03
レアお嬢様が助けた獣人の子供はそれから数日目を覚まさなかった。
元からの栄養失調と、日常的に振るわれていた暴力ですでに肉体は限界が近かったらしい。幸い事故時は積み荷と荷台に乗せられていたお陰で積み荷がクッションとなったようだ。
彼が目を覚ましたのは屋敷に着いて十日目の昼だった。
「目を覚ましたのですね」
報せを聞いたお嬢様は彼が運び込まれていた部屋へ急いで向かった。
「うぅっ、お前は」
「私はクーリユ公爵家の長女レアです。あなたの乗っていた馬車は事故にあったのです」
「あいつは! つっ」
獣人の子供は事故と聞き起き上がろうとして、身体の痛みに悶える。
「あいつ?」
「クソッタレの、ジジィ、だ。あいつは、生きているの、か」
レアお嬢様は首を静かに振る。
「私たちが駆け付けた時生きていたのはあなただけでした」
「ははっ、つっぅ、いい気味だ、あの野郎、あははははっ、ははっ、ぅぅうう」
狂ったように笑い出したかと思うと、痛みからか何なのかわからないが彼は顔を覆って泣いた。
お嬢様は静かにその姿を見守った。
「……お前らは」
落ち着いた彼は、お嬢様やその傍に控えるわたしや騎士たちを睨みつける。
「先も言った通りです。事故に遭ったあなたを助け治療をしたんです」
「それで、お前らが新しい主人ってことか」
「いいえ。ただ助けただけです。あなたが動けるようになるまでここにいてください。その後はあなたの自由になさってください」
「……」
警戒心を隠すことなく、獣人の子はお嬢様を睨みつける。
「ご理解してくださったのなら、改めて自己紹介を私はレア。レア・クーリユです。あなたは?」
「俺は、ザジ。ただのザジだ」
「ザジ。どうぞおやすみになって、必要なものがあったら気兼ねなくおっしゃってくださいね」
「お嬢様」
病室を退出後、わたしはお嬢様に耳打ちする。
「どうしたのニーナ?」
「あの子供」
「ザジですか?」
「はい。どこかで見たことあると思ったんですけど、名前を聞いて確信しました間違いありません。彼は物語の主要人物です」
「まぁ」
お嬢様が驚き口元を手で押さえる。
「ザジが。あれ? けれどあなたから聞いたシナリオにザジは出てきていませんよね」
「あ、はい。お嬢様にお伝えしたのはレアが敵役として登場している中盤までの展開です。ザジが登場するのは終盤の展開からです」
ザジ。
彼が物語に登場するのは中盤までの学園編が終了した後。第二王子とレアの婚約が解消。レア・クーリユは罪人として捕まり物語からは退場。主人公が第二王子の新しい婚約者となるところから終盤がはじまる。
終盤の敵は星光神教の大司教だ。
彼らは聖人として指定したレアが犯した罪の道連れという形で、民からの信仰心を失い始めてしまった。そこで再び名誉を取り戻すために、聖地ニラグ・ドールの奪還と『女神の悲願』運動を掲げ始めた。
聖地ニラグ・ドールは女神によって最初につくられた大地のこと。その大地は大陸南方の密林地域にあり、そこは北方や中央で迫害された亜人たちの住んでいる場所だ。
「ですが、その聖地ニラグ・ドールなど本当は存在しないんです」
「なるほど、侵略するための口実ということですね」
「はい。女神からの罰を受けた亜人たちは聖地ニラグ・ドールを占拠して、そこで祈りを捧げ続け女神に許しを願っている。それが星光神教で語られている教えですが、それは全部嘘っぱちです。亜人たちが南方に住んでいるのも、人間の迫害から逃れてたまたま辿り着いただけです」
「そうなんですね。それと『女神の悲願』運動というのは一体?」
『女神の悲願』運動。女神が愛するこの大地に、女神から罰を受けた穢れた血が存在してはいけない。だから亜人たちを滅ぼして、真に女神の為の世界を作ろう、という運動。
「民族浄化、ということですか」
