第8話「矛盾の正体」
一日が経った。
まあ、あまり生活はなんら変わりない。金額が残り六千円になっただけだ。
「夜船さん、ちょっと出かけませんか」
八重代さんが部屋まで来るようになったことも、あるか……
この人は前よりも可愛いくなった。俺の心がそう感じているのもあるだろうけど、どこかおしゃれに力を入れている感じがする。
まいったな……本当に
「まあ、いいですけど……出かける分のお金はかかりますよ」
「私が」
払いますと言いかけていそうな八重代さんの言葉を制止して、俺はドアを閉めた。
「あの……!」
ネカフェと言うのはなんでプライバシーを守れるように鍵をつけないのだろうか。
「勝手に開けるのはマナー違反ですよ」
俺は淡々とそう言いながらも、少しこの状況に温まる心もあった。
それは孤独ではないからなのだろう。
「夜船さんは、その金額が消えたら……どうするつもりなんですか」
迫真に迫った顔をする。こういった一所懸命の顔に、俺はとても弱い。
「はぁー」
溜息を吐きながら、無言で八重代さんを部屋の外に出してドアを再度閉めた。
この状況はだめなことだ。
服を着替えていると、ドアがノックされた。
「出かけはしますから、そこで待っていてください」
偽りの怒りでそう言うと、ドアの外では今にも消えそうなくらい弱々しく「はい」と答える声が聞こえた。
俺の勘違いかもしれないが、たぶん八重代さんは俺がいないと本当に死ぬんだろう。
それだけ俺に依存してしまっているわけだ。
この考えと違う場合、それは優しさで死なせたくないといったところだろう。
それもそれで、疲れると言ったものだ。その感情は俺が一番良く分かっている。
服のほこりを取りながら外に出ると、壁に背を預けた八重代さんが立っていた。
その横顔は哀愁を漂わせ、ただでさえ寒い外気温をさらに冷たく沈めていた。
「はぁ……なら、半分だけ出して下さい」
そう言うと八重代さんは、ぱあっと顔を明るくし、さっきとは打って変わった明るい声で「はい!」と答えた。
その表情に高ぶってしまう俺の心は、やはり馬鹿で、滑稽で、醜悪そのものだ。
分かってるけど……やっぱり、これが心地いいんだよな……
はしゃいで眩しい八重代さんに連れられて、俺はカフェにやってきた。
周りはカップルだらけで、みんな笑顔を浮かべて語らい合っている。
俺がいなくても、世界は笑顔であふれているんだよな……知ってるさ
こんな気持ちになるから、こういう場所は苦手だった。まるで俺の生き方、生き様を否定されているような気がして、考えを完全に否定されている気がするから。
「夜船さん、何頼みますか」
八重代さんもみんなと同じような笑顔を浮かべる。
慣れているのか、あまり気にしないのか、はたまた俺がいるからか。
「ブラックのコーヒーでいいです」
「それだけですか? ここはですね。パンケーキが美味しいみたいですよ」
周りを見ると、確かにパンケーキを頬ぼる女性陣が多くいた。
「リサーチでもしたんですか」
そう聞くと八重代さんは静かに頷いた。
そうか……まあ、もう何でもいいか
この人は本当に楽しそうに笑う。いつもこんな笑顔でいたらいいのに、そうしたら人気も出て、俺なんかがいなくても生きていける。
「ずっと笑ってればいいのに……」
今だけは俺と対照的な八重代さんに、俺は心の中の言葉を放ってしまった。
「え、」
「すみません。忘れてください」
顔も合わせず言う俺に、八重代さんは何を思っているだろう。
「もしかして、夜船さんも私の事好きなのかな」なんて思われてないだろうか。そう思うのは自惚れか。
でも、今の状況は元カノの時と非常によく似ている。
あの時も、元カノは俺をどこかのカフェに連れて行って、そこで俺が「ずっと笑ってればいいのに、可愛いからもったいないよ」なんて言ってしまった。
人間はなんでこうも過ちを繰り返してしまう性に囚われているのだろう。
「夜船さん……は、私の笑顔をもっと見たいですか……?」
もういいや……
俺は投げやりの感情で、八重代さんの心を刺してでも、現実を見せようと考えた。
「みんなに見せたらいいのにって話です。そうすれば俺に執着する必要もないですし、あなたが死にたいなんて思わなくていいようになりますし、まあ……そう思ってるかは知りませんけど、顔とか素振りとか、色々と見てると俺と同じ匂いがしたので」
