05_ナイトの集いでは
ルーカスはあの夜会の日から、都オルランドのペントハウスに滞在し続けていた。
領地を預かる老執事のオリバーに滞留の旨を告げた際、届いた返信の長ったらしい手紙からは、老執事の浮かべているであろうニヤニヤとした笑みが手に取るように分かる。
『旦那様、少しとは言わずたんまりと羽根をお伸ばしくださいませ。幸いにも、急ぎの務めはございませんゆえ。……あぁ、ですがこちらは少々忙しくなりそうです。何しろ、可愛らしい装飾を施した新たな家具を新調せねばなりませんので――』
「ふん、まったく……あの老いぼれめ」
ルーカスはその手紙を雑に机へ放り投げると、ため息をついた。
あのサロンから数日――頼んでおいた情報屋から、エレノアの身辺調査の報告が届くのを待つはずだったが、もはやじっとしていることすら限界だった。
ルーカスは退屈しのぎを兼ねて、友人のジュリアンを部屋へ招き寄せた。
対面した盤上で、チェスの駒が静かな音を立てる。
「まさか、君がまだオルランドに留まっているとはね。―――さて、あの頑固な伯爵様をここに繋ぎ止めている『理由』とは何だい?」
ジュリアンはそう言ってニヤリと笑うと、白のナイトを斜めに進めた。ルーカスは視線すら向けず、考え込む様子すらないまま黒のポーンを動かす。
「……ジュリアン。君は――エレ…エレノア・ヴィルディエ嬢と親交があるだろ?教えてほしいことがある」
ポツリ、ポツリと重い口を開くルーカスに、ジュリアンは意外そうに目を丸くした。
「まあ、僕に分かる範囲でよければ――ん? なぜそんな深刻そうにして……
―――もしやルーカス、君はエレノア嬢のことを――」
「うるさい。ただ――あのご令嬢がこの社交界でどのような立ち位置に置かれているのかを知りたいだけだ」
いつもなら社交界の噂話どころか淑女の「し」の字にも興味を示さない男の口から飛び出した言葉に、ジュリアンは目を見開いた。
「早く話せ」
「はぁっ本当憎たらしい奴」
ジュリアンは軽く咳払いをして態勢を立て直す。
「ふむ――そうか、――うん、そうだな……。
君は――エレノア嬢に……パートナーがいないことは知っているだろう? それに、彼女の年齢も……」
「ああ、知っているさ。それがどうした」
「――ならば分かるだろう? 通常、あの年齢の令嬢が独り身でいること自体、浮いてしまう…そして、それを周りの連中がどう見做すかも――」
ルーカスの脳裏に、夜会でエレノア自らが諦めを含んだ声で零した『行き遅れ』という言葉が鮮明に蘇る。
「はっ…―――くだらん、愚かな連中どもだ」
「愚かってなぁ…まあ、無理もない。社交界の表面を飾る連中の腹の底にはいつだって黒いものが渦巻いているんだから…ここに至るまでよく耐えたものだよ」
「だがあれほどの令嬢になぜまともな縁談が舞い込まなかったんだ? 男であれば誰もが心を奪われるだろう」
普段、女性の容姿や評判に一切の関心を示さない男が、隠し立てもなくストレートな感情をぶつけてきた。ジュリアンは思わず吹き出した。
「あははっ! すまない、つい笑ってしまったよ。まさか、まさか君が特定の淑女にそこまで熱を上げるとはね」
「……客観的に見て、という話だ」
「はいはい分かったよ、ったく……。
―――いいかい、彼女には『持参金』がないんだ。おそらく…亡き子爵の財産は彼女の手元に何一つ残されてないんだろうな……それでも過去に縁談自体はいくつか入っていたようだが……お前にとっては言い知らせだな、全て白紙さ。
しかし縁談ならまだいいさ――今は……はぁ、……愛人として囲おうとする輩も――」
「……チッ。わざわざ家門の恥を探るような真似は不躾かと思っていたが――どうやら容赦する必要すらなさそうだな、反吐が出る」
「……そうだね。エレノア嬢の扱いには第三者から見ても忍びないものがあるよ。彼女が男として生まれていれば……なんて嘆くほどにね。だが…ありふれた話さ、外野が口を出せる問題じゃない。
…これ以上深く踏み込むのはやめておけ、隙を見せれば足元をすくわれるぞ」
社交界の底に漂う、エレノアに対する「蔑まれても仕方のない存在」という暗黙の了解。
エレノアが見せた過剰なまでに控えめで身を引くような態度は、すべてこの劣悪で不当な環境に起因していたのだと知り、膝の上で握りしめた拳には青筋が浮かび、力みすぎて今にも弾け飛びそうだった。
「……ルーカス」
ジュリアンはその凄絶な表情を見て、ただただ親友の行く末を案じるしかなかった。
「……馬鹿々々しい。持参金などというはした金、何の意味がある。金ならいくらでもあるからな、俺があの家に叩きつけてやるさ」
迷いなく言い放つそれに、ジュリアンは呆れ顔で首を振る。
「それでも外聞というものがあるだろう?」
「おい、その『外聞』とやらを命よりも大事にする奴らを毛嫌って領地に引きこもっていたこの俺に今更そんな世間話を持ち込む気か? 俺を憎んでいる連中を集めれば小国ができるかもしれないな――今更評判が落ちたところで痛くも痒くもない」
