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月からの使者 創世編  作者: 朝太郎
20/24

黄金の太陽

かつてない速度はとても気持ち悪かった。秒速後には変化する景色は映画のフィルムのようにコマ送り状態だった。

「あとどれくらいで着くの? 」

「後一時間もかからない」

ネリスからの返事が届く。セリュサはネリスの闇に包まれていた。翼や風を纏って飛行するのとは違い、気流の乱れを肌に感じるため、扱いはとても雑だ。苦しいというのが正直な感想だった。

「なにか変化はあった? 」

「特にないといいたいところだが、状況が変わった」

「どういう変化? 」

「生き残っている魔獣の集団がアイレスに向かっているらしい」

「わたしたちと同じ目的? 」

「わからない」

クロノスの困惑した表情に首を傾げながら、セリュサは質問をした。異常魔力に汚染された魔獣たちの肉体変異レベルはここにきてクロノスでも予測不可能の域に達しているからだ。

「なら、どうして同じ場所に向かっているの? 」

「魔力に惹かれているのだろう。人間を食しているといっても異形者が肉体を形成しているのは魔力による部分が多い。だから、より良質で高濃度な魔力供給源を探しているのかもしれない」

「ネリスさんたちは大丈夫なの? 」

セリュサの心配は彼女の体内に組み込まれている構築術式のことを示している。ネリスはその質問にどういう返事をすればいいのか、考える間があった。とても複雑そうな表情だ。

「わたしたちのエナジードレインは天空の使者が再調整したことによって大幅に強化された上で自己進化を遂げている。異常魔力による拒絶反応もなく、異形化することもない。アヴェロス様を汚すわけではないが、わたしたちは彼女の能力によって完全体となることができた」

「じゃあ、ネリスさんは自立的に行動できるようになったっていうこと? 」

「それに関してはどちらともいえない。こうして自由になっても、天空の使者への対抗手段ができていない以上、もう一度洗脳を受ければ絶対服従の身に戻ることになる」

「そんな……」

「太陽の使者は変な顔をするのね。あなたはわたしたちと違って、ただの人間なのにどうして心配するような顔をするの? 化け物に同情でもしているわけ? 」

「可哀想だと思ったのよ」

ネリスからの返事はない。さきほどと同じように返事を考えているつもりなのか、あるいは「可哀想」と言ったセリュサの心理を理解しようとしているのか、本心は知れないが、少なくとも気にしている様子はない。破壊から再生された大自然の海に浮かぶ古代の都。超古代の負の遺産が発見された最古の都と云われているが、こんな状況では考古学の授業ができる余裕などないし、付け焼刃を手に入れたところで即戦力になるとは思えない。

「アイレスに辿り着いたら、みんな各自の役割をこなせ」

「本当にそれでいいの? クロノス一人で大丈夫なの? 」

セリュサの声は、彼の立てた作戦に不満があった。しかし、クロノスは返事をすることはなく時間が過ぎる。

「見えたぞ、アイレスだ」

クロノスが告げると、ネリスのドレスの一部が開いた。濃厚な魔力を含んだ空気にセリュサは咽てしまった。視認できるほど魔力の溶け込んだ空はオーロラの輝きを放っていた。これが地上から噴き上がってできているといわれても信じられない。

ネリスは空を体内に吸収しながら飛行していた。セリュサは周りの変化に驚きを隠せない。一時的とはいえ、敵である自分を守護してくれているのだろう。戦い前の前準備かもしれないが、そうは思えなかった。強風と巻き上げられる木の葉が顔に張り付く中、巨大な建物が見えた。近代文化にはない石造り構成は長い歴史を感じさせる。

古代の都アイレスは神聖な地とされていた。だが、その神聖さはいまの都には感じられない。上空から歴史的建造物を眺めるというのは初めてのことだが、特に関心はない。そこで、セリュサはふと気付いたように指をさした。

「あれは……太陽と月? 」

ネリスは見やすいように、闇を開いた。オーロラをくりぬいたような円形の物体が二つ。高速で降下しているので、目の錯覚でまるで寄り添うように動いているように見える。変な気分だった。本来は同じ空に存在しない、この星の外側に浮かぶ二つの天体がセリュサの目に飛び込んだ。

それを見てふと、考えてしまう。

太陽の使者と月の使者。

この二人もあの空に浮かぶ二つのように共存しなかった。

しかし、運命の悪戯か二人は出会った。

彼はどこにでもいる魔術師のような正義感を持ち合わせていない変わり者。

彼女はどこにでもいる魔術師の模範となるような正義感を持ち合わせている者。

そう考えてみると、セリュサはここまで付いてこられた自分が恐くなる。それと同時に複雑な心境に駆り立てられる。これから始まる戦いに、立ち向かわなければいけない彼の立場と、逃げ出したい気持ちを考えると居た堪れない。戦いの前に不安な気持ちに脅かされることは珍しくないが、ここまで自分の感情に揺さぶりかけてくる圧力は初めてだった。戦うことで未来は大きく変化することになる。

逃げても未来は大きく変化することになる。

重過ぎる現実を直視するのはとても堪え難い。

「天空の使者は東の神殿にいる。我々が暴れている間にとにかく進め。異常魔力で魔獣は強化されていると思うが、クロノスなら問題ないと思う」

「面倒ごとには変わりないだろ」

なんとか軽口を返し、クロノスは静かに目蓋を開いた。魔力の海に飛び込んだ瞬間、鈍痛がこめかみを刺した。

クロノスは首を振って、誰にも知られないように小刻みに震える左腕を右腕で押さえ込んだ。

戦いになれば迷っている間に殺されることになる。自分自身を偽るのは得意だが、今回は騙しきれない。クリスタル王国で野垂れ死になったことで、生き延びながら得たこの運命をどこかで怨んでいる。こうしていまだに未来を選択できない自分を嫌になる。マリアを失ったいま、残された道は和解のない命を賭けた戦いのみ。誰も死なずに済む方法があればどんなにいいだろう。だが、そんなこと口走ったら逆鱗に触れると思う。こんな態度は二人が忌み嫌っているもののはずだ。

なにより、二人を前にして、なにもできない自分を少しでも想像できてしまう以上、この戦争に勝つことはできず、無駄に命を散らすことになるに違いない。どうすればいい。自分はすでにクロノアに封じ込められていた力を取り戻すということに関しては済んでいる。この気持ちが邪魔をしなければ十分に戦うことも、勝つことだって不可能ではない。

