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「婚約は破棄ということでよろしいですな」
「しかし」
「しかしもかかしもありませんぞ。レアが襲われたその遠因にアスラン殿下が関係しているのは事実」
クーリユ公爵の怒鳴り声が屋敷の中に響く。
大柄な公爵の迫力に王家からの使者はあたふたと冷や汗を流すばかり。
「こちらとしては婚約はそのままで、というのが王家としての意向といいますか」
「そんな馬鹿な話が通るかっ! 我がクーリユ家とその派閥全員の意向だ!」
「私はあくまで王家の意向を伝えに来ただけでして……、その、そのように言われましても」
「だったら伝えろっ! 婚約破棄が通らないならば相応の対処をすることになるぞ! そもそも煤汚れなんぞをよこしおってからに。ほらっ、さっさと戻って伝えろ‼」
公爵は使者を追い出すと溜息をついた。
「まったく王家のやつらは」
そこに入室者が一人。
「お父様ご苦労様でした」
「おお、レア。大変だったな。だから貴族学院に平民なんぞの入学は認められんと言ったのだ。星光神教の奴らも許せんが、何より王家だ。本来は第一王子とお前が婚約してレアが未来の王妃となるはずだったのに、あんな煤汚れを寄越しよって」
「まぁ、ですがアスラン様は良いお方でしたよ」
入室者、公爵の娘であるレアは向かいのソファに腰を下ろす。
「お前がそう言うから受け入れてやったのだ。しかしあの煤汚れのせいでお前が狙われたのだろう」
「そうらしいですわ。ミラはアスラン様への恋慕を募らせ、私から奪うために」
「そう落ち込むな。お前は優しいから気にするのもわかるが」
「大丈夫ですわ。そうだ。お父様にお願いがあるのですが」
公爵はなんだ、と首を傾げる。
「星光神教から私を聖女に推挙したい、というお話が来ていると思うのですが」
「我が娘ながら耳が早いな」
「ふふっ、私の従者は人より耳がいいんです」
「ふん、あの獣か」
「それでそのお話を受けてもらいたいのです」
「バカな。聖人ならまだしも聖女なんぞになったらお前の身柄は星光神教預かりになってしまうのだぞ」
「わかっております」
「お前は婿をとってクーリユ公爵家を継がねばならんのだぞ」
「家に関してはヒューがおります」
まだ幼い年の離れた弟の名前をレアが持ち出す。
「俺もそろそろ引退したいのだがな」
「お父様はお若いですよ。そして私とアスラン様の婚約破棄が成立した後に、ヒューとリズ姫殿下の婚約を認めさせてください。王家も私たちに力を与えたくはないですが、かといって蔑ろにもできない。受け入れてくれるでしょう」
「うーむ」
公爵は少し考えるそぶりをする。
娘の出した案についてはすでに考えた。しかし幼い息子の将来性よりも、確実な娘の才を選んでいた。けれど、レアがこう言いだすということは何か裏があるのだろう。
「わかった。そうしよう」
「ふふっ、ありがとうございますお父様」
「……信じているぞ」
公爵家に利があることを、と公爵が言外に含ませる。
「えぇ、もちろんです。私はいつだって『みなさん』のために動いていますよ」
それではお願いしますね、と言ってレアが退室する。
「レア」
廊下を歩くレアの背後に突如人影が現れる。
「ザジお疲れ様です」
獣人の青年ザジ。彼は主であるレアの命を忠実にこなしてきた。彼女の目的——世界の平和——それは理解している。けれどどう為そうというのかは全くわからない。
けれど、自分のすべきことはこの主を信じることだけ、と疑念を振り切る。
「次は何をすればいい?」
ザジは主に問う。自分という刃は何を斬ればいいのか。
「当分はお休みよ。後は周囲が勝手に変化していくだけ」
レアは自室に戻るとザジに向き直る。室内にはザジとレアのみ。
「アスラン様は今回の責任を取って王位継承権を返上し、その後星光心教の修道院に送られるの。ここまではアスラン様と打ち合わせ済み。その後のことはうまくやってくれるはずよ。世界は貴族や教会だけで動いているわけではないの。それをお父様たちはお忘れのようね」
「……そうか」
◇◇◇
「聞いたかい? アスラン王子と聖人候補ミラの悲恋」
「あぁ、聞いたともさ」
街の酒場ではこの頃ひとつの話題で持ち切りだった。
「身分違いの恋なんて素敵。しかもアスラン王子は亡くなったミラのために修道院へ向かったっていうじゃないの」
ウェイトレスの娘がその話題に割って入った。
「しっかしクーリユ家が邪魔をしなければ二人は結ばれたのだろう」
「そうよ! そうよ! 本当に王家や貴族もお隣の帝国のことばっかりで、私たち民衆のことなんてこれっぽちも考えていないのよ」
「おいおい、滅多なこと言うなよ嬢ちゃん」
「けど、そうでしょ。王子様と村娘のロマンス。結ばれてほしかったわ。それに邪魔をした令嬢っていうのは我儘で横暴な人なんでしょ」
「噂だと獣人の奴隷を買ったり、侍女を苛めたりしているらしいぜ」
「最低よね。はぁ、聖女さまを見習ってほしいわ」
最近何かと話題の聖女。その名前が出ると酒場の人々が色めき立つ。
「聖女レア様だなっ!」
「なんでも公爵家の令嬢だったってのに、その身分を捨てて教会に帰依したらしいぜ。身分問わずお優しい方らしい」
誰もその我儘令嬢と聖女が同一人物だとは知らない。
しかし彼らの噂話は盛り上がる。
噂とはいつだって事実からは大きく外れ、事実を上書きするように広まっていく。
広まった噂はいつの間にか事実へと入れ替わる。
慈愛の聖女レア。
悲恋の王子アスラン。
悲劇の村娘ミラ。




