第11話 最初の仲間がどう見ても怪しい
火曜日の昼休み。
俺は社員食堂の片隅で、冷めかけた弁当をつつきながら、スマートフォンの画面をにらんでいた。
開いているのは、ネクサス・マッチングのチーム暫定登録ページだ。
『所属メンバー:一名』
『エラー:暫定チーム登録には三名以上の登録能力者が必要です』
昨夜の俺は、誰かの傘下へ入るのではなく、俺自身のチームを作ると決意した。
あの時は確かに、胸の奥で熱いものがたぎっていた。
だが、決意したからといって、一晩寝て起きたら、都合よく頼れる仲間が玄関の前へ並んでいるわけではない。
城もない。
旗もない。
仲間もいない。
一晩明けても、状況は何一つ変わっていなかった。
仲間集めといっても、俺は能力者社会へ足を踏み入れたばかりの素人だ。
候補として頭に浮かぶのは、直近で拳を交えた黒瀬拓海と荒木宗介くらいしかいない。
二人とも人柄は悪くない。
戦えば強い。
一度全力で戦ったことで、互いの力量や性格も、ある程度は理解できている。
だが、俺は二人の連絡先を調べようとはしなかった。
自分が試合で倒した相手へ、
「今度は俺のチームへ入れ」
と誘うのは、いくら何でも感じが悪すぎる。
黒瀬には格闘技ジムという居場所がある。
荒木も、ネクサスへ登録した兼業ファイターとして独自の活動基盤を持っている。
《ライブラリ》の手札を増やすため。
あるいは、単に強くて顔を知っているから。
そんな短絡的な理由で声をかけるのは、昨日自戒したばかりの、
『人間ではなく、能力の便利さで仲間を選ぶ』
という罠そのものだ。
「……とはいえ、どこから探せばいいんだ」
ため息をついてお茶をすすった時、スマートフォンが短く振動した。
霧島からのメッセージだった。
『お疲れさまです』
『チームメンバーの件について、佐伯さんへご紹介したい登録能力者が一名おります』
俺は少し驚いて、画面を見つめた。
昨夜の通話で、彼女は、
「八咫烏の担当者として、資金調達やメンバーの勧誘を斡旋することはできない」
と、明確に線を引いていたはずだ。
『昨日は、メンバーの勧誘を手伝うことはできないと聞いた気がしますが』
すぐに返信が来た。
『私が佐伯さんのために、個人的に候補者を探して斡旋したわけではありません』
『当該能力者本人から、新規に設立されるチームへの参加を希望する申請が、正式に提出されています』
『佐伯さんが暫定チームの結成を検討しているという情報と照合し、双方の希望条件が近いと判断したため、制度上のマッチングとしてご紹介するものです』
あくまで、登録能力者の活動支援制度に基づく事務的な紹介。
霧島個人が、俺のチーム作りへ特別に肩入れしているわけではないらしい。
『登録名は、水瀬蓮花』
『登録年齢、十八歳』
『能力者コードネームは《睡蓮》』
『登録能力は《分身》。暫定評価はTier4です』
俺は、思わず変な声が出そうになった。
「……十八歳?」
俺は三十五歳だ。
最初の仲間候補が、いきなり十代の少女。
三十五歳の中年男が、十八歳の少女を自分のチームへ熱心に勧誘する。
字面だけを客観的に見ると、かなり危うい響きがある。
俺が戸惑っていると、霧島から追撃のメッセージが届いた。
『水瀬さんはすでに成人年齢に達していますので、契約上の問題はありません』
『念のため申し上げておきますが、面談の際に私的な場所で、お二人だけで会うことは避けてください』
『まだ何も言ってませんよ』
『佐伯さんが画面の前で困惑していそうでしたので、コンプライアンス上の先回りをしました』
◆
霧島から、公開を許可されている水瀬蓮花の登録資料が送られてきた。
『氏名:水瀬蓮花』
『コードネーム:《睡蓮》』
『年齢:十八歳』
『能力:《分身》』
『観測出力:Tier4』
『観測可能分身体数:一体』
『情報共有:あり』
『分身維持時間:詳細未登録』
『分身活動距離:詳細未登録』
『身体能力:一般成人相当』
『戦闘経験:ほぼなし』
戦闘適性は低いと、堂々と申告されている。
だが、俺の目を引いたのは、その下の希望分野と取得技能の欄だった。
『希望分野:事務処理、会計補助、情報整理、依頼企業との連絡管理、日程調整、後方支援』
『取得技能:簿記、表計算ソフト操作、文書作成、契約書管理、給与計算、保険手続き、データベース管理、外国語文書の確認、電話・メール応対』
俺は資料を見つめながら、眉間を揉んだ。
何だ、これは。
俺が昨夜、
「チーム運営には裏方の事務作業が必要だ」
と頭を抱えていた、その最も不足している部分を、人間の姿へ圧縮したような候補者じゃないか。
