取り戻した日常
クローディスが食堂へ降りると、朝の柔らかな陽射しが窓から差し込んでいた。
木のテーブルには既に二人の姿がある。
「あ、クロさん!」
春月さくらが手を振る。
「おはようございます!」
ガラティアも顔を上げた。
「おはよう」
クローディスは短く返し、二人の向かいへ腰を下ろした。
ほどなくして宿の主人が朝食を運んでくる。
焼きたてのパン。
湯気の立つ野菜スープ。
木皿には艶のある赤いジャムが添えられていた。
「昨日仕込んだ森苺ジャムだ」
「たっぷり塗って食べな」
「わぁ……!」
春月さくらは目を輝かせる。
パンへたっぷりとジャムを塗り、一口頬張った。
「ん~……!」
思わず笑みがこぼれる。
「おいしいです!」
「甘いのに、少しだけ酸っぱくて……」
宿の主人は嬉しそうに笑った。
「森苺はモゾト村の特産だからな」
「採れた実は村で食べるだけじゃなく、ラントタスへ卸したり、ジャムにも加工する」
「毎年この時期は、村中が森苺で忙しくなるんだ」
春月さくらはもう一口パンを頬張る。
「こんなにおいしいなら人気なのも分かります」
主人は照れくさそうに笑った。
「もっとも、ここしばらくは森へ入れなくてな」
「仕込みも思うようにできなかった」
食堂の窓から外を見る。
朝日を浴びながら、籠を背負った村人たちが森へ向かって歩いていた。
年配の夫婦。
若い女性。
薬草を摘みに行く老人。
その中を、小さな男の子が父親の後を小走りで追いかける。
「今日はいっぱい採れるかな!」
父親は立ち止まり、優しく笑った。
「ああ」
「冒険者さんたちが森を取り戻してくれたからな」
そう言って、男の子の頭をそっと撫でる。
「今日はいっぱい採れるぞ」
「やったー!」
嬉しそうに笑う親子は、そのまま森の方へ歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら、宿の主人は静かに呟く。
「今日からまた、いつもの朝だ」
「それだけで十分なんだよ」
春月さくらも窓の外へ目を向けた。
昨日、自分たちが命懸けで戦った森。
その森へ、人々は笑顔で歩いていく。
守られたのは命だけではない。
この村の日常も、一緒に守られたのだと、春月さくらは初めて実感した。
宿の主人が食器を片付けに厨房へ戻ると、食堂には穏やかな静けさが流れた。
春月さくらは窓の外を眺めながら、小さく微笑む。
「昨日まで危なくて入れなかった森なのに……」
「今日は、皆さん普通に歩いて行くんですね」
ガラティアが頷く。
「それが本来の日常だからな」
「冒険者は、その日常を取り戻す仕事でもある」
春月さくらは静かにその言葉を噛みしめた。
昨日は剣を振るう姿しか見えていなかった。
けれど、今日こうして村の朝を見ていると、その意味が少し分かる気がする。
「私、この世界のことをもっと知りたいです」
ガラティアは柔らかく笑った。
「何でも聞いてくれ」
「私に分かることなら答える」
春月さくらは嬉しそうに頷く。
「じゃあ……」
「昨日のお二人を見ていて思ったんですけど」
「魔法って、どういうものなんですか?」
ガラティアはクローディスへ視線を向けた。
「私は普段使う側だから説明はできる」
「でも、詳しく話すならクローディスの方が向いてる」
クローディスは静かに口を開いた。
「魔法には属性がある」
「火、水、風、土、光、闇。それに無属性だ」
春月さくらは指を折りながら数える。
「七つもあるんですね」
「適性は生まれ持ったもので決まる」
ガラティアが補足する。
「適性のない属性は使えない。勉強して覚えられるものじゃない」
「そうなんですね」
「私は光だけだ」
ガラティアは苦笑した。
「しかも初級まで。だから戦いは剣が中心になる」
春月さくらは隣のクローディスへ視線を向ける。
「クロさんは……?」
「風は中級。水と光は初級だ」
春月さくらは目を丸くする。
「三つも使えるんですか……!」
「珍しいのは確かだ」
クローディスが続ける。
「属性ごとに扱える等級も違う」
「初級、中級、上級、特級の四段階がある」
「だから同じ魔法でも、属性によってできることが変わる」
春月さくらはその言葉を噛みしめる。
「だから風の魔法と、水の魔法を使い分けていたんですね」
「ああ」
少し間が空く。
春月さくらはふと窓の外へ目を向けた。
村人たちの姿はもう遠くなっていた。
「ティアさん」
「うん?」
「昨日、魔法を使う前に何か唱えていましたよね」
「あれは何だったんですか?」
「詠唱だ」
ガラティアは答えた。
「魔法を発動させるための言葉だ」
「やっぱり必要なんですね」
「基本はな」
「魔法は詠唱して初めて発動する」
「でも上級まで扱えるようになると初級魔法、特級まで扱えるようになると中級魔法までは詠唱を省略できる」
「それを詠唱破棄って言うんだ」
春月さくらは少し驚いた。
「そんなこともできるんですか」
「できる」
クローディスが答える。
「ただ、そこまで扱える者は多くない」
ガラティアは肩をすくめる。
「私は光初級だから関係ないな」
「クロさんは?」
「風は中級だ。俺も使えない」
昨日、二人とも魔法を使う前に詠唱していた理由が分かった。
春月さくらは安心したように笑う。
「ちゃんと理由があったんですね」
少し間が空く。
春月さくらはふとクローディスへ視線を向けた。
「でも……」
「クロさんの剣は、魔法とは違って見えました」
