第10話 能力者チームから勧誘された
土曜日に廃ビルの床を陥没させるような能力者と殴り合い、文字どおりの死闘を繰り広げた人間が、月曜日の朝には窮屈なスーツを着込み、見知らぬサラリーマンの背中に押し潰されながら通勤電車に揺られている。
我ながら、生活の切り替えが極端すぎて笑えてくる。
医療班の診断どおり、骨折や内臓の損傷といった大きな怪我はなかった。
だが、左肩の軽い捻挫。
荒木の容赦ない膝蹴りを受けた腹部の打撲。
瓦礫の上へ落ちた際の背中の打ち身。
そして全身を覆う重い筋肉痛が、確実に俺の肉体へ残っている。
揺れる車内で吊り革を握るために腕を上げるだけで、肩の関節がミシリと痛みを訴えてきた。
会社に到着しても、当然ながら誰も俺を労ってはくれない。
俺が週末に、百二十万円という大金の動く代理戦で勝利を収めたことなど、このオフィスの人間は誰一人として知らないのだから。
自分のデスクへ鞄を置いた瞬間、まるで待ち構えていたかのように課長が声をかけてきた。
「おい佐伯。この各部署からの売り上げ集計、午前中までに頼むぞ。あと、明日の会議資料の差し替えも追加な」
「……分かりました」
俺は小さく苦笑しながら、山積みのファイルを受け取った。
土日を挟んだことで、少しだけ肥大化した雑用の山。
だが、今の俺にとって、この程度の仕事は苦でも何でもなかった。
◆
パソコンに向かった俺は、《表計算ソフト操作》Lv.2と《事務機器操作》Lv.1の技能を活用し、無心でデータを処理していった。
マクロを組むほどではない。
いくつかの検索関数を組み合わせ、条件付き書式で入力ミスや異常な数値を弾き出す。
課長が午前中いっぱいかかると見積もっていた作業は、十一時前には完成してしまった。
だが、俺はすぐには送信しない。
自分の処理速度を派手に見せつけても、会社員生活では何の利益も生まれないと学習しているからだ。
作成した資料を意図的に何度か見直し、少し時間を置いてから、昼休みに入る直前に課長へチャットを送った。
「課長、集計と差し替え、終わりました」
「お? もうか?」
「元のデータが、たまたま整理されていたので」
「そうか。じゃあ悪いが、ついでにこっちのリストの精査も午後一番で頼むわ」
すぐに追加のファイルが送られてくる。
仕事が早い人間に与えられる唯一の報酬は、次の仕事だ。
異能など存在しない一般社会の、昔から変わらない真理である。
それでも、俺は以前ほど強い不満や絶望を感じていなかった。
昼間は相変わらず、誰かの都合のいい駒として消費されている。
だが、夜には俺自身の力で立ち向かえる、別の世界があるのだから。
◆
昼休み。
俺は自席でコンビニの幕の内弁当を開き、割り箸を割ろうとした。
その時、スマートフォンが短く振動した。
霧島からのメッセージアプリの通知だった。
『お疲れさまです。身体の状態はいかがですか』
俺は片手で入力する。
『筋肉痛と打撲はありますが、一応仕事には来ています』
数秒後、すぐに既読がつき、返信が届いた。
『無理はしないでください。それと、別件でお知らせがあります』
『佐伯さんのエントリー戦および地形利用型代理戦を確認した複数の能力者、ならびに能力者チームが、独自に接触を計画しているようです』
俺は、弁当へ向けようとしていた箸を空中で止めた。
「俺に……?」
さらに、少し長めの文章が送られてくる。
『八咫烏として、登録能力者同士がチームを結成したり、既存の組織へ所属したりする行為は禁止していません』
『補足いたしますと、能力者は何らかの企業、団体、流派、あるいは互助組織へ所属して活動する例が一般的です』
俺は少し驚いた。
能力者というものは、自分の力を隠しながら、一匹狼としてひっそり活動するものだとばかり思っていたからだ。
だが、考えてみれば当然かもしれない。
黒瀬には格闘技ジムという基盤があった。
荒木はネクサスへ登録して活動する兼業ファイターだ。
企業代理戦には依頼元の企業が存在する。
