使者の集い
マリアはボルダラ大陸にいた。ギルド連盟から通達のあった国境付近を散策、調べたもののこれといって手がかりになるものは見つからず、本来の職務に戻ろうとした矢先のことだった。
クリスタル王国。いまは亡き国からの不気味な気配に足を止めた。黄昏の大地。死の庭。最果ての国。五年前から現在まで数々の呼び名で語られる国は異常魔力が漂う特別危険指定区域Aクラスの地は特別許可が下りたとしても誰も入ろうとしない。
「まさかもう一度この場所に来るとは思わなかった」
意外な気持ちで、五年前の記憶を辿って道なき道を進んでいくと歪な形の岩が視界に入った。
瀕死のクロノスが倒れていた場所。
マリアの感知した不気味な気配については、まだはっきりとしていない。青海属性の守護結界を張った状態で散策するも特に変わったものは見つからないだけど、
「異常魔力がどこにもない……」
ここの領域だけの話かもしれないが、澄み切った魔力の流れは自然界のものと大差ない。異常魔力が漂っているなら結界に反応があるはずだ。
最近、マリアは自分が年を取ったことで、弱くなっているのではないかと思い始めていた。昔の自分といまの自分に違いがあるなら正義という言葉の意味を理解したことにある。その原因の渦中にはアヴェロスの姿がある。自分の目指すものと合致して理想を実現しようとする研究を善と思い手伝った愚かさを忘れたことはない。
人として間違いに気付いた自分はやり直せるとは思わない。
人の負の面を一度でも垣間見て、それに対して平気で行動的に尽くした自分の根源は悪に決まっている。全てに気付いた時、マリアは自ら命を絶つことにしていた。
それでも、生きているのは彼の言葉があったからだ。
『しんじゃだめだよ』
誰にも打ち明けてない悲痛な叫びを彼は止めてくれた。
おそらく本人はなにも覚えていないだろう。初めて会った時も彼はなにも覚えていなかった。自分が加担していたことを告げたときにやっと頷いた程度だ。
しかし、おそらく無意識に発した言葉を彼は知らない。
そして、これからも知らずに日々を過ごすのだろう。そう考えると、少し虚しさが胸をよぎっていく。いずれにせよ、マリアがこうしているのは彼のおかげだ。
化け物でもマリアにとっては命の恩人であり、大切な人に変わりない。
そして、大事な家族だと思っている。同じ家に住む、生意気な息子だと思っている。
「せめて、言葉でも残してくればよかったかも」
ギルドのみんなに、自分の思想に共感してくれた仲間に最後の言葉を残せばよかったと思う。自分のために尽くしてくれたこと、人々の幸福を祝ってくれたこと。こんな自分を信じて付いてきてくれた家族に、伝えたかった言葉がある。
でも、言うことはできない。
人を助けることに従事してから自分は後悔する道を歩いている。気付いたときには隣で生きているか、死んでいるか、それだけがマリアの中で重要になっていた。結局は自分の人間の域から抜け出せないのだと確認することになった。
クロノスを拾ったときマリアは自分よりも壮絶な人生を歩んでいる少年を見て心のどこかで蔑んでいた。“自分はこの子よりは幸せに生きている”。
口に出していたら彼は自分の前から去っていたはずだ。
いや、もしかしたら――
「太陽と月の記述と天と地の融合式……構築式も随分昔のものね。『超古代の負の遺産』に見えるけど、変なアレンジが加えられていてよくわからないかも……」
瓦礫の山のように積み重なるかつての城が建っていた場所。天空の使者の魔力解放によって地盤沈下が起こった大穴を覗き込むと奇妙な式が描かれていた。マリアはゆっくりと傾斜を降りて記憶の中から意味を掘り起こす。
太陽は『生命』。
月は『支配』。
天は『誕生』。
地は『災禍』。
超古代の代物にしては、途中でデタラメな意味合いになっている。
(だけど、こんなものを長い時間をかけて生み出すのだから意味はあるはず)
マリアは一度地上に戻ると、肉体強化で一字一句を集中して解読する。出来るならすぐにでも破壊したいところだが、途中式が変化しているものに迂闊に手を加えて別の術式に変わってしまっては元も子もない。
構築式はなにも文字や絵だけではなく描かれている場所自体にも意味を持っていることがある。たとえるならクロノスのように人体に記されるのが一番難解で解読するのに根気が必要だ。
魔力波を放ち、それが反射してくる方向と反応を確かめるとマリアは別の角度から同じことをする。性質変化。波として放ったものが別の状態で返ってくるなら、そこが術式の弱点だ。この術式が正しいものなら『復活』の意味合いになる。
その昔、古代人が死んだ大地を蘇らせるのに使ったと伝わっている。
「馬鹿なことを考えるのはいつだって同じ人間か」
『復活』……この場所でこの術式が選ばれた理由。興味本位が仇となった。しかし、それでもマリアの働きに支障をきたすことにはならない。目的がわかったなら、どんなに危険でも対処する。
命を賭けて戦ってくれた家族のためにも、ギルドマスターとしてではなく、自分がそうしたいから止められない。ただ、自分がこの場所から離れることによって彼がもう一度命を賭けて戦うことになることのほうが心苦しい。根拠はないけど、解呪に関しては絶対の自信がある。自分が生きてきた中で得た経験に絶対をつけてしまうことが愚かだといわれても、マリアには言い返せるだけの力があると思っている。
マリアが生み出した青海魔術から始まり、膨大な知識、技術全てを注ぎ込んだ。その道を極めた自分に、恐れるものなどない。もう二度と彼のような存在を生み出さないためにも。
解析が六割ほど進んだ頃にマリアの意識は別のところへと向いていた。
誰もいないはずの城跡だ。
こんなに綺麗な空を支える支柱のように見えるのは、偶然の産物と錯覚が織り成す光景だ。
その一つに焦点を合わせると律儀な挨拶が返ってくる。魔弾。結界に着弾しても消滅することなく、高速回転を続け術者の意思を貫こうとする。だが、解離の特性で時間が経つと魔力は分解され消滅した。
「さて、そろそろ出てきてくれない? わたしってあなたたちとは違って多忙な人なの」
言葉は風に乗って相手に届けられる。大穴の全周を巡るように現れる人影からは静謐な魔力の輝きだけが溢れ、荒々しい部分は感じられない。その中でマリアの存在は圧倒的な力に埋もれ、全身を縛る重圧感を退けることで手一杯だった。それが消える。正面に立つ影が宙を漂って大穴の上に立つ。顔をさらす。
「とりあえず、久しぶり。今年は再会の年、できることならお茶会へとしゃれこみたいけど、あなたにその気はあるかしら? 」
淡々と、選ばずに言葉が出てくる。マリアは心底から湧き上がるなにかを呑み込んだ。
「旧友にこのような真似はしたくないが、我々の主君天空の使者、クロノア・クリスタル・ルナリアのために死んでもらう」
