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冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる  作者: パラレル・ゲーマー


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第12話 子鬼が千円札を落とした

 土曜日の朝。


 俺は、郊外の住宅地にひっそりと佇む小さな神社の石段を上っていた。


 隣には、白いブラウスに動きやすいカーゴパンツという出で立ちの水瀬蓮花。少し後ろには、八咫烏の担当者である霧島が、相変わらず隙のない黒のジャケット姿で続いている。


 今回の案件は、水瀬の正式加入を判断するための実地試験を兼ねたものだ。


 ネクサス・マッチング経由で手配された『低危険度異界の定期巡回』。


 指定された経路を歩き、異常発生の有無を記録し、設置された観測札を点検する。敵性存在として『小鬼型異界生物』が出現するらしいが、基本的には新人探索者向けのチュートリアル的な依頼だ。


 基本報酬は一人三万円。ドロップ品は探索者に帰属する。


 資料を見た時、俺は「三時間歩いて三万円なら、会社で残業して休日出勤するよりずっと条件がいい」などと暢気なことを考えていた。だが、ここは能力者社会だ。常に命の危険が隣り合わせであることを忘れてはいけない。


 今回、霧島は俺たちのチームメンバーとして同行しているわけではない。


 俺が異界ダンジョンへ入るのが初めてであるため、入場手続きや探索規則の説明、緊急時の連絡、そして何より水瀬の実地試験の公式な記録を担当する『監督官』としての随伴だ。


 石段を上り切ったところで、霧島が立ち止まり、念を押すように言った。


「事前にお伝えした通り、私は原則として戦闘へは一切参加いたしません」


「明確な生命の危機が生じた場合を除き、すべて佐伯さんと水瀬さんの判断と行動を優先します。私を戦力として数えないでください」


「つまり」


 水瀬が小首を傾げる。


「この実地試験中に私たちが失敗して痛い目を見ても、助けてくれないんですね?」


「命に関わらない程度の失敗であれば、貴重な教訓としてそのまま持ち帰ってください」


「……教育方針が厳しいですね」


 俺が苦笑すると、霧島は真顔で返してきた。


「異界内での失敗は、一般企業における書類の不備とは意味が違いますので。取り返しがつくうちに痛みを覚えるのも、監督官の務めです」


     ◆


 神社自体は、それほど大きくなかった。


 古い鳥居をくぐり、苔むした手水舎を通り過ぎる。境内には誰もおらず、拝殿の扉も固く閉ざされている。表向きは、神職が常駐していない地域の小さな社に過ぎない。


 しかし、拝殿の裏手に回ると、そこには監視カメラと電子ロックを備えた物々しい装置が設置されていた。


 霧島が自身の登録証を端末へかざす。


 かすかな電子音と共に、石垣の脇にある目立たない扉が開き、狭い通路が現れた。


 通路を抜けた先には、古びたトタン屋根の物置のような建物があった。


 そして、その薄暗い建物の中央に、一枚の鉄製扉がポツンと立っていた。


 扉は赤茶色にひどく錆びつき、表面には無数の古い引っかき傷と、何かの染みがこびりついている。


 どう見ても、何十年も放置された粗大ゴミの扉だ。


 奇妙なのは、それが壁に取り付けられているわけではなく、空間の中央に扉と枠だけで『独立して』立っていることだった。


「これ、ですか?」


「はい。この神社で八咫烏が管理している、常設型の異界接続点です」


「見た目はすごく頼りないですけど、ここの接続自体はかなり安定しているそうですよ」


 水瀬が補足する。


 俺は扉の裏側へ回ってみた。裏には何もない。ただ扉の枠と、その向こうにある物置の壁が見えるだけだ。どこにも繋がっていない。


「これ、開けたら向こうへ行けるんですか?」


「正確には、扉を開けた状態で、『正面から』枠をくぐり抜けると、異界の空間へと移動します」


 霧島が扉の横にある小さな鍵穴へ、特殊な形状の鍵を差し込んだ。


 ギギギ……と、錆びた金属音が鳴り響き、重い扉がゆっくりと手前に開く。


 扉の向こう側には、物置の薄暗い壁ではなく――淡い青白い光に満ちた、広大な風景が広がっていた。


     ◆


 枠をくぐり抜けた先は、巨大な地下空間だった。


 見上げても天井は高すぎて闇に溶けており、空の代わりに、青白い光を放つ巨大な鉱石のようなものが、無数に宙へ浮かんでいる。


 足元には土と短い草が生い茂り、遠くには風化した石造建築の遺跡が見える。さらにその奥には、真っ黒な森と浅い川が流れていた。


 扉を一枚くぐっただけとは到底思えない、途方もない広さだ。


 後ろを振り返ると、あの赤茶けた錆びた鉄扉が一枚、草原の中にポツンと立っていた。扉の向こう側には、先ほどまで俺たちがいた神社の物置の景色が、まるで四角いスクリーンのように切り取られて見えている。