そして、能力者全体の登録や支援を担う八咫烏という行政機関もある。
能力者だけが社会から完全に孤立して存在している方が不自然なのだ。
『能力者によるチーム結成そのものは、違法行為ではありません』
『当然ですが、結成後に犯罪行為、違法な武力行使、未認可の代理戦などを行えば、通常の法令に基づいて処罰されます』
八咫烏は、能力者が集まったというだけで弾圧する組織ではない。
構成員の一覧。
代表者。
緊急連絡先。
活動分野。
そうした情報が登録上整理されている方が、完全な無所属能力者が増えるよりも、管理や支援がしやすいのだろう。
『株式会社ネクサス・マッチングも、登録選手同士がチームを組むことを認めています』
『個人戦だけでなく、チーム対抗戦、異界ダンジョンの共同探索、重要人物の護衛など、複数人で遂行する特殊案件も扱っているためです』
『近日中に、ネクサスを通じて佐伯さん宛てに、正式な紹介メールが届くと思います』
『能力情報の開示義務、契約期間、報酬の分配比率、負傷時の補償内容などを必ず確認し、よく考えてから行動してください』
俺は少しだけ考えを巡らせてから、
『了解しました。ありがとうございます』
と返信した。
その直後だった。
スマートフォンの画面上部へ、新着メールの通知が滑り込んできた。
『株式会社ネクサス・マッチング:所属・提携に関するご紹介依頼について』
さらに一件。
また一件。
通知は立て続けに鳴り、俺が冷めた弁当を食べ終える頃には、メールの数は六件にまで増えていた。
◆
午後の業務へ戻った俺は、スマートフォンに表示された通知の数を時折確認していた。
昼間の会社では、俺はただの、
『いつも空いている人』
『面倒な雑用を何でも頼める人』
『文句を言わず、仕事を断らない人』
として扱われている。
しかし夜の世界では、たった二勝しただけで、複数の組織が俺という存在を求めて動き始めている。
同じ人間が、同じ身体で生きているのに、立つ場所が変わるだけで、ここまで評価が反転するのか。
もちろん、俺自身が突然優秀な別人へ生まれ変わったわけではない。
能力に目覚め、オクタゴンと廃ビルで勝利した。
ただそれだけで、これまで誰も見ようとしなかった俺の戦闘力という部分へ、明確な値段がついたのだ。
必要とされることは、確かに嬉しい。
だが同時に、どこか薄ら寒いような、落ち着かない気分でもあった。
『必要とされること』と『都合よく使われること』は、非常によく似ている。
その決定的な違いは、おそらく契約書の細かい文字の中に隠されているのだろう。
俺は会社ではメールを開かなかった。
会社の管理するネットワークで、能力者関係の機密情報を確認するほど無警戒ではない。
定時まで黙々と仕事をこなし、帰宅してから内容を確認することにした。
◆
夜。
帰宅し、シャワーで筋肉痛を軽くほぐした俺は、自宅の安いテーブルへノートパソコンを広げた。
ネクサス・マッチングの専用マイページへログインする。
届いていた紹介依頼は、最終的に十一件にまで膨れ上がっていた。
内訳を確認する。
企業直属の専属チームから三件。
独立系の企業代理戦専門チームから四件。
異界ダンジョンの探索や護衛を主な活動とするチームから二件。
能力者同士の互助団体から一件。
個人で活動する能力者から、共同案件の提案が一件。
すべてへ詳しく目を通すのは骨が折れる。
俺は、提示された条件とチームの性質から、代表的な三件を選んで詳細を開いた。
◆
一件目。
送信元は、誰もが名前を知る大手総合警備会社だった。
チーム名は、《白鷺特務班》。
企業代理戦への出場のほか、要人の護衛、能力犯罪が発生した際の警察への現場支援などを行う、大企業の直属部隊らしい。
文面は非常に丁寧で、洗練されていた。
『佐伯直人選手の二試合の映像を拝見し、安定した身体強化出力と、何より極めて高い状況判断能力を評価しております』
提示された条件は、破格だった。
月額の固定報酬として四十万円を保証。