俺は前衛として身体を張れる。
戦闘中の判断もできる。
だが、チームを回すための経費管理、ネクサスや企業との連絡、契約書の確認、スケジュール調整までを一人でこなすのは限界がある。
水瀬の《分身》が資料どおりに機能するなら、本体と分身で複数の事務作業や連絡業務を同時に進められる。
チームの運営基盤としては、これ以上ないほど優秀な人材だ。
……あまりにも都合がよすぎる。
俺がチームメンバーを探そうと思った、その完璧なタイミングに合わせて、神様が注文どおりに作ってくれたような経歴だ。
だからこそ、俺の社会人としての防衛本能が、小さな警鐘を鳴らしていた。
俺は、
『面談をお受けします』
とだけ返信した。
◆
面談場所として指定されたのは、ネクサス・マッチングのオフィス内にある、登録能力者用の特殊会議室だった。
外部への情報漏洩を防ぐ防音設備。
壁には能力の発動を検知する出力測定装置と、死角の少ない監視カメラ。
デスクの下には緊急通報装置があり、部屋の奥には能力の実演を行うための防護スペースまで設けられている。
有事の際には八咫烏と直通で連絡がつながり、能力事故に備えた簡易隔壁も下りるらしい。
霧島も、本人確認と能力実演の安全管理担当として同席することになった。
ただし、彼女は事前に明言した。
「私は、水瀬さんの加入を推薦するために同席するわけではありません」
「あくまで登録内容の確認と、実演時の安全管理のみを行います」
「加入させるかどうかは、佐伯さんご自身の責任で判断してください」
俺は会議室の扉の前で、ネクタイを締め直した。
昼間の会社では、採用面接の補助すら任されたことがない平社員だ。
それが夜の世界では、いきなり人を選ぶ側の席へ座ろうとしている。
誰かの人生を自分のチームへ巻き込む。
その責任が、妙に重く肩へ乗った。
◆
約束の十五分前。
俺が会議室へ入ると、水瀬蓮花はすでに到着していた。
外見は、十代後半のどこにでもいそうな少女だった。
黒に近い艶やかな長髪を肩の下まで伸ばし、白いブラウスに淡い水色のカーディガン。
髪には、小さな睡蓮の花をかたどった銀色の髪留めが光っている。
自分のコードネームを意識した小物だろうが、過度に派手ではなく、上品にまとまっていた。
小柄で、黒瀬や荒木がまとっていたような、戦闘能力者特有の圧力は感じない。
だが、彼女の座る机の上には、履歴書、能力登録証、資格証明の一覧に加え、
『チーム運営の立ち上げに関する提案書』
『仮の収支計画表』
までが、整然と並べられていた。
……俺より、よほど準備ができている。
俺が入ってきたことに気づくと、水瀬はすぐに立ち上がり、姿勢よく頭を下げた。
「初めまして。水瀬蓮花です。能力者として活動する際は、《睡蓮》と名乗っています」
声は明るく、よく通る。
顔を上げた彼女の表情には、緊張の色がほとんどない。
十八歳という年齢にしては、妙に落ち着いている。
こうした面接の場へ、かなり慣れているように見えた。
「佐伯直人です。こちらこそ、わざわざありがとうございます」
「いえ。これから私の代表になる方ですから、早めにお顔を見て、ご挨拶しておきたかったんです」
俺は少し引っかかった。
俺のチームはまだ存在していない。
彼女を採用するかどうかも決まっていない。
だが水瀬は、俺が自分の代表になることを、すでに確定事項のように話している。
◆
席につき、俺は最も基本的な質問を投げかけた。
「水瀬さん。俺のチームは、まだ名前もメンバーも、活動拠点すら決まっていません。俺一人がいるだけの空箱です」
「はい」
「どうして、そんな何もないチームへ入りたいと思ったんですか?」
水瀬は少しだけ首を傾げて考えた後、まっすぐに俺を見て答えた。
「何も決まっていないからです」
「……と言うと?」
「すでに完成している大手組織や有名チームへ入れば、私の役割も、上下関係も、報酬の分配制度も、活動方針も、命令系統も、すべて決められています」
水瀬の目に、わずかに強い光が宿る。
「後から入った新人には、それらを変える権利がほとんどありません」
「新しいチームなら違うと?」
「はい。最初からルール作りに関われます」
水瀬は、柔らかく笑った。
「誰かが決めた制度という鳥籠へ入るより、一から一緒に籠を編む方が、面白そうでしょう?」
俺は息をのみそうになった。
それは、俺自身が昨夜チームを作ろうと決意した理由と、よく似ていた。
誰かの部下になるのではなく、自分たちで選ぶ。
俺と同じ考え方。
同時に、
俺がそう考えていることを、この少女はどこまで把握している?
