135話「私の名前は自分で決める。」
物心ついて間も無くして私が感じたのものは理不尽だった。
「っ!」
「この、穀潰しが!!」
幼い頃私は父親から暴力を受けていた、理由は父の八つ当たりだった。父親は仕事が不景気になりその頃から態度が急変した、そんな急変に母親もなんとか私も育てるために働いたものの結局は父のストレスと悪化によってそれは叶わず、母親は私を連れて家を出ようとした。だが父は娘を手元に残しておきたかったのか私を母から奪って結果貧乏な家で二人暮らしとなった。
だがこんな不幸な連続がもはや父親の精神は腐りかかっていた。以前の高潔と言われていた精神は見事に砕けたり、残ったものは毎日酒に入り浸るだけのカス同然の存在だった。
父親は言う。私が生まれてから全てが悪化したと。実際因果関係を結びつけるのならばそれはあまりにもタイミングが良かったと思う、だからその当時の私は胸の奥に抱く理不尽を抱えながら自分は最低な人間だと思っていた。父親と母親の中、そして家族を引き裂いた人物として。
「お前のせいだ!お前のせいだ!!」
私の心を何度もへし折ろうとする父親の罵声が毎朝のように聞こえた。頬は殴られたせいで口内出血を起こし、鉄分の味が私の口の中に広がっていく感覚だけが鮮明だった。
「泣くな!泣くな!お前が!お前が悪いんだろう!!」
理不尽な罵声、理不尽な暴力だけが私の記憶と体に色濃く残っている。その時幼いながら私が感じたのは自己否定の他になかった、自分の父親にそう言われたのだどんな子供だって自分が悪いと信じてしまう。だから私はつくづく何もできない人間で価値がないのだと塞ぎ込む毎日だった。私はそんな父親に少しでも謝罪がしたかったのか幼いながらどこかの店で働こうとした、しかし10歳もいかない幼過ぎる私を雇ってくれる店なんてどこにも無かった。
だがそれでも父の声、父の姿、それが恐怖の象徴だった私にとっては外に出て自分が働ける場所を見つける方が何倍も楽に感じていた。
そんな時だった、あまりにも私の姿が見窄らしいのか城下町の端っこで営んでいるパン屋の老店主がお腹を空かせてその日も職探しをしている私を拾い上げてくれた。勧誘の言葉は実に暖かくて生まれて初めての温もりを感じたようだった。
老店主が失敗作だと言ってタダでくれたパンはどれも食べたことがないほど美味しかった。ふわふわでもちもちの食感、硬くてカビだものしか食べていなかった私はそれに感動というものを感じた。
「……あら爺さん、その子は?」
店の奥から老店主の夫人が出てくると私は食べていたパンを噛み終わらないうちに飲み込んでしまい少し喉が詰まってしまう。そんな私に老夫人は少し慌てながら水をくれた、老店主と同じくらいの優しく穏やかな瞳の人物だったことをよく覚えている。
「さっきそこでな。お腹を空かせていたんだ。」
「そうですか、大変だったね。」
私の身なりを気にするよりも先のその奥にある事情になんとなく察したのか、老夫人水を飲む私の背中をさすりながら優しく微笑んだ。
老店主はそんな夫人の態度を見て決心固めたかのように立ち上がり私にこう言った。
「お前さん、うちで働くかい?」
