再会
魔物が犇いていた。
「遅かったか」
両手に死線を宿した状態で、クロノスはため息を吐いた。魔物の上だ。襲い掛かってきた連中を切り裂き、フィンが見慣れない光景に引いていた。
フィンはクロノスの背中に隠れていた。アギトを倒してから、濃密な魔力が目的地上空に集まりだしていくのを感じてから予測は立てていた。ここまでくると不殺主義を貫き通すのは難しい。
荒野が一望できる場所に着いたところで、この大群を見つけた。密集する魔物たちは互いに傷つけあい、牙を立てて肉の味を噛み締めている。咆哮が群れを揺らし、それを目印に別の魔物が牙を剥く。
「魔力汚染か」
「まさか、復活したというのですか? 」
背後からフィンが言葉に乗ってくる。
「いや、それにしては気配が小さい。異次元空間から干渉しているだけだろう。この魔力汚染も空間に溜まっていた魔力だけによるものだ」
「そんな……」
だとすれば、本人がでてきたらどうなるのだろうか?
「どちらにしろ、俺たちは前に進むしかない」
進むべき道を埋め尽くす魔物たちは、屍を踏み越えて、小さな魔王に牽制の雄叫びを上げる。闘争本能が刺激されている獣たちはクロノスの魔力にも怯えない。
「朝がきたら俺はただの人間に戻ることになる。限界が来る前に決着をつけるぞ」
「無理はしないでください」
言い交わしている間に魔物がこちらに向かっていた。どの魔物も既知の形態から異常魔力によって異形の姿に変わっていた。
複数の眼で威嚇する魔物から、全身から毒液を分泌して地形ごと吸収する魔物など、合成魔獣のような特殊能力を持つ者が目立つ。その姿に知性はないものの、魔物としての本能が戦うことを求めている。
「恐くないか? 」
「クロノスさんがいるから恐くないです」
待機を震わせる遠吠えの大波は、クロノスたちに率先して向けられている。
「セリュサの速度が上がったことも気がかりだが、その後方を追う五つの気配に反吐が出る」
クロノスの頭の中には、身に覚えのある魔力とすでにこの世から消えているはずの気配と同等のものが複数あることに憤りを覚えた。
「セリュサさんは大丈夫なのですか? 」
「攻撃の意思は感じられない。それに俺が知っている気配よりも魔力量が少なくなっている。それに馬鹿じゃなければ悪いようにはしないだろう」
「ですが、現地には天空の使者が潜んでいるんですよ。危険すぎます。空間そのものが自壊してしまったら、その影響で世界が滅びてしまいます」
「案外、行ったら恐くないかもしれないぞ」
「冗談に聞こえません」
「こんな時だからこそ言いたくなるものじゃないのか」
前を見る。もはや魔物たちは一種の暴徒と呼ぶべきだろう。魔物がこの状態なら魔力耐性のない一般人はより激しい異形の使徒と化していることになる。
「マリアの気配はかろうじてまだ生きているが、周囲で激しい魔力変化が起きている。少し急ぐがいいか? 」
増減を繰り返す奇妙な状況に緊張感のない会話が続けられる。前後から魔物たちが襲いかかろうとするも張り巡らせてある死線によってあらかた片付いた。
「あなたと一緒ならどこまでも」
フィンは誘われるままに抱きついた。零から音速。音速から超音速に達する頃には伴う衝撃波が魔物たちを吹き飛ばしていった。移り変わる景色の速さにフィンは唖然とした。しばらく走っていると視界に赤い光が見えた。五つの気配はこちらの気配に気付いて迂回する道を選んだようだ。
「そんな速度じゃ、辿り着くのに朝までかかっちまうぞ」
「クロノスって本当にひどいよね。簡単にわたしの努力を消してくれる」
「追い越してもよかったが、気になることがある」
「気が付いていると思うけど、アヴェロスと接触したわ」
セリュサに詳しく話を聞こうとしたその瞬間、地面が大きく盛り上がった。
鋭い爪が二人を貫こうと暴れ回る。咄嗟にクロノスが衝撃波で勢いを殺し、剣を握るセリュサが爪を切断しにかかったが、予想以上の硬度に弾かれた。巨体が穴蔵から姿を見せると、タイミングを合わせるようにクロノスが大剣を突き刺し、一気に魔力を注ぎ込む。
魔物が爆砕するよりも早くクロノスはセリュサを抱えて飛び出していた。衝撃が空洞を通じて三人を追うように地柱ができる。それを火種に獲物を見つけて闇の中に線を引く。死線が踊り、暴風が薙ぎ、血路を作る。魔物は恐れず立ち向かい、肉の塊に変えられ、その上をクロノスたちは走り続ける。
猛進する勢いが弱まることなく、後に続く残骸だけが無残な勇気を称えてくれる。魔物の大群はどこまでも続いた。
「それでアヴェロスの馬鹿はなにをしてくれたんだ? 」
ある程度進んだところで二人を下ろして、並んで進むことにした。
「カリン・ハイドラ・イフリート並びに『剣姫』と呼ばれる個体が他に三体を確認。わたしが見る限り、あの時とは能力は低下しているみたい。あと、クローンの弱点を克服したともアヴェロスはいっていた」
地中から出てくる魔物たちはある程度片付けた。だが、空から次々と魔物は現れ、背後からも行く手を阻もうと追ってくる。クロノスは死線を振り回し、体に絡みついた感触を得ると流れに沿って次々と切り裂いていく。
「おそらくそれは本当のことだろうな」
大量殺戮を行なっているクロノスの背後を二人は走っている。クロノスの声は衝撃音や絶叫の中でも二人の耳に届けられた。
「どういうこと? 」
「これは俺の予想だが抑えきれないクロノアの因子を多くの魔術師の因子で抑制した結果だ。たぶんその影響で魔力量や質を保つために人格を犠牲にした」
「ひどすぎる……」
効果的な手段でも彼はまた被害者を作った。あの状況が仕方なかったことでも口を聞いたことをいまさらながら後悔した。どうしてこうなるのかわからない。近づいてくる魔物たちを無差別に切り殺すことで彼は心を痛めているに違いない。