という小さな違和感も生まれた。
◆
俺は場の空気を少し和らげるため、軽い話題を振った。
「《睡蓮》というコードネームは、自分で考えたんですか?」
水瀬は、銀色の髪留めへ触れながら笑う。
「はい。水瀬の水と、蓮花の蓮です。本名を少し変えただけなので、覚えやすいでしょう?」
隣で書類を確認していた霧島が、事務的な口調で言った。
「難解な横文字や長すぎる当て字を使用する方が多い中、能力者のコードネームとしては比較的実務的ですね」
「霧島さん、それだと私が地味みたいじゃないですか」
水瀬は頬を膨らませる。
「もっと強そうな名前の方がよかったですか? 《万象を映す無限水鏡》とか」
「やめましょう。企業との面談で名乗る時に、自分がつらくなります」
「ふふっ。では、やっぱり《睡蓮》のままにしておきますね♡」
水瀬は悪戯っぽく笑う。
この時点では、十八歳の少女が考えた、少し気取ったコードネームにしか見えなかった。
◆
俺は改めて、水瀬の提出資料へ目を通した。
取得技能の種類が、十八歳という年齢を考えれば不自然なほど幅広い。
「表計算や簿記だけじゃなくて、保険の約款確認や契約書管理までできるんですか?」
「はい。戦闘はあまり得意じゃないんですけど、こういう裏方の事務作業とかは、すごく得意なんです♡」
水瀬は、両手の親指と人差し指を交差させ、小さなハートを作った。
俺は反応に困った。
十代の少女が作ったハートマークに対し、三十五歳の男は、どんな顔をするのが正解なのだろう。
助けを求めて横を見ると、霧島は無表情で正面を見つめていた。
仕方なく、俺は咳払いをして本題へ戻す。
「法人設立の手続きも分かると書いてありますが」
「手続きそのものをすべて代行できる資格があるわけではありません」
水瀬は資料の一枚を引き出す。
「でも、何を自分たちで行い、どこからを税理士や司法書士へ依頼すべきか、その流れと必要書類は整理できます」
「保険の選定も?」
「はい。能力者向け傷害保険は、掛け金だけでなく、後遺症認定や能力事故の適用範囲に大きな差があります。約款を比較して、予算に合ったものを選べますよ」
「……確認ですけど、本当に十八歳ですよね?」
「はい♡」
「いつ、そんな知識を勉強したんです?」
「趣味で、少しだけ」
何の趣味だ、それは。
優秀すぎる。
だが、俺はまだ彼女を信用できなかった。
◆
《分身》がチーム運営において、どれほど便利であるかは理解している。
だが昨日、霧島に言われたとおり、能力の性能を採用理由の第一にしてはいけない。
まず、水瀬という人間の考え方を確かめる必要がある。
「水瀬さん。チームを作ったからといって、最初から仕事が来る保証はありません」
「はい」
「三か月間、まともな案件を受けられず、無収入の状態が続いたらどうします?」
水瀬は即答せず、数秒間考えてから口を開いた。
「最初から、チームの報酬だけで生活できるとは思っていません」
「私は副業を続けますし、佐伯さんも会社は辞めませんよね?」
「当面は、そのつもりです」
「専用の事務所は借りず、会議室は時間貸しのものを利用します。装備も最初から買いそろえず、案件ごとにレンタルするか、必要最低限だけ調達します」
水瀬は淡々と続ける。
「固定費をできる限り削り、仕事がない時に赤字が増えない形へします。もちろん、最初から固定給を要求するつもりもありません」
極めて現実的で、地に足のついた回答だった。
「では、仲間が案件で大怪我をして、半年間前線に出られなくなったら?」
「負傷した瞬間に収入がなくなり、チームから切り捨てられるような組織では、誰も安心して前へ出られません」
水瀬は即座に資料へ数行を書き込んだ。
「案件報酬から一定割合を、医療費と生活補償のための共同積立金へ回します。案件の危険度によって積立率を変えてもいいですね」
「不正に休む人間が出たら?」
「指定医療機関の診断を条件にします。前線に出られない期間も、事務や対戦相手の調査など、可能な範囲で別の役割を担当してもらいます」
俺は、自分よりも具体的な制度案に感心した。
同時に、強い疑問を抱く。