魔力が爆発する。
「元三騎士の一人『皇帝騎士』ゲイル・シナー・レイズ」
およそ、一分。最後の会話にしては長いものだった。
「ギルド星降る家『青海の癒し手』マリア・フロラリア・ルーチェ」
漆黒が支配する。上空から稲妻がマリアに落とされた。
「青海魔術――青海と月の境界」
守護結界の機能を呼び起こし、避雷針の要領でダメージを逸らした。それを見てゲイルは雷撃を放つ。
「腕が落ちていなくて、残念だ」
「天空の使者に仕えている罪人に思われるのって嫌な気分よ」
「我々の思想を理解できないとは哀れだ」
「全人類を滅ぼすことなんて誰も理解できないわよ」
「それは見ていないだけだ」
どういう訳か雷撃の威力が上がっていく、しかもそれは増加するにはあまりにも膨大すぎる変化だ。青海と月の境界が無効化しきれない。
「この腐敗した世界の住人は誰もが悪事から目を背ける。権力と欲にまみれた世界から人々を救済するには人間は汚れすぎた」
攻撃術式を持たないマリアだが、鉄壁を誇る防御術式はそう簡単に突破されることはない。自信が過信になったことを、ゲイルは見逃さなかった。
「雷魔術――雷と炎の鉄槌」
頭上から合成魔術が結界ごと叩き潰してきた。予想外の衝撃にマリアの額から汗が流れる。「救済するために人類を滅ぼそうなんて、わたしたちは許さない、青海魔術――青海と太陽の使徒」
マリアの体を青い液体が包み込んだ。それからすぐに内側から結界を膨張させゲイルたちに放つ。限界を超えて弾けた魔力に魔術は効かない。そしていまのマリアにも魔術は通用しない。
だが次の瞬間、マリアの体に強力な衝撃波が襲いかかる。
「お前たちが許さなくても世界は終わる」
背後からの激痛。思考を断絶するように容赦のない痛みが襲う。回復する暇もなかった。
「終焉の鐘は鳴った」
どうして術式を無効化できなかったのか、考えている時間はなかった。耳に響き渡るゲイルの声に、マリアは意識を失った。
†
望まない戦いはこれが初めてというわけではない。過去に何度もそれはしてきたし、きっと生きていればこれから先にも経験し続けていくだろう。だが、それに立ち向かうか、拒むかはわからない。
なぜなら、望まないから。それは、クロノスがいままで歩んできた道だから。
「太陽魔術――太陽と炎の爆発」
剣身を拳で逸らされたクロノスは大爆発を引き起こすとセリュサの作った脱出路に飛び込んだ。
「創造魔術――宝石の王盾」
爆発音がする前にそんな声がした。倒壊する建物に押し潰されるのを見ている暇もなく、夜空に向かって叫んだ。
「セリュサ、フィンを連れて逃げろ!」
すぐに姿勢を繰り替え、トンファーを握る。クロノスは小さな気配が遠ざかるのを感じとると上に跳んだ。
「俺が逃がすと思っているのか? 」
「逃がしてもらうさ。なぜなら、お前の目の前にいる男は現時点で一番殺したいはずだからな」
天空の使者の話が出てきた時に、いつかは戦うのではないかと思っていた。彼女のことを怨んでいることを理解した。
「クロノスっ! ダメよ。やめなさい」
「兄さん、こんなことはやめてください!」
始まってしまった戦いを止めることはできないとわかっていても、二人はそう言うしかない。衝撃は、徹底的に破壊した。目の前でなにが行われているのかさえもわからないほど激しい打ち合いがされている。建物が倒壊すれば瞬時に別の建物が吹き飛んでいく。広い町並みがたった二人の手によって終わらされようとしていた。
「うるさい。さっさとお前たちは逃げろ、月魔術――月と音の雫」
空高く打ち上げられる魔力が大気を震わせた。超振動によって残骸が瞬く間に砂のように細かく粉砕されていく。
「フィンさん、いきましょう。クロノスなら大丈夫です」
これ以上は危険だと判断したセリュサは、フィンの腕を掴んだ。
「でも……いけません。危険すぎます」
「仕方ないですね」
受け入れられない現実に動揺が収まらないフィンに向かってセリュサは目に見えぬ速さで腹部を殴った。小さな少女を抱きとめると素早くその場から跳ぶ。急速に広がるクロノスの広域魔術に毒づきたくなったが、すぐに言葉を飲み込んだ。
「必ず帰ってきてね」
「お前たちも無事でいろ」
暗闇の中に消えたところで、クロノスの顔から感情が消えた。
「まずは実力の半分で試させてもらおう、幻魔術――幻と炎の聖獣」
クロノスは殺気立つ獣を前にして告げると、炎の獣を空に解き放つ。闇の空に光が差すと、標的に向かって高速で接近する。
「なら、俺は最初から全力でいかせてもらう」
構えるアギトが放ったのはただの蹴り。質量のない幻覚に物理攻撃は通用しない。子供でも知っている法則だが、クロノスは咄嗟に感じた悪寒に横に飛んだ。そして、異常な魔力が幻覚を呑み込んだ。とどめは、耳を貫くほどの破壊音。地面が捲れ上がり、跡形もなく消し飛んだ。
「いくぞ」
アギトは笑っていた。
(極限まで鍛え上げられた肉体……だが、それだけじゃないな。なにか別の要因が絡んであの威力を生み出しているとすれば――)
魔力汚染……それも複数の人間の魔力にやられている。そう仮定すれば考えられないことでもない。汚染とは肉体の変質、変化、変態、を意味し細胞レベルから強制的に作り変えられることを指す。肉体改造といえば聞こえはいいが、一歩間違えれば死ぬ。それに精神汚染の問題がある。いまのアギトは果たして“どちらなのか”
「創造魔術――鉄巨人の破剣」
山をも切り崩せそうなほどの剣をアギトは振る。魔術形態としてはフィンが使用していたものに似ているも、汚染された魔術師が放つ一撃を受ける馬鹿はいない。跳び上がり身を翻して、剣戟を捌くとその上をクロノスは疾走する。足場からクロノスを貫こうとする追撃の剣を紙一重で避けながら、言った。
「ここまで創造魔術を扱えるなんて驚きだ」
どうでもいい戯言だったが魔術師としてアギトの技術には感心してしまう。闇を裂くようにかすかに空気が震えた。アギトの手の中からもう一本の剣が振り下ろされた。
「それが『双子の悪魔』たる俺たちの所以だ!」
周囲のことなど関係ないといったように怒りの赴くままアギトは剣を叩き折った。宙に逃れたクロノスに分裂した剣先が伸びる。身動きが取れなかった。
「本当に生まれ持った才能。選ばれた者だけが使える力。それを自由自在に扱えるからこそ、俺たちはこの国から疎まれている」
手足が圧縮された空気の鎖に捕らわれていた。
「馬鹿げた話だ」
クロノスを剣が貫いた。
「お前たちが悪魔なら化け物の俺はどうだろうな」
クリスタル王国という三大王国の王の家系に生まれ、さらに未知の力であるアルビノの異能力を持ち、強大な力を才能が凌駕し、子供にして世界の座についた。そんなクロノスを人間と称していいのか?