無限の火力は無限の亡骸を生み出し、虚無感が漂う。
「魔力濃度が増大している」
「見て、地面が」
クロノスはセリュサが示す方向に見える地面を見た。じわじわと黒い染みが大地を喰いつくさんばかりに、クリスタル王国から広がっている。その通りならば、クリスタル王国上空で異次元空間に通じる穴があき、異空間に充満していた魔力が漏れ出していてもおかしくない。
それが魔力汚染を加速させていることになるだろう。
「大地まで汚染され始めたというのか」
「土が死んでいく……」
異空間に満ちていた異常魔力に侵蝕されれば異形化は自然にも猛威を振るう。
「あれ? ……どうして身体が震えるの」
免疫のないセリュサの体が急に震え始めた。
「月魔術――月と炎の心臓。クロノアの魔力に呑まれるな。恐がるのは本人に出会ってからにしろ。ったく、フィンを見習えよ」
「ありがとうって素直に言いたかったのに、クロノスは一言多いです!」
珍しく気づかってくれる言葉に感動する手前、気分を害されたセリュサに魔物たちが吠えた。
「ええい、外野は黙れ!」
異常魔力を浴びて異形化した魔物たちにセリュサのたまりに溜まったストレスが爆発した。
変化によって個体差があるものの魔力耐性が従来よりも高まっている獣に対しセリュサは思いの丈をぶつけることにした。
「太陽と炎の爆発。
太陽と闇の破壊。太陽と光の熱線。
太陽と雷の悪夢。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。
太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。太陽と雷の悪夢。
太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と闇の破壊。
太陽と光の熱線。太陽と雷の悪夢。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。
太陽と光の熱線。太陽と雷の悪夢。太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と闇の破壊。
太陽と光の熱線。太陽と雷の悪夢。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。太陽と雷の悪夢。
太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と闇の破壊。太陽と光の熱線。太陽と雷の悪夢。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。
太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。太陽と雷の悪夢。太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と闇の破壊。太陽と光の熱線。
太陽と雷の悪夢。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と光の熱線。太陽と雷の悪夢。太陽と闇の破壊。太陽と炎の爆発。太陽と炎の爆発。太陽と雷の悪夢。――――」
「フィン、俺たちは先に行くぞ。こうなったら止められない」
「セリュサさんを放っておいていいのですか? 」
「巻き込まれる前に去るのが賢いやり方だ」
「わ、わかりました」
爆殺されることで漂う殺伐とした空気に、クロノスはフィンの手を握り爆風に乗った。
「一気に走るぞ」
「お手柔らかにお願いします」
クロノスは剣を握り、道を切り開くべく、腕を振る。だが、切り開くにしては魔物たちの存在が道のりを困難なものに変えてくれた。クロノスの走る進行方向を埋めるように魔物が行く手を塞ぐ。小型から大型、滅多に人前に表さない珍しい魔物もいる。その全てが殺意と敵意を織り交ぜた死線を向け、襲い掛かってくる。全力で対抗するクロノスの猛攻に、恐れることなく塞ごうとする。
切り裂かれても残った首だけで襲ってくる魔物もいれば、自分の体を引き千切って投げてくる魔物もいる。口を開き鋭く尖った歯を飛ばしてくる面倒な魔物もいれば、ただ突進してくる単純な魔物もいる。
「魔物の逆襲かよ」
「これも魔力汚染の影響ですか? 」
もはや、気が狂いそうなほどクロノスの体には血の臭いが染み付いている。ボルダラ大陸中の魔物が暴走しているとわかると、余計に精神に負荷がかかる。行く先々に魔物が溢れ、クロノスたちに恐れることなく襲い掛かってくる。まるで地獄絵図だ。
「細かいことまで俺にもわからん」
剣で切り込んでも近づくにつれて魔物の強度も変わってきている。いまは最高速度を維持したまま進んでいる。だが、いずれはそれができなくなる。さらに問題はそれだけではない。懐中時計を見る。時刻を知らせる動きに、クロノスは舌打ちする。
あと二、三時間しか残っていない。
国境付近から魔物の数が増大したことで少しずつ現れた無駄な動きが蓄積したのか、貴重な時間を削っていた。このまま武器から魔術に切り替えて進んだところで目的地に辿り着く頃には、魔力が切れて人間になってしまう。それではマリアを助けるどころか逆に足手まといだ。
「全てを射殺せ、創造魔術――魔獣殺しの命弓」
思考を巡らせるクロノスの横から道を開くように巨大な矢が魔物を串刺しにして貫いた。
物理法則を無視した矢は放たれた障害となる壁を次々と崩す。
「無茶をするな。上手く、制御できないんだろ」
「ダメだったらクロノスさんが助けてくれるって信じているよ」