どうして十八歳の少女が、負傷者の生活補償や、不正休業への対処まで、これほど現実的に語れるのだろう。
「最後に」
俺は少し身を乗り出した。
「俺は前衛として、一番危険な場所へ出ることになります。前衛が一番多く報酬を受け取るべきだと思いますか?」
水瀬は、わずかに首を横へ振った。
「案件によります」
「前へ立つ人だけが、常に最も重い責任を負うとは限りません」
「索敵担当の判断ミスで全員が危険になる場合もあります。交渉担当が契約に不備を残せば、大きな賠償責任が発生するかもしれません」
水瀬は、俺の目をまっすぐに見返す。
「危険度だけでなく、拘束時間、専門性、必要経費、成果、法的責任を含めて分配を決めるべきです」
「能力のTierや、前衛か後衛かという単純な区別だけで報酬を決める制度は、長続きしないと思います」
俺は、その言葉を記憶へ刻んだ。
◆
今度は、水瀬から逆に質問された。
「佐伯さんは、どんな人をチームの仲間にしたいんですか?」
俺は、昨夜の葛藤の末に出した答えを口にする。
「約束を守る人間」
「不利な情報や危険を隠さない人間」
「報酬をごまかさない人間」
「自分だけ助かろうとしない人間」
少し間を置く。
「そして、状況が悪くなった時に、仲間を切り捨てない人間です」
「どれほど便利で強力な能力を持っていても、人間として信用できなければ入れませんか?」
「入れません」
「逆に、能力が戦闘向きではなく、弱くても?」
俺は少し考えた。
「チームとして何ができるかは、当然確認します。何の役割も果たせない人間を抱え込む余裕はないですから」
「でも、能力の強弱や登録Tierだけを見て、相手を切り捨てるつもりはありません」
水瀬は、その言葉を聞いて、わずかに目を細めた。
「……それなら、今日こうして面談を申し込んだ甲斐がありました」
俺は、背筋に小さな違和感を覚えた。
まるで、俺が彼女を審査しているのではなく、彼女が俺という人間を合格させるか判断しているような響きだったからだ。
◆
「水瀬さんは、どうして数あるチームの中から、まだ何もない俺を選んだんです?」
俺が尋ねると、水瀬は手元の資料をそろえながら答えた。
「佐伯さんの、黒瀬選手と荒木選手との試合映像を見ました」
「……どうでした?」
「黒瀬選手との試合では、圧倒的な格闘経験の差がありながら、心が折れなかった」
「戦闘中に自分の視線の癖を修正し、複数の技術を組み合わせて勝利した」
水瀬の言葉は淀みない。
「荒木選手との試合では、未知の能力へ力任せに挑み続けなかった」
「相手の攻撃後の間隔を観察し、肉体疲労とは別の消費資源が存在すると推測した」
「最後は相手の能力へ頼らず、自分の判断と技術で勝ち切った」
彼女の分析は的確だった。
少なくとも、試合を一度見ただけの人間が話す内容には思えない。
「強い出力を持つ能力者は、珍しくありません」
「でも、目の前の分からないものを、分からないまま放置せず、観察を続けて答えを探せる人は少ないんです」
それは、俺にとって耳の痛い言葉だった。
今、目の前に座っている少女こそ、分からないことだらけなのだから。
「そういう人なら、自分の知らない能力を持つ仲間が来ても、最初から便利な道具として扱ったり、理解できないからと排除したりはしないと思いました」
まるで、昨夜の俺の心を見ていたような言葉だった。
俺は一瞬、《ライブラリ》の秘密まで見抜かれているのではないかと警戒した。
しかし水瀬は、年相応に見える笑顔を浮かべているだけだった。
◆
霧島が卓上の端末を操作し、防護スペースの隔壁を下ろした。
「これより、登録能力《分身》の機能確認を行います」
「出力測定および室内記録を開始します」
水瀬は椅子から立ち上がり、防護スペースの中央へ歩いた。
そしてガラス越しに、俺へ確認する。
「一人、増やすだけでよろしいですか?」
「ええ。登録試験と同じ範囲でお願いします」
水瀬は小さくうなずいた。
大げさな詠唱も、気合を入れるような構えもない。
ほんの一瞬。
彼女の身体の輪郭が、水面へ落ちた花びらのように揺らいだ。
次の瞬間。
水瀬蓮花の隣に、まったく同じ姿をした少女が立っていた。