「そうですね」
「それでザジはどう関わってくるんですか?」
「ザジは獣人たちのテロリスト集団の首領です」
激しさを増す亜人排除。さらに星光神教の教徒で組織された騎士団による南方征伐。
もちろん亜人たちも黙ってやられたりはしない。最初は小さな集団が人間に捕まった亜人を助け出したり、小規模な抵抗運動をしているだけだった。
身体能力だけをとればヒト族とそれ以外の亜人では大きく隔たりがあって、ヒト族は最弱に近い。それでもヒト族が大陸の頂点に立てているのは、繁殖能力の高さと集団戦を得意としているからだった。
亜人たちは長命な種族が多く、それに応じて繁殖能力も低い。さらに氏族と呼ばれる血族での集団が最大であり、数と組織力で大きくヒト族と差が開いているのだ。
亜人は個々が優れていても、集団としてヒトに負け続けた。
ヒト族の侵略に抵抗していた小さな集団。
そのリーダーがザジだ。
ザジは強いヒト族への恨みを原動力に抵抗を続け、次第にその周囲に他の亜人たちも集まりはじめた。
様々な種族、氏族がザジを旗頭にまとまりを見せた。
「星光神教はそんな亜人種たちを総称として魔族と呼んだんです。ザジはその魔族の王」
「魔王」
「はい。物語の終盤は魔王ザジ率いる魔族軍と王国、さらにはその裏で暗躍する星光神教。その三つ巴のお話になっています」
事故現場で見た時にどこかで見たことがあると思ったのは、わたしが成長したザジの姿を小説の挿絵で見たからだ。
十年後のザジは魔王として主人公たちと対立する。
主人公とザジの対決シーンはすごく良いシーンだった。もしアニメ化するならばあそこはぜひやってほしい。
「ニーナ。物語ではザジは、亜人種はどうなるのですか?」
「それは」
「そう。ザジは死んでしまうのですね」
魔王ザジは死ぬ。
主人公たちとの対決に敗れるが、その対決を通してザジはヒト族の中にも信じられるものがいること、そして主人公と第二王子が目指す未来を聞いて希望を抱く。
彼はヒト族への反抗を止め、魔王軍の撤退を決める。
しかし亜人種の撲滅を考える星光神教はそれを阻止する為、ザジを暗殺。統率者たる魔王を失った魔族は暴走。撤退ではなく、さらなる進行を開始する。
「私には願いがあります」
以前、お嬢様は口にしていた。
世界平和を望んでいる、と。
「子供じみた願いかもしれないけれど、世界平和。それを私は前世でもずっと追い求めていたのです。残念ながら前世の私はそれを行うには力不足で、さらに前世の世界は複雑怪奇でした」
レアお嬢様がわたしに手を差し出す。
「ねぇ、ニーナ。私はこの世界では有力な貴族家の娘。あなたの言うシナリオ通りにいけば大陸最大規模の宗教の重要人物になって、王国の第二王子の婚約者」
窓から差し込む光がまぶしくてわたしは目をすぼめる。
「いずれ失う運命のものかもしれないけれど、未来を知るあなたがいれば回避できるかもしれないわ。本当なら主人公が物語の結末をハッピーエンドにしてくれるのかもしれない。でも、それではザジのように失われる命もある。なによりこれはフィクションではないもの。ハッピーエンドのあとも世界は続く」
お嬢様の小さな白い手。わたしは恐る恐る手を伸ばす。
「本当の平和を。悪役である私でも、終わらない幸福を実現して見せる」
指先が触れる。ひんやりとしたその手。ぐっとわたしの手をお嬢様が握り返す。
「何と言ったかしら? そう私は『聖女』を目指すわ」
綺麗だと思った。
美しいと思った。
清らかだと思った。
だからだろう。
震えが止まらない。
きっとこれは感動で、その志に、慈愛の想いに震えているんだ。
けっして恐怖からではない、はずだ。
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