イリティスタの戦いを思い出すたびに、あらためて自分が人間として生きていていいのか心苦しいときがある。
マリアにもセリュサにもこの気持ちを話したところで、クロノスが異常であるという事実の苦しみを理解してくれるとは思わない。
「月魔術――月と光の領域」
「肉体を貫かれても生きているだと、なんて奴だ! 創造魔術――無垢の聖鎧」
「悪魔は化け物に勝てない」
闇を退ける黄金の領域。アギトの腕をクロノスがしっかりと掴んだ。絶句する中、その衝撃が自身の防御をすり抜けたのがはっきりと感じられた。反対の腕をクロノスが引く。炸裂する拳打にアギトの体は無重力の中を漂っているような感覚に支配される。
黄金の領域はアギトの行動を縛り続ける。
気力で手を振り回しても攻撃は当たらない。向かう先にクロノスはいない。視界に空が映った時に、やっと姿を捉えた。膨大な魔力を拳一点に収束させる姿。無垢の聖鎧が壊れたのをアギトは感覚として知った。復元。考えることを放棄し、宝石の王盾を三重に展開した。
「くっ、なんて重い一撃だ」
頑強な盾がガラスのように砕けた。
「これが実力だ」
疲労困憊のアギトを見下すように、クロノスが余裕の表情で言葉を漏らす。剣による傷跡もすでに消えている。だが、ここまでの攻防を演じても邪魔者を消そうとするアギトの歩みは変わらない。
「俺のことを少し話してやろう」
ぽつりと呟いた。
「俺にはアギトとフィンと同じように双子の姉がいる。出来過ぎた完璧な姉だと思う」
「それがどうした」
叫びながら肉体活性を行いクロノスに特攻を仕掛ける。あまりの愚考振りに避けることを止め、軽く手で払った。
「生まれた先がよかったおかげで幼少の頃より英才教育を叩き込まれた。俺は姉とは違って出来が悪い事からいつも周囲と比較され続けた。それが幼い頃の記憶だ」
受け止めたのではなく、虫を叩くように払われた。全力の特攻を軽くいなされたことにアギトの思考は混乱した。
「それから成長してある日、力が覚醒した。その日から俺たちは世界中の人間から化け物と呼ばれるようになった」
「…………」
「それから数年後、姉は超越者になった」
顔面に迫る蹴りを掴み放り投げる。加減しているつもりだったが、隕石のようにアギトの体は森一帯を巻き込んだ。
「そして五年前……」
黙って立ち上がるアギトの姿に、クロノスは明るい声で言った。
「魔法学園での日々は楽しかった。そこにフィンがいてくれたのは大きな支えになった。学生という貴重な時間は俺にとって新しいなにかをくれたよ」
「俺以外にあんな顔ができるようになったのは、クロノスのおかげだ」
「俺に人を変える力があったとは思わなかったよ」
闇が形を変えてクロノスに放たれた。景色と同化して距離が把握できないことに、焦ることなく同質の力で相殺する。
言葉のない心の会話が、悪魔であるアギトの人間性と化け物であるクロノスの人間性を表している。
そのことに両者は無言で応える。
静かな戦いは続く。
さきほどの殴り合いに比べたら他愛のない攻撃は退屈だろう。しかし、アギトはクロノスを、クロノスはアギトから逃げることができない。譲れないものが二人を突き動かしている。
真紅の悪魔としてではなく、双子の悪魔としてではなく、年相応の青年として、アギトは戦うことを望んでいる。
クリスタル王国の王子ではなく、世界に名を轟かせる魔術師ではなく、年相応の少年として、クロノスは戦うことを望んでいる。
この戦いが終わったときにはどちらかの姿が消えていることだろう。
二人ともそれを十分に理解している。理不尽な運命に惑わされ始まってしまった戦いを無傷で終わらすことが出来るなら、クロノスからすれば危険と分かっていても価値のあることだ。それでフィンの笑顔が失われないで済むなら上等だ。アギトが納得するのか、そんな細かいことは考えないにしても、解決策を講じることは出来る。それから全てを始めても問題ないだろう。力があるなら、そう考えていた。
「あなたが気付かなかっただけですよ」
いきなりの声にクロノスは動きを止めた。
「敵に隙を見せるとは、余裕だな!」
アギトが叫び、闇が鋭利な先端が迫ってくるのが風越しに伝わる。その反応で、アギトには見えていないことがわかった。二人の間に赤髪の美女が翼をはためかせて浮かんでいる。次第に景色が彼女の足下から白く広がり、アギトの姿を消した。聞きなれた声は、夢の中のものと同じだ。
「この世界で出会うのは初めてですね、クロノスさん。いや、月の使者」
「アルル……どうしてここにいる」
突然のことにクロノスは周りを見渡した。アギトの姿を捜そうとするも気配がどこにも感じられなかった。なにより、自分は眠っていない。これが夢でないことに驚きが隠せない。アルルの姿は夢の中よりも神々しく感じる。肌に感じる感覚がクロノスの視線を彼女から逸らすことを許さない。視界に入る彼女はたしかに存在している。アルルが、自身の胸を指していった。
「わたしはあなたに伝えにきました。あなたの中に眠る力の可能性についてです」
いつかの続きのように、アルルは告げる。
「俺の中に眠る可能性だと……どういう意味だ」
「なぜ、あなたは力を拒むのですか? なぜ、その力をもってして世界を守ろうとしないのですか? クロノア・ルナリアが異次元空間で幽閉されていても、彼女の思想を崇拝する者たちによって世界は大いなる闇の脅威に覆われています。あなたの力はそれを払い、退けることができる唯一の力を、どうしてあなたは拒むのですか? 」
言われていることに対しクロノスは顔を背けたかった。力。アルルの言っている力がどういうものかクロノスは知っている。アルビノの力は神の化身として人間の領域を超越する別次元の力だ。これ以上自分は化け物になるつもりはない。
