並びの向こうに城壁が見え始め、やがて南門が姿を現した。
大きく開かれた門の下を、人や馬車が絶え間なく行き交っている。
クローディスは歩調を変えず、そのまま門へ向かった。
石造りの門をくぐる。
頭上を覆っていた門の影が途切れ、朝の光が三人の上へ落ちた。
さくらが眩しそうに目を細める。
その先には、街の外へ続く道が伸びていた。
街道の両側には畑が広がり、そのさらに向こうには緩やかな起伏を描く大地が続いている。
後ろから荷車の車輪が近づいてきた。
三人が道の端へ寄ると、荷を積んだ荷車が横を通り過ぎていく。車輪が乾いた土を踏み、薄い砂埃を残して遠ざかっていった。
さくらはその背を少し眺めてから、前へ向き直る。
クローディスは一度だけ西へ視線を向けた。
「行こう」
三人は街道を進み始める。
背後ではまだ南門を行き交う人々の声や、荷車の軋む音が聞こえていた。
それも歩みを重ねるごとに、少しずつ遠ざかっていく。
さくらの腰では、買ったばかりの水袋が歩調に合わせて小さく揺れていた。