試合のファイトマネーや成功報酬は別途支給。
専用の最新トレーニング施設。
指定医療機関での優先治療。
特殊防具の支給。
トラブル発生時の法務支援。
遠征費の全額負担。
能力者向けの高度な傷害保険まで完備されている。
会社員の給料に加えて、毎月四十万円が手に入る。
喉から手が出るほど魅力的なオファーだ。
だが、契約条項を読み進めると、その破格の待遇に対する代償が、しっかりと記載されていた。
『原則として三年間の専属契約とする』
『他チームおよび他仲介業者を経由した試合・案件への参加は禁止』
『出場する試合の選択権は企業側が有する』
『定期的な能力測定を実施する』
『保有する全能力および副次的機能の完全な申告義務を負う』
俺の視線は、最後の『完全な申告義務』で止まった。
《ライブラリ》の存在を隠したまま、この組織へ入るのは極めて難しい。
身体能力強化だけです、と申告しておきながら、試合のたびに視覚が強化されたり、自分の質量を変えたりすれば、必ず不審に思われる。
定期的な能力測定や、チームメンバーとの合同訓練があれば、なおさらごまかしきれない。
待遇は最高だ。
だが、契約へ署名した瞬間から、俺は最大の秘密を調べる権利まで、相手へ譲り渡すことになる。
俺は静かに、このオファーを保留フォルダへ移した。
◆
二件目。
独立系の企業代理戦専門チーム、《猟犬座》。
登録選手は七名。
Tier3の選手が一名在籍し、残りはTier4。
ネクサス内でも高い戦績を持つ、有名な武闘派集団らしい。
提示された報酬は固定給ではなく、案件ごとの完全歩合制。
ただし、高額な代理戦を多数受注しているため、勝てば大きく稼げる実力主義だ。
『佐伯選手の高出力な身体能力強化は、当チームが現在不足している前衛役として、非常に価値があります』
そして、続く一文。
『また、黒瀬選手との試合で見せた視覚的な戦闘適応についても、強い関心を持っています』
俺の指が、マウスの上で止まった。
荒木戦では、能力の制限を攻略した分析力が評価された。
しかし《猟犬座》は、俺を、
『高出力の前衛』
『未確認の視覚強化能力を持つ可能性がある選手』
として値踏みしている。
契約条件を確認する。
『チームが受注した高額案件への優先参加権』
『報酬の二十五パーセントを、チームの運営費および情報収集費として徴収』
『能力の戦術的利用法を、チーム内で共有すること』
『作戦上必要な能力情報の開示』
さらに過去の案件を見ると、明らかに危険度が高い。
超人同士が全力でぶつかり合い、重傷者が出てもおかしくない戦いが多かった。
勝てば高額な報酬を得られる。
だが、負ければ大怪我。
最悪の場合、二度と能力者として戦えなくなる。
『強い者には、強い者にふさわしい戦場があります』
メールの最後を締めくくる一文を見て、俺は少しだけ顔をしかめた。
決して悪いチームとは限らない。
危険な実力主義の世界を好む能力者にとっては、最高の環境なのだろう。
だが、俺が求めているものとは違う。
俺が欲しいのは、血の匂いがする戦場と命令を与えてくれる、新しい主人ではない。
これも保留。
◆
三件目。
登録能力者四名の、ごく小規模なチーム。
名前は《クローバー》。
企業代理戦を専門とはせず、
小規模な異界ダンジョンの探索。
能力者の引っ越し支援。
夜間警備。
特殊物品の運搬。
新たに覚醒した能力者の生活相談。
などを主な活動としているらしい。
メールの文面は、先の二件のようなビジネスライクなものではなく、どこか手作り感のある柔らかなものだった。
『佐伯さんも、突然能力者になって、戸惑うことや困ったことが多かったと思います』
『私たちは、能力者同士が孤立せず、助け合うことを目的に活動している小さなチームです』
能力の完全な開示義務はない。
副業としての参加も歓迎。
危険な案件を断る自由も保証されている。
精神的な負担は少なく、雰囲気は最も良さそうに見えた。
しかし、条件の欄を見て、俺は現実へ引き戻された。