「へえ……本当に、こんな風になってるのか」


 俺は素直に感嘆の声を漏らした。


 水瀬が、横から俺の顔を覗き込む。


「佐伯さん、異界ダンジョンに入るのは初めてですか?」


「ええ、初めてです。ダンジョンっていうから、もっと狭くて暗い洞窟みたいな場所を想像してました」


「異界の性質によりますよ。ゲームみたいな洞窟のところもありますし、現代の廃墟が続く場所もありますし、見渡す限り海しかない異界もあるそうです」


「海しかない場所で、どうやって探索するんです?」


「船を持ち込みます」


「……規模が急に大きいな」


 霧島が、少し離れた場所から注意を促した。


「異界の外見の広さと、実際の危険度は一致しません。非常に狭くても高危険度の異界は存在しますし、ここが広大でも敵性存在が弱い場合もあります。この場所は広大ですが、入口周辺の危険度は『低』と判定されています。油断は禁物ですが、過度に恐れる必要もありません」


     ◆


 扉の内側には、金属製の小さな認証台が設置されていた。


 俺と水瀬が登録証を端末へかざす。画面にはこう表示された。


『入域者:佐伯直人』


『入域者:水瀬蓮花/活動名:《睡蓮》』


『監督担当:霧島』


 入域記録を終えると、霧島がタブレットを開き、探索の基本ルールを読み上げ始めた。


「帰還の予定時刻を絶対に超えないこと。指定された経路から大きく外れないこと。未確認の構造物へ勝手に入らないこと。他パーティーの獲物やドロップ品には決して触れないこと。救難信号を確認した場合のみ、自身の安全を確保した上で救援を検討すること。異常な景色や強大な生物を見た場合は、戦わずに即座に撤退し報告すること。紙幣などのドロップ品は、出口で必ず記録すること。最後に……現地で拾った食物を、勝手に口にしないこと」


「最後のは、そんなことやる人がいるんですか?」


 俺が呆れて聞くと、霧島は真顔で頷いた。


「います」


「キノコとか木の実とか、見た目はすごく美味しそうなものが多いですからねえ」


「能力者だからといって、未知の異界の毒物へ耐性があるとは限りません。過去に重篤な食中毒を起こした例が多数あります」


「……絶対に食べません」


     ◆


 探索を開始する直前、水瀬が俺に向かって尋ねてきた。


「佐伯さん。今回は実地試験ですし、私の《分身》を出してもよろしいですか?」


 俺は一瞬だけ、返答に迷った。


 前回の面談で、俺の《ライブラリ》は彼女の能力に対してレッドアラートを叩き出し、解析を拒絶した。彼女が何者なのか、その能力の裏に何が隠されているのか、未だにまったく分からない。


 しかし、能力を使わせないままでは、彼女をチームの事務・後方支援として組み込めるかどうかの『試験』にならない。


「……ええ。登録されている範囲でお願いします」


「はい。一人だけにしますね♡」


 水瀬が微笑んだ直後、彼女の身体の輪郭が水面のように揺らぎ、隣にまったく同じ姿をしたもう一人の水瀬蓮花が現れた。


 俺の視界で、《ライブラリ》が即座に反応する。


『警戒対象の再発動を確認しました』


『暫定名称:《分身》』


『発動主体:特定不能』


『複製対象:特定不能』


『解析中断状態を維持します』


『警戒状態を継続します』


 今回は、前回のような画面を覆い尽くす大きなエラー表示は出なかった。すでに『処理不能な警戒対象』としてシステムに記録されているため、静かな警告を発するだけに留まっている。