ただ、クロノスはそこまで熱心に、気持ちを高められずにいる。それが自分の素直な気持ちだ。

「見つかったみたい」

ネリスの告げた言葉が、クロノスを現実に呼び戻した。

「俺は東の神殿に向かう。ディアソルテはネリスと共に降下して魔獣を殲滅しろ。セリュサは西の神殿に向かえ。なにがあっても自分を信じて戦え」

「わかった」

トンファーを握り締め、クロノスは魔力に火を点けた。高まる鼓動に、体内から爆発するように肉体活性していくのがわかる。同時に、獣の咆哮が天に昇る。即座にネリスが前に出て無力化すると、残りをディアソルテが弾き飛ばす。こちらを見上げる獣たちに、クロノスは叫んだ。

「いくぞ」

牽制目的で前方をトンファーで殴る。すると、月の魔力の影響を受け圧縮された空気が弾丸となって地上で炸裂した。足場を失った獣たちの絶叫を無視し、そして魔力に反応して成長する植物にクロノスは顔をしかめた。叩きつけるように伸ばしてくる触手には粘液や棘が付いている。それを最小限の動きで回避して、地上を目指した。

クロノスの意思で自由に変形する風に乗るのに瞬時に苦労はしなかった。激しい気流に体が激しく揺れる。だが、その衝撃を受けても触手に捕まることはなく、致命傷を受けるようなこともない。揮発性の高い毒素は吸引することで肉体活性に影響がないように内から、波動で打ち消す。普通の状態だったら着地までの間に死んでいる状況だった。

クロノスとセリュサは地表までの距離と加速度を大まかに計算して着地地点を決めた。

蠢き合いつつも牙を唸らせる獣の群れに突入する。運が悪ければ口の中にダイブして消化されることになるだろう。頭上を移動しているセリュサの衣服を掴み、空いた手に魔力を集める。大気を凝縮して、足下で一気に解き放つ。切り分けられる獣の肉槐をクッションにして着地すると流れるように走り出す。異臭よりも肉に襲いかかる植物から逃れるために、津波のように押し寄せる勢いから二人は疾走する。

後方で咀嚼するような音がしたのと同時に、三方向から魔力反応。

「さっそく、お出ましか」

クロノスの足下が、急激な温度変化でオレンジ色になるといきなり爆発した。

タイミングを見計らったように暴風が熔岩を巻き上げ大質量の火炎弾を降らす。さらに、虚空から無数の造形生物たちが特攻してきた。小手調べというところか、似たような気配が多すぎて特定することができなかった。困惑するセリュサを背にクロノスは跳ぶ。トンファーから形態変化させ、回転しながら腕を振り回しているうちに跡形もなく全てが切り裂かれていた。追撃はすぐにやってくる。そこでクロノスは死線を手の中に回収すると、前方の虚空を握って斜めに引いた。その結果、カーテンを引いたように無数の攻撃が手の動きを追従する形で逸れていった。

死角から飛び出してくる魔獣に対してもクロノスは、手前の空間を捻って引くと、得体の知れないなにかに操られるように魔獣が地面に突っ伏した。

背後からセリュサの気配が消えた。

クロノスが作った状況を読んで目的地に向かったのだ。だが、セリュサの走り出した方向にクロノスは追いかけようとした。しかし、すぐに足を止めた。ここは敵の懐で、全ての元凶が集っている。それを知っていて彼女が向かったのならクロノスは止めることはできない。

彼女に手がいかないことを確認すると走り出す。暴君と化したクロノスの疾走に、彼に近づくあらゆる生物が動きを止める。常識では考えられないほどの魔縛りが空間全体に広がっている。再生を始めようとする植物さえも、凍りついたようにあまりにも静かに眠りに付く。

殺してはいない。

だが、行動は封殺させてもらった。

しかし、彼の魔縛りが通用しない敵もいる。

「無茶はやめろよ。体に毒だぜ」

走りながらクロノスは見えない相手に告げた。

強化された術式の力をフルパワーで発揮できる剣姫たちに遠慮はないようだ。地下と、背後と、左右から、高密度の魔術が休む暇なく、クロノスを呑み込もうと迫ってくる。

クロノスは走り続ける。

魔術によって相殺することも可能だが、いかせん、相手が魔力をほぼ無限に吸収できる状態では効果が望めない。魔術を行使するなら剣姫本体が現れてからのほうが勝気はある。それにここはクロノスたちからすれば地の利が悪い。

まあ、この世界全土がクロノアの支配下にある以上、どこであろうと変わらないのだが、アイレスを中心に彼女の魔力が集まっていることで天然の結界が自然とクロノスの力を抑制しようとしている。周辺への影響力という点ではクロノスに分がある。

しかし、行動するよりも早く彼女の影響力が汚染拡大を開始してしまったために手が出せないでいた。

できることといえば、自分の周囲をわずかに歪めることだけだ。

彼女の力に呑み込まれるのは時間の問題だ。クロノスは死線を飛ばし、塔のような建物に絡めると次々に裂いた。魔術的、呪術的、儀式的といったように、これらの建物は存在しているだけに意味が込められていることが多いのを思い出した。

こんなことが大きな変化に繋がるとは思っていないが、狭い戦場を広くするためにも余計なものは綺麗に掃除しておきたかった。

使者と神、模造品以外にも敵は次々とやってくるのだから。

地響きとともに地面を割って出てくる巨獣しかり、空を覆う怪鳥の群れ。

生物としての原形などすでに見えないほどに汚染された体躯は化け物とも、怪物とも、呼称するのを忌避するほどかけ離れていた。そして、戦闘の余波を受けてより凶悪に変色した土地全てが天に向かって触手を伸ばしていた。

異形化の果て。

生物学上は哺乳類に近かった彼らは完全に昆虫と一体化したような体躯になっている。手や足は本来の部位から生えずに、無作為に子供が乱暴に突き刺したように見える。大多数の生命を取り込んだことによって網目状の体表には筋肉の収縮に連動するように喰われた生物たちの顔が動いていた。

次第に数を増していく一方、森が騒ぎ出す。

自分たちの領域に侵入した不純物を取り除くために、与えられた命令を実行しようとしているのだろう。細い触手を絡め合わせ、より太く、強靭に仕上げると魔力を秘めるクロノスと獣たちを前に動きを止める。規則性のない、乱れた動きが視界を覆い尽くす。