『固定報酬なし』
『専用の練習場および設備は未所有』
『案件で負傷した場合の医療費は原則自己負担。ネクサスの基本保険のみ適用』
『移動費などの経費は、案件報酬からその都度精算』
『チームの共同資金はほとんどありません』
悪意はないのだろう。
むしろ、本当に善良な人たちの集まりなのだと思う。
だが、善良であることと、命を懸ける組織として安定していることは別だ。
誰かがダンジョン探索で大怪我をしたら、このチームの資金力で支えきれるのか。
高額な特殊装備が必要になったら。
なけなしの報酬の分け方で、人間関係がこじれたら。
俺は昼間の会社で、責任の所在が曖昧な善意のシステムが、いかに簡単に崩壊し、特定の誰かへしわ寄せを押しつけるかを見てきた。
善意と建前だけでは、組織は続かない。
俺は静かに、これも保留リストへ入れた。
◆
十一件の招待リストを眺めながら、俺は自分の正直な感情と向き合っていた。
能力者チーム。
そこには複数の能力者が集まり、一緒に訓練をして、共同で戦う。
つまり、チームメンバーが能力を発動する瞬間を、至近距離で直接見る機会が圧倒的に増えるということだ。
《ライブラリ》のコピー条件を考えれば、これほど魅力的な環境はない。
発動の瞬間を捉えられれば、新しい能力を自分の手札へ加えられるかもしれない。
招待資料には、
『防御担当』
『索敵担当』
『遠距離攻撃担当』
『医療支援担当』
といった役割だけが記載されている。
具体的な能力の詳細は、契約前であるため伏せられていた。
顔写真や文字で書かれた能力系統を見ても、《ライブラリ》は反応しない。
添付された映像資料も同じだ。
録画からはコピーできないという制約が、ここでも効いている。
少し残念に思う一方、ほっとしている自分にも気づいた。
ここで画面を見るだけで次々と能力をコピーできたなら、俺は人間そのものを見なくなるかもしれない。
相手を、便利な能力の一覧表としてしか見られなくなる。
そんな気がした。
◆
俺は、既存チームへ所属した場合を想像した。
敵として対峙する能力者になら、本当の能力を隠しやすい。
一度戦って別れれば、不自然な点があっても、深く追及されることはないかもしれない。
だが、味方は違う。
同じ練習施設で汗を流す。
作戦会議では、互いの手札を前提に配置を決める。
負傷すれば、どの能力でどのように切り抜けたかを確認される。
試合を重ねるたび、俺の使用する能力が脈絡なく増え、戦い方が変化していけば、必ず質問される。
「佐伯さん、そんな視覚強化を持っていましたか?」
「前回までは使えなかった、質量を変える能力ですよね?」
「身体能力強化の副次機能にしては、種類が多すぎませんか?」
既存チームへ所属するということは、敵よりも近いゼロ距離へ、俺を継続的に観察する人間を置くということだ。
《ライブラリ》を隠すなら、長く一緒にいる味方の目が最も危険になる。
だからといって、
『俺は他人の能力をコピーできます』
と最初から明かすつもりにもなれない。
そんな規格外の能力だと知られれば、仲間であっても、俺の前で能力を見せることを警戒するかもしれない。
底知れない存在として恐れられる可能性もある。
最悪の場合、《ライブラリ》を組織的に利用しようとする者へ、情報を売られるかもしれない。
今はまだ、この力は俺一人の秘密にしておくべきだ。
◆
ふと、俺は《クローバー》のメンバー紹介を見つめ直した。
『防御担当』
『探索担当』
『支援担当』
俺は先ほど、その文字を見た瞬間、真っ先に、
『この人たちから、どんな能力をコピーできるだろう』
と考えた。
俺はマウスから手を離し、自嘲気味に笑った。
昼間の会社で、課長や同僚は俺という人間を、
『表計算が速い機能』
『クレーム電話を処理できる機能』
『雑用を断らない便利な機能』
の集合体として見ている。
人間としてではない。
都合のいい道具として扱っている。
俺は今、それと同じことをしようとしていないか?
