127話「母親の心」
拠点を飛び出して、少し離れたところの丘でようやく私の体は止まった。ここなら大丈夫だと後ろから追う声も人のする音も聞こえない、この広い世界の中でただ自分1人ぼっちのような気分になれるから、私はようやく安心できるようになったのだ。でもそうして望んだところに辿り着いても心の整理はつくどころか、かえって不安ばかりが募っていく。
(……どうすれば戻れるんだろう。)
私は自分で飛び出しておきながらそんな二律背反的なことを思う。帰り方はわかる、ただ帰るワケがわからなかった。どうすればみんなは逃げた私を許してくれるのか、どうすればまた私は元の位置に戻れるのか、そう考えるとこの場所で永遠を過ごしていたい気持ちになる。
このまま誰にも知られずこのまま誰にも関わらずいなくなれたら、もしかしたら楽なのかもしれない。この胸にのこる変な重りもいつかは忘れることができるかもしれない。
膝をたたんで座り、顔を隠す。この世界から聞こえる音はやかましさではなく逃げた私を叱責しているように聞こえてきた。紫色の雷の音が遠くで鳴り響いて、私は心の中で懺悔するような気持ちになる。
「ラナ?」
「……お母様っ?」
聞こえてくる声に慌てて振り向けば、そこには母が居た。なんの装備もなく、それこそ一瞬私を連れ戻しにきたのかとさえ考えたものだがここにいることも意外のような顔をしている母から、私たちがただ偶然的に出会ったものだと私は察した。ただ誰とも会いたくないと思っている私は適当な理由をつけて場所を変えようとして、母にこう言った。
「お母様、どうしてここに?」
「………なんとなく、心が休まらなくてね。」
バツの悪そうに答える母の視線はそれとなく泳いでいた。私はそれを不思議に思っていた、母の周りには父やエルザードおばあちゃん、エルフルという頼れる仲間がいる、本音を言える人達がいる。そんな人が心が休まらないなんてことあるのか?そんな人が1人になりたいなんてことあるのか?
「ラナは?」
「私は、ちょっと偵察に来ているだけです。」
「そっか。」
苦しい言い訳だ。それでも母は私の言葉を信頼してそれが本当だと即座に信じ切った。その優しすぎる態度に私の心はチクっと何かが刺さったような痛みが走った。自分のために嘘をついた自分に今更傷ついたのだ。
「隣いい?」
「…はい。」
抜け出すタイミングを完全に失った私の隣に母が座る。母は私の座り方にそっくりな座り方をして同じ景色を見ている。クリスタルによって蝕まれた大地、緑の鋭利な突起物がいくつも突き出して大地を踏もうとする輩を問答無用に排除しようとする明確な意志を感じられる。
それこそ、私たちのような異界の人物を追い出したいとそんな意識が表面化したかのように。
「なんだか、久しぶりな気がするね。」
「え?」
「私とラナが2人っきりなの。」
「……そうですか?」
「そうだよ。ここずっとラナはお父さんと一緒だったんだから……。」
それはヤキモチを遠回しに言っているように聞こえた。わかった私は母が1人でいる理由がなんとなくわかったような気がしたが、それでも表情の複雑さを解明するまでには至らなかった、気持ちが表情に出るのなら母の顔はあまりにも多くのものが入ったような気がしたからだ。もしくは少しのスパイスが入ったような半透明な感じがしたからだ。
「お母様は、体調は大丈夫ですか?」
「うん、ラナのほうは?」
「私は───いえ、そういうことではなく。」
「ん?」
「お母様は、この間まで伏せっていたのですから。」
「……大丈夫だよ。戦いだってできるし、ご飯も食べれるし、しっかり睡眠も取れる。」
「そう、ですか。」
見てわかることだったが、私は罪悪感から母の健康を気にせずにはいられなかった。それが自分の人生の大半を占める悩みだったせいか、母の顔を見るたびに思い浮かぶのは本当に大丈夫なのか?という疑問ばかりだった。母のやつれた顔が脳裏に焼き付いてしまっているから、なんだが目の前にいる健康的な母を幻視していると勝手に意識が勘違いしてしまう。