 俺は内心でため息をついた。


 何度見ても、どちらが本体でどちらが分身なのか、区別がつかない。


 水瀬の一人が、支給された地図端末を手にする。


 もう一人の水瀬が、記録用の小型カメラと、ドロップ品を入れるための回収袋を提げた。


「私はこちらで進行方向とルートを確認しますね」


「私はドロップ品の回収と、小鬼の出現数を記録します」


「……二人いると、本当に便利だな」


「「ありがとうございます♡」」


 二人の水瀬が、まったく同時に同じ笑顔で声をそろえた。


 便利だから採用してはいけない。


 分かっている。


 分かっているが、事務作業が完全に分担できるこの機能性は、喉から手が出るほど魅力的だった。


     ◆


 指定された石畳の経路を進んで十分ほど経った頃。


 崩れた石壁の陰から、不意に小さな影が飛び出してきた。


 身長は一メートルほど。皮膚は不気味な灰緑色で、顔の半分ほどもある大きな耳を持っている。腰には粗末なボロ布を巻き、手には不格好な木の棒を握りしめていた。


「これが、子鬼ですか」


「正式な分類上の呼称は『小鬼型異界生物』です」


 霧島が答える。


「一般のゲームとかファンタジー小説では、ゴブリンとも呼ばれるやつですね」


 水瀬が補足する。


 子鬼が「ギギャァ!」と奇声を上げ、木の棒を振りかぶって俺へ向かって突進してきた。


 俺は《身体能力強化》を使わなかった。


 相手の速度は、少し足の速い一般人程度だ。わざわざ回数を消費する相手ではない。


 俺は迫り来る木の棒を最小限の動きで横へ避け、柔道の足払いの要領で子鬼の足をすくった。


 子鬼がバランスを崩して転倒する。すぐに起き上がろうと身をよじったところへ、俺はキックボクシングの基礎どおりに、腹部へ軽く、だが的確に蹴りを叩き込んだ。


 グシャッ、という鈍い感触。


 次の瞬間、子鬼の身体がシュゥゥ……と灰色の煙に変わり、空気中に溶けるように消滅した。


 あとに残された地面には、何かがヒラリと落ちていた。


 紙だ。


 俺が近づいて確認すると、そこには一枚の『千円札』が、草の上に落ちていた。


 少ししわが寄っているが、野口英世が印刷された、どう見ても普通の日本の千円札だ。


「……千円?」


「はい。この異界の子鬼は、倒すと千円札を落とすんですよ」


「……何で?」


「分かりません♡」


「そこは分からないんだな……」


 ファンタジーな異界生物が、現代日本の法定通貨をドロップする。


 世界観のバグを見ているようで、頭が痛くなった。


     ◆


 水瀬の分身体――カメラを持っていない方が、手際よく薄手のゴム手袋を装着し、ピンセットで千円札を拾い上げ、透明な証拠品袋へ入れた。


 そして袋のラベルに、手書きで素早く情報を書き込む。


『回収時刻、回収地点、討伐者:佐伯直人、紙幣の記番号』


「ずいぶんと厳重ですね」


「出口で八咫烏の係員さんに確認してもらう必要がありますから。混ざらないようにです」


「これ、本当に外へ持って帰れるんですか?」


「持ち帰れますよ」


「……使える?」


「使えます」


 俺は袋の中の千円札をまじまじと見つめた。


「異界のバケモノが落とした金を、普通に貨幣として使っていいのか……?」


 霧島が、少し硬い声で補足した。


「八咫烏として、異界で拾得した紙幣を、そのまま市中のコンビニなどで直接使用することは推奨しておりません」


「使えないんですか?」


「いえ。法的には、日本銀行券としての真正性が確認されたものは、使用に問題はありません」


「真正性が確認されている? 偽札じゃないんですか?」


「はい。この異界から回収される紙幣は、精巧に偽造されたものではありません。本物です」


 俺はますます混乱した。


「じゃあ、この千円札は一体どこから湧いて出たんですか?」


 霧島は少し間を置き、学術的な仮説を述べるように言った。


「現在、研究機関で最も有力視されているのは、『この世から物理的に失われた紙幣が、異界において何らかの形で再構成されている』という説です」


「失われた?」


「火災で焼失したもの。水害で流されたもの。誤ってゴミとして焼却廃棄されたもの。そうして所在不明となり、経済の流通から完全に消え去った紙幣です」


 霧島は続ける。


「実際、ここで回収された紙幣の記番号をデータベースと照合すると、過去に消失が記録されている紙幣と一致する例が多数報告されています」


 俺は、


「なるほど……?」


 と、理解したような、していないような曖昧な顔をした。


「つまり」


 水瀬が笑顔でまとめる。


「子鬼を倒すと、この世から消えちゃった千円札が、異界の力で戻ってくるんです」


「……余計に分からなくなった」


「異界現象ですから。人間の理屈で原因まで完璧に説明できるとは限りませんよ」


 霧島が、さらに現実的な注意点を並べた。