「そんな大げさな……
だが、誇り高きブランシェ家だ。お前のお姉様方が黙ってるとでも?」
「可愛い弟の切実な頼みを無下に断る姉などいないさ――
うん―――やはり、彼女は俺の元へ来るべきだ」
(あれほど生涯独身を貫くと言い切り、社交界のあらゆる誘惑を突っぱねてきた堅物のルーカスが――まさかエレノア・ヴィルディエという淑女にここまで盲目になるとはな)
胸をよぎる不安とは裏腹に、目の前でなりふり構わず情熱を燃やす初な青年の姿に、ジュリアンは自然と口角を上げた。
「あぁ、まったく…これだから憎めない…
――で、彼女の『立ち位置』は嫌というほど分かっただろう? なら、最初に聞いた『理由』は何なんだよ、ほらほら吐いてみろって。彼女の『何』がお前をそこまで熱くさせたんだ? くくっ…まさかあのお説教か?」
けらけらと笑う声が腹立たしい。
「黙れ。ただ――あの瞳が他の奴に向くのが気に食わないと思っただけだ」
「……は? 今、なんて?」
ジュリアンはポカンと口を開け、指に挟んだ駒を落としそうになった。
「……それで、勝算はあるのか?」
「ふっ――その『勝算』を作るために、お前を呼んだんじゃないか。好きなものでも何でもいいから教えろ」
「教えを乞う者の態度じゃないね、それは―
うーん…そうだな、何から話そうか…僕もそこまで詳しく知らないからな…」
ジュリアンは呆れつつも、妻ミーネから散々聞かされたエレノアの話を可笑しそうに語り始めた。
「ミーネが初めて彼女を見たとき、隅に佇む姿があまりにも儚げで、思わず声をかけたらしいんだ。そうしたらさ、エレノア嬢が少し驚いて振り返っただろう? その時の揺れた髪と水面みたいに煌めく瞳に見とれてたらしくてね……『あぁ、私が紳士だったらプロポーズしていたわ!』なんて熱弁されてさ。夫の僕としては複雑だったよ」
「はっ……お前を選んだというのに見る目があるとはな」
ルーカスは真剣な眼差しで話に聞き入りつつ、無意識にクイーンを滑らせた。脳裏には今でも鮮明にあの姿が思い浮かぶ。
言葉を交わしたときの鈴のような声色。光を受けて繊細に揺れる白銀の髪。どこか寂しげで、けれど惹きつけられてやまない不思議な色の瞳――。
「ミーネは……ある時、彼女が着るドレスがいつも同じだということに気づいてね。見かねて自らのドレスを贈ったらしいんだが、彼女はそれを本当に大切に着ているそうだ。それに――」
◇
会話に夢中になっていると、気づけば斜陽が差し込み、二人の影を長々と壁に引き伸ばしていた。
「あぁ、あと、主役のように咲く大輪の花よりも、その脇に咲く小さな花を愛でるとも言っていたな。ジュエリーやスイーツよりも古い本や詩集を好んで読んでいるとか……ふぅ――こんなところかな…どうだい、少しは参考になったか?」
「……非常に参考になった。ミーネ嬢には感謝せねばな……よく…見ているな」
(―――あぁ、なんと羨ましいことか)
本音が口から漏れ出そうになるのを押し殺しながら呟いたルーカスに、ジュリアンは苦笑いを浮かべた。
「ははっ、ミーネは彼女の友人であり、ファンだからね。もし君がヴィルディエ嬢を傷つけるようなことをすれば、僕の身まで危うくなるさ。……だからルーカス、どうか慎重に頼むよ」
ジュリアンからの思わぬ収穫にルーカスは思考を巡らせた。
完全に心ここにあらずの状態だったが、手元だけは恐ろしいほど正確に動いていた。
「……あぁ、くそっ!」
貴婦人の前では絶対に口にしないような毒づきが、ジュリアンの口から漏れた。
盤面を見れば、ルーカスが無造作に指した一手がジュリアンのキングを完全に詰ませていた。
「また負けか……。君、僕の話に夢中でチェスどころじゃない顔をしておいて……はぁ、今日こそは勝てると思っていたのに…1勝もできないなんて…」
返事もしないルーカスに眉をひそめながら、ジュリアンは困ったように笑う。
「また何か分かったら知らせる、そろそろ帰らないとね。あぁ…それから―――健闘を祈っているよ」
友人を送り出し静まり返った部屋で、ルーカスは一人天井を見上げた。
目をつぶれば、あのサロンで朝露を纏ったスズランのように慎ましく、けれど凛と美しかったエレノアの姿が浮かんでは消えた。
(あの華奢な腕に、どれほどの重荷が課せられてきたというのか……)
「……エレノア」
静寂な部屋にはポツリとこぼしたその名がよく響く。
窓の外では今宵も星が輝きを放つだろう。この輝きを彼女も眺めるだろうかと胸に思いを馳せて、また長く退屈なもどかしい時を過ごした。
和久井です、ここまで読み進めてくれてありがとうございます。読んでくださる方が居るというのはすごく嬉しいものですね、大変励みになります。
今回はなんとルビ機能を覚えました、便利ですね?あれは。
また、無理なく続けるためと…お恥ずかしながら誤字脱字が酷いので、投稿に時間をかけたいと思います。
【次回更新日】
本題です、次回からは2日おきの夜20時台に投稿します。次の話は4日(火)ですね。
引き続き、お楽しみください。