その言葉は今まで希望がなかった私の前に神様が微笑んでくれたかのようなそんな暖かさを感じた。私の事情も聞かず、ただただ何も言わなくていいと、そして働いていいと言ってくれた。今考えてみればその店主は知っていたのかもしれない。私が知らず知らずに広まっていた職を探していた子供だということを。
ただ自分を責めるわけでもなく、かえって目に見えた慈悲を与えるわけでもなく、どこかそっけないようにどこか普通に触れ合うようにそう言ってくれたのはその当時の私にとっては何よりも嬉しい言葉だった。
その日から私はそのパン屋で働き始めた。見習いとして、簡単な接客やら子供でもできることだった。それこそ賃金すら出ないような雑務であっても老店主は私にやけに多いお金を渡してくれた。
「なんだ、お前その金は!」
父親からはそう言ってお金を取られたけれど別に自分で使うつもりなんて微塵もなかったのだからその時の私はあまり考えてなかった。だが働き始めた私をまたよく思わない父親は更に暴力を振るった。今までよりも強く、八つ当たりと明確な殺意のようなものを持って。
「あらっ!!」
老夫人はそんな私の怪我を丁寧に治してくれた。どうしてそんな怪我を負ったのか、どうしてそんな状態なのか理由は一切聞かなかった、ただただ私の傷を治しながら優しく頭を撫でてくれたことをよく覚えている。今までされたことのないそんな扱いに私は毎回涙が出そうになっていた。
そしてそんなやりとりが続いて2年、父親の暴力はますますひどくなるが、私はパン屋の老夫婦の元で働くことがこの世の何よりも生き甲斐となっていた。だから暴力の日々にも負けずにその二年戦い続けられたのだと思う
人の心などほとんどなくただただ自分の生を否定する人生はいつのまにかなくなっていた。
「私とおじいさんの間には、孫も子供もいなくてね。だから、あなたは私たちの中では──かわいい孫よ。」
老夫人がある時そう言ってくれたことを覚えていた。暴力的な父親と違った愛情に私はいつしかその老夫婦こそが自分の親代わりなのではないかとすら思えるようになった。
しかしそんな幸せの日々はある日突然失せた。
「ぁ、ぁ。」
老夫婦のパン屋に火がつけられたのだ。そしてそれをした首謀者は私の父親だった動機は私が幸せになる姿が嫌だったのだろう、殴られてもそれに勝る希望があったせいでなまじその私の希望を持った姿は更に父の逆鱗に触れたのだ、おそらく私の後をついて行ったのかパン屋の場所を知りそこから真夜中に火をつけたのだ。
私が起きていつものように駆けつけた時にはそこには焼け落ちた建物以外に何もなかった。
老夫婦もその時死んでしまったらしい。
後から他の人に聞いたのだが私の傷だらけで働く姿は店に訪れるお客さんの目にも映っていたらしく、老夫婦から事情を聞いたお客さんは私のために父親に対して些細ながら報復をしていたらしい。元から察しが良くて繊細な神経を持つ父はそれに腹を立てて火をつけたのだと言う人もいた。真相はわからない、分かりたくもなかった。
「うああああああああぁぁぁぁっ!!ああああああっ!!!!!」
焼け落ちたパン屋の前で私はただただ涙するしかなかった。父は衛兵に連れられて火をつけた罪人として、そして子供の私は家も、心の拠り所も失った。文字通り全てを失った。
心に残る確かな決意以外は。
(力がないと、力がないと何もできない!また誰かから奪われる。また誰かが私の大切なものを奪っていく。そのためにも何にも負けない力がないと!)