「いいえ、こういえばいいですか。どうして本当の彼女の言葉に、思いに、気付いてあげられないのですか? 」
かまわず、アルルは言葉を続ける。
「この世界に作り変えた闇が本当に彼女の望んだものだと思いますか? 彼女が覚醒した時、あなたは見たはずです。この世を創り出した『創造主』の姿、大いなる意思を垣間見たはずです。そして見たはずです。彼女の本当の姿。あなたに対する本当の気持ちを……」
全てを知っているようにアルルは呟き続ける。
「クロノス・クリスタル・ルナリア。全てをやり直すことはできません。過ぎ去った時を遡ることなどできません。だから、あなたはいままで失ったあらゆることを心に問いただしなさい」
「待て、アルルっ!」
手を伸ばした。それが無駄なことだとわかっていてもクロノスにはそれしかなかった。
アルルは霧のように視界から消えていった。全てが幻のように薄れた。苦しい。アルルの言葉を忘れようとしても忘れられない。
再び闇に戻ったのは唐突だった。
風が、クロノスを守っていた。
「クロノスっ、しっかりしなさい!」
セリュサの叫びで我に返ることが出来た。
「『太陽と風の障壁』、セリュサか」
クロノスは乱れた呼吸を整え周囲を眺める。正面に立つセリュサはアギトの攻撃を一人で防いでいる。鞭のようにしなる闇の触手に殴られては体に傷ができ、血が流れる。
よく見れば彼女は全身から血を流している。衣服が赤を基調としていたので気がつかなかったが、クロノスが向こう側にいっている間に相当な時間が経っていたらしい。傷自体は浅く致命傷には至らないがアギトの猛攻は確実に届いている。
「フィンは意識できるところで結界内に止まってもらっているから安心して。異常があったら、すぐにかけつけられるから」
セリュサは笑みを浮かべ出力を上げた。暴風が二人を残し地形ごと吹き飛ばそうとするとそこに炎が走り、螺旋を描いてアギトを包み込んだ。
「それで、どういう状況か教えてもらえませんか? アギトさん。返事によってはただでは済みませんよ」
炎に向かってセリュサが言うと、なにくわぬ顔でアギトは腕を上げた。
「全てがもう遅い。お前たちは見えている現実に捕らわれすぎた。いや、世界中が気付けなかったといえばいいか」
「全てが遅いとはどういう意味ですか? 」
クロノスも言葉の意味が理解できず、アギトを見上げていた。
「こういう意味だ」
「フィンっ!」
突然、虚空から現れたと同時にセリュサは意識の中から淡く気配が消えていった。腕で首を絞められている顔は苦しみに強張り、こめかみには大粒の汗が浮かんでいた。二人を見つめる視線は本物だ。緊迫した空気を恐怖が混じる。身動きがとれず、黙ってみていることしかできない。
「いまクリスタル王国で大翼の一人がある儀式を行なっている」
沈黙を破ったのはアギトだ。
「異次元空間を開く儀式だ」
「……なっ」
時が止まった。
「数ヶ月前、異次元空間が開いたとき、天空の使者は自らの意思をこの世界に伝えた。これからどう動けばいいか、神託といってもいいだろう。フィンは知らないだろうが、使者の言葉は俺たちの目を覚まさせてくれた」
セリュサはクロノスを見る。その瞳には動揺と、なぜか恐怖が宿っていた。
「お前たちが学園生活を送っている間に世界中に散らばる羽根を殺すこと、それが俺の与えられた使命だ。天空の使者からすれば泳がせていてもよかった連中らしいが、腕慣らしに死んでもらった。目的の達成が済めば俺の願いを聞いてくれる契約。あとは時を待つだけになった」
クロノスの肩が震えた。なにかを思い出すように大きく動いた。それはクロノスがもっとも封じ込めたい過去の記憶だ。
天空の使者が復活する。
時空使いの話を聞いてからいつかは実現する事実を頭では理解していたが、それが唐突に突きつけられると無性に恐くなる。浮かべている表情はきっと絶望以外どういうものにも当てはまらない。
その顔のまま、小さく呟く。
「そうか……あの時にクロノアも世界中に意思を発していたのか」
どこまでも抜け目のない存在は自分の想像を超えていた。そう思うと震えは消え、逆に火が付いたように顔を上げた。
「本当に嫌な姉だよ」
「クロノスさん、あなた……」
「アギトはクロノアに教えてもらわなかったようだな。フィンは賢いからここまで話せば真相に辿り着けるだろう。そういえば正式な自己紹介がまだだったな」
友として迎えた張本人は言葉を待った。フィンもクロノスを見つめながら、拳を強く握り締めた。
「俺の名はクロノス・クリスタル・ルナリア。お前が欲している天空の使者、クロノア・クリスタル・ルナリアの半身――――」
周囲に濃密な魔力が漂い始める。いままでとは違う雰囲気にアギトとフィンは固まった。自分たちを超えるほどの膨大な魔力が目の前で解放されようとしている。本能を刺激するほどの脅威が生まれた。
「又の名を、月の使者……それが俺だ」
クロノスの言葉。次の瞬間、光が動いた。意識から認識するまでに時間が掛かった。耳に届く音も衝撃の後にひとかたまりとなって響いた。腕の中から質量が消えた。肉体の限界を超えている自分が気付けない動きが信じられなかった。口の中に鉄の味がしたのは何年ぶりだろう。フィンを抱えるクロノスはアギトの上にいた。
「月の使者。天空の使者、音の使者に並ぶ世界最強の一角がお前だったのか」
尋ねたのは一人の魔術師としての興味からだ。絶対的な力をあの刹那の動作で見せ付けられては仕方がない。
「俺の名を聞いても畏怖しないのは人間でお前が初めてだ」
