第7話「余命――」
八重代さんと虚偽記憶を共有し合ってから早一か月が経とうとしていた。
「何も分からないですね……」
図書館に行った後もパソコンで調べたりしたが、やはり話は全てスピリチュアルな方向へと変わっていってしまう。
今日も図書館にやってきたが、二人ともに疲れが見て取れる。
今の自分はこの謎に縋って生きている状態だ。これがなくなればきっと死んでしまう。
でも、ここまで何も情報がつかめないと、それはそれで疲れるといったものだ。
「スピリチュアルなものばかり、夢物語として扱われますね」
まあ、実際に夢物語みたいなものだ。経験しなければ、こんなことが起きるとはそうそう思うことはなかっただろう。
「帰りますか……?」
図書館のやけに静かな雰囲気は、俺たちの焦燥感を嫌に煽ってくる。そろそろ、外に出たい。
「そうですね……というより、もう、いいんじゃないですか?」
そう言われた瞬間、俺の心の中の錠前が壊された音がした。
――もう死ねば?
言われていないけど、そんな言葉を思い出してしまった。
「ですね……」
現状の事を考えると、こんな意味のない時間を永遠に繰り返すことで生まれる利益はない。だから、八重代さんの言っていることには納得しているし、自分もそう考えてきていた。
でも、今の俺は八重代さんとこの曖昧な虚偽記憶を調べていないと、生きようと思えないのだ。
前出した曲はちょっとバズってからはもう反響がないし、お金はまだ若干あるけれど、もう二か月ほどしたら全て使い果たしてしまうだろう。
余命、二か月って言ったところかな……
席を立った八重代さんを見て、俺も静かに席を立った。
静かで、孤独で、綺麗で、痛い夜。
俺は公園のベンチに座っていた。特に意味も持たず、誰かに見つけてほしいなんて醜悪な気持ちでも持ちながら、歩いてきたんだろう。
明日からはもう、八重代さんとこの頭に張り付いている虚偽記憶について話し合うことはない。
つまり、もう関わらなくて済む話になった。
それは俺がいつ死のうが、迷惑になることはもうないという自由の暗示と共に、孤独に戻ったという現実だ。
少し、俺の中で八重代さんについて消化しきれない点があった。
彼女は普通に会社員として日々働いているが、前々から見せる顔はとても生きている顔じゃなかった。
笑っている。でもどこか苦しそうで、隠していて、痛々しくて、見てて苦い笑顔。
喋っている。でもどこか息を詰まらせていて、喉を絞めていて、心からの感情より、言葉を一度、塩まぶした氷水に放り投げてから、一つ一つ判別して出しているような喋り方。
素振りなんかも、一見するとただ丁寧で礼儀正しい人のようだが、裏をかけば、それだけ自分を下げて謙遜し続けているということだ。
彼女の生きている世界は、きっととても苦しくなる世界だろう。
前も感じたけど、八重代さんももしかしたら俺と同じかもしれない。
同じ、
――自殺を懇願する者
あれから八重代さんと会う機会も少なくなり、もう一か月が過ぎていった。
一か月前まではまだ沢山残っていたお金も、もう既に底が見えてきた。
普通なら「働かなきゃ」なんて焦り始めるころだ。
でも、俺には心底どうだっていい。
このお金がなくなるのであれば、それが俺の死ぬ瞬間だと考えているからだ。
「はぁー……」
溜息を吐きながらシャワールームに繋がる道に出たとき、後ろから肩を叩かれた。
「奏斗さん」
どうやらネカフェ店員のようだ。
そういえば、こいつの名前知らないな……いつの間にか八重代さんとの仲の方が強くなってたのか……
「ん」
まともな返事をするのも億劫で、一文字で返した。
「あの白い髪の女性が、時間があるときに部屋に来てくれって言ってましたぜぇー。ほんとお熱いっすね」
また、にまにまと不貞な笑顔を見せたネカフェ店員に、今の俺はもう付き合う心の余裕は持ち合わせてなかった。
「わかった。シャワー出たら行くよ」
「ん、はい。それじゃあ」
俺が「そういうんじゃない」と否定する言葉を言うのでも期待していたんだろう。あっさりと答えた俺に、どこか浮かない表情を見せながら、踵を返していった。
何か分かったのか……?