クロノスはこれを跳躍し、同時に引き上げた数頭の巨獣を投げた。触手が向きを変え、尖らせた先端でクロノスごと串刺しにしようとする。手前を引き下げ、反動で跳び、怪鳥の背に移る。追いかけてくる触手を見つめると、衝撃波を放ち足場を落とした。

もがき苦しむ、獣を余所に移動を繰り返していると、そこに炎の川が流れ込む。川は瞬く間に増水し、辺り一面を海に沈めた。沈没させた獣たちの残存魔力を吸い尽くし、生物としての完全な停止を促す。紅蓮が一つ。風と雷と水が沈静の意味を込めて降り注いでも淀んだ空気まで静まることはなかった。魔獣と再生術式の同士討ち。作戦の一つとして考えていたことだが、こうも上手くいくとは考えていなかった。後は勝手に殺し合ってくれればいい。

ネリスとディアソルテの方はどうなっているのだろうか。

アイレスの広さから考えるとこれでもほんの一握りに過ぎないのはわかっている。奇怪な変化を繰り返し続けたことで、単調な攻撃が複雑なものに変わっていたことに不安がある。魔獣を魔窟に放り込みながらクロノスは考えた。そうしている間にも荒れ狂いながら、クロノスを取り込もうと三色の魔力が迫ってくる。

逃げ道を確保しながら、全てを捌くのは面倒以外のなにものでもない。死してなお、厄介な遺物を残してくれた魔術師に心の中で悪態を吐いた。姿を見せない剣姫に苛立ちを募っていると、強烈な閃光の後に三つの影が見えた。どういう心境の変化か、今度は存在を隠すつもりがないらしい。

北の神殿の外壁だ。

そこに燃え上がるように魔力を解き放つ影がいる。三色の光は、巨大な神殿を震え上がらせるほどの能力があると読み取れる。かなり体内を弄られているのがクロノスの目を奪って話さない。自己進化。ネリスの言っていたことを考えていると、暴力的な瞳がクロノスを捉える。ネリスのようにワンピースドレスに翼を生やした姿からは神聖な気を一切感じない。

「久しぶりだな、カリン・ハイドラ・イフリート」

素っ気無くクロノスはそう言った。カリンは紅蓮の翼を動かして宙を統べるように移動し、クロノスの前に降り立った。背後にいる二人も同じように翼を動かして現れる。対面して彼女たちに施したクロノアの実力に驚愕する。どこまでの抜け目のない行動力はある意味尊敬に値する。

「あなたを処分します」

「俺を捕まえるんじゃなかったのか? 」

淡々としたカリンの言葉に、クロノスは自嘲した。クロノアのことを考えたが、背後にいるエイジアスが別命を与えているのが目を見てわかった。

「その命令はすでに破棄されました。いまは処分命令を受けています」

「お前程度にそれができるかな」

処分を主張するところ、クロノアの指示ではない。それよりも、エイジアスとクロノアが別々の意思で動いていることのほうが気になった。

「お前がどんなに強くなろうとも俺には勝てない」

「傲慢ですね。戦いに絶対はありません」

迷いのない即答に、クロノスは言葉を切った。

「わたしたちは本物ではありませんが、偽者なりに彼女の手で完成された存在としてあなたを殺すだけの能力はあります」

「その能力をどうして正しい方向に使うことができない、月魔術――月と雷の破壊槍(グラニエル)

クロノスは無心に槍を放つ。カリンたちが、手を前に突き出すと流れるように手の中に吸い込まれ始めた。そのまま素早い移動でクロノスに掴みかかろうと、腕を伸ばす。掴み損ねたことを自覚すると、紅蓮と、氷雪と、電光を空間一体に拡散させる。

「この世界において正しいとはなんなのでしょうか? 守るべき人類はすでに消滅しました。わたしが、わたしたちでいるべき理由は失われました。それなのに正しさを求めることに意味はありません。それなら、わたしはわたしなりの手段を用いて平和への貢献を実行します」

「そういうことか」

不可視の障壁に衝突すると、カリンたちは凝縮した魔力の武器を具現化してクロノスに追いすがり、刃を突き出し、斬りかかる。その度に軌跡を描くように次元断裂による大震動が襲いかかる。それらを制して、クロノスは言った。

「それなら、俺も俺のために戦うだけだ」

クロノアが改造したことでカリンたちにも感情が芽生え始めているように思える。だが、ここまではっきりとした意思表示をしてくるとは思わなかった。アヴェロスにはできなかった彼女たちの完成形がいる。

洗脳が解けていたなら彼女たちは一人の人間と相違ないだろう。

それでも世界から見れば、その存在を許すことはできないことだが。クロノスはカリンたちの攻撃を避け、しかし防御に徹し、逃げることに費やした。状況が安定するまで彼が能力を行使すれば視線を集めるのは想像がつく。

ここではまだ不利な状況に立たされている。獣と植物の喰い合いは、カリンたちの余波を受け取ってより激しさを増しているが、互角の戦いを演じているだけで力の均衡は不安定だ。時が来るまで能力を使用できないまま、クロノスは逃げることしかできない。

「平和を目指す者として、協力する気持ちはないのか? 」

戯言を呟いてみた。

「ありえません。悪を根絶することが、剣姫に課せられた使命です」

「悪に従っているのによくいうぜ」

気分のいい返事が、結界の一部を切り裂いていった。

「彼女の思想に我々は賛成しています。対象外です」

「それなら手加減なしだ。月魔術――月と光の領域(サンクチュアリ)

時が来た。

黄金の草原が森を侵蝕する。過重な重力が彼女たちの動きを一瞬、鈍らせる。しかし、すぐに吸収して素早さを取り戻した。接触する刃が貫通するのを防ぐために手で受けと止めた。

一瞬だけの虚脱感は全身から意識を奪うが、それだけだ。

空になった器にはすぐに魔力が補充される。

砂漠に水を与えるように身体組織に魔力が染み渡ると無意識に体が動いた。

身体能力の一時的な向上か、それとも肉体の反射速度が異常なレベルにまで強化されているのか。カリンたちも眉を顰めていた。見えない位置からでも余裕でクロノスは対応する。手数を増やして六本の魔剣となってもクロノスの動きに変化はない。それでも、剣が触れる度に魔力を吸い取った剣は巨大に膨れ上がる。