能力が欲しいから近づく。
自分の役に立つ能力を持っているから、仲間という名目で手元へ置く。
コピーし終わって必要がなくなったら、適当な理由をつけて距離を取る。
それでは、俺を使い潰してきた会社と何も変わらない。
自分の醜い欲望を、完全に否定することはできない。
能力を見たい。
コピーできるなら、したい。
もっと強くなりたい。
それは嘘偽りのない本音だ。
だが、それを仲間を選ぶ理由の一番目にしてはいけない。
能力という性能だけを見て仲間を値踏みするようになれば、俺は昼間の上司と同じになる。
仲間として本当に重要なのは、そこではない。
背中を預けられるほど信頼できるか。
危険な情報やリスクを隠さないか。
約束を守るか。
命を懸けて得た報酬を、公平に分け合えるか。
そして何より、状況が不利になった時、仲間をトカゲの尻尾のように切り捨てないか。
能力のコピーは、信頼できる仲間と共に戦った結果として、後からついてくるものでいい。
順番を間違えてはいけない。
◆
俺は《白鷺特務班》の招待画面へ戻った。
月額四十万円。
専用施設。
手厚い医療支援。
喉から手が出るほど魅力的な条件だ。
だが、三年間の専属契約。
試合を選ぶのも、能力情報を管理するのも企業側。
俺が戦う相手も、血を流して守る権益も、彼らが決める。
昼間は会社が決めた仕事をする。
夜になっても、別の会社が決めた相手と戦う。
収入は増える。
待遇も良くなる。
だが、自分の人生に対する決定権が増えるわけではない。
どこかのチームへ入らなければ、俺は活動できないのか?
いや。
八咫烏は能力者がチームを作ることを認めている。
ネクサスにもチーム登録の制度がある。
それなら。
俺自身で、チームを作ることもできるんじゃないか?
発想自体は、極めて単純だった。
しかし、その考えが浮かんだ瞬間、自分でも驚くほど胸の奥が高鳴った。
誰かから選ばれるのを待つのではなく、俺が仲間を選ぶ。
誰かから押しつけられた仕事を受けるのではなく、俺たちで案件を選ぶ。
昼間の会社では持てなかった決定権を、この夜の世界でなら、自分の手で握れるかもしれない。
もちろん、自分でチームを作ったところで、《ライブラリ》が露見する危険そのものが消えるわけではない。
仲間になれば、同じ訓練へ参加する。
同じ戦場に立つ。
互いの能力を前提に、命を預け合う。
俺の使える能力が増えていけば、いつか必ず不自然さに気づかれる。
既存チームへ入ろうが、自分のチームを作ろうが、味方がゼロ距離の観察者になることは変わらない。
だが、一つだけ決定的に違う。
既存組織へ入れば、契約や命令によって、能力の申告を強制されることがある。
いつ、誰に、どこまで話すかを決めるのは、俺ではない。
自分でチームを作るなら、少なくとも誰を自分のそばへ置くのかは、自分で選べる。
能力の価値ではなく、人間として信頼できる相手を選ぶ。
時間をかけて関係を築く。
そのうえで、いつか秘密を打ち明ける必要が生まれたなら、いつ、どこまで話すのかを自分の意志で決める。
秘密を守るため、永遠に誰も信用しない。
それではチームを作る意味がない。
だからといって、出会ったばかりの人間へ、すべてを明かすほど無警戒にもなれない。
誰を信じるか。
いつ信じるか。
その危険な選択を、企業や契約書へ預けるのではなく、自分で引き受けたい。
俺が求めているのは、完全な安全ではない。
自分の秘密と人生を、誰へ預けるのかを決める主導権だった。
◆
俺はスマートフォンを手に取り、霧島の連絡先を開いた。
『夜分にすみません。少し質問があります』
『既存のチームへ入るのではなく、自分で新しいチームを作ることも、制度上は可能ですか』
送信して数秒後、すぐに既読がついた。