白いブラウス。
水色のカーディガン。
黒髪。
睡蓮の髪留め。
指先の角度。
口元の微笑み。
すべてが寸分違わず同じだった。
二人の水瀬が、まったく同じタイミングで頭を下げる。
「「これが、私の《分身》です」」
二つの声が、きれいに重なって室内へ響いた。
◆
能力の発動を直接目撃したため、当然ながら《ライブラリ》が反応した。
視界へ、見慣れた青白い文字が浮かび上がる。
『未登録の因果現象を捕捉しました』
『発動起点の観測に成功』
『解析を開始します』
『暫定名称:《分身》』
『観測出力:Tier4』
俺は一度、安堵しかけた。
登録情報どおりだ。
一人の能力者が、同じ姿の分身体を発生させる。
直接戦闘向きではなくても、事務や情報収集には役立つ。
一人が企業との連絡。
もう一人が会計処理。
チーム運営との相性は非常にいい。
しかし、青白い表示はそこで止まらなかった。
『発動主体を識別中』
『発動主体:特定失敗』
俺は思わず目を細めた。
通常、《ライブラリ》は、能力を発動した人間と、能力によって生じた現象を明確に区別する。
荒木本人と、《ウェイトシフト》による質量変化。
黒瀬本人と、《動体視の魔眼》による視覚強化。
それぞれの起点は明確だった。
しかし目の前にいる二人の水瀬について、《ライブラリ》は、どちらが能力を使用した側なのかを判断できていなかった。
『複製体を検索』
『複製体:特定失敗』
『個体識別処理を再実行します』
『エラー』
俺の背中を、冷たい汗が流れた。
目の前では、二人の水瀬蓮花が何事もないように微笑んでいる。
だが、俺の視界で《ライブラリ》の解析処理は、未経験の混乱へ陥っていた。
『魂情報を照合中』
『同一魂情報を複数検出』
『重複ではありません』
『分割ではありません』
『個体識別不能』
『解析対象数:1』
『解析対象数:2』
『解析対象数:■■』
『エラー』
心臓が早鐘のように打つ。
どういうことだ。
防護スペースには二人しかいない。
俺の目に映っているのは、どう見ても二人の少女だ。
それなのに、《ライブラリ》は解析対象の数を確定できない。
ただ二人を観測しているだけでは説明できない何かが、観測範囲の外側へ広がっている。
そんな不気味な感覚だけが伝わってきた。
そして。
これまで青白かった表示へ、赤い文字が混ざり始めた。
『警告』
『登録情報と観測因果構造が著しく一致しません』
『観測情報に高度な偽装が含まれている可能性があります』
『登録Tier判定を破棄します』
『偽装可能性:極めて高い』
さらに、視界全体が明滅するような警告。
『レッドアラート』
『上位出力を検出しました』
『因果構造の全体像を観測できません』
『対象構造は単一個体の登録範囲を超過しています』
『現在の観測条件では処理できません』
『解析を中断します』
最後に表示されたのは、俺へ向けられた明確な警告だった。
『対象能力への複製処理を推奨しません』
俺は、呼吸することすら忘れかけていた。
荒木の能力も複雑だった。
だが、観測するたびに解析率は進んだ。
構造を理解できれば、最終的には俺の手札として登録された。
今回は根本的に違う。
《ライブラリ》は出力が高いから処理できないのではない。
目の前の少女を、
『一人の能力者』
という単位へ収めること自体に失敗している。
何を能力として切り出し、誰を発動者として登録すればいいのか。
その定義すらできないまま、解析を中断したのだ。
俺は確信した。
この十八歳の少女は、絶対にただのTier4の《分身》能力者ではない。
◆
水瀬にも、監督している霧島にも、俺の視界で起きている《ライブラリ》の異常は見えていない。
俺は表情を固定し、必死に平静を装った。
ここで怯えた顔を見せてはいけない。
昼間の会社で身につけた処世術が、俺を助けてくれた。
課長から、どう考えても不可能な日程を提示された時。
顧客から理不尽な要求を突きつけられた時。
会議資料で、誰も触れたがらない数字の矛盾を見つけた時。
すべてを表情から遮断する、会社員の無表情。
……やばい。
内心では、警鐘が鳴り響いている。