カリンたちの猛攻に、クロノスは跳んだ。

翼をはためかせながら三人も後を追う。

いまの彼女に人間的な様子は何一つない。クロノスを殺すことだけに集中し、吸収したエネルギーを効率よく変換する。地の利があるにしても飛行能力まで想定した術式にしてなかっただけに、距離は縮まり、フィエナとミランの起こした嵐の中に叩き落されようとしていた。不意の殺気。頭上から振り下ろされる拳骨を背に受け、クロノスは嵐に呑まれた。電光と豪水と暴風の鳥籠は動きを束縛するだけでなく、エナジードレインそのものの特性を有している。断続的に力が奪われ、思うように力が出せない。溶け込むように高速移動するカリンたちの果断な攻めに切り刻まれながら、全身を死線で包み込んだ。プツン、と音を鳴らして切られるのをクロノスは黙って聞くしかなかった。見えない幻が叫ぶ。弄られていることをよしとしない影に諭されるようにして、クロノスは連携技に対して膨大な魔力を叩きつけた。

解放された直後にも関わらず、体勢を立て直して三人はすぐ近くに来ている。

クロノスは持ち前の回復力ですでに全快していた。

寄せ付けないように威力を抑えたつもりの衝撃波が無数の刃に勝手に変化して広域を破壊する。

均衡の取れない力に戸惑いを感じつつクロノスは移動する。クロノスの波動は魔獣の胴体を押し潰し、植物を再生不能まで追い込み、血肉の柱を上げる。結晶化する亡骸が地面に透過していくのを加速させるように別の波動が満ちる。吹き飛ばされてもクロノスを追ってくる。

だが、すでに彼の中で結果は見えていた。

いや、より鮮明になった。

肉体の変調がそれを裏付けるように続いているのがそう思わせる。制御できない力に警告音が全身に発信されるのも感じていた。手一本で制することができるようになった。その事実がカリンたちからの圧力を消し去る。

炎撃が空を走る。天空から、蓄積していた魔力の全てを放出して変化させた水神の槍雨が雷を纏って降る。感知して、クロノスは手を掲げた。

魔獣たちの絶叫に雷撃が地表を走る。砂煙が視界を覆った。それでも反応が消えないことに攻撃は止まらない。しかし、細く伸びた魔力の糸が蜘蛛の巣のように空に伸びると触れた部分を境界に魔術が消滅していく。直後、視界から消えていたクロノスが空に上がる。なにが起きているのかわからない。

ただ自分が別の存在に内側から変わろうとしていることだけはわかっていた。

嫌だ。

そんな力は望んでいない。そんな力を手にするためにここに来たわけではない。そんな力なんて知りたくない。意識の全て魔力制御に集中させる。だが、止まらない。心臓を中心に湯水のように湧き上がる膨大な魔力の陰に隠れて、知覚したことのないものが広がっていく。

髪が銀色から金色に、瞳が緋色から青色に変化する。

送り出される未知のエネルギーが肉体に自由を与える。

苦痛もなく、乱れもない完全な姿である。

目に見えるだける部分だけでも青白い炎のような魔力が生まれている。

細胞が沸騰していた。

クロノス・ルナリアを構成していた体細胞の全てが別のものに変化しようとしている。

体から力が溢れる。自分の肉体が、いままでとは違う因子が循環しているのがはっきりと感じられた。

それが彼に絶対的な力を与えている。覚醒することによって、景色が違って見える。頭の中が妙にすっきりしているせいか、この冗談のような世界が小さく思える。視界の端で火花が散っているのを無視してクロノスは一人思考の波に呑み込まれた。

このまま行けばどうなるのか。おそらくは、クロノスの望まない現実になるだろう。覚醒する代償はなにもない。

強いていうなら心の問題だ。それ以外になにもない。覚醒が環境や成長に依存せず、時期的なものだとしたら甘んじて受け入れられたかもしれない。

だが、これはそんな類のものではない。

そして、覚醒したことによって完全に人間ではなくなった事実は大きな傷をつけることになる。覚醒による細胞の進化は続いている。

消失していた結界能力が、強化され弾き返すようになっていた。細胞が一つ変化する度に、そこに入れ替わるように新たな変異細胞が体を組み換える。

自分の中の変化が着々と完成に近づいていっているようだった。

人間でも、化け物でもない全く新しい次元に行着こうとしているようだった。この世界の輪から完全に外れようとしているかのようだった。

ついに来たかと、冷静に受け止めることしかできなかった。そして、悲しかった。姉と戦った時、それが時を経て異次元空間から戻ってきた時、エイジアスの存在を知った時、クロノスの中で崩壊は始まっていた。

人間であり続けようと心に決めた時に、姉と再会することを拒んでいたかった。

理屈ではなく事実として、己が化け物とわかっていても平穏の中で生きることを望んでいたかった。クロノスの手の中に集まりつつある運命の欠片が形を作っていくというのは、とても奇妙な感じがした。

全ての始まりが原初の理から創造された。それが星の生命力を消費されていたことは誰も知らない。だが、自然界の物のほとんどが生命力を使い果たせば、星の元に還ってくるように、世界は絶えず生きている。

原初の理が真正の神であるのなら、生命の源として彼もまた自らの宿命に生きている。

だが、そうでなければ……

考えもつかない。

攻撃は今も続いている。

カリンたちから、樹海に潜む触手から。しかし、刻々と進化を続けるクロノスの前には無に等しい。大量の魔力を消費したことで景色が歪みだす。再生による変化の影響か、そこら中の森一帯が切り分けられて孤立しているように見えた。それは彼女たちの力が半ば暴走しているように思えた。

過剰供給、その言葉が頭をよぎった。吸収しすぎて、逆に毒と化したのかもしれない。クロノスは、もはや自分の全力を出さないという考えを消していた。そうしなくても全身の細胞の強制変異が止まらない以上、選択の余地は残されていなかった。それに、遥か上空に感じる嫌な気配。心臓を鷲掴みされたような気分だ。

青い瞳が空を見つめる。ガラス細工のような繊細で美しい瞳だ。感じる。肉体の変化に伴って見えないなにかを掴みとれる。それが、アルルたちの語るクロノスの本質なのか、自分の中の深奥に潜んでいるもう一つの能力が開花しようとしているのか。

それとも急激な肉体の変調によって起こった、全く異なる細胞組織の自己進化の可能性もある。

クロノスに自覚はなくともなにかの変化が起こっている気がしてならない。だから、感じる。封を解かれた肉体から溢れるアルビノの因子が魔力と結合しているのを。意識的に封じ込めていた因子が暴走することなくクロノスの体に馴染んでいく。

完全に細胞が入れ替わったことによって、完璧にクロノスの肉体に適合した肉体に不満は感じない。皮肉なことに十全に機能することができる肉体が構築されていた。力というものが理解できる、そういう感覚だった。