先に部屋に行こうかとも思ったが、今頃あまりちゃんと食べていないせいか、体が怠けて思考回路もしっかりと働いていない俺は、無意識的にシャワールームに入っていた。
「あ……」
どうやらシャワールームには先客がいたようだ。
「どうも」
「こんにちは」
昼過ぎにお風呂に入るとき、大抵の場合で八重代さんと遭遇する。この人のルーティーンなんだろう。
ああ、そうだ……
「何か、発見したんですか?」
俺がそう聞くと、彼女はどこか気恥ずかしそうに首を振った。
ん……じゃあなんで
そう疑問を口にしようとした時に、八重代さんが先に口を開いた。
「ちょっと……確認したいことがあったんです」
「確認?」
隣の洗面台に座って、八重代さんの話を聞くモードに頭を入れ替えた。
「あの……私たち〝一度死んでたり〟してないですよね」
「……はい?」
八重代さんの様子から、嘘をついているようには見えないし、からかっているようにも見えない。
つまり本気でこの言葉を考えて、咀嚼して、口に出そうとしたということだ。
「ちょっと、言ってる意味が分からないです……」
「逆の発想で考えてみたんです」
「逆の発想?」
八重代さんはスマホの画面を洗面台に置いた。
それはメモにつかうテキスト系のアプリの画面のようだった。
「仮定として、もし私たちが一度死んでいて、でも何らかの理由で生き返ったんなら、その際に記憶が消えていたりするのであれば、二人同時で同じ内容の虚偽記憶を見ることがあるんじゃないかって……それは〝本当にあった記憶〟なので」
確かに理にかなっているし、その仮定がまかり通るというのであれば、確かにその答えが一番明確で、分かりやすく、全ての説明ができてしまう。
でも、一番肝心なのはそこじゃない。
「どう死んで、どう生き返るんですか」
至極当然の疑問を口にすると、八重代さん黙った。
これがとんでも発言だということは自分でもしっかりと認知しているのだろう。
でも、この類の話として認知したい気持ちも分からなくはない。というよりも、俺も最終的にはスピリチュアル系をずっと調べていた。
やれ前世の記憶だの、恋の予兆だの、これから起きることの映像だの、そんなことばかりを調べていた。
だから、八重代さんの気持ちも分かる。
だとしても、これは流石に行き過ぎた話だ。あるわけがないと否定するレベルでもない。存在してはいけない禁忌の事象だからだ。
「それに縋りたくなる気持ちも痛いほど分かります。でも、もういいんじゃなかったですか?」
あ、しまった……
あの日、俺を突き刺した言葉を、八重代さんにもかけてしまった。
「そうじゃ……ないんです」
ん……?
唇を内側へ吸い込んで、視線を下に動かして、どこかぎこちなく動く。
そうでないなら何だというつもりだろうか。
「ちょっと、重く捉えられるかもしれないんですけど……」
そう前置きをして、鼻を鳴らして喋りだした。
「夜船さんと虚偽記憶のことを考えてるときは、ちょっと心が休まったんです」
心が休まった……?
「私、今の会社がちょっと苦手で、いつも心苦しくて、肩身が狭くて、孤独を感じてたんですけど……夜船さんと喋ってると、その痛い感情を忘れていられるんです。雰囲気? というか、波長と言うか、どこか、合うんだと思います……」
その言葉に、俺は素直に喜ぶ気持ちは持ち合わせていなかった。
思ったことはただ一つ、
――ああ、めんどくさい
端的にまとめて、また喋りたいといったところだろう。
別に構わないが、今の八重代さんとの距離は友達という範疇から少し逸脱しかけている。
互いに互いを求めて、互いがいるから生きようと思ってしまっているのだ。
この状態が重たいと言わずして何と言うのか。
俺が何も言わないからか、八重代さんは顔を赤くしながら伏せてしまった。
はぁー
結局、俺はまたこうやって人を傷つけて、自分を傷つけてしまうんだ。
心でも頭でも断りたいという気持ちが現れるなか、それを絶対に言わせないようにする無意識的な体がいる。
制約をつけようか……
気持ちに折り合いをつけて、息を多めに吸い込んだ。
「俺の残高、あと少しなんですけど、それまででいいって言うんならいいですよ」
そうはっきりと言うと、八重代さんは顔を上げた。
「何円ですか……」
「七千円です」
「あげます」
「だめです」
きっぱり断ると、八重代さんはまた顔を腕の中へと埋めた。
このお金は俺の余命なんだよ……増やすことなんてできないんだ
何を言おうかと頭を回転させているうちに、八重代さんが顔を上げた。
「分かりました……その金額の日数だけ、また話がしたいです」
俺は黙って頷いて答えた。口を開けば、この醜悪な心を晒してしまいそうだったから。
※この作品は他サイトでも掲載しています。