こいつは、どう見てもやばいやつだ。
関わってはいけない領域の存在かもしれない。
だが俺は、《身体能力強化》を発動して逃げ出すような真似はしなかった。
現在の水瀬は、正式な手続きを通している。
八咫烏の担当者である霧島が同席する、公式の面談の場にいる。
俺へ敵意を見せてもいない。
危害を加えたわけでもない。
能力が常識外れだからといって、本人まで危険な悪人だとは限らない。
それは昨夜、俺が決めた、
『能力の便利さや危険性だけで人間を判断しない』
という方針そのものだ。
ただし。
『登録情報に高度な偽装が含まれている可能性が高い』
という警告を無視し、無条件で信用することもできない。
能力が危険かどうかと、人間として信用できるかどうかは別の話だ。
だが、自分の能力を偽って近づいてきたのなら、それは人間性を判断するうえで重大な材料になる。
◆
隔壁が上がり、二人の水瀬が俺の前の机へ戻ってきた。
二人は机の左右へ分かれ、打ち合わせていたような滑らかさで作業を始める。
一人がノートパソコンを開く。
もう一人が、俺の作った不格好なチーム運営の構想メモを手に取る。
「では、こちらで収支計画の草案を整理しますね」
「こちらは、暫定登録に必要な書類を確認します」
二人が同時に作業を始めた。
タイピングは速い。
だが、単なる速度よりも、処理の正確さが際立っている。
能力者保険の掛け金。
案件ごとの危険手当。
遠征時の移動経費。
怪我に備えた医療積立金。
チームの基礎運営費。
税務処理のための留保金。
それらが画面上で、次々と分かりやすく分類されていく。
驚くべきは連携だった。
一人が作っている表について、もう一人は画面を見ずに補足する。
「あ、危険手当と医療積立は、最初から勘定項目を分けた方がいいですね」
「そうですね。今、こちらでも同じ項目を追加しました」
相談はない。
視線すら合わせない。
二人の思考は、完全に同時進行で共有されている。
登録資料にあった、
『分身体との情報共有あり』
という記載には合致している。
しかし、共有があまりにも自然すぎた。
二人は情報を伝え合っているというより、
一つの意識が、二つの身体で別々の作業をしている。
そう見えた。
◆
俺は能力の正体を、直接追及できなかった。
俺自身が《ライブラリ》を隠している以上、
「本当はTier4ではありませんよね?」
と尋ねれば、何を根拠に判断したのか疑われる。
あくまで、チーム代表としての自然な確認を装い、質問を投げる。
「確認ですが、今いる二人のうち、どちらが本体なんですか?」
右側の水瀬と左側の水瀬が、同時に自分の胸を指した。
「「私です」」
声が完全に重なる。
短い沈黙が流れ、二人の水瀬が困ったように笑った。
「分身体にも、自分が本人だという感覚と自我があるんです。少し紛らわしくて、すみません」
一見すると、分身へ独立した自我を与える能力として説明できる。
だが、《ライブラリ》の個体識別不能という表示を見た直後の俺には、軽い冗談として受け取れなかった。
「分身が見たり聞いたりしたものは、本体にも分かるんですか?」
「はい。ほとんど時間差なしで共有できます」
「分身体は、どれくらい離れて活動できます?」
水瀬は笑顔で答えた。
「普通のチーム活動で困らない程度なら大丈夫です」
具体的な距離は答えない。
「時間制限は?」
「日常的な事務作業をするくらいなら、あまり気にしなくて大丈夫です」
ここでも明言を避ける。
俺は、核心に近い質問を投げた。
「一度に、何人まで分身を出せます?」
水瀬は少しだけ首を傾げた。
「登録上の実演は、一人までにしています」
俺は、言葉の選び方に気づいた。
彼女は、
『一人までしか出せない』
とは言わなかった。
『一人までしか見せていない』
と答えた。
◆
隣で聞いていた霧島が、登録端末を操作しながら言った。
「八咫烏の測定記録では、安定して観測された分身体数は一体となっています」
「はい。事故やトラブルのない、安全な範囲で実演していますので」
「能力の本来の機能や出力を、意図的に過少申告することは推奨されていません」
