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桜命館の午後

 桜命館の食堂は、二階にある。ミュンヒがいた執務室からは少し離れた、玄関ホールを挟んで反対側にある部屋だ。その広さはかなりのもので、鈴鹿の屋敷の大広間と同じくらいか、それ以上。中には、幾つものテーブルとイスが並んでおり、大人でも百人程度ならば、余裕で座れそうであった。

 その食堂に入ってまず行うことは、列に並ぶことである。ここは、レストランのように席に着いて注文をすれば、料理が運ばれてくるわけではない。学校の給食や一般的な社員食堂と同じように、自分から取りに行く形式なのである。

 料理を受け取り、席に着き、全員が揃ってからの「いただきます」が、この桜命館の食堂における決まりとなっていた。

 そうして、列に並び、配膳を受けていると、気付くことがあるだろう。それは、その場にいる人のほとんどが、女性であるということだ。実は、この桜命館で働く者たちは、あるじであるミュンヒを除いて、そのすべてが女性なのである。

 さらには、その女性たちが全員、侍女姿であることにも気付くだろう。列に並んでいる人はもちろん、配膳担当や調理担当の人さえも侍女の姿であり、そこにパートのおばちゃんなどはいない。これは、桜命館が部外秘の情報を扱うことが多いためであり、外部の者の出入りを極力抑え、情報漏洩の危険性を少しでも下げるためであった。

 その全員が館で暮らし働く侍女であり、その全員が妖怪と戦うことのできる戦闘員である。それが、『桜命館・くれないきば』という退魔組織なのであった。



 さて、鈴鹿たち四人が食堂に到着すると、すでにそこは多くの人で賑わっていた。

 配膳を待って列を作る人、席に着いて談笑している人など、館中の人間が集まるだけはあって、結構な込み合いを見せている。

 列はまだ長く、席の方は半分程度が埋まっているだろうか。その中には、配膳を済ませて座る、ミュンヒとサナの姿もあった。

「ああ、来た来た」

 二人は、鈴鹿たちに気が付くと、ここに座れと自分たちのテーブルを指し示す。

 鈴鹿とケイトは、それに応じ、リンカとミカの二人をミュンヒたちに預けると、自分たちは配膳の列へと向かった。

 その時点で、二十人ほどが並んでいたのだが、案外待ち時間は短かった。最後尾についたにもかかわらず、五分そこそこで二人の順番が回ってくる。

 なぜ、それほどに早かったのか。理由は簡単、メニューが一種類しかないからだ。ここには、A定食やB定食のような種類はなく、日替わりが一種類あるのみ。そのため、注文、調理に時間が掛かることはなく、配膳を早く済ませることができるのである。

 そうして、自分たちと小さな二人の分も料理を受け取ると、鈴鹿とケイトはミュンヒたちの待つテーブルへと戻る。

 すると、先に座っていたリンカとミカが、声を上げた。

「すじゅかとすわる~」

「あーしもー」

 よほど、彼女のことを気に入ったらしい。いつもケイトの隣が定位置の二人からしたら、珍しいことだった。

 そんな二人に、鈴鹿は、

「いいよ~」

 と、気軽に返事をしたのだが、ケイトが難色を示す。なぜなら、小さな二人は、まだ食事に不慣れだったからだ。

 小さな二人は幼い二人であり、まだまだ食事に不慣れな部分が多い。食器を落としたり、食べこぼしたりと、いろいろと世話が必要になる可能性が高いのだ。その面倒を鈴鹿に掛けるわけにはいかないと、ケイトは考えたのである。

 しかし、鈴鹿は、

「むしろ、望むところよ」

 と、ケイトを説得し、二人を隣に座らせた。

 その結果、鈴鹿の両隣にリンカとミカが、さらにそれを挟むようにしてサナとケイトが座るという形になったのだが、これは、大人三人で幼児二人の面倒を見るための座り位置だった。

 そんな大人たちの考えは余所に、希望が叶った二人はご機嫌だ。

「ごっはん~、ごっはん~」

「ごあん~、ごあん~」

「すじゅかと、ごっはん~」

「しゅうかと、ごあん~」

 などと、体を揺らしながら、皆が揃うのを待つのであった。

 それから少しして、食事当番までを含んだすべての配膳が完了する。普段ならば、「いただきます」の唱和で食事が始まるところだが、この日は、まずミュンヒから鈴鹿の紹介が行われ、それからの昼食開始となった。