その後私は孤児院へと預けられ、そこからただ1人で戦い続けた。誰にも奪われない力を求めてあるとあらゆる知識を得て、そして金銭を稼ぐために、もっとも給料が良い異界探索部隊へと入った。その時には私の中から大切なものを守る。なんで言葉は消え失せていて、ただただ力を求めるために戦う何かになっていた。
そしていい機会で仲間を裏切って私は誰にも負けない力を手に入れた。簡単に再生する肉体、敵を一撃で倒せる力、それなのに天才は私の努力なんて全て掻っ攫っていく。与えられたものは所詮与えられないものが叶うはずがないとそう天から囁かれているように。
「……お久しぶりです。私を狙いに来ると思っていました。」
「ナリタ・クリス…!」
「この間ぶりですね、クリスタル・レディ。はっきり申し上げますが、ネーミングセンスが足りないと思います。」
「………そう言って貴方はいつも誰かを見下すことしかできない。そうとしか知らない貴方は所詮そのようなものなのですよ!」
「そうですね。そう見られても構いませんが、貴方のような裏切り者には言われたくありません。」
「黙れ!!」
即座に作り出したクリスタルの槍達はクリスへと向けられた。ハッキリ油断を見せている彼女に魔人族特有の反応速度の差を覆せるわけがない。だが彼女は私の攻撃を軽く片手で振り払うふりをしながら四方八方から炎の鎖を出して私の槍を阻んでいく。
「お粗末なものですね。力を求めた結果それすらも私には敵わない。まだ人として足掻いていた貴方の方が私は何倍も好感を持てたものです。」
「黙れ黙れ!!」
立て続ける槍の攻撃にも動じず、クリスは的確にいなしていく。その都度怒りが増していく、四方八方から攻撃しているのに、私の大雑把であり火力重視の攻撃は繊細で精密制御を得意としているクリスにはとどきもしない。
魔術秘宝、それを使って魔術神経はオーバーロードを起こしているはずだと言うのに、どこにそんな余力があるのかと、なんでこの力を持ってしても勝てないのかと。
「私が弱ったところを狙いに来たのでしょうが、それはハッキリ言って誤算と負わざる終えません。別に私は、魔術神経がオーバーロードしても戦えますから。」
「何を言って!!ハッタリでしょう!魔術神経がなければろくに魔術の発動すらできない、術式展開だって───!」
「えぇ、ですからしているのです。術式展開。」
「は!?」
クリスは徐に腕を掲げてさっきまで赤黒くボロボロになっていた腕を見せた、だがそこにあるのは完全回復を果たした真っ白な腕だった。
そしてその腕に巻きつけられているのは全て術式工程が済んでいる魔術式ばかりだった、数ミリ単位で縦に並列的に繋げられたそれは遠目で見れば光る腕輪のように見える。
「──!…?」
「私は確かに魔術の精密制御が売れりです。重ねがけも得意です。そして───最近、術式の固定化を会得しました。」
「こ、ていか───ですって?」
それは魔術式を個別で展開する手法。
本来魔術を使うには魔術神経を使ってそれらを構築し即座に使用しなければならない。そうでなければ術式の固定化が即座に解かれてしまうから。だがクリスは違う、銃を撃つためにはただ引き金を引けばいいだけと同じように。
既に組み立て終わっている銃を装弾がある分だけ撃つことができる、文字通り今までの魔術師とは一線を画す実力だった。
「それが─────!」
私はそれを目指していたわけではない。ただ力を持ちたかった、魔術でも、物理でも、そして生物としてでも、死ぬ気で必死に、日々を努力に費やしてきた。自分の力を疑わなかった日はなかった。常にまだ先があると信じて、常にまだ上があると信じてそれらの頂点に上り詰めるために血の滲むような努力をして乗り上がってきた。のし上がってきた。
だと言うのに。
「それが────どうしたッ!!!!」
そんな私が1番嫌いなのは生まれてから全てを持って、生まれてから全てを手に入れて、生まれてから全てが成功に包まれている。温室育ちの子供だった。彼らは自分が殴られる日を怯えなくていい、誰かの温もりを当たり前と感じて、感謝することもない、口先だけ偽り続けて人々に偉い同家を演じ続けて自らの立場にすがりつく弱い奴ら、それが本当に大っ嫌いだった。そんな頂点で今私を見下しているナリタ・クリス、それを叩き潰すために私が生きた証が正しかったと証明するために。私はたとえ誰かから悪と言われても戦い続ける。
「……そうですね。貴方はもう人ではなかったんでした。」
「そんな目をしてぇ!!何も知らないで!!ナリタ・クリス、貴方を叩き潰して私が歩んできた道を証明する!!私が正しいと、力が最後に全てを覆せる絶対なのだと!」
「……では、私は1人の魔術師として対峙しましょう。貴方は人類の敵であり倒さなくてはならない敵であると…!」
クリスの焼け落ちていた服は固定化された術式の一回転によって一新された。余裕と自信、相手に対して自分が格上だと一挙手一投足から醸し出されるそれに。
「その口をぐちゃぐちゃにしてやるッ!!!」
激昂と武力を持って襲いかかった。




