酒場の噂
ラントタスの通りを歩きながら、三人はいくつかの宿を見て回った。
大通り沿いには旅人向けの宿から、商人が多く利用する宿まで様々な宿が軒を連ねている。荷馬車を引いた商人や旅人が宿へ出入りし、通りは活気に満ちていた。
「宿ってこんなにあるんですね」
春月さくらが周囲を見回しながら感心したように呟く。
「商人も旅人も多いからな」
クローディスがそう答えると、さくらは納得した様子で微笑んだ。
最初に覗いた宿は入口から賑やかな声が漏れていた。酒場を併設しているらしく、昼間から酔客の笑い声が響いている。
「ここは騒がしいな」
ガラティアが扉を開けるより先に呟いた。
次の宿は満室だった。
三軒目でようやく空きが見つかった。清潔感のある外観で、扉を開けると穏やかな空気が流れてくる。
何軒か見て回り、三人は中規模のこの宿に決めた。
建物は決して新しくないが、館内はよく手入れされている。一階の食堂では宿泊客が談笑し、厨房からは食欲を誘う香りが流れてきた。
受付で手続きを済ませ、それぞれ部屋の鍵を受け取る。
「二階のお部屋になります」
案内を受け、三人は階段を上った。
木の階段は歩くたびに小さく軋んだ。二階の廊下は薄暗く、等間隔に並んだ扉の前を三人は歩いていく。
「隣同士なんですね」
さくらが自分の部屋の鍵を確かめながら言う。
「都合がいい」
ガラティアが答えた。
荷物を部屋へ運び終えると、廊下で自然と顔を合わせる。
ガラティアが鍵を手にしたまま口を開いた。
「私は装備の最終確認をしておく」
「ああ」
クローディスは頷く。
「俺は少し情報を集めてくる」
「ギルドですか?」
春月さくらが尋ねる。
「ギルドの酒場だ」
「酒場?」
「話を聞くなら、あそこが早い」
「なるほど」
さくらは小さく笑った。
「うん、待ってるね!」
ガラティアは自室へ入り、さくらも手を振って自分の部屋へ戻っていく。
クローディスは二人を見送ると、階段を下りた。
宿を出ると、人と荷馬車が行き交う賑やかな通りが広がっている。夕方に近づいた空は橙色に染まり始めていた。露店の店主たちが商品を片付け始め、代わりに提灯へ火を灯す者もいる。昼の喧騒とは違う、街が一日の終わりへ向かう気配。
クローディスは人波を抜け、ギルドの酒場へと足を向けた。
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ギルドへ戻る頃には、酒場は依頼帰りの冒険者たちで賑わっていた。
木杯を打ち鳴らす音に笑い声が重なり、焼きたての肉の香りが漂う。今日の成果を肴に酒を飲む者、仲間と食事を囲む者、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
クローディスは扉のそばで一度足を止め、店内を見渡した。入口に近い席を選び、腰を下ろし飲み物を一つ頼む。
「おい、その腕どうした」
近くの卓から声が上がる。
包帯を巻いた男が木杯を持ち上げ、苦笑した。
「ゴブリン討伐に行ってたら、ライダーが出てきてよ」
「ライダー?」
「ああ、ゴブリンライダーだ。平原まで追ってきやがった。囲まれかけてな」
「依頼は?」
「放棄した」
「それでいい」
「受付じゃ嫌味言われたけどよ」
「命まで置いてくる依頼じゃねぇさ」
卓を囲む冒険者たちが笑う。
「俺たちも昨日、西へ入った」
少し離れた卓の男が話へ加わった。
「ウォーリアがいた」
笑っていた男の表情が変わる。
「……依頼書には書いてなかったぞ」
「だから引いた」
「無茶してたら今頃ここで飲んでねぇ」
「ああ」
男は木杯を机へ置いた。
「妙だったのは、それだけじゃねぇ」
「何がだ」
「ゴブリンどもだ」
「あいつら、好き勝手に突っ込んで来ねぇ」
「囲むように散って、逃げ道まで塞いできやがる」
「俺が受けた依頼でも同じだった」
別の席からも声が返る。
「最近、西は何かおかしい」
短い沈黙が流れる。
誰かが木杯を指先で転がしながら、肩をすくめた。
「……まさか、ゴブリンリーダーでもいるってか?」
その一言で、酒場の喧騒がふっと途切れた。
木杯を口元で止める者。
食事の手を止める者。
談笑していた卓も、ほんの一瞬だけ静まり返る。
クローディスは杯に口をつけたまま、視線だけを動かした。
やがて、
「縁起でもねぇこと言うな」
低い声が返った。
「イルイミスで最後に討伐されたのは三十年前だぞ」
「そんなのがいたら、とっくに特別討伐依頼が出てる」
「俺らが酒飲んでる場合じゃねぇな」
誰かが苦く笑う。
「……違ぇねぇ」
重くなった空気を払うように、一人が木杯を掲げた。
「ほら、湿っぽい話は終わりだ。飲め飲め」
「明日も依頼だしな」