この現実世界を戦い抜く力とでもいえばいいか。エネルギーは血とともに全身に伝播している。指の先から足の先、全身が黄金の光に包まれていた。

生み出される膨大なエネルギーが肉体強化でとどまらず、外部からの衝撃から守るように溢れ出していた。クロノスは目の前で必死になっているカリンに痛みを感じた。

カリンたちからのダメージによるものではなく、感覚として彼女たちから得られるものがそれだった。加減するわけでもなく、能力が減退しているわけでもない。過去に流れた現実が、この瞬間には死んでいた。

クロノスを守る、この黄金の光が完全に防いでいた。魔術の法則として術式の優劣を考慮してもクロノスには説明することができない未知の現象だ。

アルビノの因子が大きな要因を占めているといっても、魔力でもないこの新しいエネルギーを一概にアルビノの類に収めていいのか? 因子は心に反応する。だとしたら、別の法則としてそれもあるのかもしれない。しかし、断定はできない。どんな攻撃をも無効化する光の領域に心から念じてみると反映された。

巨人の拳に変化したそれが三人をまとめて殴り飛ばす。地面を破砕しながら転がる三者の命を奪うには十分なほどの力を込めたつもりだ。

カリンを見る。

もう、彼女の顔がクロノアと重なることはなかった。彼女たちを個と認めていたからだ。力なく振るえる細腕が崩れるその様子に、貼り付けられる感情を眺める。それが絶望なのか、驚愕なのか、怒りなのか、迷いなのかはクロノスにはわからない。

意図的に自分を閉じ込めているように窺える。

彼女たちに同情するつもりは皆無だが、むき出しの殺意が生きている限り言葉には出さない。

諦めない闘争本能は人間のそれによく似ている。

いや、この場合は親に似るという表現のほうが正しいのかもしれない。

すでに亡き生みの親も挫折を繰り返しても信念を貫く大馬鹿者だった。

よろめき立ち上がる頃にはまた地面に足をすくわれて倒れていた。

だが、クロノスには彼女の意思が声にして聞こえてくる。


処分する。処分する。処分する。処分する。処分する。

処分する。処分する。処分する。処分する。処分する。

処分する。処分する。処分する。処分する。処分する。

処分する。処分する。処分する。処分する。処分する。

処分する。処分する。処分する。処分する。処分する。

処分する。処分する。処分する。処分する――――そして、平和。


「もういい……」

カリン・ハイドラ・イフリート……人間として生まれていたら彼女はどんな人生を送っていただろうか。

「ここまで自分を捧げられることができる人間がいたなら……」

と呟いたところで、クロノスは手を突き出す。月魔術――月と太陽の息吹(シャイニング)。建物の一部も巻き込んでアイレスの半分をぶち壊した。

間一髪で避けたカリンが迫ってくる。しかし、クロノスはもう彼女に容赦をするわけにはいかなかった。放たれる炎撃は黄金の光が防いでくれる。もう、この流れは誰にも止められない。

彼女から放たれる炎の嵐は周囲を、その膨大な熱量によって溶かし始めていた。煮えたぎるマグマの海を走り抜けるカリンは手に炎槍を握り、自身を紅蓮の槍として突撃する。だが、クロノスはそれを無慈悲にも強く殴り飛ばした。

ゆっくりと空中で回転するカリンの体はマグマの海に落ちた。意識が途切れたことで、魔力供給も絶たれ、地面は焼け焦げた肌をさらしていた。

他の二人も同じようだ。

行こう。

植物の波は、こちらまで広がっていない。再生の餌食になる前に移動することにした。

焦げた土くれを手の中で感触を確かめては強く握り締めた。

上空に集まる異質な魔力の位置を割り出して、クロノスは跳ぶ。

そして、クロノスは突如として出現した裂け目に呑み込まれた。





その時、セリュサは一人、東の神殿にいた。

太陽の神殿。

世界重要文化財に指定された太古の遺跡の廊下をセリュサは進んでいる。

廊下はかび臭く、触れれば崩れてしまいそうなほど脆いように見える。

慎重に歩かなければ天井が落ちてきそうだ。

それでもセリュサはふてぶてしい態度で廊下を進み、仕掛けられている罠を避け、大広間に辿り着いた。

セリュサの歩みを妨げる存在は現れなかった。

剣姫たちや魔獣はクロノス、ディアソルテ、ネリスによって対応できずにいた。騒々しい戦いの音が神殿を絶えず揺らしていた。それでもこの神殿が崩れないのは、クロノスたちが守ってくれているからだろう。

魔力反応のある扉に手を置くと轟音を響かせて開いた。部屋に入ると全ての罠が破壊されていた。この都には血脈によって神殿を守護する先住民がいると聞いたことがある。

しかし、この場所にきたときに生物の生体反応は感じられなかった。

全員、天空の使者と剣姫たちによって星に還されたのか、あるいは戦って虐殺されたか、とにかく誰一人生き残ってはいなかった。

死者の都と化した場所になにを求めるのか? 少なくともいいことではないことは確かだ。

セリュサの中で、幼い頃の記憶が呼び起こされていた。

絶対強者への恐怖。

力のない自分の目の前で大切な人が消えてしまうのを黙って見ていることへの絶望感。許さない、絶対に許さない。

そのことだけを念頭において後先考えずに、ずっと自分を責め立てた。世が犯罪者たちによる暗黒の時代に突入している中、殺戮という名の殺し合いが蔓延していた頃、セリュサは小さき復讐の炎を燃やし、同じ境遇の人を作らないために血で血を洗っていた。

まだギルドという組織に入団していなかった彼女は手当たり次第に犯罪者を殺していた。体に染みつく罪人の臭いが彼女に達成感を与えた。

気付かない内に、ギルドのブラックリストに載っていたのはまた別の話。それだけ彼女は荒んでいた。

そしてギルドマスターソニアに保護され、『夢導く光』に入団した後、彼女は世界を転々としながら壊れていた心を鍛え直し、強くなるために己を磨き上げた。

太陽の使者。

いまではセリュサ・ルーヴェン・ベルリカの代名詞として世界に知れ渡っている異名は当時、邪悪なものとして扱われていた。

伝承にある破滅をもたらす太陽は、破壊の化身としての性質を有していた。それ故に彼女がその名を授かる時、彼女は己の過去を振り返っていた。

光の世界から、闇の世界に落とされた地獄の時間が教えてくれた醜い心の闇を。

自分を恐れる周囲の視線は英雄の誕生を喜ぶものではない。誰も知らない彼女の裏歴史に刻まれた多くの問題は、醜悪と嫌悪を混ぜ合わせた不名誉なものだった。誰も知らない彼女の秘密。