 数十分後。

 各テーブルでは、食事を終えて談笑している者、忙しそうに膳を下げて食堂を後にする者など、様々である。鈴鹿のテーブルでも、すでにミュンヒとサナの姿はない。急ぎの仕事があるらしく、昼食を済ますと早々に席を立っていた。

「鈴鹿様。この後は、どうされますか?」

 デザートに貰ったアイスを食べてベタベタになったミカの口を拭きながら、ケイトが尋ねる。

「そうだねぇ……」

 鈴鹿は、少しの思案を見せて答えた。

「ケイトは、この後って予定ある?」

「あると言えば、ありますし。無いと言えば、無いですし。まあ、急ぎじゃないんで、何かあるんでしたら、お手伝いしますよ?」

「そう? だったら、ちょっと手合せをお願いしたいんだけど」

「手合せ、ですか? でも私、剣とか得意じゃないですよ?」

「いいのいいの、素手で。私も、本番前に怪我したくないし」

「それなら、まあいいですけど。すぐに、始めますか?」

「うん? さすがに、ご飯食べてすぐはしんどいから、――」

 そう言うと、鈴鹿は食堂の時計を見る。その針は、まもなく午後一時を指そうとしていた。

「一時半で、どう?」

「わかりました。一時半ですね。場所は、闘技場でいいですか?」

「うん。いいよ」

 桜命館では、戦闘訓練と実力審査を兼ねて、隊員同士で試合をすることがある。それを行う場所が、闘技場と呼ばれていた。

 ただ、闘技場などと仰々しい名前で呼ばれているが、しっかりとした施設があるわけではない。そこにあるのは、テニスコート二面分の開けた土地と、それを囲むように設置された簡素な観客席だけである。その開けた土地も土が剥き出しで、石や木で作られた舞台のようなものはない。観客席が無ければ、ただの平らに整備された空き地にしか見えない。そんな場所だった。

「迎えは?」

「大丈夫。場所、覚えてるから」

「本当に?」

「……たぶん」

「まあ、わからなかったら、誰かに聞いてください」

「うん」

「それでは、また後ほど」

 鈴鹿とケイトが二人そろって席を立つと、リンカとミカもあとに続く。イスから降りると、小さな二人は手を上にして言った。

「とってー」

 一瞬、鈴鹿は何の事だか分らなかったが、ケイトを見て、それがお膳のことを言っているのだと気付く。ミカが使っていたお膳を、ケイトが取って、渡してあげていたのだ。

 そこで、鈴鹿もそれを取ってリンカに渡してあげると、彼女は、にぱっと笑って言った。

「ありがとー」

 子ども用の食器類は、すべて軽いプラスチック製のため、リンカだけでなくミカでも十分に持って歩くことができる。真似をしたがることは、危険のない範囲でさせようというケイトの考えで、リンカとミカも自分のお膳は自分で片付けることになっていた。

 そうして、四人揃ってお膳を返している時に、ケイトが思い出したように言った。

「そうだ、運動着。タンスに用意されていると思いますので、よかったら使ってくださいね」

「別に、このままでもいいよ?」

「まあ、そう言わずに。吸水、速乾、肌触り。いろいろと高性能ですから」

「ふ~ん。そこまで言うなら、使ってみようかな」

「是非に」

 そして「また後で」と言葉を交わすと、鈴鹿はケイトたち三人と別れ、一度、部屋へと戻っていった。


 十三時二十分。桜命館裏の、森の中にある闘技場。

 そこには、すでにケイトが立っていた。その姿は、先程までのスカート姿ではなく、半袖Tシャツにチノパンツという、いかにも動きやすそうな恰好をしている。鈴鹿に勧めていた運動着とは、これのことであった。

 一方、観客席では、リンカとミカの二人が遊んでいる。この二人、余程のことがない限りは、ケイトの行く先に付いて来ていた。

「いい? 二人とも。そこから、出ちゃダメだからね」

「は~い」「あいー」

 仲良く手を上げて応える二人。その横には、大きめの電光掲示板、時間の計測器が置かれていた。

 二人の返事を確認すると、ケイトは一人、体を動かす準備を始める。準備と言っても、ランニングをするわけでも、体操をするわけでもない。始めたのは、ただの呼吸だ。

 足を肩幅に軽く開くと、手の緊張を解いて下げるがままにする。そして、その姿勢のまま、鼻から息を吸い、口から吐いていく。どちらも静かに、細く長く、五秒ほどの時間を掛けるが、吸うよりも吐く方が少し長い。その様子は、胸や腹で呼吸をするというよりは、体全体で呼吸をしている感じであった。

