月下の戦い
雷と共に、男の体に降りてきた悪路王。その具合を確かめるように、指を動かし、拳を握り、腿を上げ、地面を踏みしている。
「ほう、中々」
自身と、男の体との親和性に満足した様子で頷くと、今度は大太刀を振るい始める。初めは両手で、次に片手で振っていた。
「具合は良いが、片手では少し重いか」
見た目には軽々と振り回しておきながら、そんなことを呟いている。
鈴鹿は、その様子を懐かしく感じ見ながらも、警戒は怠らない。鋭い視線を向けたまま、疑問を投げかけた。
「どうして、降りてきたの」
悪路王は、太刀を振るのを止めて答える。
「ん? それは、まあ……。悪路王を名乗るからには、情けなくては困るってところだよ。自分の名を騙った奴が、情けなくも戦意喪失なんてなあ。鈴鹿殿も、嫌だろう?」
「まあ、分からなくはないけど」
「一刻(約三十分)も経たずに負けを認めるなんぞ。察しが良すぎるんだ、こいつは」
そう言って、自分の胸をバンバンと叩く悪路王。
「生死を賭けた戦いに、潔さなんて必要ないんだよ。生きて勝たねば意味がない、そうだろ? こいつは、それが分かっていない。まあ、ここまでとんとん拍子に強くなってしまったが故に、死への恐怖が薄かったのかもしれんがね」
そう語り終えると、悪路王は構える。それは、男がしていた構えと同じ。左足を前に、太刀を右脇へと流す。これから動く、そう宣言する構えだった。
そして、悪路王は、何を言うでもなく土を蹴った。撃ち出された弾丸の如く、一直線に鈴鹿へと飛んでいく。
それは突然の動きだったが、鈴鹿に慌てた様子はない。そんなことは百も承知といった感じで、上段の構えを取り、迎えた。
(その意気や、良し)
悪路王は薄く笑うと、踏み込む足にさらに力を加え、速度を上げる。
一方、鈴鹿は左足を引き、待ち構えていた。
そこへ飛び込んでいく悪路王に、ためらいはない。駆ける左足が自分の間合いに届いた瞬間、右足を前に出しつつ、勢いに乗せた大太刀を右下から振り上げる。
そこは、完全に悪路王の間合い。刃の長さに負ける顕明連では、届かない距離だ。
しかし、鈴鹿は慌てない。咄嗟に前に出ると、自分の間合いを作り出した。引くのではなく、押し出でる。相手の刀ごと、叩き斬ろうとしたのである。
悪路王の操る大太刀は、刃も長ければ柄も長い。釣り合いを持たせるために、他の刀に比べて随分と長くなっている。その長さゆえ、振り上げ途中の体の正面には、柄の部分しかなかったのだ。鈴鹿は、そこを斬ろうとしたのである。
真っ向から悪路王の頭上へと振り下ろされる顕明連。
しかし、悪路王も、恐ろしいほどの反応を見せる。頭を割られる寸前、大太刀の振り上げと共に前へ進めていた右足を強引にその場に叩き下ろし、体を左へと動かしたのだ。これで、刃を刃で受け止めることができる。さらには、刃を受けた瞬間、上げていた切っ先を外側に下げ、顕明連を外へと流していったのである。
(やられたっ!)
刀、さらには兜ごと斬ろうとしていた鈴鹿の刃は、止まることができず、そのまま刃先へと滑り落ちていく。受けることは予想していたが、あの体勢から流してくるとは思っていなかったのだ。しかし、考えるよりも先に、鈴鹿の体は反応していた。咄嗟に、左足を左前に大きく踏みだし、何とか体を保ったのである。
だが、それでも顕明連の流れは止まらない。
大太刀の半分ほどまで流れていった所で、今度は悪路王が動いた。顕明連から太刀を引き上げ、上段から鈴鹿目掛けて振り下ろしたのである。
鈴鹿は、これにも即座に反応。残していた右足を力いっぱいに蹴り、右半身を後ろへと回す。そして、その勢いを利用して自由になった顕明連を振るい、速さが載る前の大太刀を弾き返した。
その結果、互いに体勢を崩すこととなった二人は、一旦距離を取った。
「今のをよく避けた。腕を上げたな、鈴鹿殿」
「そっちこそ。相変わらず、とんでもない動きをしてくれる。あの世に行っても、腕は鈍っていないようで」
「向こうは、特にやることも無いんでね。暇さえあれば、剣を振るってたのよ。で、どうする? そのままで、続けるか?」
悪路王は、鈴鹿を指差して言う。ジーンズパンツにTシャツという、その恰好のことを言っていた。
「まさか。その体でも、何も問題ないみたいだからね。こちらも、全力でいかせてもらう」
「そうこなくては」
鈴鹿は、顕明連を一度鞘に収める。そして、空いた手で髪をまとめ結い上げると、左の手の平をくるりと回した。すると、いつの間に持っていたのか、その手には黒い被り物が載っていた。