気を失っているフィンを傍らに下ろして向きなおる。アギト前にはクロノスが展開している守護結界がある。ある線を境に、触れたものを消滅するように無属性の魔力が込められている。どんな速度と破壊力をもってしてもアギトでは超えられないことを教えるには十分すぎるものだった。だが、アギトは笑っていた。
「月の使者は天空の使者と相打ちしたと噂に聞いていたが、その体にされて姿を眩ましていたのか。しかし、戦ってみてはっきりした。クロノス、お前は強い」
「その言い草、仲間になれとでもいうのか? 」
アギトは目の前の存在に潔く負けを認めることをせず、だからといってクロノスの怒りを買うような姿勢を見せることなく、頷いてクロノスの言葉を肯定する。
「俺もお前も天空の使者によって大切なものを奪われた者同士、それだけで十分な理由だ」
「異次元空間から出てきたクロノアを共闘して倒すか……それはとても面白い意見だ」
アギトの呟きにそう答えると、顔を覆って笑い始めた。
「本当に面白い。お前がクロノアを倒すと気付いたときもそうだったが、俺と共闘して世界最強を倒せると思っていることが面白すぎる。俺を殺すこともできないお前がクロノアに“近づける”と思っているところが、な」
アギトはなにも答えない。ただ、突きつけられる事実に唇を噛んでいる。憎悪の炎がクロノスを映し出す。その瞳が見ているのはクロノスではなくもう一人の半身。別の世界に囚われている最も忌むべき存在にして、人生を狂わせた悪魔。
天空の使者はあらゆる事象に干渉する。なにをしても彼女の力は負に転じる。度を超しているでは説明できないほど、現実離れした結果がこの悲劇を生み出した。闇の力を手にすることで悪魔は本当の悪魔を生んだ。簡単に自分を捨ててしまうように仕向け、無責任なまでの悲劇の登場人物として盤面を狂わせた。
いま、アギトが燃やし滾らせている憎悪も復讐するためだけにある。
難しいことじゃない、アギトはただ取り戻したいと切に願っている。全てが変わってしまう前に過ごしていた自分たちの時間を。目の前の男が関係なくても、同じ血を宿していることがアギトの中の理性を排除し殺すように駆り立てる。
「それに大翼の実力で異次元空間を開くことなどできるわけがない。大翼の一員だとしても、高が知れている。それこそ代償を支払っても開くかどうかわかったものじゃない」
不可能だと告げるクロノスに、アギトは静かに構えた。それで、アギトが再び走り出し、拳を突き出す。
だが、クロノスがゆっくり手を動かすと、その中に拳が吸い込まれる。
「超古代の負の遺産」
「!」
不敵な笑みを浮かべるアギトは、手首を回し、クロノスを蹴り飛ばす。
「超古代の負の遺産の中に、自身の存在を生贄にして膨大な魔力の一撃を放つことができるものがある。それを応用すれば次元を歪ませ亀裂ぐらいは作りだせるだろう。亀裂が生じればあとは待つだけだ」
ここでその名が出てくることでより現実味が増した。自身の存在とは人間が持つ生命エネルギーのことを言っている。異次元空間を開くには代償が必要だとクロノスは言ったが、大翼はとんでもない代物を用意した。ここでクロノアの名が自然と浮かんできたのは可能性として大きな意味を持っていた。
「くそっ……どいつもこいつも面倒なことを引き起こしやがって」
まさか、自分の仲間を犠牲にして異次元空間を開こうとするなんて予想できたとしても考えられない。
「クロノスどうするの? 」
「クリスタル王国に向かい、儀式を止める」
「なら、わたしが先に行くよ」
フィンの前髪を優しく撫でるとセリュサは無言で魔力を解放した。その体から放出される魔力が膨大な熱量に変化しセリュサを包み込む。小さな太陽は辺り一帯に擬似の朝日を呼び込み、手の中に光が集まる。
揺らめく熱に景色が変わる中で棒状のそれは灼熱の剣に変わる。それを両手で握ると中央から二つに分かれた。
魔術師として練磨した自身の成長がいまの姿にある。無駄を省いた効率のよい姿はクロノスに言われたことだ。セリュサの変わりようにアギトの行動は早かったが、すんでのところでクロノスが正面に入った。セリュサは小さく頷くと地平線の彼方に消えた。
「おっと、お前の相手は俺だ。弱い者いじめはやめろよ」
「邪魔をするな」
覇気のある声にクロノスは眉を寄せた。
「冷静になれよ。そんな怒ってばかりだから、大切なものを見落とすんだ」
顎でフィンを指すも、いまのアギトにはなにを言っても無駄に思えた。
「じゃあな、一生そこで夢を語っていろ」
突き放すように言うと、アギトの体が空に消えた。旋風が駆け抜ける。クロノスは最後の最後までアギトの意思が変わることを願っていた。初めて会った時、フィンを自分たちに紹介してくれた際に見せてくれた笑みはいまでも心に根付いている。初めての友達だった。王族ではない、同じ境遇で、同じ苦しみを知る友達。それを崩したのはやはり姉の存在だった。
もちろん、全てが彼女の責任でないことはわかっている。それに彼女がいなかったら二人に出会うこともなかっただろう。だが、どうして自らの手で友を苦しめなればいけないのか。力がないことに直結すれば話は早い。クロノスの能力はクロノアを超えられない。同じ血が流れ、同じ遺伝子を持っていても絶対的な存在は揺るがない。気が狂いそうなほど暴れまわる感情の起伏にクロノスは翻弄されている。
その体を内側からぐちゃぐちゃに掻き乱されるのは気分が悪い。血霧が辺りに満ちる。その中央で、クロノスはゆっくりと拳を抜いた。血が滲む拳には悲しみしか宿っていない。かすかに息をしている彼の目は獣から人間のそれに戻っていた。
惨劇の地から歩き出すと、おぼつかない足どりで彼女は立っていた。
姿を見せない兄の姿を必死に彼女は捜していた。