ここには救えなかった予知など含まれるはずもないのに。
「ラナ、自分を責めないでね。」
「───!それは、できませんよ。」
「うん。でもそれでも自分を責めないで、ああなったのはラナのせいじゃないから……きっと誰のせいでもないの、ただちょっとタイミングが悪かっただけ。」
「………それは、そんなことありません。私は、見ていました。お父様が消えるところを、それなのに何もできずにただ無力に手を伸ばすだけで、何もしなかった。できるはずのことを何にも考えていなかったんですよ!」
「ラナ………」
「お母様のせいじゃありません!お父様のせいでもありません!タイミングが悪かったなんて言い訳です!私は、私が自分でできなかったから、自分に甘えたせいで起こったんです!そして、お母様の人生を奪ってしまいました、お母様はお父様ともっと、もっと話せる時間もあったはずです!もっと笑顔になれた時間も、もっと美味しいものを食べれた時間も、もっと苦しい時間も少なかったはずなのに……!私が、私が奪ったんですよ、私が奪ったんです!なのに───なんで、そんな許すんですか。許せないじゃないですかっ。」
「──────。」
弱っていたのか、私は抱えていた全てのものが溢れた気がした。涙ではない、泣くことで泣き叫ぶことで想いを伝えるなんて、そんな子供騙しなことではなく言葉でできる限り想いを伝えた。ただそれは懺悔のように、子供の癇癪のように醜い語彙力でところどころでは言葉として不完全すぎて、自分でも最後になんの感情を持ってこれを伝えるべきだったのか、それがわからなくなるほどに混乱とした言葉だった。
それを聞いた母はまた複雑そうな顔でどこか悲しそうだった。こんなことを伝えるつもりはなかった、自責と儚さが再びぶり返しそうになった時。
「──────」
私の体を覆ったのは母の優しい抱擁だった。だがその直前の顔は穏やかとはかけ離れてとても悔しそうな顔を浮かべていた。
「ラナ、聞いて……お母さんはね。いまとっても嬉しいよ。ラナは今までいっぱい抱えてきて、お父さんのことも私のことも、全部自分1人が悪いって、それを私の前に言わず。誰にも話さずきっとここまで来たんだよね。ほんと、責任感が強い子。」
「……お母様。」
「でも、ダメだよ。そんなふうに思ってちゃ、そんなふうに考えてちゃ。私は、お父さんは、貴方の家族なんだから………どんなことを思っていても、それが苦しいことだったり、耐えきれそうにないことだったら、私たちに話して欲しいな。」
「お母様……っ」
「でもごめんね。貴方はいっぱい抱えていたのに、ここまでくるまで全然話せなかったや。娘がこんなに辛くて眠れない日々を過ごしていたのに、私は最後まで自分のことばっかりだったから、貴方に重りになってた。母親としてはね、娘に何よりも辛い道を歩ませたのが、本っ当に悲しくて苦しいんだ。だから許して。」
「そ、んな。私は──私も、お母様のことをずっとそうだなって勝手に、、勝手に思っていたのにっ!」
「うん。でも、でもやっと言えたから。だからラナも言って、私も言うから、何回でも何百回でも、聞かせて、貴方の言葉を貴方が抱えているものを、お母さんに話してごらん。」
「───ぅっ。」
私は決して声を出さないように努めたけれど、やっぱり何度だって何百回だった、母の優しさには涙が出てしまう。私は根本的に家族には弱いのだ、戦いの時も、どんなに深い傷を負っても砕けることのない心はこんな簡単に折れてしまうなんて、きっと怒られてしまうだろう、叱られてしまうだろう。でもそれを抱える必要なんてない、もう私には話せる理由が話せる人達ができたんだから、だからもう抱える事はやめよう。
失望されるかもしれない、驚かれるかもしれない。でも伝えなければ始まらないのだから。
母としばらく語り、落ち着きを取り戻しながら私は今までの想いと、これから自分がやるべきか迷っていることを母に相談した。でも帰ってきたのは意外な言葉だった。