「なら、そうさせてもらう」
必要な言葉は行動で示す。クロノスは横に手を伸ばし、フィンがそれを掴む。
抱き寄せたフィンを片腕に乗せると、細い腕がクロノスの首に絡みついた。屍の上を走り続けるなかで、頭上に掲げた手から閃光が空に消えた。
「全てを圧し潰せ、創造魔術――星空の石杖」
「俺も同じ技でいくとしよう。月魔術――月と風の塊、月魔術――月と風の輪」
空から雲が吹き飛ぶと、奥から赤い物体が地上に落下した。閃光と衝撃の強襲が魔物たちを消し飛ばした。クロノスの魔術はフィンの魔術に押し潰されてしまった。光が収まった後にはなにも残されていなかった。
「破壊力重視はいいが、フィン壊しすぎだ」
「クロノスさんの意地悪」
意地悪でこんなことを何度もされては困ると思いながら風を纏い始める。完全に止まった魔物たちの合間を翔ける。クロノスは跳んだ。フィンの魔術の副産物の巨石に跳び、その側面を蹴り、次の巨石を目指す。向かい風に首に絡まるフィンの腕に力が入る。クロノスの身を守る月の加護によって風圧の干渉は無効化されている。
魔物の波が追いつき宙を飛んだ。数ある巨体にフィンが魔術を放つ仕草をクロノスが止めた。夜の空が異様に明るかった。首を傾けるフィンは魔物たちの一部が赤く染まり、発火した。
「人前でイチャイチャするのは、やめてくれない? 」
不機嫌な声色に太陽の化身は皮肉な笑みを浮かべた。感情の爆発に魔力もまたセリュサに応えようと周囲を溶かすほどの熱量に変わる。吐き出される息に炎が混じっているのは気のせいではない。
「いつの間にかいなくなったと思ったら、二人の世界なんて作っちゃって邪魔だったかな? クロノス君、フィンさん」
青筋を立てるセリュサの視線は殺気すら感じる。ドロドロに溶解される魔物たちを踏みつけ近寄ってくる彼女にフィンは恐怖に顔を背けた。対するクロノスは成長幅の激しさに呆れていた。
「セリュサ、最近のお前は感情に流されすぎだ」
クロノスの言葉よりもセリュサは虚しい絶叫だけに口元を吊り上げる。いまの彼女には何人たりとも近寄ろうとは思わないだろう。
「それは的を射ている高評価ね。感動したわ」
あまりにも危険すぎる言葉はさらなる高みを体現する。
「太陽魔術――太陽の使者の憤怒」
全身を包み込む熱量を小さな球体状になるまで凝縮し、圧縮し、収束させた魔力体を撃つ。言葉に表すほどのできない破壊はクロノスの中で静かに封印された。だが、セリュサの一撃が辺り一帯の地形を大幅に変えたことで魔物たちが近寄ってこなくなったことには心の中で感謝した。熔岩の上を移動する破目になったが、目的の場所には辿り着けた。
「五年ぶりの帰郷といっていいのか、複雑な心境だ」
一歩手前の丘上でクロノスは足を止めた。遥か先に見える王国の上空を中心に高濃度の魔力が広がり揺らめいている。足下の地面は黒。王国に続く道も異常魔力の侵蝕に耐え切れなかった魔物たちの亡骸に埋め尽くされていた。
「これから別行動をする。フィンはセリュサを連れて俺が指示した場所で待機していてくれ」
魔力の残量はセリュサやフィンを軽く越えてはいるがこれからのことを考えると圧倒的に不利だった。待ってくれるなら明日の夜まで時間を遅らせてくれることが理想的だ。だが、残念なことに待ち人は短気だ。
「セリュサが落ち着いたら話してくれ。あれでも優秀な部類だ。場所を告げれば行動してくれる」
「わたしにも手伝わせてはくれないのね」
「フィンを狙うやつはアギト以外、もう存在しない。お前は自由になった。だから、好きに生きろ」
付いてこようとするフィンを押しとどめる。
「わたしはクロノスさんと一緒に生きたい」
「その願いを俺に言う前になにか伝えることがあるんじゃないか? 」
そう言って、クロノスは王国を見つめる。
五年もの歳月はクロノスから思い出を奪った。
なにもない景色に記憶に残っている色を塗り重ねると、賑やかだった王国の活気が甦る。だが、同時に一瞬で灰になる光景も甦る。紅蓮の炎はいまもクロノスの中で消えずに燃え続けている。
俯くクロノスの顔をフィンが覗きこんでくる。
穢れのない少女の瞳がなにを読み取ったのか、クロノスの手をそっと握った。
「生きて必ず帰る。その時にでも教えてくれ」
落ち着いた気分で素早くその場から跳ぶと、クロノスはトンファーを握り、中心部を目指す。
いままでが嘘のように魔物たちはクロノスの障害にならない。黙って道を譲るだけだ。重い気が漂う城下町に辿り着いた。記憶の中にだけ存在する町並みはいまではだだっ広い空き地だ。瓦礫以外に視界に映るものはない。全部燃えてしまったのだろう。時間と共に風化したことでこの地にはなにも残っていないと思う。ここでなにが起こったのかも、いずれは人々の記憶から消されることになるだろう。
「本当に俺はなにをしているんだか」
時間はまだ残っている。心もとない時間だが、残りある全てを集約すれば……油断しないように注意を払い、辺りを見回す。おかしなことに中心部に近づくにつれて、異常魔力の気配が薄れていった。
誰かが倒れている。
「マリア? 」
見覚えのある服はマリアのものだ。仰向けに倒れた状態で魔縛りにあっているかのように、動かずに固まっている。周りには守護結界が無意識だが展開されていた。
死んではいない。だが、近づくことを躊躇った。
「マリア!」
呼びかける。だが、返事はない。
「気絶しているだけだといいが」
この状態になってからどれくらいの時間が経っているのか、専門的な知識がないクロノスには判断のしようがなかった。
「ゲイル・シナー・レイズ……ソニア・ウォーロック・レイン……」
数歩奥に進むと銀色の羽根の刺繍を着飾る連中を見つけた。こちらははっきりと生命活動が停止していることがわかった。