だが、セリュサは別段、マイナスに考えることをしなかった。

我武者羅に戦い続けていた頃には見えなかった世界を彼女は見ていた。

恐怖による戦いが間違いだと知ることが出来た。

彼女の太陽は世界を照らす。悪を滅ぼし正義を守る。

人々に安らぎを与える守護者になっていた。戦場に生きる彼女の力が証明されたとき、一人の天才魔術師として世論の声は変わった。

それは、現実の人類に希望の光を与える者としての長年の努力が実を結んだ瞬間でもあった。

それから、彼女は過ちを犯すことなく光の世界の住人になれた。

この光は人々に希望を与える。その事実が彼女の存在意義だった。自分たちがいる限り、世界は安全だ。そのために多くの守護者たちが命を賭けて戦っている。

「あなたは強く生きなさい」

誰かがそう言った。

誰だったのか思い出せない。

セリュサはわからない。どこで知り合ったのかも記憶にはない。

女の人だったことだけは覚えているのだが、服装も名前もなにも知らなかったような気がする。顔の形は整っていて綺麗だったような気がする。背は自分よりも高かった気がする。

よく笑っていた気がする。

いや、あれは馬鹿にしていたのだろうか。

とにかく、彼女はそう言った。セリュサたちは星の見える丘の上にいた。ガラスを散りばめたような星空は綺麗だった。夜風に揺れる草原に寝そべったのは子供のとき以来だった。風の声と大地の声を聞くことが出来る、野生に生きる獣たちと会話が出来るという彼女をすごいと思っていた。その時のセリュサはなにも知らなかった。

彼女がどういう存在で、こうして自分の前にいるのか。

「どうしてあなたはそこまで強さを求めるの? 」

彼女がそう言った。純粋な疑問からくる声だった。セリュサが子供の頃の体験談を話すと、すでに彼女は納得したような顔をしていた。尋ねると、彼女も自分の責任で大切な人を苦しませているとのことだった。

その時の彼女はとても悲しい顔をしていた。

セリュサの愚痴と彼女の愚痴が言い終えたとき、思いついたように彼女は立ち上がった。掌から魔力を放出すると、それを体の中に戻す。

それを繰り返す。

体の中で起きている変化をセリュサは感じ取っていた。魔力が段階的に変化している。魔力が膨れ上がっている。セリュサがその変化に見とれていると、彼女は嬉しそうに両手を握り締めてきた。

温かいなにかと頭の中に構築術式が浮かび上がった。

「もしも、わたしとあなたが戦うことがあったら……」

彼女がそう呟いた。理解することのできない難解な数式に頭が痛くなった。

「お互い、勝っても負けても恨みっこなしよ」

旋風とともに去っていった。

だが、彼女が残していった術式だけはセリュサの頭の中から消えることはなかった。

何年か経ち、自分の実力では到底、扱うことなどできない超高等技術だと知るや、忘れることにした。彼女はどうしてこんなものを自分に託したのか、疑問はあった。

いま思えば、彼女がくれた力があったからこそセリュサは諦めることなく強くなることができたのだろう。心残りがあるとすれば彼女の期待に応えられなかったことだけだ。

力強く生きることを教えてくれたのは、他ならぬ彼女だったに違いない。

太陽の使者。

偉大なる魔術師の名に恥じぬように生きようと決めた、いつか彼女の耳にわたしのことが届くことを願って。ギルドの門を叩いた時に、魔導騎士に就任した時に、セリュサの気持ちは決まっていた。彼女の力は、世界のためにある。

そしてその末に、幸せな未来がある。セリュサは暗黒の通路を進み、開け放たれたままの扉をいくつも抜け、そこに辿り着いた。

彼女たちが行なっていることを、セリュサは少しも理解できない。少なくとも、たった一人の人間のために人類を犠牲にすることは許せない。

一つの事象は、それに繋がる新たな事象を引き起こす。自分たちの小さな行いが積み重なって作り上げられる未来の形と、それに連なる過程を見過ごせば問題として返ってくる。それが、今回の問題にもっとも近い解答だった。

虚偽に塗り固められた人間たちの本心が本物の気持ちとして出てくるようになっていた。だが、それを正そうとするにはとても長い時間がかかることは考えられた。

脈々と命で繋がっていた人生はとても強固だ。だから、簡単には壊せない。全てを超越する力だけは例外だ。人の領域を超えた力を、天命として与えられた能力を駆使すれば世界は小さな箱庭だ。

さらに、神々の領域に踏み込めば、もっと大きなことができる。神の化身としてこの世に解き放たれた神の仔は世界に大きな変革をもたらせる。

特異な能力という形で全員が、世界に対してなんらかのアプローチをかけていただろう。天空の使者と月の使者のように、使命として。

では、現行世界で繰り広げられているこの争いごとはどのような終わりを見せてくれるのか興味がある。天空の使者がなにかをしようとしているのと同じように。彼女の話を聞いていて常に思っていたことがある。

「どうしてあなたは彼を傷つけることをするの? 」

「あなたにそれを言われる筋合いはないわ」

セリュサの問いに、クロノアは怒りで返した。辿り着いた先は天井が円形状にくり貫かれている神殿の儀式場だった。室内のいたるところに見たこともない古代文字が掘り込まれている。クロノスが書いてくれたものと同じ模様もある。

「成功する保証もないことによく頑張れますね」

「あなたのように凡人な思考力で動いていないもの。どうでもいいことだけど、どうして成功と失敗の二択を考えちゃうのかしら? わたしにはそっちのほうが理解に苦しむわ。目下のところ、わたしが目指す世界は着々に広がりつつある、あなたたちが異常魔力と呼ぶわたしの魔力が大いなる意思となる。本当のところ、わたしにしても初めてのことだからどんな風に作用するか興味がないわけではないけど、時間がないから必要な段階をいくつか抜かしちゃっている分、精度が欠けるのは確かよね」

「理解できません」

「それでいいのよ。セリュサ・ルーヴェン・ベルリカさんは、純粋なただの人間だもの。本来ならこの舞台に立つことすらできないのに、誰の意思かしらね、少なくともわたしは招待した覚えがないから無愛想でも許してね」