クロノスが近づくことで漂う鉄の臭いに気が付くと無言のまま泣くのだった。
「クロノスさん……兄さんは」
彼女のために兄は全てを投げ捨てた。その思いを叩き潰した自分が彼女にかけられる言葉は思いつかなかった。遠くの空で大きな気が爆発した。セリュサは間に合わなかったようだ。
「大丈夫、殺していない」
「ありがとう、クロノスさん」
震える手を握り締めると二人は走り出す。漆黒の空はどこまでも続いていた。
†
一人先を行くセリュサは膨大な魔力の気配に気を引き締めた。だが、その行為は近づくにつれてセリュサの体に苦痛を感じさせた。
空気が痛いと感じたのはこれが初めてで、目的地からかなりの距離が離れているというのに息苦しいと感じたのも初めてだ。
走り続けてから背後で大きな魔力を感じた一方で一つの気配が消えたのを悟った。セリュサにしてもこの結果は心苦しいものだった。だが、戦わなければいけなかった。だから、彼のことがとても心配だった。
これから向かう先はクロノスの故郷。噂でしか聞いたことのない大国は異常魔力によって進入ができないと聞いていたのに、その場所から流れてくる魔力は異常を伝えてくる。
雲行きが怪しくなってきた。雷鳴を轟かせながらこちらに伸びてくる黒雲はこれから起こる悪夢の前兆のように感じる。限界速度を維持して走り続けるセリュサを嘲笑しているように魔の手は確実に広がりを見せる。
異変は刻々と近づいている。だが、それとは別にセリュサの意識に複数の気配が入った。数にして五つ。クロノスたちだったら数が多い。それに移動している位置が後方ではなく左方から来ていた。
トップスピードを維持したまま急旋回、こちらの気配に気付いて分散したうちの一つに向かう。赤い軌跡を引き連れるセリュサの意識が他に移ろうとした瞬間、目の前に光の塊が激突してきた。高密度の熱量にセリュサも密度を上げる。影のように伸びてくる手を剣で捌こうとして掴まれた。
掴まれた部分から灼熱の剣が溶け始めると、セリュサは後方に跳んだ。
光の塊は剣のエネルギーを吸収して人らしい形に姿を変えていく。
細い腕、長い脚、腰まで伸びている髪は風になびいて左右に揺れている。
静かに動き出す。セリュサは剣を構えると地面に刺した。地面に刺さる場所から亀裂が走り、噴きだす炎は風を受けて広範囲に広がり襲い掛かる。一方、炎の波を見上げる光は微動だにせず、手をかざして呟いた。
炎魔術――炎と風の暴風。微風が徐々に勢いを増した竜巻が炎の波を奪い取り、セリュサに向かって牙を鳴らした。それを見た瞬間に、セリュサは対抗することを止め接近戦用に術式を組みなおす。迫ってくる竜巻に対して勝つことを諦めた。
凝縮した魔力を四方に飛ばし、魔術がその内の一つに反応したところで空いた隙間に飛び込んだ。
炎の奥で無機質な目がこちらを見つめていた。
太陽魔術――太陽と幻の矛盾。女を取り囲むように幻影を配置すると、距離を縮める。淡い光にまで収まった瞬間、無数のセリュサが一斉に飛び掛った。その手に武器は握られていない。だが、それは相手も同じことだった。圧縮した空気を爆発させ懐に入り込み魔術を放つ。
太陽魔術――太陽と炎の爆発。セリュサには確実な手応えがあった。だが、いくら待っても大爆発は起こらなかった。その証拠に、女はそこでセリュサの手を握り防いでいた。忌々しい記憶の中からすぐに名前は出てきた。
「カリン・ハイドラ・イフリート!? どうしてこんなところに」
苦い顔でカリンを見る。クロノスによって滅ぼされた人造魔術師は寸分変わらぬ姿を保っていた。三騎士の創設者アヴェロスが己の理想のためだけに世界最強の遺伝子から生み出したクローン兵器。クロノスの双子の半身にして、そして異次元空間に消えた少女の姿をした人形。だけど、以前に見たときとどこか雰囲気が違う。
「太陽の使者、セリュサ・ルーヴェン・ベルリカですね? 」
喋り方も陽気なものではなく機械のように感じる。
「なにか用? わたし急いでいるの」
確認してくるところに攻撃の意思がないと踏んでセリュサは冷静になろうと自身に語りかける。下手に動けば勝てないのは目に見えている。
「あなたに聞きたいことがあると、アヴェロス様から伝言を受けています」
カリンの手が動き、その場から消える。
(くっ……こんなときに)
不運な現状を呪うよりも自分を手引きしている彼女がこのタイミングで現れたことのほうが苛立たしい。そして、これを行なっているのが恩師だと思うとより怒りが湧いてくる。
あの老人は理想のためにもう一度この世界を危機に陥れようとしている。景色が荒野に変わると、目の前に四つの影が横一列になってセリュサを待っていた。光のない闇を住処としている住人のように、見事に気配を溶け込ませている。カリンが手の中に炎を出して宙に投げると、重々しい雰囲気が緩和されていった。すぐに声が出なかったのは彼の周りにいる彼女たちを見たからだ。隣に佇むカリンと同じ顔がある。
「久しいな、セリュサ。ギルドでの活躍は聞いているよ」
好意を前面に押し出してくるその顔を見て吐き気を覚えた。自分の中で存在が歪んでしまった老人の目はやはり腐っていた。
握手を求める手に軽蔑の眼差しで応じた。アヴェロスの背後に控えるカリン以外の四体がセリュサの態度に異を唱えないことに疑問よりも哀れみを覚えた。
その瞳に生気はなく、立ち振る舞いも人間のそれとは遠くなっていた。
「なにか用ですか? アヴェロスさん」
怒気を含んだ声でぶつけた。
「クロノス・ルナリアがいまどこにいるのか教えてもらいたい」
自分のことしか考えられない老人に我慢が限界を超えた。
「そういうことなら、ご自分で探して下さい。わたしはとても急いでいます!」
