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瓦落の皇帝、黎旦の妃。





 ばったり倒れた身体に、寝台にいたシオンは手を伸ばす。伸ばした手に応えてくれたヴェナートは、倒した身体をゆっくりと起こし、シオンが心地よいと感じる場所に移動してくれた。


「ヴェナ……?」

「今宵は……」


 なにかを言いかけて、しかしすぐに寝息が聞こえてくる。よほど疲れたのだろうかと思ったが、ガランが角灯を持って近づいてきたとき、その顔色の悪さを見て息が詰まった。


「ヴェナ、あなた……」


 すぐにガランに確認を取る。ガランは力なく首を縦に振った。


「もう、手の施しようがありません……全身に、毒が回っているそうです」


 いったいいつから手を出していたのか、とガランは悔しそうにしていた。その話し方から、ヴェナートが自ら毒を煽っていたのだと知れる。


「解毒は、無理なのね……?」

「申し訳ありません、妃殿下。わたしが、おそばにいながら……っ」


 涙を流すほど悔やんでくれるガランに、シオンは苦笑する。この場にガラン以外の者がいたら、シオンに「なぜ笑っていられるのか」と問うたであろうが、むしろヴェナートにずっと仕えていたガランだからこそ、ヴェナートがなにをするかわかっていただけのことだ。シオンは、自分が寝台を離れられなくなったときから、いつかこうなるとわかっていた。


「どうか、わたしも共に逝くことを、お許しください」

「……あなたはどこまで知っているの?」

「わたしは陛下が幼き頃よりそばで仕えております。知らぬことなど、なにもありません」


 ガランはなにがあってもヴェナートの味方だった。ヴェナートのどんな命令にも答え、忠実に働いてくれていた。それはウィードのように、影ながらヴェナートを支えていた。ヴェナートがそばに在ることを許した臣下は、ウィードのほかにこのガランだけだった。


「ヴェナは、あなたにも、たくさん助けられたわね」

「そのような勿体ないお言葉、今のわたしには……っ」

「いいえ、充分よ。だから、本当なら、あなたを共に連れて逝くわけにはいかないのだけれど……」

「わが君主はヴェナートさまのみ。どうか、共に」


 涙を流しながら、ガランは跪く。だが、ガランの願いを叶えるのは、ヴェナートの役目だ。

 そのとき、もぞりとヴェナートが動く。眠ったと思ったのだが、一瞬だけ気を失った状態であったらしい。重そうに瞼を上げると、跪くガランを見つめた。


「いい加減、解放されればよいものを」

「わが君主はあなたさまのみ」

「まあ、そうだな……そなたは、なにを言っても、余から離れん。奇特な奴よ」


 ふふ、とヴェナートが笑った。壊れたような笑い方に、わたしより先にいくのではと、シオンは不安になった。


「ヴェナ」

「案ずるな、シオン。余はまだ死なぬ」


 残していることがあるからまだだ、とヴェナートは言う。


「ガラン、片をつけよ。それからだ」

「御意に」


 ヴェナートから許しを得たガランは、流していた涙を拭うと、足早に寝室を去って行った。


「ガランは残すべきだわ」

「いや、あれは力がない。これからを生き抜くことは、できぬだろう」

「けれど……」

「ウィードを置く」

「ウィードを?」

「天恵者だ。生きぬくことができよう。あれを護ることも、可能だ」


 ガランよりも、ウィードのほうを連れていくと思っていた。だが、ヴェナートはそうする気がまったくないらしい。だからこの場にウィードがいないのか、とシオンは納得する。おそらく、もう言ったあとなのだ。言われたウィードは、拗ねてどこかに隠れているのだろう。


「……ウィードのほうこそ、危ういわ」

「それでよい」


 くく、とヴェナートは笑う。


「ウィードに、任せたいのだ」

「……すべてを?」

「優しき守護者となろう」


 楽しそうなヴェナートに、本当にこれでよかったのだろうかと思う気持ちと、これで漸く解放されるのだという安堵が、同時に込み上げた。


「子どもたちは……」

「ウィードが護ろう。それくらいの力はある」


 安心しろ、とヴェナートは言って、再び意識を手放した。自ら毒を煽り、シオンと共に逝くことで復讐を終えようとするその姿に、シオンはさまざまな感情を抱きながらも、ヴェナートに身を寄せて瞼を閉じた。







 それから、三日ののち。

 激しい雷雨のなか、真っ赤に染まり上がっていたルーフの花が、一斉に本来の白を取り戻した。


 聖国皇帝ヴェナート・ヴィセイズ・ヴァリアス、崩御。

 聖国皇妃シオン・ファナ・ヴァリアス、崩御。


 世界各国にその知らせは届けられ、ある国では世界が救われたと喜び、ある国ではこれで天恵が正されると安堵し、ある国ではこれからの聖国を如何にすべきかと話し合われた。

 皇帝皇妃崩御に涙を流したのは、僅か数人であった。慕われていた皇妃はともかく、狂皇とされたヴェナートの死を悲しんだ者が、圧倒的に少なかったのである。最期まで忠臣であった宰相ガラン・オル・アークノイルは、その死を完全に護り、葬儀を終えてすぐ服毒により自害した。ガランの後追いを止めることができたものは、いなかった。それほど素早く、ガランはあとを追ってこの世の人ではなくなったのである。