「出口で紙幣番号を記録し、異界の汚染物質が付着していないか検査を受けます。大量に回収した場合は、探索収入として税務申告の義務が生じます」


「他人が落としたドロップには触れないこと。万が一、過去の犯罪に使われた紙幣の番号と一致した場合は、証拠品として一時保留されます」


「……一枚千円を拾うだけで、面倒な手続きが多いですね」


「この程度の少額なら、出口の検査後にそのままお小遣いとして使えますよ」


 水瀬が言う。


「帰りのコンビニで出しても?」


「ただの少し古い千円札として扱われます」


「繰り返しますが、八咫烏は直接の使用を推奨していません。出所を説明できない現金を大量に使用すると、金融機関や税務署からの確認を受ける可能性があります」


「千円で税務署が来るとは思いませんけど」


「一枚なら来ないでしょう。塵も積もれば、の話です」


 水瀬が嬉しそうに手を打った。


「では、今日の私たちの昼食代ですね♡」


「おいおい、まだ俺の金だと決まったわけじゃないでしょう」


 水瀬は「あ」と小さく声を上げ、すぐに訂正した。


「そうでした。今日はチームの共同案件ですから、回収品の最終的な分配も、最後にきっちり決めましょうね」


 俺は、その言葉を内心でさりげなく高く評価した。


 彼女は、自分がピンセットで回収した紙幣を、勝手に『自分のもの』だとは微塵も考えていない。


 権利の所在を明確にしようとする姿勢は、組織の人間として信用に値する。


     ◆


 探索を続ける。


 子鬼は、一体ずつポツンと現れることもあれば、三体ほどの小集団で群れて現れることもあった。


 俺は《身体能力強化》を使わず、これまでにコピーした空手、ボクシング、キックボクシング、柔道の技能を使い分けながら対応した。


 ただ、相手が人間ではなく異形であるため、格闘技のセオリーがそのまま通用しない場面も多々あった。


 一体目の子鬼の腕を取り、柔道の一本背負いで投げようとした際、相手の身長が一メートルしかないため、腰を入れる位置が低すぎて非常に組みづらかったのだ。


「人間と体格が違いすぎると、柔道はめちゃくちゃやりにくいな……」


「大きなお耳をつかんで投げ飛ばしたらどうです?」


 水瀬が提案する。


「反則のない相手だからといって、未知の生物の部位へ不用意に触れないでください。雑菌や毒の可能性があります」


 霧島が即座に却下する。


「では、さっきみたいに足を払って転ばせるのが一番安全ですね」


「……分析が早いな」


 結局、低い姿勢の相手へ無理に投げ技を狙うのはやめ、足払いからの前蹴りで仕留めた。


 子鬼が煙となって消えた跡には千円札が一枚残り、水瀬が手早く記録して回収袋へ収める。


 二体目。


 子鬼が石壁の岩陰に隠れ、そこから俺に向かって石を投げてきた。


 水瀬の一人が、持っていたタブレット型の地図端末を盾のように顔の前へ構えようとした。


「備品を盾にしないでください。壊れます」


 霧島が止める。


「これ、もし壊れたら経費で落ちませんか?」


「落ちません。自己負担です」


「ケチですねえ」


 俺は飛んでくる石をボクシングのヘッドスリップで避け、一気に接近して子鬼の顎を蹴り上げた。


 子鬼が煙となり、千円札が舞い落ちる。


 水瀬がそれを即座に記録し、回収袋へ収める。


 三体目。


 腹を殴られ、倒れた子鬼がピクリとも動かなくなった。


 俺がとどめを刺したと思い、近づこうとした瞬間。水瀬が持っていた短い伸縮棒の先で、倒れている子鬼の足をツンツンと小突いた。


「佐伯さん、ちょっと待ってください」


 その直後。


 死んだふりをしていた子鬼が突然カッと目を開き、水瀬の伸ばした棒の先端へ向かって鋭い牙で噛みつこうとした。


 水瀬は「わっ」と声を上げ、すぐに棒を引く。


 俺は踏み込み、子鬼が握っていた木の棒を蹴り飛ばし、そのまま上から踵落としを決めて完全に無力化した。


 子鬼が煙となって消え、千円札を落とす。


「……煙になってドロップが出るまでは、討伐完了ではないみたいですね」


「今の、起きてくるって分かってたんですか?」


「はい。倒れ方が少し不自然でしたから。まだ筋肉に力が入っていました」


 霧島が記録端末へ何かを入力しながら言った。


「対象の完全な活動停止を確認する、適切な対応です」


 俺は、水瀬への評価をまた一つ上げた。


 戦闘能力はなくても、観察眼と警戒心は十分に実戦レベルだ。


     ◆


 水瀬の二人は、探索中も役割を明確に、そして完璧に分担していた。


 水瀬の一人は、地図端末を確認し、道順の記録、観測札の点検、帰還時刻の管理、そしてレーダーによる他パーティーの位置確認を行う。


 もう一人は、子鬼の出現数の記録、ドロップ品の回収、紙幣番号の控え、俺の戦闘映像の撮影、そして装備の確認を行う。


 驚くべきは、片方が作業して得た情報が、即座に、時間差なしでもう一人へ伝わっていることだった。


 俺が分かれ道で立ち止まり、


「次の観測札はどっちの道ですか?」