「ラナはどうするかわかるはずだよ。」
「……。」
母は私を信頼している目をしている。父とは違って答えを自分に問いかけるのではなく、相手を信頼する瞳。そうか、っとなんだかわかったような気がする。母が優しいのはきっと誰かに肩を預けることを、その必要性を知っているからなんだと。なら私もその生き方を少しでも真似しようと思う。
「はい!」
「……いくの?」
「はい、でも帰ってきます。生きて帰ってきます。また絶対に今度はお父様も交えて話し合えるように!」
「うん。そうだね、今度はもっと明るい話をしよっか!」
「はい!」
私はその場から走り出した。自分のしたいこと、やりたいこと、それ以上にやらなければならないこと多くあるけれども、それの動機は少ないかもしれないけれども、選択を決めるのはいつだって自分でいつだってその時なのだから、だからこの走り出した気持ちは本当で紛れもないものだと、信じることにした。
<──|||──>
「いるでしょ?」
「あぁ。」
岩陰から身を乗り出すと待ち構えていたみたいな顔をしているミィーナがいた、なんとなくかと思いきや場所まで正確に見られている点にはさすがと口が滑りそうになる。
「あの子、やっと話してくれた。」
「今まで溜め込んでいたからな。こっちからは聞けそうにない……責任感が強すぎて、どうもな。」
「ゼルのせいだよ。ゼルに似たんだから。」
「悪かった。」
そう指摘されれば認めざるおえない。俺の責任感の強さ、というよりどうしようもない頑固さは実際に間近に居続けたわけでもないのに遺伝してしまった。もはや、関与性が薄い自分自身には罪悪感しか浮かばない。
「でも、本当に良かったよ。私に話してくれて。」
「?」
「ほら、あの子にとってゼルは憧れだから。いつも追いかけていた背中は貴方だから、私は───」
「ミィーナは、ずっといた母親だ。」
そう切ろうとする彼女の言葉に重ねる。隣に立って同じ景色を眺めながら、そっと髪に触れると彼女は少し甘えるように頭を寄せてきた。
「でも力になれたことなんてなかったよ。私も重みに感じてしまっていたわけだしさ、だから私が力になれて良かったって思っているよ。」
「俺たちは、もっと話し合うことが必要だったのかもな。その……君ばかり見ていたせいだ。」
「────私だって!」
腕を引き寄せられ頭を擦られる。その姿は薄くなってしまった記憶にある彼女の甘え方にそっくりだ。まるで数年前の、それこそラナが産まれて来る前の恋人のような焦がれるような関係に戻った時のように。
「貴方のことを、忘れたことはなかった。でも───あの子のことを忘れたことは、あったかもしれない。」
「……それを言ったら俺なんて忘れてばっかりだよ。いい加減、この忘れっぽい人生とお別れしたいくらいだ。」
もう片方の腕で彼女の頭を撫でる。耳がぴくりと動きながら彼女の呼吸は安定していく。
「……ねぇ。貴方は、本当にもういなくならないよね?」
「──────」
彼女の言葉には率直応えたい。けれども今ここで言ってしまえば何かが変わってしまう。そういう恐れが自分の中にあると自覚すると、この先の展開はなんとなく読めてしまうのだ、自分はきっとまた誰かに多大なる迷惑をかける自己犠牲を行うと。だから、彼女の前でも嘘をつけない。
「そう………。」
耳が感情を表すように垂れる。
けれどもこの話には続きがある、自分にはまだ淡い確信だけがあった、だから今度はそれを完全なる決意に変えるために言葉を紡ぐ。
「でも、約束するよ。必ず帰って来るって。」
「──────うんっ。」
甘い感触が唇に触れた。娘が生まれた親というのは本来自らの人生を棒に振ってでも子供を守らないといけない、だというのに私たちはこの数年間を自分たちだけに使ってきてしまった、これはそのケジメである。これから先、娘のために命を使う、これはそういうものである。これはそういう誓いを2人の間で行動に起こしたもの、私はそう解釈した。
熱を持った隣の彼女も同じなのだろう。




