第七話 キッド
少女が目を覚ましたのは、漂流船を離れてから二時間後だった。
医務室の寝台で身体を起こし、最初に口にしたのは礼でも名前でもなかった。
「航海記録は?」
「回収しましたよ」
ベンゾーが端末を掲げる。
「ご依頼の品はこちらです。もっとも、依頼人ご本人が船に乗ってはるとは思いませんでしたけど」
少女は大きく息を吐いた。
十七号は医務室の入口に立ち、その様子を見ていた。
「船は、事故じゃない」
少女が言った。
「追われていたの。航海記録を狙われて」
クライが壁にもたれたまま尋ねる。
「誰にだ」
「分からない。でも、帝国の船じゃなかった。船体に旗も識別番号もなかった」
「海賊ですか?」
「海賊なら、積み荷ごと奪うでしょう」
ベンゾーの言葉に、少女は首を振った。
「狙われたのは航海記録だけ。私たちが見つけた航路を消すためよ」
「どんな航路だ」
「クルーガ暗礁宙域を抜ける、新しい道」
十七号は顔を上げた。
あの岩と残骸の海に、道がある。
少女は十七号の視線に気づいた。
「あなたが見つけてくれたのね」
「光を見ただけだ」
「それでも、見つけてくれた」
十七号は返事をしなかった。
礼を言われた時に、どんな顔をすればいいのか分からない。
その時、船内に警報が鳴った。
『船長、客だ』
ライトの声が通信機から流れる。
『後方から一隻。こっちへ真っすぐ向かってくる』
少女の顔が強張った。
「追ってきた」
◇
正面窓の向こうに、暗礁宙域が広がっていた。
後方映像には、黒い宇宙船が映っている。
少女の言ったとおり、船体に旗も識別番号もない。
「速度を上げろ」
クライが言った。
「上げてるよ」
ライトの指が操縦桿を走る。
「でも向こうの方が速い。暗礁を抜ける前に追いつかれる」
「撃ち合えば?」
ライガが壁際で武器を確認している。
「相手の武装が分からない」
ベンゾーが端末を睨んだ。
「こちらは子どもを降ろしたばかりで、補給もまだ十分やありません。できましたら、戦闘は避けていただきたいですな」
「珍しく弱気だな」
「費用を計算してるだけです」
黒い船の船首が光った。
直後、船体が大きく揺れる。
「撃ってきた!」
ライトが操縦桿を倒す。
光弾が船の脇を通り抜け、前方の岩塊を砕いた。
破片が無数に飛び散る。
「まずいな」
ライトの笑みが消えた。
「今ので、前の道が塞がった」
窓の向こうを、大きな岩塊が横切っていく。
その周りを細かな破片が渦のように回っていた。
「引き返すか?」
「後ろに敵がいる」
ライガが答える。
「右は?」
「三分後に岩同士が衝突する。左は船幅が足りない」
ライトは次々と表示される軌道を確認していた。
十七号も窓の外を見ていた。
先ほど通ってきた暗礁。
岩の位置。
動く速さ。
砕けた破片。
頭の中に、それらを並べ直す。
止まっている物は一つもない。
だが、動いているからこそ、隙間が生まれる。
「上だ」
十七号が言った。
「何?」
「前の大きな岩。上に隙間ができる」
ライトが計器を見る。
「ないぞ」
「今はない」
十七号は岩塊を指さした。
「左の小さい岩が後ろから当たる。大きい岩が少し下へずれる。その時なら通れる」
「何秒後だ」
「分からない」
「分からない?」
「計り方を知らない。でも――」
十七号は窓の外から目を離さない。
頭の中で岩が動く。
一つ。
二つ。
三つ。
重なる位置を探す。
「今から、二十七まで数えた後」
ライトは一瞬だけ十七号を見た。
「信じるよ」
船が加速する。
「ちょっと待ってください!」
ベンゾーが席へしがみつく。
「本当に行くんですか!」