 そして、その日、ひとりの騎士が姿を消した。それは誰に知られることなく、ひっそりと、しばらく気づかれることもなかった。


 それから。


「わたしに……弟、が?」


 流行り病に身を冒され、両親の死を寝台の上で聞かされた皇太子は、さらに自身に弟がいたことを知らされた。


「知らぬ……わ、わたしは、そのようなこと、一度も」


 皇太子にそれを知らせたのは、アルヴィス・レイル・ヴァルハラであった。


「こちらにお迎えしております。お逢いになって、いただけますでしょうか」

「も、もちろんだ! 連れてまいれ! あ、いや、わたしが行く。わたしの弟だ。逢いたい!」


 両親を一気に失い、傷心のあまり病が悪化していた皇太子は、その身を押して弟だという少年のもとへ行った。

 そうして、驚く。

 自分と、瓜二つの弟を見て。


「初めまして、サライ殿下」


 もはや血族がアルヴィスと大卿ダヴィレイドのみだと思っていた皇太子にとって、離宮に幽閉されていた二つ年下の弟は、救いであった。

 病の身では抱擁を交わすこともできず、距離を置かねばならないことがもどかしかった皇太子は、それでも弟の存在に涙を溢れさせ、長いこと慰められた。


「兄と、兄上と呼んでくれ……っ」

「は……しかし」

「わたしはおまえの兄だ! このような身で済まぬ……このようなわたしで済まぬ……だが、それでもおまえがいてくれてわたしは救われたのだ」


 離宮に幽閉されていたのは十八年、皇太子はそれをまったく知らずにいた。兄弟の存在を考えもしなかった。愚かなことだ。


「わたしを兄と呼んでくれ……わたしには、もう家族が、おまえしかいないのだ」


 寂しさに押し潰されてしまいそうなほど、皇太子は弱かった。病に侵された身であったせいかもしれない。弟は、それを理解してくれたようだった。


「では、兄上。早く、元気な姿を、見せてください」


 微笑んでくれた弟に、いったいどうすれば幽閉という理不尽な仕打ちの償いができるのか、優しく育ってくれた弟に再び滂沱のごとく泣きながら、皇太子は考えた。


 皇帝皇妃崩御から一月が過ぎた頃、聖国に新しき皇帝が立つ。皇后シオンの面差しをそのまま映したかのような、華奢で儚い印象の残る、しかし優しい微笑みを携えた皇帝、サライ・ヴァディーダ・ヴァリアスの誕生である。その傍らには、ふたりの《天地の騎士》が控えていた。


「騙された気がする……」

「いんじゃないですか?」

「よくない。サライ殿下が回復されるまでとはいえ……戴冠式までおれが代役してどうするんだ」

「似てるんですから、まあいいでしょ」

「どうしておまえはそう軽いんだ」

「あなたを外に出すことができました。おれは、それなりに満足です」

「あのな……」

「ああそうだ、ジークフリード、サリヴァンになにかあったら殺しますからね? おれ、異形の天恵術師とか呼ばれたくらいなので、その覚悟を持ってサリヴァンを護ってくださいね?」

「ラクウィル!」

「まあ楽しみましょうよ、サリヴァン。サライ殿下が回復するまでのことです。そんなに長くはない仮初めの皇帝なわけですから、気負うこともないですよ」

「殿下のお顔に泥を塗ることはできないんだぞ……」

「そのときはほら、サリヴァンとして、動けばいいでしょ? だいじょうぶですよ、おれが護りますから」


 戴冠式の壇上で、そんな会話がなされていたことを知る者は、新皇帝とそのディバインしか知らないことだった。


 とにもかくにも、こうして、新しい御世が始まったのである。


 聖国の人々は、新皇帝の誕生と共に、先の皇帝となったヴェナートを『瓦落の皇帝』、その妃であったシオンを『黎旦の妃』と、「崩れ落ちた闇の向こう」と比喩し時代を憂いて物語るようになる。







 皇族霊廟にて。


「おまえはずるいな、ガラン。共に逝くことを許されて。おれは、許されなかったのに」


 消えていた騎士が、先頃崩御した皇帝皇妃の墓標に向かい、その隣に鎮座することを許された元宰相の墓標を睨む。

 憎しみではない、悔しさが、騎士にその渋面を浮かばせていた。


「なあ、ヴェナート。なあ、シオン。おれは……おまえたちを愛しているのに」


 ひとり取り残された騎士は、泣くこともできなかった。


「これからおれに、どうしろというんだ。生きろって、酷だろ。おれには、おまえたちしかいないのに……なんで、そんなこと言うんだよ」


 悔しかった、寂しかった、悲しかった。

 ひとりになることが、こんなにも恐ろしいことだとは、思っていなかった。


「なあ、ヴェナート、シオン……っ」


 おれは、どうしたらいい。

 おまえたちのいないこの世界で、おまえたちを狂わせたこの世界を、どうすれば愛していられるのか、わからないんだ。


「おれも連れて逝ってくれよ……っ」


 いつか、許されるだろうか。

 もういい、おいで、と言われて、おまえたちのところに行ける日が来るだろうか。


「なんでおれをひとりにするんだ。おれをこうしたのは、おまえたちだろうっ」


 たとえばもし、おまえたちが願ったように、おまえたちの子どもを護りきることができたなら。

 その幸せを見届けることができたなら。

 おれも、そちらに行って、ひとりで過ごした日々を語り、笑い合っていいだろうか。


「ヴェナート……シオン……イディアード……っ」


 ガランだけに美味しい想いをさせないで、おれにも、分けてくれ。

 おまえたちのなかに、おれも、混ぜてくれ。


「おれを、忘れないでくれ……っ」


 いつか必ず、おまえたちのところに行くから。

 そのときは、おれが持っていく土産話に、耳を傾けてくれ。

 強く生きられるだろうと、おまえたちが望んだ分を、生きてやるから。






これにて【瓦落の皇帝、黎旦の妃。】は終幕とさせていただきます。

完結までに長く時間をかけて申し訳ありませんでした。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

この続きは【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】へと繋がっていきます。

番外編を描くことがありましたら、更新させていただきたいと思います。


おつき合いくださり、ありがとうございました。


津森太壱。


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