今度はしっかりと顔を向けると、やはり八重代さんは目に涙を浮かべた。
――最低だ
じゃあなんだ、嘘をついて俺が見たいからなんて言って、この人を思い上がらせて後から突き放すのが正解なのか? それは違う。最初から俺の気持ちを明記して、その上で俺とどうするのかを決めてもらうのが一番いい。
「そんなこと、もうやってますよ……」
テーブルに一滴の雫が零れ落ちた。
それに締め付けられる心は、俺がまだ弱い証拠だろうか。それとも、別の何かなのか。
八重代さんがそんなこと言わずとも、俺は既にそういうことをしているだろうと考えついていた。
相手の責任に転換していたが、本当は突き放したかっただけなんだ。
〝俺が壊れてしまうから〟
「今日はお開きにしましょう」
俺がそう言ってテーブルを立つと、八重代さんは下唇を力強く噛んで俺の手首を握った。
「そうです……あなたが居ないと私は死にますよ」
大粒の涙がテーブルを埋め尽くしいく。
その様を俺は見たくなかった。抱きしめてしまいそうになるから、ごめんねって謝ってしまいそうになるから。
「だから……今日くらいは許してもらえませんか……」
鼻を鳴らし、喉を詰まらせ、咳きこみ、力強く俺の手を握る。
俺の心にどんどん棘が刺さって、俺の心にも棘が生まれてくる。
だめだ……だめだ……だめだ……だめなんだ……!
そう心で言いながらも周りの目が気になった俺は一度席に座った。
「今日だけ……」
ずっと握られるこの手は、小さくて冷たくて、力強くて弱くて、重くて暖かくて、矛盾だらけの気味の悪い手だ。
「分かりました……今日だけです。ただし、お金は全額払います」
そういうと八重代さんは渋々頷いた。
死ぬんだから情を築くなと言う俺と、この人とならもう少し歩いてしまえよと言う俺が同時に頭に浮かぶ。
俺も生きたいと言えば生きたいさ……でも、それで世界が何を応えてくれて、世界は何が変わるっていうんだよ……
八重代さんとデートと呼べないようなデートをした日から数日が経った。
残りの金はもう既に六百円しか残っていない。まあ、豪遊をしていたからこうなるのも必然的だ。
でも、数日も持たせる気はなかった。
俺は無意識的に八重代さんに期待をしていたのだろうか。
まあいいや……
残りの六百円で最後の晩餐を食べた俺は橋までやってきた。
さて……ここなら死ねるだろう。落ちたときの衝撃と冷たい川の水、溺死も出来るかもしれない
八重代さんの顔が頭に浮かびながらも、俺は静かに川へと身を放り出した。
――冷た
「おい。おーい」
頬を何度も軽く叩かれる衝撃で目を覚ました。
「またここか……」
記憶がぐちゃぐちゃになって入ってくる。
気持ち悪い……
「今回はお前だけなんだな。でも、ちょっとは長く生きてくれたじゃん!」
神様は笑顔で喋る。
そうか……あの女性とはここでもう何回も合ってたのか……八重代 冬那……
「冬那はどうしたんだよ。ちょっとは仲良くなれてるように見えたけど」
昔のここでの俺の感情と、死ぬ間際に考えていた俺の感情がぶつかって思考が相反する矛盾で埋め尽くされていく。
何言ってんだ……俺の方がここで八重代さんを好きになりつつあるくせに……
「なあ、おーい、聞こえてるー?」
視界で神が左右上下に動く。
「なあ……なんで、ここの記憶の一部を生きている俺らに与えたんだ」
そう聞くと、神様は豆鉄砲に打たれたように動きを止めた。
「なあ……俺らがどれほど悩んだのか、」
「待って……! それ本当?」
神様は慌てた様子で俺の前に立った。
「あのな……そのせいでこっちがどれほど苦労したか、」
「まずいよ! それ非常にまずい!! さっさと証拠隠滅しなきゃ……」
神様は俺の言葉を無視して、自分勝手に淡々と語っていく。
「それは、こっちの手違い。冬那がきたらその記憶がない場所まで蘇らせるから!」
「それは、」
――それは嫌だ!
その言葉を言う前に、目の前に冬那が落ちてきた。
「あ、ちょうどよかった。もう、冬那起こしてる暇ないわ。ごめん、もう還すよ」
「おい、ま」
俺が言い終わる前に、目の前が真っ白になった。
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