三騎士から脱退しているアヴェロスに権力がないことはすでにわかっているからセリュサはあえて強く出る。その上で、セリュサはカリンの腕を振り払う。
「それはできない。見つかればわたしが殺されてしまうからね」
アヴェロスは顔をしかめた。言葉通りに殺されてしまえばいいとセリュサでも思ってしまった。人道を外れた彼の行為は褒められることなく正義を崩壊させるだろう。一体なにを考えているのか、法でも裁ききれないほど彼は闇に足を踏み入れてしまった。
「見つからなくてもあなたは近い未来必ず殺されますよ」
「そうかもしれないね。でも、彼女たちがいれば問題ないよ」
「問題あります。あなたはクロノスの言葉を無視してまたも生命を踏み躙った。あなたはもう一度あの惨劇を引き起こすつもりですか!」
セリュサの目が、傍に立つカリンに向けられた。
「この『剣姫』たちは違う。急速な体細胞分裂による寿命、クロノア・ルナリアの因子による暴走もなくした。完璧な調整による完璧な仕上がりだ」
「そんなこと聞いていません。あなたはどうして彼の言葉を聞き入れなかったのですか!」「言葉なら聞いたさ。いまでもこの耳に残っている」
「それなら、どうしてわからないのですか。彼が命を賭けてまで戦った行為は無駄だったのですか!」
アヴェロスはセリュサの訴えにうんざりした顔を浮かべるほど、自分の罪を意識していた。
言われなくともアヴェロスは理解している。目を閉じれば死んだ家族が自分の行為を止めるように言葉をかけてくる。でも、ダメだった。
「わたしはこういう生き方しかできない」
動く口から出る無責任な言葉、視線には幻想だけが宿っている。それがいまのアヴェロスを支え、行動させる最後の砦だ。神聖騎士として多くの悪賊との戦いは、戦いを重ねていくたびに自分の魔術師としての限界を教え、犠牲を払っての行為はイリティスタという化け物を世に放つこと貢献した。
それでも自分が目指すものがなんなのか、役立つために欲望が体を突き動かした。
若かりし頃の正義が残っていればまだよかったのかもしれない。
自分に力があればよかったのかもしれない。
化け物と呼ばれる、彼の力が欲しい。アヴェロスは全てを理解していた。自分の気持ちを一つ片付けるたびに、新たに現れる問題を解決するのに自分という存在は歪んでいく。欲するものは手に入らない。そのために必要なことを、アヴェロスは非道な手段で手に入れた。
世界最強の矛と盾。
世界最強の頭脳。
それを十全に往かすことができる最高の器はアヴェロスの欲望を満たしてくれる。
(腐っている)
言葉はすでに絶えていた。セリュサの中でアヴェロスという過去の英雄はすでに死に、欲望に埋もれた亡者に成り代わった。見ているのが辛かった。
(クロノス……わたしはどうすればいいの)
誰もが望む理想を現実のものにしようと、世界を救うために立ち上がった。それだけなら立派な考えだろう。そして、なんて利己的な考えだと、吐き気を覚える。この老人を前にしてすでに普通の日常的会話ができないことはわかっている。
だが、アヴェロスに対してセリュサの態度は内部から冷え切っていた。熱を帯びていた自分の怒りは彼の隣にいる人形たちを見ているうちに抜けていった。
彼女たちがアヴェロスの弱さを補う屈強な兵器としてこれから多くの戦いを経験することによって、無機質な瞳はなにを思うのだろう。心を失った人形になにができるというのだ。
この瞬間、自分の内側から溢れ出てくる色濃い感情が彼の悲しみを代弁しているように思えた。傷つくのは彼の心。人形を生み出すアヴェロスの心はすでに壊れているから問題はない。だが、彼は理不尽に生み出された半身を手にかけるたびに傷を負わなければならない。
たとえ間違いを犯していてもたった一人の理解者だ。五年前に彼女を止めようとした彼の気持ちを考えると、セリュサは身勝手なアヴェロスに吐き気を覚えるのだ。価値のない正義は排除すべき悪と同義だ。
平和を願う人々の信仰に沿わないものは結果を見る前にやめるべきだ。度が過ぎた行為は正常化されるべき事柄を無視し、魔術師という存在はそれを顕在化させる。力があるだけに本音の部分を包み隠し忘れ、根も葉もない使命感に自身を正当化する洗脳が強く働きかける。人間の本質が善でない限り、魔術師の根源も善であり続けることは間違ってもないだろう。繰り返される歴史が魔術師としての質を衰退させ、このような考え方にしたのなら、天空の使者の考えはある意味この世界を救う一つの答えなのかもしれない。
「セリュサが沈黙を徹すならいまはいいとしよう。ただ、現実はそう甘くない。ギルド連盟本部が何者かに襲撃され、上層部は全滅。世界中に散っているギルドマスターは生きているが半数は殺された。これは非常事態だ」
「どういうことですか」
アヴェロスが口を開いたことで、セリュサは泥沼の思考から抜け出すことができた。考え続けたところで永遠に迷路をさ迷い続けると思ったからだ。それよりも予想外の言葉に思考そのものが停止するかと思った。
「その情報は正しいものですか? 」
「ギルドマスターは各人特別な魔術が込められた装飾品を身に付けている。命が散ったとき、ギルド本部の要人たちに伝わるよう設計されたそれは三騎士の長だったわたしの耳にも届くようになっている」
「確かな情報ならそれでいいです」
アヴェロスの言葉でセリュサは覚悟を決めた。
「わたしはより急がなくては行く必要ができました。失礼します」
「待て」
カリンの手が応じて伸びる。言葉に従う理由はないのに、セリュサの足は動かなくなった。振り返る自分に彼は当然のように求めた。
「理由を聞かせてくれ」
自分でも冷ややかな視線だったと思う。何事も放棄した人間にかける言葉とはなにか?