 一連の動作を五回ほど繰り返し、最後に深く息を吐いてその呼吸を終える。それだけで、少し体を温めることができた。

 それから、軽く体操をして筋肉をほぐしていると、鈴鹿が走って姿を現した。その恰好は、ケイトと同じ運動着姿だ。

「ごめんね、まったー?」

「いえ、大丈夫ですよ」

「いや~、あまり知らない場所で、近道しようとしたらいかんね。迷っちゃったよ」

「もう、気を付けて下さいよ」

「ごめん、ごめん」

 子どもをたしなめるようなケイトの言葉に、鈴鹿も軽く詫びる。そして、そのまま闘技場の真ん中ほどに立って言った。

「よし。それじゃあ、始めようか」

「準備運動とかは、いいんですか?」

「うん。ここまで走ってきたから、それで十分。そう、走ってきたと言えばさ。これ、すごいね」

 鈴鹿は、自分の胸をさすりさすり、示す。

「一緒にあったブラも付けてみたんだけどさ。走っても、ほとんど揺れないの」

「しっかり採寸すれば、もっと揺れなくなりますよ」

「胸が大きいが故の、悩みだものね」

「特に我々、激しく動きますからね。昔は、さらしをぎゅうぎゅう巻きにしてましたけど、これのおかげで大分、楽になりました。痛くないし、形も崩れないしで、万々歳ですよ」

 そう言うと、ケイトも自分の胸をさすって見せる。

「でも、デザインは可愛くないよね」

「そこは、まあ……。我々も、訓練とか戦闘時にしか使いませんから」

「そうなんだ」

「そうですよ。女性的な柔らかさを見せつけるためにも、普段は適度に揺らしておかないと」

「そうなんだ」

「そうなんです」

 一体、誰に見せつけるのか。相手を知っていた鈴鹿は、一瞬、ちゃかそうかと考えたが、話しが長くなりそうだったのでそこで切り上げた。

「それじゃあ、始めようか」

「ルールは?」

「うーん。じゃあ、法術なしの、体術のみで」

 鈴鹿の言う法術とは、妖術や魔法といったもののことである。

「時間は?」

「一時間くらい?」

「OKです。リンカ。時間、セットして」

「はーい」

 リンカは、計測器の時間を設定、一時間後にブザーが鳴るようにする。幼いながら、何度も同じような作業をしているので、すっかり覚えていたのである。

 準備を終えると、リンカは、息を大きく吸い込んで叫んだ。

「よーい!」

 その言葉に、鈴鹿とケイトは互いの拳を軽く打ち合わせる。

 そして、リンカは、ミカの方を向き、一緒に言うように促した。

「「すたーとぉー!」」

 小さな二人の揃った声を合図に、それは始まった。


 始まりの声が響くや否や、二人は間髪を入れずに動き出す。

 初手は、鈴鹿だ。ケイトよりも一瞬早く動くと、鋭い右拳の突きを、相手の顔面目掛けて撃ち放つ。

 しかし、それは当たらない。即座に反応したケイトの左腕に内側から弾かれ、軌道を変えられてしまったからだ。

 そして、その弾いた動作を利用して、次手はケイトへと移る。左腕を外に開く体の捻りを使い、自信の右拳を鈴鹿の左脇腹に目掛けて振るう。

 だが、その攻撃も、命中する寸前に鈴鹿の左手によって受け止められてしまう。

 すると、今度は鈴鹿の番だ。難なく受け止めたケイトの拳を強く握り、そのまま捻り、関節を極めて投げようとする。

 しかし、ケイトも、素早く反応。鈴鹿が捻るよりも早く体を回転させて関節を逃すと、再び今度はこちらの番とばかりに、攻撃へと移っていく。


 隙あらば急所を狙い、あわよくば関節を極めようとする。はたから見れば、両者共に相手の体を破壊する気まんまんに見えるだろう。しかし、当の本人たちには、そんな気は毛頭ない。互いに、この程度の攻撃は受け流されるとわかっているのである。

