第17話「未知の不安と生きる口実」
あれからまた一日が過ぎた。
ん……
目を開けると、目の前で和やかな顔で眠る彼女がいた。
おいおいおい……
俺とて男性だ。
こんな綺麗な顔が朝一番に見えてしまったら、色々と困る。
なんですぐそばで寝るんだよ……
スペースなら正直いくらでもある。昨日、あれから彼女がどんなことをしていたかは知らない。
だが、この距離で寝ることは彼女の意思がないと無理なんじゃないだろうか。
こいつ……本当に意味わかんねぇ……
むしゃくしゃする頭を落ち着かせるためにも、一度部屋の外に出た。と言ってもどこかに行くと起こしてまた怒られるだろうから、ドアの前に立つだけだ。
窓から差し込まれる朝の透明な光が、廊下全体を鮮やかに照らす。
「まぶしっ……」
深呼吸を数回したら部屋に戻った。彼女は何も知らないでずっと寝ている。
起こすのは嫌だしな……やることもない、寝るか……
俺は今度こそしっかりと距離を取って、目を閉じた。
熱い……
寝起きの脳は、俺の体が壁に何かで押さえつけられ、そのせいで熱がこもっていると瞬時に理解した。
なんだよ……
彼女のいたずらかと思って目を開けると、目の前には子供のように包まって俺の腹を背に、静かに寝息を立てる彼女がいた。
「いや……何してんのお前」
心の声がそうこぼれるほどには、俺の頭は疑問符ばかりが浮かんだ。
正直、流石に起こして事情を聞きたい。
でも彼女を起こすということは、つまり俺が危険にさらされるということだ。
それは流石に嫌すぎる。
「いい加減にしろよ……」
溜息交じりに独白しながら、俺はまた場所を変えて眠りについた。
今度は何だよ……
また暑苦しい感覚で目が覚めた。しかも今度は何かに締め付けられているような感覚もある。
今度こそいたずらか……?
そう思って目を開けると、目の前には白い髪の頭部が映った。
「あ……?」
視線を下に動かすと、そこには俺に抱き着く形で寝ている彼女がいた。
「あのさーー……」
流石に我慢の限界に達したため、彼女を強引に引っぺがした。
「んん……」なんて眠そうな声を出した彼女は、何を考えたのかまた俺の方へ両腕を伸ばして、体重を俺にかけようとする動きを見せた。
そのまま倒れてろ……
俺は横によけて、顔をマットでぶつける彼女を心で嘲笑った。
これまでの仕返しだ
なんてことを考えていると、彼女は鼻をさすりながらゆっくりと起き上がった。
「痛い……です」
「知らねぇよ」
「なんで怒ってるんです……?」
……はぁ
一連の行動はやはり、彼女の本当の意思ではなかったようだ。
目をしばしばさせて、俺の顔を覗く彼女はどこか子供のような愛くるしさがあった。
んん……
怒りと共に、俺の心には許してあげてもいいという心が生まれていた。
ああ……もういい
「なんでもない。ただ腹が減っただけだ」
「そうなんですね……」
そう言って彼女は財布から千円を渡してきた。
「は?」
「これで好きなもの買ってください……私は、もう……」
そこまで言ってまた眠りについた。
次第にこちらに伸ばした手が下に落ちていき、千円を持つ指の力も緩まっていく。
このままでは手の届かない場所に千円が落ちてしまいかねない。
仕方なく、とりあえずで受け取るとそれを確認したかのように彼女の手はマットに落ちていった。
いや……要らないんだけど……寝ぼけてたのか?
心底意味が分からない。
「はぁー……」
溜息しか出ない。それはいつも通りだけど、どこか今日の溜息はまた違った溜息な気もした。
財布に入れておくか……
彼女の千円を財布に戻して、俺はパソコンの電源を付けた。
しばらくして彼女が起き上がった。
もう昼過ぎだ。
「んん……」
また目をしばしばさせてはスマホを手に取り、ふらふらする体を壁に預けた。
何してんだか……
そんな気持ちで見ていると、スマホの画面を見た彼女が慌てた様子で立ち上がった。
「もうお昼じゃないですか……!」
「それが?」
「ご、は、ん!」
そう言って彼女は俺を立ち上がらせた。
「さっさとスーパー行きますよ」
「いや、服が――」
「そんなの、どうだっていいです! もう一時なっちゃいます!」
「いや……俺じゃなくてな」
彼女はもこもこした、猫のパーカーのパジャマを着ている。これで向かうとでもいうのだろうか。
「それで行くの?」
指をさすと、彼女は自分の服を一通り確認すると頷いた。
おう……まじかよ
「行きますよ」
「ああ……うん」
この服装の彼女の横を並んで歩くのは、正直嫌の一点張りしか頭に浮かばない。
まあ……ちょっと離れたところから見とくか……
いざスーパーについたが、どれだけ距離を置いても、彼女は俺の方へと向かって歩いてくる。
そして、「何かいいのありました?」と聞いてくる。まるで昨日のわだかまりと、怒りがなくなったかのように。
調子が狂うってもんだ……
元カノにもこんなには苦労しなかった。
巻き戻れるなら、元カノにもっと優しくしていただろう。まあそうなると優しさって何なんだっていう哲学から入らなければいけなくなるが。
「あ、これ美味しそうですね」
そう言って指差した先には、元カノが良く好んで食べていた菓子パンがあった。
「ああ……まあ、美味しいですよ」
「買うんならあげた千円で買ってくださいね」
「……ああ」
は?
彼女はそれだけ言ってちょっと離れた場所に歩いて行った。
え……今、なんて言った?
すぐに追いかけると、彼女は純粋な顔で迷っている表情を浮かべていた。
「なあ、さっき何て言った?」
俺がそう聞くと、彼女はどれのことか分かっていないのか、首を傾げた。
「俺に、千円あげたって言ったよな」
「え? はい」
さも当たり前かのように言う彼女に、俺は頭痛がした。
「昨日、俺たちはどういう会話したか覚えてる?」
「はい」
「記憶にある?」
「……ありますよ」
訝しむ俺に、彼女は不服そうな顔で頬を膨らました。
「俺、なんて言ったか覚えてる?」
「はい。でも我慢はいけません」
「いや……」
「もし死んだら、私はどうなるんですか? 夜船さんは自分勝手です。確かに私はお金を上げるつもりはありません。でも、夜船さんが居なくなったあと、私だけ残ると、私はどんな行動をとるのか、怖いんです……」
彼女から聞かされた内容に、不覚にも納得がいった。
確かにそうだ。自分勝手はどっちだと言いたい所でもあるが、俺が死んだあとの残った彼女はどうなるのか。それを考えたことはなかった。
「死ぬんならいいんですよ……別に。でも、もっと苦しくなるんだったら……何かに懺悔するような形になるんだったら……嫌なんです……」
俺の心は一瞬にして、熱を覚まされた。
「確かに……俺の考え不足だった」
「はい……」
「ごめん。千円は財布に戻した。どちらにせよまだお金はあるから、もうちょっとは自分でも生きられるから、心配しなくていい」
「……分かりました。早く言ってくださいよ」
「……うん」
そうして俺は、生きるための口実が作られてしまった。
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