「風や水が剣にまとわりついているみたいで」
クローディスは小さく頷く。
「精霊魔法だからだ」
「普通の魔法とは力の使い方が違う」
「どう違うんですか?」
「魔法は、自分の魔力を使う」
「精霊魔法は、その場所に存在する精霊力を引き出して使う」
「精霊力……」
春月さくらはその言葉をゆっくり繰り返した。
「じゃあ、精霊はどこにでもいるんですか?」
「ああ」
「世界中に存在している」
「ただ、人族には見えないことがほとんどだ」
厨房で皿を洗っていた宿の主人が笑いながら振り返る。
「そういや子どもの頃、『森で光るものを見た』なんて騒いでる奴はたまにいたな」
「大人は『精霊でも見たんだろ』なんて笑ってたが」
「本当だったのかもしれねぇ」
春月さくらは思わず微笑む。
「何だか素敵ですね」
クローディスは静かに続けた。
「エルフは人族より霊的な存在に近い」
「だから精霊力を感じ取り、引き出せる」
「それが精霊魔法だ」
「あの技も精霊魔法なんですか?」
「あれは精霊剣技だ」
「精霊魔法を剣技として放つ技術だ」
「属性ごとに使える技が違う」
「昨日使っていた風の技も、水の技も、その精霊剣技なんですね」
「ああ」
「相手が土だった」
「風より水の方が通りやすい」
「だから水の技も織り交ぜた」
春月さくらは静かに息を呑んだ。
昨日は、ただ強い人たちが戦っているように見えていた。
けれど今は違う。
相手を見て、状況を見て、その場で最善を選びながら戦っていた。
「冒険者って……」
春月さくらは小さく笑う。
「力だけじゃなくて、知識も経験も必要なんですね」
ガラティアも笑みを浮かべる。
「その通り」
「だから長く続けるほど強くなる奴も多い」
クローディスは静かに湯飲みを口へ運んだ。
その横顔を見ながら、春月さくらはこの世界がずっと奥深いのだと改めて感じた。
「ギルドには情報が集まる」
クローディスが静かに口を開いた。
「依頼書だけじゃない。討伐報告や地図、被害記録もある」
「旅をするなら登録して損はない」
「じゃあ、さくらも登録できる?」
春月さくらは期待したように身を乗り出す。
「身元不明だと難しいだろうな」
「がーん……」
春月さくらは分かりやすく肩を落とした。
ガラティアが苦笑する。
「旅を続ければ、いずれ機会もある」
その時、食堂の扉が開いた。
朝の冷たい空気とともに、一人の男が入ってくる。
小柄で細身。軽装の上に深緑の外套を羽織り、右腰には矢筒、手には短めの弓。
男は食堂の中を見回すと、店主に声をかけた。
「俺はジルボアってんだ。ギルドの依頼で来た。この辺で汚染された精霊の討伐依頼があったはずなんだが、詳しい場所を聞けるか?」
ガラティアが顔を上げる。
「その依頼なら、昨日こちらで片付けた」
ジルボアは振り向いた。
「……ああ? もう終わってんのか」
ガラティアは淡々と頷く。
「ギルドにはこれから報告する」
ジルボアはしばらくガラティアを見て、それからクローディス、春月さくらへと視線を動かした。
「なるほどねぇ。完全に出遅れたってわけだ」
軽く肩をすくめる。
「ま、仕方ねぇな。こっちも他の依頼を受けてる。空振り一つで泣くほど繊細じゃねぇ」
春月さくらが小さく呟く。
「軽い……」
ジルボアはそれを聞き逃さず、にやりと笑った。
「軽い方が長生きするんだよ。重い奴から沈む」
ガラティアは特に反応しなかった。
ジルボアは店主に軽く手を振る。
「じゃ、俺は別件に回るわ。次は被らないように祈っとくぜ」
そう言って、席にも着かず食堂を出ていった。
扉が閉まると、春月さくらが首を傾げる。
「今の人、なんだったんだろ」
「冒険者だろう」
ガラティアはそう言って立ち上がった。
「私はギルドに討伐完了の報告をしてくる」
クローディスも席を立つ。
「俺も補給をしておきたい。消耗品と食料が要る」
春月さくらはぱっと表情を明るくした。
「街に行くの?」
「ああ」
クローディスは頷く。
「ギルド支部のあるラントタスまで少し歩く。報告も補給も、そこで済ませる」
「やったー!」
三人は食事を済ませ、宿を出た。
村の朝は穏やかだった。
畑へ向かう人。
籠を背負って森へ向かう人。
家の前を元気よく駆け回る子どもたち。
昨日まで漂っていた重苦しい空気は薄れ、村には少しずついつもの日常が戻り始めていた。
道端で出会った老人が、ガラティアに気づいて穏やかに会釈する。
ガラティアも軽く手を上げて応えた。
春月さくらはきょろきょろと辺りを見回す。
「ここは街じゃなくて村なんだね」
「そうだ」
クローディスは短く答える。
ガラティアは腰の大剣の位置を確かめながら言った。
「村で買えるものは限られる。保存食や薬、武器の手入れ道具は街の方が揃ってる」
「なるほど……」
春月さくらは納得したように頷いた。
「ラントタスって、どんな街なんだろ」
クローディスは村の外へ続く道を見る。
朝日が道の先を照らしている。
その先にはラントタスがある。
ギルドがあり、依頼の報告先があり、新しい情報が集まる街。
汚染の原因。
昨日遭遇した汚染された精霊。
そして、繰り返し見る夢の中の異形。
それらがすぐに繋がるとは思っていない。
だが、何もしなければ何も分からない。
クローディスは小さく息を吐いた。
「行こう」
ガラティアが頷く。
春月さくらは少し遅れて、慌てて二人の後を追った。
三人は村を出て、ラントタスへ続く道を歩き始めた。