悲しみに暮れることも忘れ、知り合いの様子を観察する。安らかな表情はクロノスに疑問を抱かせるほど澄んでいた。
彼らは自分たちの命を果たしたことに後悔することはない。
それどころか君主のために命を賭けた戦いに参加できたことに誇りに思い眠るだろう。
大いなる翼は、いま覚醒した。
「これがお前の望んだことなのか? 」
青い光が大翼の連中を包み込んだ。
「お前の眼にはこの世界がどう見える」
弾けるように淡い光の粒子が、クロノスの周りを回って静かに消えていった。視界に変化はない。
「お前の耳にはこの世界の声がどう聞こえる」
澄み切った空気に懐かしい感覚が漂い始める。一時も忘れたことはない。いつだって傍にいた力は色褪せることなく心を震わせてくる。
「俺の声が聞こえているなら姿を見せたらどうだ」
気のせいか、どこかで声がした。微笑むような声色。そして、明らかな変化が頭上に起きる。
(大気中の魔力が集まる)
いつだったか忘れていた緊張感は独特のものだ。揺れ動く銀髪と緋色の瞳。そして、天空より彼女は舞い戻る。
「五年ぶりの再会なのにお化粧の時間もくれないなんて性格悪くなったんじゃないの? 」
クロノスを見つめるたった一つの視線。かけられる言葉は再会の余韻を感じさせない。地面に降り立つと、間を置いて靴音が響き渡る。
静寂が二人だけの世界を作り出す。
変わらない、そんな感想を抱く自分は愚か者だと思う。
天空の使者。
もう一人の自分。
共鳴するように反応する印が、これが現実だと意識させる。
「化粧している自分の顔なんて見たくもないね。それに再会を分かち合うこともしたくない」
「最愛の姉を拒むなんて照れ屋もここまできたら勲章ものよ」
「勝手に一人で表彰式をやっていろ。その間に俺はお前を殴る」
「恐いクロノスは嫌いよ」
「同感だ。俺もいまのクロノアは大嫌いだ」
声に合わせて影が揺れる。クロノスは武器をしまい、手を下ろす。
「これでもわたしは異次元空間でずっとクロノスと仲良くできる方法を一億通りも考えたのに、いままでの言動と態度、呼吸、脈拍、魔力循環から推定するに九九九九万と九九九九通りは実行する前に無駄みたいね」
「無駄な時間を過ごさせて悪いが、最後の一つもきっと無駄になるから言わなくていいぞ」
必死に考える仕草を演じる姉は久しぶりだった。誰がどうとか考えず、彼女に素直に生きなければ気がすまない。
(クロノア・クリスタル・ルナリア)
もう一度その姿を見て、交わした言葉を思い返しながらクロノスは思う。歴史上ただ一人、その身をもって神の力を持つ者。アルビノとして覚醒を果たし、神の領域に踏み込んだ稀代の天才魔術師。クロノスの知らない世界を知る大罪人。誰も知らない真理に辿り着いた存在。この世界を滅ぼすために次元の壁を超えてきた超越者。
(本当に変わらないな)
そう考えたところで、姉が声を上げた。
「そんなことを言わずに最後だけでも聞いてよ」
「太陽魔術――太陽と炎の爆発」
「久しぶりに力比べ? お姉さん負けないよ。太陽魔術――太陽と炎の爆発」
完全な不意打ちのタイミングに合わせてくるところがクロノスに現実を刻み込む。爆発を爆発が飲み込み、合わさり彼女の手の中で消滅した。
「出力に関しては気分にムラがあるのかな。大翼だったら一撃で消せるかもしれないけど、わたしに“汚れ”をつけたいなら魔力量が足りないよ。それに攻撃的意思も弱い。それなら、近づいて殴ったほうが効率的だわ」
「だったらお望み通りにぶん殴ってやる」
「あなたってどうしてわからないのかしら」
両手を閃かせた。この程度の攻撃が当たるとは思っていない。変幻自在の中でも多角的に攻撃できる死線は、一度彼女に見られている。
同じ攻撃は二度と通用しない。
それでも、これを選んだ。両腕から無数の斬線がクロノアを覆い囲むように放たれる。引っ掛かりを感じると全身を使って変化をつける。
相手は最強、手抜きは不要だ。
一度見られているなら攻撃手段を変えればいい。変幻自在の中でこの武器に決まった戦術がない、だからクロノスにもやりようはある。
それがダメなら、捨て身でぶつかるしかない。
そう考えていた。
死線の動きが止まった。
クロノスの意思ではない。突然、クロノアの正面が割れ、歪の中から、なにかが聞こえる。
音……いや、これは歌だ。
聞いている者の心を惑わせるような美しい歌声、その中から聞こえてくるものはクロノスの空いた隙間を埋めるように心を満たしていった。
華奢な腕に、シンプルなオカリナを持つ手が見える。
空間の歪は出てくる手にあわせるように面積を広げる。
歌声とオカリナに言葉を失った。脳裏に浮かんだのは、夕日に染まる横顔。
悠然と出てくる容姿に、その顔に――――
「その瞳――」
指を弾く音がした。歪の中から出てきた者は、そのままクロノアを護るように立つと無数の斬線をクロノスの下に返した。
黒い髪が揺れている。“クロノス、あとの事は頼んだぞ”青い瞳が自分を見つめる。
“いつまでも手を焼かすなよ”歌声が心を震わせる。
“冗談ならよかったのに、な”その名を呼ぶことに――
“俺たちは今日から親友だ”
「もう逃げることは許されませんよ」
自分の背後で赤髪の美女が現れ、悲哀の面を浮かべ、消えていった。
「音の使者」
「久しぶりだな、月の使者」
明るい笑みを浮かべ、もう一人の天才はクロノスにそう告げた。
†
フィンは待っていた。クリスタル王国はいまだに異常魔力に支配下にある。クロノスが向かっている様子はここからでも見ることは出来たが、途中から異常魔力の影響でその先の動きはわからなかった。静か過ぎるのはとても恐い。どうするべきかフィンは迷っていた。セリュサには落ち着いてから事情を話して、話し合った結果、待ち続けることにした。でも、自分は彼の傍に行きたかった。