 あくまで訓練、しかし、限りなく実戦に近く。ぎりぎりの線引きで技を出し合っていた。

 動きを止めることなく、鈴鹿が笑う。

「相変わらず、容赦が、ないっ、ねっ!」

「それ、はっ、こっちの、セリフですっ、ヨッと!」

 会話の内も、めまぐるしく変わる攻守。留まりなく続く両者の動きは、まるで攻撃の順序を打ち合わせていたかのように、なめらかに流れていく。

 だが、そんなことはしていない。ただ、両者が、相手の出してきた技に、その場で対応しているだけなのだ。どれほどの経験を積めば、これほどの動きが可能になるのか。分かることは、鈴鹿とケイト、二人が尋常ではないということだけだった。

 その戦いが、十分ほど続いた時。突然、二人の拳と拳が、ぶつかり合う。その激しさ故に、辺りには鈍い音が響いたが、二人の表情は変わらない。痛みを感じた様子もなく、少しの間、拳を合わせたままにしていると、一旦距離を取った。

 構えを解いて、鈴鹿が言う。

「最初はもっと、緩めにいこうよ」

「何言ってるんですか。あんな鋭い突き、出しといて。一般人どころか、うちの若い子だって死んでますよ」

「それは、ケイトだからでしょうが。あたしだって、手加減する時はするよ!」

 そう言うと、再び、体をぶつけ合う鈴鹿とケイト。今度は、先程までの流れるような動きからは一変、力と力をぶつけ合うような打撃音が響くようになった。

 だが、そのいずれも相手への有効打を与えた音ではない。拳を拳ではじき、蹴りを蹴りで防ぐような、攻撃が攻撃であり防御でもある。そんな戦い方の音だ。

 その表情は、実に楽しそうに笑っている。共に、戦闘狂のきらいがある二人であった。


 戦い始めて、一時間後。ブザーの音が鳴り、辺りに静寂が戻る。

 鈴鹿とケイトは、共に深く息を吐くと、構えを解いて向き合った。その姿には、目立った外傷はない。それどころか、さほど疲労している様子も見られない。一時間、ほぼ休みなくぶつかり合い、鈍く激しい音を響かせていたとは思えないほどに平然としていた。

「ふぅ。付き合ってくれて、ありがとね」

「いえ、こちらこそ。良い刺激になりました」

 二人は礼を交わすと、リンカとミカの座る観客席に歩いて行く。

「このあとは、どうされますか?」

「特に決めてないよ。勘は、十分に取り戻せたと思うし」

「それじゃあ、よかったら。二人と遊んであげてくれませんか」

 そう言いながら、ケイトはリンカとミカを一人ずつ抱き上げ、地面へと下ろしていく。

「いいよぉ。何して遊ぶ~?」

 鈴鹿が小さな二人を覗き込むと、揃って元気な声が返ってきた。

「「おにごっこー!」」

「鬼ごっこかぁ。いいけど、あたし強いわよ!」

「いいよ~」

「いー」

 リンカとミカは、諸手を上げて喜んだ。

「ああ、でもその前に。ちょっと、汗を流したいかな」

「わかった~」

「たー」

 仲良く歩き出す三人を眺め、ケイトは思った。

(鬼ごっこかぁ。これは、荒れちゃうかなぁ……)


 数十分後。

 ケイトの予想通り、鬼ごっこは、館中を巻き込んでの大騒動になっていた。

 小さな二人によって、片っ端から強制参加させられる隊員たち。最初は楽しく遊んでいたものが、いつしか設けられた罰ゲームによって遊びは地獄へと変わる。それはもう、死屍累々のバトルロイヤル。十七時の鐘の解放まで、それは続いたのであった……。


「あ~。当分、鬼ごっこはいいや」

 ベッドに倒れ込みながら、鈴鹿は一人ごちた。

 夕食を終え、大浴場の風呂にも浸かり、疲れを取った鈴鹿。今いるのは、自分に宛てがわれた部屋である。リンカとミカからは一緒に寝ようと誘われたのだが、明日のことを考えて、さすがに辞退をしたのだった。

「さて。明日は、早く起きなきゃだけど」

 鈴鹿は、電気を消し、目を瞑る。いつもに比べれば、かなり早い就寝時刻ではあるが、昼間に目一杯の運動をさせられたおかげで、すぐに微睡まどろみ始める。

 まだまだ、残暑の厳しい九月の夜。外に聞こえる虫の音が、心地よい響きをもって、鈴鹿を眠りへと誘う。

 空に映える月明かりの元、少しばかりの秋が姿を見せ始めていた。


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