それをきっかけに、止まっていた酒場の喧騒が少しずつ戻っていく。
クローディスは杯を飲み干すと、代金を置いて席を立った。
酒場を出ると、外はすっかり夕暮れに染まっていた。
昼間あれほど賑やかだった通りも、人の数がまばらになっている。代わりに軒先の明かりが一つ、また一つと灯り始めていた。商店の戸を閉める音、遠くで子どもを呼ぶ母親の声。街が眠りへ向かう静けさが漂う。
クローディスは酒場で聞いた話を頭の中で整理しながら、そのまま宿への道を歩き出した。
ライダー、ウォーリア。
ギルドで聞いた話は、本当だったということだ。
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宿へ戻る頃には、通りはすっかり夜の顔になっていた。
クローディスが二階へ上がると、廊下の奥で扉が開き、ガラティアが部屋から姿を見せる。
「戻ったか」
「ああ」
「どうだった」
「聞きたい話は聞けた。食べながら話そう」
「分かった」
ガラティアは装備を確認していたのだろう、大剣を持ったままだった。壁へ立てかけると、廊下を並んで歩き出す。
二人が歩き出した、その時だった。
ガチャ。
「あっ、帰ってきた!」
勢いよく扉を開けた春月さくらが、二人を見つけて駆け寄ってくる。
「何かわかった?」
「その話は食堂でする」
「うん!」
さくらが加わるだけで、静かだった廊下の空気がぱっと明るくなる。三人は連れ立って階段を下りた。
夕食時を迎えた食堂は、多くの宿泊客で賑わっていた。
料理を運ぶ店員が忙しく卓の間を行き交い、焼きたてのパンの香ばしい香りと煮込み料理の湯気が食欲を誘う。
「わぁ……」
さくらは思わず足を止めた。
運ばれていく料理を目で追い、隣の卓へ並んだ見慣れない料理へ視線を移す。
クローディスはそんな様子を横目に、軽く声を掛ける。
「行くよ」
「あっ」
我に返ったさくらは、慌てて二人の後へ続いた。
空いていた奥の卓へ案内される。三人が席へ着くと、店員が水を運んできた。
「ご注文はお決まりですか?」
「おすすめは?」
「牛肉と根菜の煮込みです。焼きたてのパンを添えております」
「それを三人分」
「かしこまりました」
店員が下がっていく。さくらは物珍しそうに店内を見回し、ガラティアは黙って卓に肘をついた。しばらく料理が運ばれてくるまでの間、店内のざわめきだけが三人を包んでいた。
やがて店員が料理を運んでくる気配に、クローディスは二人へ視線を向けた。
「やはり酒場で一番多かったのは、西の山の話だった。最近はゴブリンの目撃が増えているらしい」
ガラティアは黙って耳を傾ける。
「依頼中にゴブリンライダーへ遭遇した冒険者もいた。平原まで追われて、依頼を放棄して戻ってきたそうだ」
「ライダーか」
ガラティアが小さく呟く。
「ゴブリンライダー?」
さくらが首を傾げる。
「ゴブリンが魔物に乗って襲ってくる個体だ」
ガラティアは説明した。
クローディスは続ける。
「それと、ウォーリアを見たという話もあった」
ガラティアの表情が変わる。
「……ウォーリアまで出たのか」
「ウォーリア?」
「普通のゴブリンより一回り大きく、力も強い個体だ。数は多くない。だが、本当に出ていたなら厄介だな」
ちょうどその時、店員が料理を運んできた。
「お待たせしました」
三人の前へ湯気の立つ煮込みと焼きたてのパンが並ぶ。
ふわりと立ち上る香りに、さくらは思わず顔をほころばせた。
「わぁ……いい匂い」
「熱いうちにどうぞ」
店員が去ると、三人は手を合わせる。
「いただきます」
さくらはパンをちぎって煮込みへ浸し、一口頬張る。
「美味しい!」
思わず零れた笑顔に、ガラティアの表情も少しだけ和らいだ。
クローディスも煮込みを口へ運び、一息ついてから話を続ける。
「ライダーやウォーリアだけじゃない。ゴブリン同士の動きが妙に揃っていたという話も複数あった」
「連携していたのか……」
「ああ」
ガラティアは少し考え込む。
「それだけ重なるなら、普通じゃないな」
クローディスは相槌を打った。
「あと、酒場じゃゴブリンリーダーなんて話まで出ていた」
ガラティアは苦笑する。
「酒場らしい噂話だな」
「半分は冗談だろう」
クローディスも苦笑を返す。
「ただ、その話が出た時だけは、誰も笑わなかった」
ガラティアは少しだけ視線を落とした。
「……頭の片隅には置いておく」
さくらはパンをもう一口ちぎり、二人の顔を見比べた。
「……私も頑張らなきゃ」
少しだけ表情を引き締める。
「明日は足を引っ張らないように頑張る」
「ああ」
クローディスが応じる。
ガラティアがさくらへ視線を向けた。
「無理はするな」
「明日に備えろ」
さくらは力強く頷いた。