「ほかに道がない」
「十七号はんの数え方が正しい保証は?」
「俺の勘」
「一番当てにならんやつですやないか!」
十七号は数え始めた。
「一、二、三――」
後方から再び光弾が飛ぶ。
ライトが船体を左右へ振ってかわす。
「二十一、二十二――」
前方の岩塊が迫る。
どう見ても通れる隙間はない。
「二十五、二十六――」
左の小さな岩が、大きな岩塊へ衝突した。
巨大な岩がわずかに傾く。
その上に、船一隻分の暗闇が現れた。
「二十七!」
「行くよ!」
ライトが推進器を最大まで開く。
船体が狭い隙間へ飛び込んだ。
上下を岩肌が流れる。
外殻を小さな破片が叩く。
背後から追ってきた黒い船も、同じ隙間へ入ろうとした。
だが、大きな岩が元の位置へ戻っていく。
黒い船は急旋回した。
間に合わない。
船首が岩へ激突し、火花と破片を撒き散らした。
ライトの船は、その光を背に暗礁の外へ飛び出した。
◇
少女と航海記録を依頼人へ届けると、報酬はすぐに支払われた。
「今回の利益は、予定より増えましたな」
ベンゾーが機嫌よく端末を眺めている。
「救助報酬と、追手の情報代。それから新航路の発見者への紹介料もあります」
「十七号の分は?」
ライトが尋ねた。
ベンゾーは顔を上げた。
「雑用係に分け前はありません」
「航路を見つけたのは十七号だよ」
「正確には、通れる瞬間を見つけただけです」
「それがなかったら、俺たち岩に潰されてたけど?」
「……それはそうですな」
ベンゾーは少し考え、端末を操作した。
「では、特別手当をつけましょう」
「金はいらない」
十七号が言った。
「欲しいものがありますの?」
「船に残りたい」
食堂が静かになる。
「次の寄港地までという話だった」
十七号はクライを見る。
「仕事をした。役に立った」
「そうだな」
「なら、残してくれ」
クライは椅子へ座ったまま、十七号を見つめた。
「ここに残れば、今日みたいなことが何度も起きる」
「分かってる」
「死ぬかもしれない」
「回収場でも同じだった」
「前にも言っただろ。下と比べて決めるな」
十七号は黙り、それから言った。
「宇宙を見たい」
窓の向こうには、無数の星が流れている。
「知らない船を見たい。知らない道を見つけたい。自分がどこまで行けるのか知りたい」
クライがわずかに笑った。
「それなら上等だ」
「残っていいのか」
「見習いとしてな」
十七号は目を見開いた。
「ただし、規則は守れ。読み書きを覚えろ。勝手に死のうとするな」
「死のうとはしてない」
「自分だけ残ると言った奴が何を言ってる」
クライは立ち上がると、十七号の前まで歩いてきた。
「それから、いつまでも十七号じゃ呼びにくい」
「俺は十七号だ」
「そいつは名前じゃない。番号だろ」
「名前はない」
クライは少し考え、十七号の頭へ手を置いた。
「じゃあ、今日からキッドと名乗りな」
「キッド?」
「ガキって意味だ」
十七号は眉を寄せた。
「変わってないじゃないか」
「大違いだ」
クライの手が、黒い髪を乱暴に撫でる。
「そいつは今、お前にやった名前だ」
十七号は――キッドは、何も言えなかった。
番号は、監督官がつけたものだった。
どの子どもか見分けるための印。
だが、この名は違う。
自分へ渡されたものだった。
「嫌なら、自分で別の名前を見つけるまで使え」
「……キッド」
声に出してみる。
馴染みのない音だった。
それでも、不思議と嫌ではなかった。
「俺は、キッドだ」
クライが笑う。
「ようこそ、キッド」
窓の向こうには、まだ誰も知らない航路が広がっていた。