 と尋ねた時だ。


 二人の水瀬が、同時に別々の方向を指差した。


 一人は右。


 もう一人は左。


 俺は一瞬、固まった。


 コンマ数秒後、右を指した水瀬が「あ」と小さく声を上げた。


「失礼しました。私が見ている古い地図では右です」


「私が今受信した更新済みの地図では、左です」


 二人はすぐに地図を突き合わせ、


「左の経路が正しいですね」


 と確認した。


「……完全に同じ情報を頭の中で共有してるのに、意見が割れることもあるんですね」


「情報を共有していても、古いデータと新しいデータのどちらを優先するかという判断は、それぞれの身体で独立して行っていますから。たまにこうして食い違うんです」


 俺は少しだけ引っかかった。


 分身であり、同じ自我を共有しているはずなのに、完全に同じ結論を出すとは限らない。


 それはまるで、二つの独立した頭脳が並列処理をしているような不気味さがあった。


 だが、今は実地試験中だ。


 深く掘り下げることはしなかった。


     ◆


 石造りの崩れた道を進んでいると、前方から四人組のパーティーが歩いてきた。


 装備の使い込まれ具合から見て、かなり経験のある探索者たちだ。


 大型の防弾盾を背負った大柄な男性。


 コンパウンドボウを持つ女性。


 動きやすい作業服姿の男性。


 そして、少し時代錯誤なローブ風の上着を着た女性。


 俺は無意識に身構え、拳を握りかけた。


 だが、相手パーティーは足を止めることなく、すれ違いざまに軽く右手を上げただけだった。


「お疲れさまです」


「お疲れさまです」


 霧島が返す。


「「お疲れさまです」」


 二人の水瀬が声をそろえる。


 俺も遅れて、


「あ、お疲れさまです」


 と、ぎこちなく返した。


 それだけで、相手は俺たちに一瞥もくれず、通り過ぎていった。


「……情報交換とか、どこに敵がいたとか、そういう会話はしないんですか?」


「必要がなければ、一切行いません」


 霧島が歩きながら説明する。


「異界ダンジョンの中では、基本的にパーティー同士は互いの探索へ干渉しない。それが生き残るための常識です」


「同じ場所を探索しているのにですか?」


「勝手に援護すれば、獲物やドロップ品の横取りだと受け取られる場合があります。それに、互いの能力情報や戦術を知らない相手が戦闘へ乱入すれば、連携が乱れ、むしろ事故の危険が高まります」


「なるほど」


「救難信号が上がった場合、明確な助けの要請を受けた場合、そして放置すれば確実な生命の危機があると判断された場合を除き、他パーティーとは一定の距離を保ってください」


「分かりました」


「挨拶だけして、深入りしないのが一番平和なんですよ」


 水瀬が笑う。


     ◆


 少し進んだ先の開けた広場で、別の三人組のパーティーが、複数の子鬼と戦っていた。


 その中の一人が、空中へ薄い光の壁のようなものを展開し、子鬼の投石を防いでいる。


 俺の視界で、《ライブラリ》がわずかに反応しかけた。


 だが。


『既発動状態の因果現象を確認』


『発動起点を観測していません』


『解析対象外』


 能力はコピーされなかった。


 距離が遠すぎたこと。


 そして、俺が見た時には、すでに光の壁が発動し終わった後だったからだ。


 発動の瞬間を直接観測できなければ、コピーの条件は満たせない。


 俺が少し立ち止まって戦闘を見つめていると、水瀬が俺の袖を軽く引いた。


「佐伯さん。迂回しましょう」


「……助太刀しなくていいんですか?」


「相手は三人とも、連携が取れていて落ち着いています。救難信号も出していません。私たちが出る幕はありませんよ」


 霧島も頷いた。


「水瀬さんの判断が適切です。行きましょう」


 水瀬は、他パーティーの珍しい能力や戦術を、不必要に観察し続けるような野次馬根性を見せなかった。


 少なくとも俺の前では、彼女は探索のマナーを守っている。


 俺はこの行動も、静かにプラス評価へ加えた。


     ◆


 迂回路を進む途中。


 道の端の草むらに、千円札が一枚落ちているのを発見した。


 近くの地面には、子鬼が倒されて煙となって消えたような、黒い煤の跡が残っている。


「あ、落ちてますね」


 俺が指差すと、水瀬の一人が近づいたが、紙幣の数センチ手前で足を止めた。


「佐伯さん。これは拾わない方がいいです」


「どうして? 千円ですよ」


「先ほど戦っていた別のパーティーが、乱戦の中で回収し損ねたドロップ品である可能性が高いからです」


「でも、周りには誰もいませんよ?」


「後から所有者が、数を確認して戻ってくる可能性があります。トラブルの元です」


 霧島が補足する。


「異界内のドロップ品は、原則として討伐した者へ帰属します。誰が倒したか不明なもの、あるいは他人の所有権が疑われるものへ、安易に触れないでください。窃盗と見なされます」