胸のざわめきが止まらない。
自分の中に宿る彼女の結晶が共鳴している。
それが意味することをセリュサには伝えていない。下手をすれば異常魔力に支配され暴徒なってしまう危険を孕んでいるフィンは、それを伝えていいのかわからなかった。目に見えない危険と形にならない不安に煽られ、フィンはセリュサの前を何度も往復する。
突風が炎を吹き消し、闇を戻した。
セリュサが覆いかぶさるようにフィンの視界を塞いだ。
ドクン……ドクン……、流れ込む新たな気配にフィンの胸が締め付けられるように痛み出した。
禍々しい波動に魔力体が暴れだす。侵蝕による共鳴反応はいままで味わったことのない衝撃を与えた。
「待ち伏せとはいい趣味ではありませんよ」
見たことのない集団が立っていた。だが、中央にいる老人を睨みつけるセリュサは強く言い放った。
「待ち伏せも立派な戦術の一つだと、ソニアは教えてくれなかったのかな? 」
「あなたに手を貸すほどわたしは愚かではないですよ」
不愉快極まりない言動を、簡単に拒絶できる自分に内心驚いた。どうしてこの場所に現れたのかは、すでに承知している。この強大な力を秘めている四体の生体兵器と、手負いの自分が戦うことで運が悪ければイリティスタのときのように共鳴反応が世界に多大な影響を与えることをセリュサは懸念している。それに背後で震えるフィンの様子も気になる。
目の焦点が合っていない。セリュサ自身、前代未聞のこの状況下でどう動けばいいのか、自分の考えに迷いがある。「わたしには『剣姫』がいる。この子たち以外を手にしようなどと思ってはいない」
それが、驕りだと思わないのか? 彼女たちの硬い表情からはなにも伝わってこない。
「では、どうしてわたしたちに会いにきたのですか? 」
以前よりも悪質な手段を高じるようになったアヴェロスのことだ、剣姫たちを改造したことが不安要素を高めてくる。自分たちを捕まえるのか? アヴェロスの腕が上がる。鋭い緊迫感にセリュサが灼熱の剣を具現化する。魔力反応に人形たちが前に出る。
「君が生きているからだ」
フィンだった。
「どうして君が生きているのか教えてくれないか? 」
「一体なにを言っているのですか? 」
「そうか、セリュサは知らないのか――」
アヴェロスの視線にフィンがセリュサから離れ、後退ろうとして誤って石を踏み、バランスを崩して倒れた。そして、頭を抱え、アヴェロスの声を掻き消すように叫んだ。
「フィン・ジークリンデ・ティルタニアは五年前に死んでいる」
当時、三大王国の転覆を狙う貴族たちを天空の使者、ギルド連盟、三騎士が手を組んで掃討する作戦が決行された。天空の使者の活躍で貴族たちの計画は潰され、世論には貴族たちの横暴が広まった。
だが、
「アヴェロス様、体内にクロノア・ルナリアの魔力反応を確認しました。それもかなりの高密度です」
誰も知らないところで被害者が出ていることを人々は知らなかった。
「やはり、天空の使者に命を救われたのか」
偶然の事故。
天空の使者の魔術にフィンは巻き込まれてしまった。
「あなたもその目で見てくるのですね、セリュサさん」
フィンはセリュサを見た。その時、二人の間を割るように地面を砕く音が響いた。額を押さえながらクロノスが出てきた。ふらついている姿よりも、顔を赤く染める血が汗と混じって飛び散るほうに驚愕した。
「クロノスさん!」
フィンが叫んだ。その悲鳴に呑まれていたセリュサも気持ちを切り替えて、アヴェロスのことを意識に置きながらクロノスのいる場所に走った。
「ちょっと、しっかりして。どうしたの!」
「……なんでもない」
クロノスの顔色は悪く、激しい動悸に膝を崩した。フィンを見上げる視線も、見えているようで見えていないように感じる。
「動かないで、いま怪我を治すから」
「ありがとう……だが、それよりもまずゴミを片付ける」
肩を借りて立ち上がる。苦渋に満ちた表情から一変、その顔に深い怒りが浮かび、そしてすぐに激しい火の色を付けた。
「お前がそれほど死にたいとは思わなかったぞ、アヴェロス」
「冷静になれクロノス・ルナリア」
「俺はいたって冷静だ。仮に冷静さを失っていたとしたらそれはお前とその後ろにいるやつらのせいだ」
「アヴェロス様に危害を加えるなら、あなたを消します」
「どんなに戦闘能力が高くても、馬鹿を作りだすとはとんだ笑いものだな」
「それに関してはわたしも深く同意しよう。だが、言語理解能力は優れている。わたしの指示で彼女たちは十二分の力を発揮できる」
アヴェロスは皮肉ともとれる言葉にも余裕の表情を崩さない。
「話はそれまでにして、互いに知っている状況を整理しましょう。いま争うことは間違っています」
アヴェロスの態度に一触即発の雰囲気を恐れ、セリュサが言葉を被せる。
「我々としてはセリュサの意見に乗ってもいいのだが、そこにいる化け物が了承しなければ話にならない」
「いいだろう。少しの間、生かしておいてやるよ」
そう言って座り込むクロノスの顔には力がない。それでも攻撃の意思は牽制の形として距離を開けさせる。隣でフィンが語りかける中、セリュサの耳にかすかに声が届いた。
『助けて……月の使者』
†
震えの収まらない手をクロノスは見つめる。必死にフィンが怪我を治してくれているが、肉体へのダメージはほとんどない。
(くそっ)
実際、精神的、心へのダメージのほうが大きかった。
クロノスの体はクロノアが行使した呪印の影響によって蝕まれている。