霧島の指摘に対しても、水瀬は笑顔を崩さなかった。
「私は、嘘はついていませんよ?」
「登録試験でも、今日の確認でも、きちんと分身を一人出しました」
確かに嘘ではない。
だが、能力の上限を正直に答えたわけでもない。
霧島は少し眉を寄せたが、それ以上は踏み込めなかった。
公式の測定ではTier4相当の出力しか確認されておらず、現時点で明確な規則違反を示す証拠はない。
この部屋で唯一、俺の《ライブラリ》だけが、登録情報に高度な偽装が含まれている可能性を検出している。
◆
二人の水瀬が、同時にキーボードとペンを止めた。
右側の水瀬が、少し身を乗り出す。
「それで、佐伯さん。私は採用でしょうか?」
「……ずいぶん結論を急ぎますね」
左側の水瀬が、指を一つずつ折りながら数える。
「事務能力は、十分に証明しました」
「分身能力の利便性もお見せしました」
「「登録上、大きな問題もありません♡」」
《ライブラリ》の中では、問題しか起きていない。
そう突っ込みたくなったが、顔には出さない。
「やっぱり、前衛で戦えない能力者は必要ありませんか?」
「戦闘向きかどうかだけで、仲間を決めるつもりはありません」
「では、分身が便利だから採用していただけます?」
俺は少し黙った。
『能力が便利だから人間を選ぶ』
俺が最も警戒し、否定した考え方を、彼女はあえて突きつけてきた。
「……それだけで決めることは、絶対にありません」
俺の答えを聞いて、水瀬はなぜか、心から安心したように笑った。
「よかったです」
◆
俺の頭の中で、三つの選択肢が回っていた。
一つ。
即座に採用する。
事務能力は圧倒的だ。
分身もチーム運営へ大きく役立つ。
だが、《ライブラリ》は解析を中断し、レッドアラートを出している。
素性が分からなさすぎて、背中を預けるには危険だ。
二つ。
即座に拒絶する。
登録情報の偽装が疑われることを理由に断る。
しかし、水瀬は今のところ、俺へ何の危害も加えていない。
能力の表示が異常だという理由だけで拒絶すれば、
『能力ではなく人間を見る』
と決めた自分への裏切りになる。
三つ。
実地試験を行う。
実際の仕事の中で、
危険時の判断。
仲間への態度。
不測の事態での情報共有。
作戦への対応。
そして、危険になった時、自分だけ逃げ出さないか。
それを自分の目で見る。
俺は三つ目を選んだ。
「今日、この面談だけで、水瀬さんの正式加入を決めるつもりはありません」
水瀬は不満そうな顔をしなかった。
「慎重なんですね、佐伯さんは」
「お互いの命を預ける相手ですから」
俺は続ける。
「一度、ネクサスを通した小規模な共同案件を受けましょう」
「入団試験ですか?」
「俺も、代表として試される側です」
水瀬の目をまっすぐに見る。
「能力がどれだけ便利かではなく、現場でどう動く人なのかを見たい」
「水瀬さんも、俺が代表として背中を預けられる人間か、現場で確認してください」
水瀬は一瞬だけ目を丸くした。
その後、これまでで一番楽しそうな笑顔を浮かべる。
「お互いに、現場で審査するんですね」
「その方が公平でしょう」
「分かりました。そういう試験なら、大歓迎です♡」
◆
隣で聞いていた霧島が、事務的な声で口を挟んだ。
「初対面かつ、限られた情報だけで正式加入を決定しないという佐伯さんの判断は、危機管理上妥当です」
「霧島さん、私のアピールを全然信用していないんですか?」
「初対面の能力者を、言葉だけで無条件に信用する担当者は八咫烏にはいません」
「真面目ですねえ」
「業務ですので」
「その『業務ですので』って、感情を切り離せて便利ですよね」
「実際に業務の一環として申し上げています」
三人の間で、少しだけ空気が緩んだ。
ただし霧島は、水瀬の本当の異常性を認識していない。
新規チームの加入審査は慎重に行うべきだという、一般的な判断をしているだけだ。
◆
面談の終了時刻が来た。
机の左右にいた二人の水瀬蓮花が立ち上がる。
右側にいた水瀬の輪郭が、ふっと揺らいだ。
水面に落ちた花びらが、波紋によって形を失うように。
そのまま姿が薄れ、空気へ溶けるように消えた。
同時に、《ライブラリ》が再び異常な反応を示す。