「……分かりました。世知辛いですね」


 水瀬は紙幣へ触れず、自分の地図端末へ位置情報だけを記録した。


『未回収ドロップ確認。所有者不明のため接触せず』


 金銭を目の前にしても、ルールを破って勝手に懐へ入れようとはしない。


 俺は、水瀬が報酬をごまかすような人間ではない可能性が高いと判断した。


 もちろん、これだけで完全に信用できるわけではない。


 だが、面談で話していた原則を、彼女は現場でも守っている。


     ◆


 指定されたチェックポイントへ到着した。


 苔むした太い石柱の表面に、八咫烏が設置した『観測札』と呼ばれる銀色の金属板が貼り付けられている。


 この札は、異界内の因果出力の変動、空間の安定度、敵性存在の出現密度、そして現実世界の帰還扉との接続状態を記録するための簡易装置だという。


 一枚は正常に貼り付いていた。


 しかし、もう一枚は粘着が弱まったのか、端が剥がれかかっている。


「あ、剥がれてますね。直しときます」


 俺が手を伸ばして札を押し付けようとした瞬間、水瀬が制止した。


「待ってください!」


「触ったら駄目ですか?」


「触る前に、写真を撮りましょう。直した後だと、私たちが到着した時の状態を記録として証明できなくなります。報告書に矛盾が出ます」


 水瀬の一人が、石柱全体の写真を撮る。


 もう一人が剥がれた部分を接写し、位置情報と時刻を記録する。


 証拠保全が終わった後、俺は霧島から渡された専用の接着剤を使い、札を補修した。


「適切な対応と手順です」


 霧島が評価する。


「俺一人なら、何も考えずに先に貼り直してましたよ」


「会社の書類でも、修正前の原本は必ず残した方がいいですよ? 佐伯さん」


「……昼間の仕事でも耳が痛い話を、異界でされるとは思いませんでした」


 俺は苦笑しながら立ち上がった。


     ◆


 観測札の補修を終え、一息つこうとしたその時。


 周囲を囲む崩れた石壁の向こうから、ギギャァ! という鳴き声と共に、子鬼が五体、一斉に姿を現した。


 これまでで最大の集団だ。


 木の棒だけでなく、錆びた鉈のような刃物を持っている個体もいる。


「水瀬さん、後ろへ下がって!」


 俺は前へ出た。


 二人の水瀬はパニックになることなく、素直に後方へ下がる。


 一人は記録端末を胸に抱えて守り、もう一人は周囲に別の敵がいないか視線を配る。


 俺は正面から突っ込んできた子鬼二体を相手にする。


 振り下ろされる鉈をスウェーでかわし、一体の胸ぐらをつかんで地面へ払い落とす。もう一体の腹部へ、強烈な前蹴りを叩き込む。


 だが、三体目の子鬼が、俺の死角となる右斜め後ろから、音もなく回り込んで木の棒を振り上げていた。


「佐伯さん、右後ろです!」


 水瀬の鋭い声。


 俺は警告へ反射的に反応し、上体を大きくひねった。


 木の棒が、俺の右肩をかすめて空を切る。


 俺は回転の勢いを利用し、背後の子鬼の顔面へ右肘を叩き込み、続けて膝蹴りで沈めた。


 その間にも、水瀬の分身体が、別の子鬼の足元へ伸縮棒を突き出し、軽く小突いて牽制する。


 子鬼がバランスを崩してつまずく。


 もう一人の水瀬が、足元に落ちていた石を蹴り飛ばし、五体目の子鬼の顔へ命中させて進路を逸らした。


 彼女たちには、子鬼を直接倒せるほどの戦闘力も筋力もない。


 だが。


 俺の死角を正確に知らせる。


 敵の足を一瞬だけ止める。


 霧島や重要な記録装置へ近づけない。


 俺が回避するための空間を確保する。


 すべての後方支援を、二人の連携で的確に行っていた。


 最後の一体が、標的を変えて水瀬へ飛びかかった。


 俺は一瞬、《身体能力強化》を使って距離を詰めるか迷った。


 しかし距離は近い。


 能力の回数を消費するまでもない。


 俺は地面を蹴って踏み込み、空中にいた子鬼の背中のボロ布をつかみ、水瀬の目前で強引に引き剥がした。


 そのまま、柔道の大外刈りの要領で、子鬼を地面へ叩きつける。


 五体すべてが煙となり、千円札が舞い落ちた。


 合計、四枚。


 一体だけは、何も落とさずに消えた。


「あれ? こいつら、必ず千円を落とすわけじゃないのか」


「ドロップ率は、統計上八割前後らしいですよ」


 水瀬が息を整えながら言う。


「倒しても何も出ないとか、妙にゲームっぽい仕様だな」


「ゲーム型能力とは関係ありません。純粋な確率的事象です」


 霧島が冷静に訂正する。


「分かってますよ。ただの愚痴です」


     ◆


 戦闘が終わると、水瀬は回収作業より先に、俺の右肩を確認しに来た。


「佐伯さん、怪我はありませんか? さっきの棒、当たりました?」


「いや、かすってもいません。大丈夫です」


「私が右後ろから来た個体へ気づくのが、あと一秒遅れていたら危なかったですね。索敵が甘かったです」


「十分ですよ。助かりました」


「ふふっ。実地試験中に代表が大怪我でもしたら、私の評価も下がっちゃいますからね♡」


 冗談めかしてウインクする水瀬。


 だが、俺は彼女の行動を高く評価していた。


 水瀬は、自分が狙われた時にも、パニックになって逃げ回るようなことはしなかった。


 俺の死角を警戒し続け、チーム全体の安全を優先していた。


 少なくとも、危険になった瞬間に俺を盾として、自分だけ逃げ出すような人間ではない。


 ただし、俺の中には別の疑問があった。