「そうね、あなたはクロノスにしか興味がないからね」

「あら、よくわかったわね。あの子はいつまでも手がかかるから悪女に誑かされていないかとても心配なのよ」

「それで彼女を殺したんですか? 」

「あれは偶然よ」

クロノアは、不機嫌を隠すつもりもなく感情の全てを顔に浮かべた。

「これからなにをするつもりですか? 」

「それについては、わたしたちは魔術師がどうして生まれたのかについてから紐解く必要がある。本来、脅威から生き延びるために設計されたわたしたちの存在は、創造主の意思に反して人格が変異してずれていった。平和という幻想を抱き、狂ったように生きる邪な者になってしまった」

言葉の重みが直接心を刺激してくる。戦いはすでに始まっていた。クロノアの言葉を拒絶することはできなかった。

「それは少なくともあなたの中にある正義感からの言葉かしら? それともそれすらもあなたの思想の一部なの? 」

頬を撫でてくる幻を振り払う。

「創造主の意思というなら、それはたぶん、感情のない人形劇をやるだけの世界だったのよ。剣姫たちのように決められたレールを進むだけの人生を進むだけ。それなら、喜怒哀楽のない人々は逆らうことなく求めるように生きられたでしょうね」

「偽善な考え方ね」

「一つだけ教えて、エイジアスとあなたの関係について」

「空気を読めないなら本当に幼稚で可哀想。他人にどうこういわれる筋合いないけど、わたしとしてはあなた程度に教えるつもりは一切ないのよ。ディアソルテ辺りが入れ知恵したのだろうけど、エイジアスのことを知ったところで優越感に浸れるほどあなたの立ち位置は変わっていない。失敗するのよ。クロノスに力を与えられて強くなったとしても、そこから生み出される力がどういう風な結果になるのか、考えなくてもわかるでしょう。たかが人間が神に戦いを挑んで勝てる気でいるの? 」

「前言撤回ね。それこそ、あなたに返すべき言葉よ。勝てる、勝てない、を決めているようじゃ物語は進まないでしょ。わたしは進むことを決めたの。だから、力の限り進ませてもらう」

クロノアが怒りを深めた。とても恐かった。だが、恐くてもセリュサの体は逃げようとはしない。左腕に授けられた力の恩恵か、彼女は自分を信じることを止めない。目の前の現実を受け入れることを続ける。

懐かしい。場違いにもそんな思いを感じてしまった。忘れていた過去の出来事を思い出せるほど、この場所の空気は濃い。

「忠告を無視して進むのね。どうでもいいけど、あなたのような情熱女がいるからクロノスに悪影響を与えるのかもしれないわね」

「弟離れできない姉の心境なんて知ったことじゃないけど、いい加減に卒業したらどうなのよ。話を聞いていても異常だわ」

「わかったように指図されるのはとても不愉快だわ」クロノアが声を荒げた。黄金の魔力が柱となって空に伸びて、彼女に落ちた。体内で魔力が無数の変化を始める。

「あなたが構築している大規模術式の総称、生命調和だったかしら? 『既存の生命体を星の中核で循環させ、再起の命とする』とかクロノスが言っていたけど、あれはあなたの考え? 」

「なにが言いたいの」

「ことの始まりは五年前のクリスタル王国滅亡にあった。あの時のわたしは一三歳。戦場に出ることなく、ギルドの廊下で仲間の無事を祈ることを続けていた。どうでもいい話よね。その当時に聞いた話では、『天空の使者が世界崩壊を企んでいる』とそれだけだった。あなたのことを知らなかったからどうしてそんなことをしようと思ったのかわからなかったけど、クロノスから話を聞いてよくわかった。そう、今日というこの瞬間を迎えるまでわたしは白紙にどんどん情報を書き足していく作業を続けていた」

「それであなたは“なにに気がついたわけ”? 」

「違和感があったのはこの奇怪な現象。規模が大きすぎて難しく考えていたけど、少し見方を変えれば実際なにが起こっているのか、内容はとてもシンプルなのよね。いまこの世界で行なわれているのは一種の『治療』、人間でいうなら傷ができたから薬を塗って安静にしていましょうってところかしら。星が生まれてから数億年は経っているもの、人間が進化を繰り返している間に星は命を削ってわたしたちを活かしてくれていた。代償としての負荷は自己回復するよりも速い速度で消費されたのね。だから、失った分を補充していてもおかしくはない。でも、あなたの目的は世界の破壊にある。確かにあなたは力をもってして世界に混沌の破壊を巻き起こした。だけど、よく見れば人類は“誰も死んでいない”。死肉は異常魔力で大地に還り、星の命に変わっている。喰われても大地に還る。一見、派手な攻撃に見えても最終的な動きには法則性があった」

「だから、あなたはどうしたいの? 」

この時のクロノアは、セリュサに対してとても冷酷な眼差しを向けていたに違いない。

「神様には肉体が存在するのか、それとも精神体なのかってこと。伝承の一説に書かれている創世の神々が実在するって時点で変な気分だけど、わたしとしてはとても興味深いのよ」

「…………」

「エイジアスはどこにいるの? 」

彼女だから口にできる言葉だった。だが、クロノアは答えようとしない。無論、セリュサも返事がくるとは思ってもいない。そうすると、一つの問いが浮かび上がってくる。例としてはディアソルテのような顕在化を必要とする魔力体だった場合の仮説だ。

「あなたはいまどっちなの」

「凡人として甘く見ていたわ。少しだけ見直してあげる。ま、その質問に対しては“まだわたし”としか答えられない。どこにいるのか、答えることはできない」

「それだけで十分だわ」

「昔話をするとね。生まれたときから、いや、生まれる前からずっとわたしには付いてまわる存在は、時間を遡っても、自分の体験していない時代に到達しても、常に先回りして、干渉して、歴史的な事象の一環として捉えてくる。もしなにかを達成したとしても、本当にわたし自身が成し遂げたかどうかも怪しかった。最初からそうであったかのように過去、現在、未来は修正され、改善され、書き換えられる。彼が望むように世界は生まれ変わるようにできている。なんの変化もないところにだって彼が望めばそれは当たり前のように起こる」

「自由もない、不自由もない。そんな世界にいたらさぞ、息苦しかったでしょうね。凡人のわたしには到底理解できない悩み事だわ」

「まあ、おそらく無理でしょうね。無理だからこそ、あなたも希望の柱として選ばれたのかもしれない。わたしの前に立ちはだかることを許された存在として、エイジアスに選ばれた登場人物の一人。さすがに、役割分担については知らないけど、ここまで話せるならそれなりの運命が引かれているのかしら」