それは、烏帽子と呼ばれる、神社の神職が神事で頭に付けることの多い黒い被り物である。特に、鈴鹿の物は立烏帽子という、背の高い被り物であった。
その立烏帽子を、先ほど結い上げた髪を中に入れるようにして被り、固定する。さらに、位置を整えるように目深にすると、次の瞬間、鈴鹿の全身は鎧に包まれていた。
頭部は、立烏帽子そのままに。上半身は、平安の世に見る大鎧の特徴を持って華やかで、下半身は、胴丸や具足のように動きやすさを重視した意匠となっている。
鎧を着てしまっては、動きに支障をきたすと考えるかもしれない。しかし、鈴鹿の鎧は特別だ。精霊の加護によって、様々な恩恵を受けることができるのである。重さはほとんど感じることが無く、むしろ動きは素早くなる。防御力も高く、ただの金属製の武器や生半可な法術では傷一つ付けられない。そういった代物だった。
その女武者姿となった鈴鹿を見て、悪路王が言う。
「少し、鎧を変えたかな?」
「まあ、多少はね」
華美さを残しつつ、動きやすさ、戦いやすさを求める鈴鹿。幾度もの改良を重ねた結果の、この鎧姿であった。
「大小、おいでませっ!」
続けて鈴鹿が叫ぶと、大通連、小通連がひとりでに鞘から抜け出し、飛んでくる。真っ直ぐに鈴鹿の元へやって来ると、その周りをくるくると回り始めた。その様は、まるで名前を呼ばれるのを待っていた犬が、喜び勇んで飛んで来たようである。そして、しばしの間それを続けると、彼女の右側と左側に、それぞれが宙を漂い留まった。
「うむ。これでこそ、鈴鹿御前よ」
生前、幾度となく切り結んだ姿を前にして、悪路王が言った。そのあまりの強さに、鬼神と呼ばれ、恐れられた鈴鹿御前の姿である。
「お待たせした」
顕明連を再び抜き放ち、準備完了と鈴鹿が告げる。三刃による攻撃と、鎧による堅固な守り。これが、鈴鹿の持ち得る最高の戦装束であった。
「うむ。では、始めようか」
鈴鹿の声に、悪路王は再び右脇に大太刀を構える。
それに対し、鈴鹿は正眼に構えた。大小の剣も、両側で同じような型で止まっている。
「我、戦鬼・悪路王が全身全霊。汝、鈴鹿御前に、お相手願おう!」
「応さ! 烏帽子の鈴鹿。戦姫が全力をもって、お相手致す」
互いに名乗りを終え、臨戦態勢となる二人。
そして、悪路王が左足を前へ、半歩すりだし叫んだ。
「いざっ!」
「「勝負っ!」」
二人の声が合わさり、戦いが始まった。
先手を取ったのは、鈴鹿だ。先程のお返しとばかりに、一瞬にして詰め寄ると、怒涛の連続攻撃を仕掛ける。顕明連、大通連、小通連の刃が、上段、中段、下段、様々な角度から悪路王へと襲い掛かる。
悪路王は、防戦一方になった。鈴鹿の鎧の特性を知ってはいたが、その速さを見誤ったのである。正面から次々に襲ってくる鈴鹿の攻撃は、容赦がない。上を捌けば、次は下。下を捌けば、次は横。それを避ければ、すかさず突きに襲われる。押しても引いても、鈴鹿の間合いから逃れることはできず、一瞬でも気を抜けば、体のどこかしらを持っていかれるような状況だった。
その時だった。悪路王の太刀が、大振りで鈴鹿の一刀をはじいたのは――。あせったのか、どうしたのか。一秒にも満たない時間だが、悪路王に隙が生じる。
それを鈴鹿は見逃さない。三刃を、右薙ぎ、左切り上げ、真っ向と放つ。通りが重ならない時間差ではあったものの、ほぼ同時の攻撃であった。
しかし、それは悪路王の策だった。大振りに振るったとみせた大太刀を引き戻し、同時に迫る刃を一度に打ち払う。見事それは成功し、鈴鹿と距離を取ることに成功する。
悪路王は、自分が隙を作れば鈴鹿が同時攻撃をしてくると予想していたのだ。いや、それは確信に近かった。大昔のこととはいえ、長い付き合いの二人。互いに動きの癖というものをよく知っている。長い年月を掛けて動きは洗練されても、本能的な癖というものは消しきれるものではない。それを利用したのである。
鈴鹿と距離を取ることに成功した悪路王ではあったが、その間は使わない。すぐさま、己の間合いへと近づくと、今度は鈴鹿が守る番となった。
大男に大太刀である。一撃一撃が、重い。まともに剣で受けては、いくら鈴鹿でも押されてしまう。決して一本で受けるような事はせず、二本、時には三本で受け、何とか防いでいた。
しかし、数で勝るのは鈴鹿である。はじかれた際に崩れた体勢は徐々に立て直され、互いに攻守を繰り返す戦いへと変わっていく。
はるか頭上に輝く月の下。
鈴鹿と悪路王の戦いは、始まったばかりだった。