『因果現象の解除を確認』
『消滅個体を識別中』
『消滅個体:特定失敗』
『残存主体:特定失敗』
『発動前個体との照合に失敗しました』
『エラー』
『警戒状態を維持します』
俺は、一人残った水瀬を見た。
面談室へ最初に入ってきた少女と、服装も髪留めも完全に同じだ。
だが《ライブラリ》は、
今残っている方が最初の少女なのか。
消えた方が最初の少女だったのか。
それすら判断できていない。
俺にも分からない。
分身が消えた。
普通なら、それで終わる。
だが、《ライブラリ》はどちらが消えたのかを特定できなかった。
水瀬は、俺の視界で起きた異常など知らない様子で、机の資料を手際よく鞄へしまっていく。
「それでは佐伯さん。共同案件の日程について、後ほど全員の予定を確認してメールしますね」
「……全員?」
水瀬は一瞬も動揺せず、にっこりと笑った。
「はい。佐伯さんと私。それに同行者がいるなら、霧島さんの分です」
「ああ……関係者全員という意味ですか」
霧島が冷静に指摘する。
「私は共同案件へ同行すると決まっていません」
「ふふっ。では、今のところは佐伯さんと私の、二人分ですね♡」
自然な言い直しだった。
露骨に不審な点はない。
だが、俺の耳には、彼女が何気なく発した、
『全員』
という言葉だけが、不気味な残響のように残った。
◆
水瀬が深く一礼し、会議室を出ていった。
部屋には、俺と霧島だけが残された。
「……面談された率直な印象は、いかがでしたか?」
《ライブラリ》のレッドアラートを、正直に報告するわけにはいかない。
「事務能力は圧倒的です。俺よりずっと有能ですよ」
「能力については?」
「便利だと思います。チーム運営には合っています」
俺は少し間を置いた。
「ただ、説明されていない部分がかなり多い気がします」
霧島は、登録資料をもう一度確認した。
「分身の活動距離、維持時間、最大展開数については、明言を避けていましたね」
「登録上は、問題ないんですよね?」
「現在、八咫烏が確認している範囲では、重大な規則違反や危険行為は報告されていません」
俺は、その言葉を反芻した。
現在、確認している範囲では。
八咫烏も、水瀬蓮花の能力の全体像を把握していない。
「実地試験の結果次第で、正式に加入させますか?」
「……まだ分かりません」
少し間を置き、俺は言った。
「でも、試験は絶対にやります」
◆
夜。
帰宅した俺は、暗い部屋の中で《ライブラリ》を開いた。
新しい能力は登録されていない。
能力一覧にも、《分身》Tier4という項目は追加されていなかった。
代わりに、解析履歴の奥へ、異常なエラーログが赤い文字で残されている。
『未登録因果現象:解析中断』
『暫定名称:《分身》』
『能力者コードネーム:《睡蓮》』
『登録Tier情報:信頼性低』
『高度な偽装の可能性があります』
『発動主体:不明』
『複製対象:不明』
『観測個体数:確定不能』
『対象構造は単一個体の登録範囲を超過しています』
『全体構造:観測不能』
『現在の観測条件では処理できません』
『対象能力への複製処理を推奨しません』
『警戒状態を維持します』
俺は、赤い文字列を見つめた。
水瀬蓮花は、俺のチームに必要な技能を持っている。
質問への回答も現実的だった。
仲間が負傷した際の補償制度まで考えていた。
能力が弱い人間を、価値がないと切り捨てるような発言もしなかった。
少なくとも、面談で話した限りでは、悪人には見えない。
だが、《ライブラリ》は一度も警戒を解除しなかった。
能力が便利だからといって、無条件で採用するつもりはない。
能力の構造が異常だからといって、それだけで拒絶するつもりもない。
次は実際の現場で、彼女の行動を見る。
こうして、俺のチームの最初の仲間候補が決まった。
水瀬蓮花。
コードネームは、《睡蓮》。
登録上は、最下位等級のTier4。
能力は、《分身》。
そして――どう見ても、ただのTier4ではない、底の見えない少女だった。
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