 分身が傷つくことを、彼女はどの程度、自分自身の危険だと感じているのだろうか。


 前回の面談での、《ライブラリ》の異常なエラー表示。


 水瀬蓮花にとって、分身体が負傷することの意味は、普通の能力者とは根本的に違うのではないか。


 だが、それを今ここで問い詰めることはできない。


     ◆


 指定された中間地点の安全区域へ到着した。


 大人の腰ほどの高さの崩れた石壁に囲まれた、小さな広場。八咫烏が簡易的な休憩所として指定している場所だ。


 俺と霧島は、リュックからペットボトルの水と、ブロック型の携帯食を取り出して腰を下ろした。


 だが、水瀬は分身体を消すことなく、二人のままで作業を続けている。


 一人は、回収した紙幣の枚数と記番号の確認。


 もう一人は、探索記録の入力と整理。


「水瀬さん。休まないんですか?」


「座って作業しているので、これでも一応休憩中ですよ」


「二人でせっせと仕事してるようにしか見えないんですけど」


「私は、何もせずにじっとしているより、こうして手を動かしている方が落ち着くんです」


「……仕事が趣味なんですか?」


「仕事も好きですけど、ほかにも趣味はありますよ」


 水瀬が、キーボードを叩きながら笑顔で言った。


「私、Vチューバーをしてるんですよー」


 俺は、かじっていた携帯食を飲み込むのに少し手間取った。


「……ぶい、ちゅーばー?」


     ◆


「佐伯さん、もしかして知らないんですか?」


「動画を投稿する人たちのことですか?」


「近いですけど、少し違います。自分の生身の顔を出さずに、イラストや三次元のキャラクターをアバターとして使って、配信活動をする人のことです」


「着ぐるみみたいなものですか?」


「かなり違います。美少女アニメみたいな姿のキャラクターが、私の声に合わせて動いて話すんです」


「ああ、なるほど。アニメのキャラクターの姿を借りて話すラジオみたいな」


「そうです! それが一番近いです」


 俺は分かったような、分からないような顔で曖昧に頷いた。


「今は、そういう仕事もあるんですね」


「仕事というか、趣味と副業の中間くらいですね。ゲームの実況をしたり、視聴者と雑談したり、歌ったりしてます」


「歌も歌うんですか」


「はい。こう見えて、そこそこ人気なんですよ♡」


「そこそこって、どれくらいの登録者がいるんです?」


 水瀬は、人差し指を唇へ当てて片目をつぶった。


「秘密です」


 よく分からない世界の話だったので、俺は適当に相槌を打って流すことにした。


「なるほど。大変でしょうけど、頑張ってください」


「佐伯さん、絶対よく分かってない顔してますよね?」


「大体はつかめましたよ。大体は」


「今度、ぜひ私の配信を見に来てくださいね」


「顔が分からないキャラクターになってるのに、どうやって水瀬さんだと判断するんです?」


「配信のアカウント名を教えますから」


「それって、身元を隠して活動している意味がなくなるんじゃないですか?」


「佐伯さんには、特別に教えてあげるんです♡」


 俺は、またしても三十五歳の男としてどう反応すべきか迷い、ペットボトルの水を飲んでごまかした。


 霧島が無表情で忠告する。


「水瀬さん。能力者としての活動内容や機密情報を、配信で漏洩させないよう、くれぐれも注意してください」


「しませんよ。私、コンプライアンスの遵守には厳しいですから」


 俺は内心で突っ込んだ。


 能力の本当の上限は隠すくせに、配信の規則は真面目に守るのか。


     ◆


 俺は何気なく、気になっていたことを尋ねてみた。


「分身を使えば、自分が配信で話しながら、もう一人が動画の編集や別の仕事をしたりもできるんですか?」


 水瀬は、少しだけ面白そうに笑った。


「どうでしょうね?」


「……そこも秘密ですか」


「企業秘密です♡」


「個人の配信者にも、企業秘密ってあるんですね」


「大人には、秘密が多いんですよ。佐伯さん」


 俺は思わず水瀬の顔を見た。


 十八歳の少女が口にするには、妙に重みがあり、どこか冷ややかな響きを持った台詞だった。


 だが水瀬は、次の瞬間にはニコニコと笑いながら携帯食の包装を開けていた。


 俺はそれ以上、深く追及しなかった。


     ◆


 帰り道。


 俺たちは、先ほどとは別の二人組と遭遇した。


 片方の男性が、相棒の肩を借りるように歩いている。腕から出血し、包帯で応急処置が施されていた。


 俺は足を止め、助けに入るべきか迷った。


 だが、水瀬が相手の歩き方と装備の損傷具合を確認し、小声で告げる。


「自力で歩けています。止血も済んでいるようです。致命傷ではありません」


 相手も俺たちに気づき、軽く頭を下げた。


「問題ありません。このまま出口へ戻るところです。お気遣いなく」


「必要であれば、出口の八咫烏へ救援要請を出しますが?」


 霧島が尋ねる。


「ありがとうございます。大丈夫です」


 それだけの会話で、俺たちはすれ違った。


「……怪我をしていても、勝手に付き添ったり、肩を貸したりはしないんですね」


「本人が不要だと判断している状況へ、無関係なパーティーが無理に介入することは、トラブルの元になります」


 霧島の説明に、水瀬が静かな声で付け加える。


「助けることと、相手の判断や尊厳を奪うことは、別ですから」


 俺は、その言葉を心に留めておいた。