ここにきて肉体はすでに限界に達した。呪印の能力が飛躍的に上がり、時間に関係なく力が失われていくことをクロノスは感じている。派生する痛みが地獄を思わせる。無限の星空に漂う満月は紅い光で地上を照らす。まるでこれから起こることを暗示するかのようだった。寒さで吐き出される息が染まるほど強い色だ。
『あの時となにも変わらない』
ディアソルテの声が聞こえる。
『でも、使者と呼ばれる者たちの力はあの頃よりも強くなっている。目に見えないとてつもない闇の力を感じる。常人にこの魔力濃度は耐え切れない』
ディアソルテが淡々と現状を述べる。輪郭だけの光の粒子がそっと肌を撫でてくれる。考えれば、深みに嵌るほど思い悩んでいた。
「これがお前の望む世界なのか……」
非日常に身を置いてから五年以上、自分の周りには確実な変化があった。振り回されていた頃と比べれば退屈な時間を過ごした。イリティスタの存在だけが、自分の中の日常を呼び起こした。
(また会えた……会えたけど)
イリティスタを倒したとき、異次元空間が暴走しようとしたとき、彼は、無力な自分のために力を使ってくれた。実際、彼の力が異次元空間を包み込みクロノスの目の前で光を見せてくれた。その中に裏があるとは思わない。だから、彼の言葉が信じられない。
(どうしてお前はクロノアとともにいる)
世界を救った英雄は生きていた。ただし、彼は世界の敵になっていた信じられないことに、呼吸することを忘れてしまうほどうろたえてしまった。
目の前に、彼が現れた。
クロノアを護るようにいる。
自分の記憶に存在する彼と比較しても相違がないこと知るや、クロノスの思考はそこで止まった。レンは五年前と同じように平然としている。ときおり見せる無邪気な笑みに我に返る。
「本物なのか? 」
思わず呟いた言葉に、レンは肩をすくめた。押し殺すように笑う。あの時と、シェリフ王国のパーティーで初めて出会った時と同じようにクロノスを見て笑っている。近づいてくる。あとずさる自分を見て首を傾げている。
「逃げるなよ、ちゃんと地に足ついているだろ? それとも俺が死人に見えるか? 」
「ああ……いや」
茫然と答えることしかできない。差し出してくる手を握ることが出来ない。
なぜか? 親友は待っている。自分を待っている。それが、この永遠のような時間を動かすことが出来ることだと物語る。だが、クロノスの願いは沈黙と戦うことではなく、彼の後ろにいる彼女だ。
「音の使者……レン、そこをどいてくれないか? 」
「クロノス、男なら言葉よりも手っ取り早いものがあるだろう」
言葉は、戦いを求める。レンはクロノアを隠すようにさらに一歩前に進む。
「それとも月の使者は、また逃げるのか? 」
「そういうことを言っているわけじゃない」
拳を握る。レンは驚いたように口を細め、口笛を吹く。
「そういう表情ができるようになったのか、感情豊かになったことは俺たちとしては微笑ましいことだ」
「俺はレンの知らない時間を生きていたからな」
「異次元空間の中は退屈ではなかったが、音楽を奏でることができなかったことは苦痛だった」「レンの歌が俺は好きだったよ」
「それなら今一度歌ってやろう……魂葬の鎮魂歌を」
望まない展開は着々と進む。半端な思いに気持ちが定まらないクロノスに対しレンは膨大な魔力を放出する。
「クロノスがどうしても天空への道を進みたいのなら、俺を超えられなければ無駄に命を捨てることになるぞ」
魔術を唱え始めるレンにクロノスはいまだ気持ちが決まらない。そんなクロノスをクロノアは呆れていた。錯乱していて身動きが取れない愚弟は、戦わなければ死ぬことをわかっているのか? 戯言だ。
「では序曲から始めようか。音魔術――音と幻の運命」
魔力の流れがクロノスを包み込む。渦中に隔離された彼の視界に幻覚が映し出される。死肉を貪る亡者の群れがクロノスに手を伸ばす。足下が地面に沈み、声にならない絶叫が精神を揺さぶる。引き千切られることに、痛みよりも恐怖が拡がる。
「出直してこい」
レンの声が耳に届くと景色が戻った。衝撃波がクロノスを飛ばした。壁を打ち砕き、地面に突き刺さる。頭から落ちて額が割れた。
「クロノスさん!」
絶望の淵に立たされたクロノスにフィンの声が聞こえた。
情報交換が済むと沈黙が生まれた。二人のことを知っているアヴェロスはうな垂れるように思考の海に潜った。アヴェロスの口から反論の声はなかった。なにか言おうにも言葉に出来ないのだとクロノスは思った。
クロノア・ルナリアとレン・リッジモンドが手を組む、世界の三分の二が支配されたようなものだった。
音の使者の功績は天空の使者に比べれば地味なものが多い。
だが、必ずしもそれが彼の実力に直結するものではないことはわかっている。
彼は王の一族だ。
だが、アルビノではない。
純血種の人間であり、国のために人生を捧げることを約束された天才魔術師は世界中の魔術師たちの憧れでもある。
クリスタル王国が見渡せる場所に行くと、セリュサとフィンが待っていた。自分がいない間に何があったのか気まずい空気が漂っていた。
セリュサはフィンの目を見ようとせず、フィンはセリュサに畏怖の眼差しを向けている。
静かに雨が降り始めた。冷たい湿気が肌に絡みつく。顔を上げると、セリュサが口を開いた。
「クロノス」
「悪い、天空の使者が現れた」
「……うそ」
「それと音の使者……レン・リッジモンドがクロノアと手を組んだ」
声を抑えて言うと、セリュサの顔色が変わった。
「冗談でしょ? 」
「この目で見た。俺とクロノアの間にレンは立った」
「ちょっと、クロノスしっかりして」
思い出した途端、クロノスの体から力が抜けていった。その場でふらつく体をセリュサが支える。
「ああ、まだ少し気が動転しているようだ。少しすれば元に戻る」
「嘘はやめてください」