ふと、クロノアはセリュサの左腕に異質な魔力が宿っていることを感じとった。気付いてはいたが、彼女だったから見ていなかったが事情が変わった。

クロノスは魔力を吸収し、自身のエネルギーへ変換するものだといっていたが、実際はここアイレスで発見された超古代の負の遺産の一つだ。

用途としてはクロノアの用いた再生術式の還元の部分に相当する重要な役割を担っている。それを彼が彼女に施した経緯についてクロノアは一つの結論に至るまで片手間の時間を要してしまった。

変化している、言葉にしてはこうだった。

しかし、その事実は意外にも驚愕させられる。

クロノス・ルナリアを隣で見てきたから断言できる。彼女がクロノスのなにかを変えた、それによって未来になんらかの影響を与えることになる。エイジアスが望んでいる、そうなるべき未来に影響を与えるかもしれない。

左腕の力を与えたことによって彼女が計算していた流れが、少しずつ変わってきているような気がした。いまのクロノスはどういう気持ちで行動しているのか。彼自身がどういう決意を胸に宿しているのか、知らなくてもクロノアにはわかる。

待ち望んでいた流れがここにきてこようとしている。これを偶然だとは思えない。クロノアは少なくともそういう考えだ。

だが、まだ弱い。

彼はまだ自分の本当の気持ちというものを理解しきれていない可能性がある。こんな世界など、投げ出しても自分がやらなければならないこと、それを知らなければならない。だから、これからするのはほんの余興に過ぎない。

「月の使者が認めた魔術師だけが得ることができる『月の紋章』を受け取ったなら、わたしもあなたに力を授けてあげる」

「これは……」

「『太陽の紋章』。旧時代にわたしが使っていたお古だけど、”肉体が崩壊しない限り、あらゆる限界を超越することができる”。使いこなせるかどうかはあなた次第よ」

平然とクロノアはそんなことを言った。右腕に呪が浮き上がる。

月の紋章と呼ばれたものと対をなすように与えられた力。突如、セリュサの中で激流のように体外へ放出された。

閉じ込められていたことからの解放感。それとともに過去の記憶が鮮明に蘇ってきた。それでも相手の顔は思い出せない。

だが、その瞬間、セリュサの頭の中には忘れていた複雑な魔術構築式が思い出され、それは理解と吸収、肉体へのフィードバックは同時作業で行なわれ、それこそ驚異的な速度で、体内を組み換え、完全な状態にシフトした。それはあの時の言葉を予感させる意味を含んでいた。

だがこの時、セリュサの心はとても穏やかだった。

約束を果たそう。確証はなにもなかった。

とある夜に見知らぬ彼女に出会い、魔術師としての存在意義を見出すことに成功し、太陽の名を希望あるものにするために手渡された願いをもって戦い続けたのだ。

彼女の真意までわからなかったこの力が、こうして理解することができるのはどういうことだろうか。こうして受け入れている自分のことも不思議に思えてくる。

クロノア・ルナリア。

目の前にいる彼女は、記憶の中で笑顔を向けてくれる彼女とは正反対に位置するような印象を与えるが、セリュサの体内で起こる変化が現実を受け入れるように仕向けてくる。そんな世界に、セリュサは嫌悪感を抱いた。

どちらを選んでも彼女の機嫌がよくなることはない。『そういう風に作られているもの』と『そういう風に出来上がってしまっているもの』、あの時から求めたものはこういう形で胸の内に返ってきた。人間だから人生が全て最高の形で返ってくることはない。だが、これが最初から決められていたものだとしたら、納得できない。

彼女の意思が感じられないからだ。

セリュサを前にしても彼女が動じていないのは、そういうことなのだ。こうして向き合っているだけで彼女の中から心が失われているのが伝わってくる。その末に彼女がどうなるのか、セリュサは考えるのを拒んだ。それはだめだ。それでは何一つ解決しない。なんとしてもこの馬鹿げた運命論を提唱する存在に一泡吹かさなければこの気持ちが治まらない。

ここに辿り着いて、セリュサの思いは爆発することになる。

隣の壁を力一杯殴りつけると、比例する以上の亀裂が神殿ないに走った。

冷静になれ、精神と肉体が分離する中でそう呼びかけるのが精一杯だった。

もう、世界とかどうでもよくなっていた。いまの彼女には確実にこの力を使って対象に後悔を味あわせることしかなかった。

たった一人の人間も救えずに『太陽』を名乗るというのか?

「……そう、あなたの心が少しだけ分かった気がする」

「ふーん」

その言葉に、クロノアは素っ気無く応じた。魔力解放。魔術師同士の衝突が神殿の壁を取り払い見慣れた景色にする。

見違えるほどの青々とした天空に浮かぶ、二つの星がゆっくりと重なるように動いているように見える。黄金色の魔力が朝焼けに浮かぶ双月を作り出す。

「生き残ったら褒めてあげない」

「わたしは絶対に諦めない」

「素晴らしい心意気にあなたを四人目の使者として認めてあげる。この最後の世界を救えるのか、導きの光をその身に宿す太陽の使者。敬意を表して最初から全力で迎え撃ってあげる」

「望むところよ」

セリュサは一瞬だけ笑った。いまのクロノアが見ているのはセリュサだけだ。そして、認めてくれたことが、嬉しくないわけがない。わたしは負けない。もしも、わたしとあなたが戦うことがあったら……。

「さあ、見せなさい。太陽の使者としてあなたが目指す未来の光を!」

視界の全てを黄金が支配する。だが、セリュサはこの一瞬の間に最後の準備を終えた。

魔力超加速循環(アクセル)

限界を超越することによって、セリュサは体内の魔力を自由自在に引き出せるようになった。外部から吸収するものを含めれば、制限のない彼女の魔力総量は無限に近い。

魔力超融合循環(ドライブ)

限界を超越することによって、セリュサの肉体は無限に近い魔力の影響を浸透させることによって人間の領域を超えた肉体を手に入れることできた。

なにもかもが変化し、そして彼女は境地に辿り着く。

セリュサ・ルーヴェン・ベルリカは到達した。

世界を照らすことのできる姿に、存在に、形に。

双の手に凝縮された魔力が一気に膨張し、一つになる。

「太陽魔術――太陽と古の大爆発(ビッグバンインパクト)

黄金の太陽、それが太陽の使者の真の姿。


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