これ以上人間の愚かな部分を見ることを拒否している自分が冷静に対応することができるのだろうか? 犠牲者になった彼女のことを考えて、一人の魔術師の立場から、無数の言葉の中から選び組み上げる。
これが返事だ。
「あなたにだけは教えない」
セリュサの意思を受け取ったのか、カリンの手が下がると三体の剣姫を眺めてから去った。無言の主を前に命令を待つ。だが、それが告げられる前に、新たな変化が訪れた。
「アヴェロス様、セリュサ・ルーヴェン・ベルリカの去った方角から規定値を超えた魔力を確認しました」
背後のミランが口を開いた。
「フィエナ、原因の特定はできるか? 」
「クリスタル王国跡地の上空で次元の歪みを感じます。おそらく、そこから溢れた魔力が原因かと」
「次元の歪み……まさか」
「アヴェロス様、セリュサ・ルーヴェン・ベルリカを追うように膨大な魔力を有した魔術師が二名、移動しています」
「保有魔力量、魔力質、移動速度からクロノス・ルナリアとフィン・ジークリンデ・ティタルニアだと思われます」
セリュサの行く先にクロノスが現れると思ったが、瞬時に思考を切り替えた。どちらにせよ、自分たちが進む道は決まっている。
「クリスタル王国に向かうぞ。カリンとネリスはいつでも戦闘できるように準備を整えておいてくれ。フィエナとミランは生存者を見つけ出せ。対象者を見つけ次第、保護に回れ」
『了解しました』
剣姫たちが声を揃え、準備を始める。アヴェロスが空を見た。
「現れるというのか……」
渦まく空が怪しく光を放つ。彼女は目覚めた。
†
気を失っていたのはどれくらいか。
肉体の状態から日は経っていないはずだが……。
「ソニア……ゲイル……あなたたちはどうしてこんなことを」
別れを告げたはずの友人の亡骸にマリアの涙は枯れてしまった。マリアが一人ひとり確かめるも、息をしている者はいなかった。魔力の鼓動も聞こえない。大穴を覗き込むと役目を果たした構築式は消えていた。空を見上げれば雲が晴れ、満開の星空が広がっていた。だが、夜の闇に紛れて不特定多数の空間の歪みを感じる。
「超古代の負の遺産……全生命力を変換して次元干渉するなんて」
魔術の暴走現象を利用して足りない力を補充して次元崩壊の可能性をゼロにしたが、代わりに多くの犠牲者が出ることになった。
「急いで亀裂をなんとかしなければ……クロノスとセリュサに早く連絡をしなくちゃ、クロノア・ルナリアが」
『そんなことされちゃうとわたしが困るからやめてもらえないかしら? 』
突如、マリアにしかいない場所に声が響いた。
「どうして……」
その声に、マリアの背筋が凍りついた。
「レンによって身動きがとれないはずなのに……」
『そういえばそんな登場人物がいたわね。だけど、彼の呪縛からならとっくの昔に解放されているわよ』
「そんな、レンが……」
『あら、序列で言えばわたしのほうが強いんだから当たり前じゃない』
信じられない。でも、実際に声が聞こえるなら受け入れるしかない。五年前と変わらない彼女の声。
「世界最強は伊達じゃないわね。お姉さん、びっくりしたわ」
平然を装うマリアの言葉に、声の主は呆れたように笑いを零した。
『わたしの記憶ではマリアさんはお姉さんの年齢ではないはずよね。そんなことだから、クロノスに振り向いてもらえないのよ』
「あら、呼称に年齢は関係ないわよ。それよりもその言い方は本当に昔から変わらないわね。クロノスとは違って実験体になることにも協力的だったし、まるでこの世の流れを網羅しているような、そんな気がするわ」
『ご明察と、ここは褒めておきましょう。だけど、その回答に至るまでにあなたは遅すぎるわ』
「あなたがアルビノだということを忘れていたことに怒っているの? 」
『怒りはしないけど、不満はあるかな。わたしのことを一時でも忘れようなんて生意気よ』
「誰だって忘れたい時があるのよ。特にクロノスはね」
『そうそう、クロノスといえばイリティスタに勝ったそうじゃない。あの身体でよく頑張ったものね』
「あなたは自分がなにをしたのかわかっているの!」
『怒らなくてもわかるわよ。そう。わたしには全てがわかるこの世のありとあらゆる事象を理解できる。だから、イリティスタにクロノスが勝つことを見込んで枷を嵌めた』
「わかるようにいってもらえないかしら? 」
『あの呪印は、強すぎるクロノスの力を抑えこむもの。あれがなければクロノスの暴走によって世界が崩壊しちゃうじゃない』
言葉のやり取りの間にも彼女の存在が強くなっていく。マリアは無言で次元の歪みを探し出すと急いで修整を加える。だが、それを阻む力がある。
『悪いけど、ここにいてわたしは世界を眺めてきた。異次元空間には時間の概念がないから確かなことはいえないけど、やっぱりこんな世界は滅ぶべきだと思うかな』
「結論が早すぎない? あれからまだ五年しか経っていない。人が変わるには十分でも、世界は五年じゃ変化しないわよ」
『それはあなたたち人間の力不足よ。わたしは五年もあれば一万回ぐらい世界をやり直せる自信があるけど』
声には絶対の自信と自嘲の響きが混ざっている。
「そんな理不尽な力と比較されたくないわ」
押し寄せる力の波動は、マリアの戦意を確実に奪っていった。
『アルビノではないあなたたちには理解できないでしょう。生まれもって欲しくもないこの力に込められた残酷な意思がわかるかしら? 』
「大罪人の言葉なんて聞きたくないわよ」
『実はわたしって初めて出会ったときからあなたのこと大嫌いだったの』
豪快に笑う。その笑い声がとても不愉快だった。狂気が混ざっている笑い声に他人のことをあまり嫌いになることのないマリアが、過去に一人だけ好きになれなかった人間いることを思い出した。人間として完璧すぎた彼女はどこか人間として欠落していた。完璧なゆえに壊れていると言ってもいい。
「それは奇遇ね、クロノア・クリスタル・ルナリア」
『いい笑顔ね、マリア・フロラリア・ルーチェ』
嬉しそうにクロノアは優しい響きで語り掛ける。
『それではここでもう一度わたしの思想を教えましょう。わたし、クロノア・クリスタル・ルナリアは世界再生を目的にこの馬鹿げた世界を破壊させていただきます』
再度通告は、嫌な予感を膨らませマリアに覚悟を決めさせた。万全の体調ではない自分ができることは悪あがきだけだ。
『それで青海の癒し手さん。わたしの半身がここに到着するまで最後の悪あがきとしてゲームをしましょう』
「魔力が元に戻っていく……どういうつもり!」
『体調万全のほうが楽しめるでしょ。身体異常はなくしたつもりだけど、どこか違和感があったら教えてね。すぐに治してあげるから』
「断固拒否します!」
マリアの周辺の空間が湾曲すると中から無数の手が出てきた。解析不能の術式にマリアは素早く守護結界を張り、空間に修整をかける。押し殺すような笑いはマリアの精神を追いつめていく。終わりのない悪夢は彼女にとって、ただの遊びだ。勝ち目のない戦いの結末は、これから始まる地獄への合図となり、破壊を司る破壊神をこの世界が現れることになるだろう。
異次元空間の向こうから。