「恐い顔するな、俺だって今回はだめかもしれないんだからな」
「クロノス……」
フィンに返事をすることは出来なかった。アヴェロスが近づいてきた。
「話し合おうか、月の使者」
「そうだな、死者の国で独り言でもほざいていろ」
クロノスの手に剣が握られる。本能的に剣姫たちが前に出て、高速で振られる斬撃を受け流す。割れる地面にアヴェロスの表情が強張る。
「いまは人手が欲しいだろ。素直になったらどうだ? 」
「クロノス、ここはアヴェロスの言うとおりに」
「ちっ、勝手にしろ」
「それでは状況を整理しようか」
アヴェロスが古びた羊皮紙を取り出すと目のまで大きく広がる。雨を吸って変色する紙面には世界地図と波紋のように染みが広がっていた。
「いま、クリスタル王国上空を基点に世界中に異次元空間内で変質した異常魔力が拡大している。その影響によって人間を含む動植物、自然界のシステムが次々に崩壊している。異常事態に気付いたギルドや三騎士の連中が対処に当たっているが、魔力汚染による侵蝕速度を止めるには到っていない」
「じゃあ……」
「天空の使者が放つ魔力性質はクロノア自身が生み出した全属性の性質を合わせた天空属性。取り除けるか、前代未聞だ。それに時間もない、不可能だ」
「そんな、じゃあ世界は終わりなの……」
「終わりではない。天空の使者を討てば魔力汚染は収まる。そのためにこの子たちがいる」
アヴェロスが地図を燃やす。あの時とは違う、カリン・ハイドラ・イフリート。その他に三体。こうしているだけなら強化改造を施されていても、彼女らは寡黙な人間にしか見えない。全員がクロノスの動きを注視している。下手なことをすれば攻撃を防ぐようにアヴェロスが命令をしているのだろう。
いまのクロノスには彼女たちを止められるほど余裕がない。暴走してしまえばそれこそ、厄介な存在だが、ここまで従事しているなら足手まといにはならないだろう。
「この世界にまともな人間がいなくなる前にアヴェロス・ミラアンセス・カーマインを筆頭に剣姫たちは天空の使者、音の使者ならびに汚染者を敵と断定し殲滅する」
「イリティスタに手も足も出なかったお前ごときがクロノアとレンを殺すとは大きく出たな」
ギルド連盟に並ぶ二大組織といわれる三騎士の精鋭たちを手放してまで、造り上げた少女は四体しかいない。最強の偽者。
「漆黒戦鬼……確かにあの化け物には勝てなかった。だが、人間は進歩する。失敗から学んだ結果が、この子たちの中に組み込んだ『自動魔力吸収術式』。大気中の異常魔力を体内に吸収し、自らの力に変換、自身の攻撃として放出することで永遠に戦い続けることを可能とする永久機関。対魔術師に生み出したわたしの理想を完成させる最終形態だ」
「アヴェロス、貴様……」
「力がありながら戦おうとせず、逃げ回るお前に言われたくないものだ」
「なんだと!」
剣姫たちが静かに戦闘姿勢に入るのを見ながら、クロノスは喉下まできている熱をゆっくり吐き出していく。
「二人とも落ち着いてください。戦力が乏しい現状を考えるとアヴェロスが戦ってくれることは大いに賛成です。だけど、条件があります」
剣姫を宥めるようにアヴェロスに視線を送り、セリュサが言葉を挟んできた。
「なんだ? 」
「もうわたしたちの前に姿を見せないでください」
「それはわたしも望むことだ。出会うたびに命を狙われては困るからな。それに月の使者にはあの戦いでの貸しがある」
「わかりました。では、あなたたちの作戦を聞きましょうか」
「単純なことだ。目に入るものを消していく、それだけだ」
意外なことに話しが付いた。歪みきった人間性にたった少しでも善意が残っていることにクロノスは驚いた。作戦自体は致命的な内容だったが、小細工で攻めるよりは問題がないともいえる。
「神聖騎士ともあろう人が考えた作戦にしてはお粗末ですね」
アヴェロスと言わなかったところに、嫌味が込められているような気がする。
「これが理に適っているとすぐにわかるさ」
振り返り、アヴェロスは空を見た。
「我々は先行する。そこでこの世の変革を見ているがいい」
小さくなる愚者と姫たち背中が霧雨に消えた。止められなかった。見殺しにした。
「セリュサ、大丈夫か? 」
「大丈夫なわけないよ。仮にも三騎士の創始者、わたしの元引き取り手だから、親のような人にあんな態度生まれて初めて……この疲れは全部クロノスの責任! もう二度と御免だからね」
「悪かった。それよりも、マリアのことだ」
「身内の方が、捕まっているのですか? 」
フィンが知らない名前に興味を示した。クロノスが所属するギルドのマスターだと告げると、ホッと胸を撫で下ろした。それをセリュサが見て、顔色を悪くした。
(ちくしょう……どうしたらいい)
判断できない自分に腹が立つ。だが、憎しみのない相手に手は出せない。
(レンを相手に戦えるのか? )
客観的に考えれば無謀だ。勝てない事実に考えは到る。
「マリアはクロノアとレンのところにいる。あの二人に限って手を出すとは考えられない」
「変なところで信頼しているのね」
「信頼してなきゃ、こんなところでのんびりしていない」
意外な言葉に、セリュサは怪訝な顔を浮かべた。
「アヴェロスさんのことはいいの? 」
「気に喰わないがあそこまで自信満々に大見得切ったんだ、試してみる価値がある。失敗したらそれでいい」
「それってひどいと思うよ」
信じられない、とも言われた。
「だったらお前は何故止めなかった」
「クロノスさん? 」
反論としては、最低の言葉が出た。
(アヴェロス・ミラアンセス・カーマイン……)
彼方に消えても、まだ中心部には辿り着いていない。連れ戻すならまだ間に合う。
「フィン? 」