だが、返信が来るまでには、少しだけ不自然な間があった。
『制度上は、可能です』
短い返答。
俺は、その無機質な文字列から、彼女が何かを言いたがっているような気配を感じた。
『もしかして、あまりお勧めしていませんか』
霧島からの返信。
『いいえ。能力者には、よくあることです』
『よくあるんですか』
そのメッセージに既読がついた数秒後。
今度はメッセージではなく、着信画面が表示された。
文章だけでは説明しづらいと判断したらしい。
俺は通話ボタンを押した。
「お疲れさまです」
『お疲れさまです、佐伯さん。チーム結成の件についてですね』
「はい。条件の合うところを探すより、自分で作るのもありかなと思いまして」
電話の向こうで、霧島が深々と息を吐いた。
『ああ……能力者あるあるなんですよね』
「能力者あるある?」
◆
霧島が、少しだけ疲れたような声で説明を始めた。
能力に目覚めた人間は、それまでの人生ではできなかった超常的なことができるようになる。
試合へ出て、一度か二度勝つ。
観客から歓声を浴び、企業から注目される。
急速に自信がつく。
そこで、多くの新人能力者が考えるのだという。
『誰かの下に入るより、自分を中心にした最強のチームを作ってトップへ立とう』
と。
『特に、佐伯さんのように単独で複数の役割をこなせる器用な方、高出力の前衛、初見では対処しにくい能力を持つ方、企業から複数の勧誘を受けてご自身の価値を認識した方ほど、自分で組織を作りたがる傾向にあります』
俺は少し気まずくなり、頭を掻いた。
「それって、俺、完全に典型的な調子に乗った新人じゃないですか」
霧島は否定しなかった。
『はい。佐伯さんの現在の状況と心理状態は、教科書へ掲載したいほど典型例に近いです』
「そこは少しくらいオブラートに包んで否定してくださいよ」
『事実ですので』
◆
霧島は、容赦なく現実を突きつけてきた。
『そして、そうして勢いだけで作られた新規チームの大半は、半年も持たずに資金面で頓挫します』
「……早いですね、夢が終わるのが」
霧島は、チームを運営するために必要な費用を列挙し始めた。
ネクサスへの正式なチーム登録料。
能力者向け保険の掛け金。
防音や耐衝撃設備を備えた練習施設の使用料。
武器や防具などの装備費。
遠征に伴う交通費。
負傷時の医療費。
企業との契約書を作成する法務費用。
税務と会計処理。
対戦相手の情報収集などのマネジメント費。
負傷者が出た場合の生活支援。
そして、依頼が来ない期間のチーム維持費。
『戦闘能力がどれほど高くても、資金は空から降ってきません。自然発生もしません』
「身も蓋もないですね」
『二、三人で集まって活動するだけなら簡単です。しかし、組織として継続させ、命を預け合うには、誰かが泥臭い事務作業と冷静な資金管理を行わなければなりません』
俺は昼間の仕事を思い出した。
経費データの表計算。
電話応対。
契約書類の確認。
予定管理。
俺が《ライブラリ》へ登録した事務技能は、皮肉なことに、能力者チームの運営という泥臭い裏方仕事へ向いている。
能力者チームを作り、結局俺は、また表計算ソフトとにらみ合って事務仕事をするのか。
想像して、俺は思わず吹き出しそうになった。
◆
『とはいえ』
と霧島は補足した。
最初から資本金を集めて法人を設立しなくても、ネクサスには、
『暫定登録チーム制度』
という仕組みが用意されているらしい。
最低条件は、次のとおり。
登録能力者が三名以上。
代表者が一名。
緊急連絡先。
報酬分配方針の明文化。
負傷時の責任範囲についての合意。
指定保険への加入。
もちろん、チーム名と活動方針も必要になる。
暫定登録で複数の案件をこなし、実績を作った後、正式チームや法人へ移行できる。
