第27話「オン」
雨は俺の体温を奪っていく。
誰だよ涙を隠せるなんて豪語した奴……
人間、そんなに綺麗にできているわけがない。
寒いなら寒いと言うし、暑いなら暑いと言うし、痛いなら痛いと言う。
でも心の中を誰かに見せることはしない。それが苦痛だと分かっていながらも。
その矛盾こそが、人間を人間たらしめる理由であり、生であり、死への片道切符でもある。
はぁ……くそだりぃ……
何も食べていない体は不思議と数日間は異常が起きない。でも、ずっと眠くなり、気力もなく、視界が霞み、何も考えられなくなる。
もうこのまま餓死させてくれ……
静かに目を瞑ると、俺に振る水滴がなくなった。
ん……
「夜船さん。もう、何日目ですか」
目の前にはそうめんみたいなものをぶら下げている人が見えた。
「そうめん……」
「え?」
そうめんに触れると、それはなぜか温かくて、さらさらとしていて、優しい匂いがした。
「不思議だな……」
「ん……」
暑苦しくて起き上がると、そこは公園のベンチではないようだった。
「あ、起きましたか」
……どこ?
「夜船さん、ずっと寝てて死んだのかと思いました」
目の前にはあの白髪の女性が座っていた。
「あ、カレーって食べれました? 辛さとか何がいいか分かんなくて、とりあえず普通に中辛にしておいたんですけど」
カレー……?
「あ、もし食べれないなら……えっと……別の買っています。明日私が食べるので」
あー……勝手に、俺をまた救ったのか
怒る気力もなく、また俺は天を仰いだ。
「食べた方がいいですよ……」
「善意は時として人を傷つけますよ……」
眠気と無気力の頭ではっきりとその言葉だけは喋った。
寝れなそうだけど、寝ておきたい……
「あ、寝ちゃだめです。起きてください」
俺の体を起こして、壁に背中を預けさせて、俺の前にカレーをすくったスプーンを差し出した。
「なんですか? あーんでもされたいんですか?」
女性は淡々とそう言いながら俺の口元にスプーンを動かした。
「いい……食べない……」
「だめです」
カレーの匂いが俺の空腹状態に強く刺激を与える。
くそっ……
俺は所詮、生に抗えない人間だ。
女性からスプーンを奪って一口カレーを口に流し込んだ。
久しぶりの食事に感覚がマヒしていた舌が、色々な味を感じ取る。
カレーって……こんな味してたっけか……
その新鮮味から俺は、がっつくようにカレーを食べていた。
「犬さんみたいですね」
「人間だ」
「ふふっ」
女性は微笑みながらペットボトルの水をテーブルの上に置いた。
「あのまま、死ぬつもりだったんですか?」
「どうでもいいだろ」
「いいえ、少なくとも私はこうやってあなたを救ってしまっているので、どうでもよくはないですよ」
はぁ……
「善意」
「そういうわけでもないですよ。あなたを見ていると、放っておけない気持ちが芽生えてきます。なんなんですかね? これが母性とでも言うんでしょうか……?」
「やめろキモチワルイ」
「ふふふっ、失礼ですよ」
でも、本当になんで俺はこの女性に助けられてばかりなのだろうか。もうこれで三度目だ。
「私たちって、一度どこかでお会いしたこと……ないですよね」
「え?」
「あ、いや……そのー……夜船さんの出してる空気を、一度というか何度も、感じたことがあるような気がしまして……既視感? と言うべきでしょうか……」
既視感……俺の出してる空気に?
「そんな訳ないだろ。それじゃあまるで俺たちが別次元の世界の人とか、前世で恋人だったとか、そんなスピリチュアルな話の主人公みたいでキモチワルイ」
「そうですか? でも、私はもっとあなたのそばに居た気がします。本当に、恋人のような……」
「は?」
この女性は自分が何を言っているのか分かっているのだろうか。
「そんなことありえない。あの病院で、雪山であなたが俺を助けたときからしか会ったことはない。昔に白髪の女性なんて見たことないし、というかそれ染めてんの?」
「あ……地毛なんですよね」
「地毛?」
「はい。その……いわゆるアルビノって言ったら分かりますか?」
「まあ……多少なりとは」
「そんな感じの先天性の疾患で……太陽の光を長く浴びてると、結構ダウンしちゃうというか……そんな感じなんで、いいことばっかりじゃないんですけどね……」
ふーん……
女性はもじもじしながら、干し梅のお菓子を食べて読み取れない表情で静かに噛みだした。
「野暮かもしんないけど……なんであの時に遭難してたの。足、滑らせたの?」
「えっと……滑らせた。ですかね」
「何で疑問形?」
「あー……はい。滑らせました」
ふーん……
女性の顔は正直言って分かりやすいと言われる類の人だろう。
「うそでしょ」
俺がそういうと女性は驚いた顔を浮かべて俺を見つめた。
「え……? いや、本当に足を滑らせて」
「うん。まあ、そこはあながち間違ってないんだろうね」
「え……」
「足を滑らせたのは間違いないんだろうね。滑らせたのは」
そう言うと女性は珍しく顔を伏せた。
「カレーも買えて、部屋も借りれるとなると……社会人くらいか。なに、社内でトラブルでもあったんじゃないの」
そう聞くと、女性は静かに首を横に振った。
「ま、なんでもいいけど……もう、助けないでね。俺は君に恩を作りたくないし、君も俺に恩を作らないでほしい。俺は死のうと思ってるから、関係値を築くことはもうしたくないんだよ」
「そう……ですか」
不満ありげに顔を上げた。
「ここまで聞いておいて……質問しておいて……放っておくんですね」
「は……? いや、質問したというか……」
「恩を作りたくないなら、まず私への恩を返すとこから始めたらどうですか?」
正論を言われてしまった。
いやはや全く、その通りではある。
だが、あの言葉はもう関わりたくないという意思の元で告げた言葉だ。
言葉選びをミスったか……
「とりあえず、お金を払ってもらうまでは契約しましょう」
「……なんの?」
「そうですね……話し相手になってください」
「は?」
「カレーが六百円、水代が百円、タクシー代が千円、ネカフェ代金が……」
「もういい。分かった、分かったから」
女性はにししと、策士のように笑うと紙に総額を書いて俺に渡してきた。
「この代金をきっちりと払ってくれないと、私への恩は返せません。しかも、それを超過して返すと、今度は私があなたに恩を作っていることになってしまいます」
こいつ……!
「なのでしっかりと、きっちりと、同額の値段を払ってくださいね」
はぁ……
「ちっ、分かったよ……」
「あ、舌打ちしたので、プラス五十円で」
「は?」
「当たり前です。これは恩ではなくて“怨”です」
「上手くねぇからな」
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