フィンはなにかを言いたげに、悲しそうな表情でクロノスを見つめている。目には涙が浮かび、震える体が心を表す。その目はクロノスになにかを訴えている。
「大切な人と戦うことが辛いですか? 」
フィンは言った。クロノスは一瞬、セリュサを見た。だが、それだけだ。
「ここで嫌といえればどんなに気が楽だったか……」
クロノスは闇に呑まれた。
「なにもかも五年前と同じだ」
雨足が強まり、全身を打つ。
「ただし、今回はレンがいな――」
静かな中に甲高い音が響き渡った。倒れるクロノスをセリュサが手を振りながら見下ろし、戸惑うフィンは茫然と立ち尽くした。
「天下の月の使者様がそんな調子じゃ困るわよ」
「思いっきりぶん殴ることはないだろ」
「馬鹿は殴って指導するのよ。分からず屋はそこにいなさい、あなたがやらないならわたしが討つ。この命に代えても……」
セリュサが去っていく。決死の表情を浮かべた彼女のその背中を、クロノスは黙って見つめた。
アヴェロスの後を追うように、光を掴むために、セリュサは一人立ち上がった。それでも心の中は迷いがあったはずだ。
世界最強に戦いを挑むことに不安を抱かない者はいない。脳裏にクロノアの姿が浮かび上がる。考えたくもない光景が鮮明にイメージになるのに、逆のイメージは一向に出てこない。
手足が動かすこともできず、セリュサは殺される。
言葉を残す前に、首を刎ねられる。笑う彼女は魂を殺すまでそれを繰り返すだろう。天空の使者とはそういう人物だ。セリュサも緋色の瞳を見れば理解する。答えの見つからない心の問いかけは、いずれ自分を切り崩す諸刃になる。命を賭ける価値もない。命を賭けて倒せる者なら、世界はこうならなかった。あの領域は常軌を逸している。
「セリュサさん、行ってしまいましたね」
差し出された手を、躊躇なくクロノスは握った。知らぬ間にクロノスは握っていた。同じ光景を前にしたことを忘れ、霧雨に濡れる小さな手を握り締めた。
「俺はどうすればいいんだ……」
「わたしにはわかりません」
そう呟くと、フィンはきっぱりと言った。湿り気を含む髪の毛の重みに滴が零れ落ちた。一滴。だが、連続で流れ落ちるそれをフィンは手で拭った。溢れ出る感情を抑えられない。でも、傘がないからクロノスは抑えることをしなかった。雨の中に赤い光が浮かんでいる。
「俺は戦いたくない。あの二人と戦いたくない」
その言葉を口にしたとき、心が軽くなった。
「そうですか」
フィンは流れを遮るように頬に手を添えて、クロノスを見つめていた。穏やかな笑みに濁りはなかった。
「わたしにはクロノスさんの気持ちが分かりません」
「…………」
自分の気持ちもわからない人に他人の気持ちがなんてわかるわけがない。それは悪魔だとか、化け物だとか関係ない。クロノスが自分を偽り続ける限り、誰にも伝わらない。自分の力を恐れることで、他人から距離を置いていては話しにならない。でも、それを受け入れるなら変わることができる。
クロノスの心が前に進むことで世界は逆転するだろう。なぜなら、自分のことを知っているからだ。
彼の悩み続けてきたものが、彼にとって切っては切れない大切なものだった。
「わたしにはこの世界が好きです」
「…………」
「ですが、わたしにはこの世界を救う力がありません」
フィンは言う。悪魔は世界を救えない。天使はこの世界を救えない。でも、この世界が好きだから、世界を救える可能性があるなら、命を賭けることを惜しむようなことはない。だけど、
「気持ちだけでは世界は救えない。力がなければなにもできない。それがこの世の理――」
力こそ全てだ。強大な力の前にはどんな可能性も無に等しい。
「クロノスさんはこの世界が好きですか? 」
「……俺は」
両親から白眼視され、人々から白眼視され、世界から白眼視されたことでできた傷はこの先も消えることはないだろう。昔の自分が、いまの自分を作った。誰にも悩みを打ち明けずに生きてきた集大成がクロノス・ルナリアの本当の姿だ。
「そんな風に考えたこと一度もなかった。この世界はずっと俺にとって、嫌なものでしかなかったから」
世界とはなにか?
フィンの言葉で考えてもあやふやな言葉しかでてこなかった。クロノスは首を振った。
「いまからでも遅くないですよ」
「どうかな……」
クロノアとレンの能力があれば世界を壊すのに一日もかからない。先兵として、異常魔力が世界を駆けていることがその証拠だ。
五年前とは違い、今度は世界中を巻き込んだ戦争が始まろうとしている。魔力汚染によって人間とはかけ離れた異形の民と戦わなければならない。多くの人間が死ぬだろう。不本意な死ほど、苦しいものはない。きっと、それは与える側も同じ気持ちだ。
「クロノスはこの世界を好きになることができます」
これから崩壊するかもしれない世界を救うことによって断絶した未来に光を取り戻すことができる。敵が血を分けた肉親でも、親友でも、背を見せて苦悩するくらいならに立ち向かう勇気をもってしてあらゆる可能性に賭けるべきだと――
「……フィン」
「誰だって好んで戦いたくありません。誰だって戦うための理由を胸に刻んでいます」
「戦う理由……」
夢の中の言葉を思い出し、クロノスは胸の中心で拳を作った。
「見つけましょう、その理由を」
「フィン」
「わたしはあなたの可能性を信じています」
霧雨が止むように、フィンの声は夜空に広がった。金色のシャワーが細やかな滴に反射して星の海を漂っているような気分を味あわせる。
温もりが消えた手を握り続けるフィンはにこやかに笑った。
彼女を見てクロノスは一つの未来を想い描いた。幻想でもよかった。
ただ、芽生え始めたこの気持ちだけは失いたくないと、クロノスは願うのだった。