「つまり、俺以外にあと二人集めれば、制度上は明日からでもチームを作れるってことですね?」
『制度上は、そうです』
「意外と簡単ですね」
『登録するだけなら、誰にでもできます』
「……続けるのが難しいと」
『はい』
現在の俺の状況を確認してみる。
代表候補、俺。
メンバー、俺一人。
活動拠点、この狭い賃貸アパート。
専用資金、エントリー戦と初めての企業代理戦で得たファイトマネーのみ。
チーム名、未定。
勧誘のあて、まったくなし。
一国一城の主どころか、領地もなければ家臣も一人もいない、ただの素浪人状態だ。
◆
霧島が、少しだけ声の調子を下げて念を押した。
『佐伯さん。当面の収入や、怪我をした際の安全、設備の充実度を優先するなら、既存の大手チームへ所属した方が有利です』
「ええ。それは分かります」
『施設も医療体制も、法務部門も、すでに整っています』
「分かってます」
『何より、佐伯さんには、命に関わる組織を運営した経験がありません』
俺は少しだけ間を置いた。
霧島の言っていることは、完全に正しい。
合理的だ。
それでも俺は、半分は冗談、半分は本気で答えた。
「でも、男なら人生で一度くらい、一国一城の主になってみたいものじゃないですか」
霧島は、一秒の間も置かず打ち返してきた。
『佐伯さん、昼間はしがない平社員ですよね』
「だからこそですよ」
通話の向こうで、しばらく沈黙が流れた。
彼女が呆れているのか、笑うのをこらえているのか、電話越しでは分からなかった。
『……ビジネス上の理由としては、あまりにも非合理的です』
「自覚はあります」
『ただし、誰かに管理されるのではなく、ご自身で選択したいというお考え自体は理解しました』
霧島は、それ以上俺の決断へ反対しなかった。
ただし、彼女自身の立場と役割については、明確に線を引く。
『私は、あくまで八咫烏の担当者です』
『佐伯さんのチームの資金調達を手伝うことも、メンバーの勧誘を斡旋することも、企業との契約交渉を代行することもできません。中立性を欠く行為となります』
「制度の説明やアドバイスは?」
『私の業務範囲内で、必要であれば行います』
「十分です。ありがとうございます」
◆
通話を切る直前、霧島が最後に一つだけ、釘を刺すように忠告した。
『佐伯さん。今後、チームメンバーを選ぶ際は、決して能力の有用性だけで判断しないでください』
俺は一瞬、言葉を失った。
先ほど葛藤していた考えを、完全に見透かされたような気がしたからだ。
「……どうして、そう思ったんです?」
『新人によるチーム結成では、それが最も多い失敗の原因だからです』
霧島は淡々と説明する。
強力な能力。
便利な能力。
自分の弱点を補ってくれる能力。
そうした性能だけを見て、性急に人間を集める。
しかし、実戦と金が絡めば、本性が露呈する。
報酬の分配でもめる。
危険な状況になった途端に逃げる。
チームの秘密を外部へ売る。
作戦に従わない。
仲間を盾にする。
私生活の金銭トラブルを持ち込む。
『能力の相性が良くても、人間同士の相性が良いとは限りません』
『命を預ける相手は、能力ではなく人間性を見て選んでください』
「……肝に銘じます」
《ライブラリ》の存在を知らない霧島の忠告が、俺の胸へ誰よりも深く突き刺さった。
能力をコピーしたいから仲間にする。
その誘惑を最も強く警戒し、律しなければならないのは、ほかならぬ俺自身だ。
◆
通話を終えた俺は、パソコンの画面に並ぶ十一件の紹介依頼を改めて見直した。
どれも、俺を陥れようとする悪い話ではない。
大手企業の待遇。
有名チームの実績。
互助組織の温かさ。
それぞれに長所があり、そこへ所属して満足している能力者も大勢いるはずだ。
だからこそ、感情に任せて冷たく拒絶するような真似はしない。
俺はネクサスのシステムを通じ、各チームへ同じ内容の丁寧な返答を送った。
『このたびは身に余るお声がけをいただき、誠にありがとうございます』
『現在、今後の活動方針を慎重に検討している段階であるため、大変恐縮ですが、所属に関する判断は一度保留とさせてください』
完全に断るのではなく、あくまで保留。
将来、合同訓練を行ったり、共同で案件を受けたりする可能性はある。
既存組織を、わざわざ無愛想に敵へ回す必要はない。
こうした事務的で角の立たない調整も、昼間の会社員生活で身につけてきた技能の一つだ。
◆
すべての返信を終えた後、俺はネクサス・マッチングのマイページから、チーム関連のメニューを開いた。
『チームを新規作成する・暫定登録』
という項目をクリックする。
真っ白な入力フォームが表示された。
『チーム名』
『代表者』
『活動目的』
『主な受注分野』
『所属メンバー』
『報酬分配方針』
『活動拠点』
代表者の欄には、すでに、
『佐伯直人』
という名前が自動で入力されていた。
俺は所属メンバーの欄へ、
『一名』
と入力し、エンターキーを押した。
画面の中央に、赤い文字の通知が表示される。
『エラー:メンバー数が不足しています。最低三名が必要です』
俺は思わず声を出して笑った。
霧島へ、
『一国一城の主になりたい』
と宣言した直後に、家臣が一人もいないのだから世話はない。
チーム名も、何も思いつかなかった。
変に格好をつけた横文字へすれば、後から恥ずかしくなるかもしれない。
かといって適当な名前をつければ、長く背負うことになって後悔しそうだ。
俺は入力フォームを空白のまま、そっと画面を閉じた。
◆
俺は安っぽいパイプ椅子へ背中を預け、天井の染みを見上げた。
昼間の会社では、誰かが決めた部署へ放り込まれ、肩書きはただの平社員だ。
任される仕事の内容も。
それに対する評価も。
口座へ振り込まれる給料の額も。
そのほとんどを、他人が決める。
俺に選択権はない。
夜の能力者社会でも、誰かが用意した立派なチームの傘下へ入れば、ずっと楽に活動できるだろう。
トレーニング施設がある。
強力な仲間もいる。
仕事も回ってくる。
だが、せっかく停滞していた人生へ、能力という新しい道が開いたのだ。
そこでも誰かの巨大な仕組みの一部となり、末端の歯車として消費されることだけが、正しい答えだとは思えなかった。
自分で仲間を選ぶ。
自分で仕事を選ぶ。
自分で引き受ける危険と、手にする報酬を決める。
もちろん、簡単ではない。
今の俺には、大した資金もない。
練習施設もない。
仲間も一人もいない。
軽々しく明かすことのできない《ライブラリ》という、重い秘密まで抱えている。
仲間を作れば、その秘密を近くから見抜かれる危険も増す。
自分のチームだから安全だなどと、都合よく考えるつもりはない。
それでも、誰を自分の隣へ立たせるのかは、俺が選べる。
誰を信じるのか。
いつ、どこまで秘密を打ち明けるのか。
その選択を、企業の契約や誰かの命令に奪われずに済む。
客観的に見れば、成功する確率より、破綻する可能性の方がはるかに高いだろう。
それでも。
昼間は誰かの都合のいい部下でも、この夜の世界でまで、誰かの言いなりになる部下で居続ける必要はない。
俺は再び、パソコンのチーム作成画面を開いた。
入力欄は相変わらず真っ白。
所属人数は一名のまま。
それでも、代表者の欄には確かに、
『佐伯直人』
という俺の名前が刻まれている。
城も、旗も、仲間もない。
それでも俺はこの夜、俺自身のチームを作ると決めた。
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