 水瀬は、仲間が負傷した時の支援制度を重視する一方で、必要以上に他人の領域へ踏み込もうとはしない。


 合理的で、境界線の引き方が明確な人間だ。


     ◆


 出口の鉄扉近くまで戻ってきた時。


 小さな子鬼が一体、崩れた岩の陰からフラフラと飛び出してきた。


 疲れているのか、怪我でもしているのか、いつもの木の棒すら持っていない。


 俺へ向かって威嚇しながら突進してきたが、足がもつれて転んでしまった。


「……こいつも、倒すんですか?」


 あまりにも弱々しい姿に、俺は少しためらった。


「敵性存在です」


 霧島が告げる。


「ここで可哀想だと放置すれば、後から来る別の新人探索者を背後から襲う可能性があります。駆除してください」


 俺は近づいた。


 子鬼が地面に倒れたまま、弱々しく牙をむいて威嚇する。


 俺は一瞬だけ目を伏せたが、危険を長引かせないよう、空手の手刀で首筋を一撃で打ち据え、苦しませずに倒した。


 煙が消えた後。


 やはり、千円札が一枚落ちていた。


 水瀬がピンセットで拾い、袋へ入れる。


「これで本日、合計九千円ですね」


「三時間近く歩き回って、敵を倒して、九千円か……。割に合わないな」


「佐伯さん、基本報酬の三万円は別に支払われますよ」


「あ、そうか。そう考えると、休日の副業としては悪くないのか」


 霧島が記録端末をしまいながら言った。


「それは、ここが低危険度で、誰も大怪我をしない前提だから成立する感覚です」


「高危険度の異界では、得られる金銭と命の危険がまったく釣り合わない案件もあります。金銭感覚を麻痺させないでください」


     ◆


 俺たち三人は、草原に立つ赤茶けた錆びた扉をくぐった。


 一瞬の浮遊感の後、周囲の空気が変わり、元の神社の薄暗い物置へ戻ってきた。


 後ろを振り返ると、扉の向こうにはまだ、青白い光に満ちた異界の草原が広がっている。


 霧島が扉を閉め、特殊な鍵を回して施錠した。


 ガチャン、という音と共に、扉の向こうの風景は消え、ただの錆びた鉄扉へ戻った。


「……閉めると、本当に普通の扉ですね」


「八咫烏の封印が施されています。普通の扉ではありません」


「いや、見た目の話です」


 出口の管理端末で、帰還処理を行う。


 その瞬間、水瀬の分身体の一人が、輪郭を揺らして消えた。


 俺の視界で《ライブラリ》が再び異常を検知し、


『残存主体:特定不能』


 という赤いエラーを表示したが、俺はもう顔色一つ変えずに受け流した。


     ◆


 神社の管理室で、回収した紙幣の精算が行われた。


 合計九千円。


 霧島が紙幣の記番号を専用端末で照合する。


 過去の犯罪履歴との一致なし。


 汚染物質の反応もなし。


 すべて、そのまま現金として持ち帰り可能と判断された。


 水瀬がすぐに分配案を提示する。


「三人で三千円ずつ、というわけにはいきませんよね」


「私は監督業務として同行した八咫烏の職員です。ドロップ品の分配対象外です」


 霧島が答える。


「では、佐伯さんと私で、四千五百円ずつ折半で」


「……半分でいいんですか?」


 俺が確認すると、水瀬は当然のように頷いた。


「共同案件ですから」


「でも、子鬼を倒したのはほとんど俺ですよ?」


「私は全行程の記録と回収、索敵を行いました」


「でも、怪我をする危険は俺の方が高かった」


「では、事前にドロップ品の分配規則を決めていなかったこと自体が、チームとしての問題ですね」


 水瀬は少し考え、提案する。


「今回は私の実地試験ですし、前衛の危険度を考慮して、佐伯さんが六千円、私が三千円ではどうでしょう」


「いや、それだと水瀬さんの取り分が少なすぎる」


「では、五千円と四千円で手を打ちましょう」


「……ずいぶん細かいですね」


「お金の話は、最初の一円まで細かく決めておかないと、後で絶対に人間関係がもめますよ。佐伯さん」


 最終的に、俺が五千円、水瀬が四千円を受け取ることで合意した。


 水瀬は、自分の取り分を一円たりともごまかそうとしなかった。


 さらに、回収袋の底に、折れ曲がった千円札が入り込んでいないか、袋を裏返して確認する徹底ぶりだった。


 俺は、彼女の金銭管理に関する信頼性について、合格だと判断した。


     ◆


 霧島が記録端末への入力を終え、顔を上げた。


「本日の、水瀬蓮花さんの実地試験について評価をまとめます」


 霧島の口から、淡々と評価項目が読み上げられる。


 指定経路を逸脱していない。


 記録漏れなし。


 ドロップ品の横取りなし。


 他パーティーへの不要な干渉なし。


 危険情報の共有が迅速。


 代表者の指示へ従っている。


 独断で高危険行動を取っていない。


 戦闘時の後方支援が適切。


 金銭処理が明確。


 負傷者や他探索者への判断も妥当。


「実地試験として、評価に値する大きな問題はありませんでした」


「やりました。霧島さんから満点をいただきました♡」


「私は満点だとは一言も言っていません」


「でも、大きな問題はなかったんですよね?」


「はい」


「それを一般社会では、ほぼ満点と呼びます」


「八咫烏では呼びません」


 相変わらず、噛み合っているのかいないのか分からない二人のやり取りだった。


     ◆


 神社の境内へ出ると、空はすでに夕暮れの茜色に染まっていた。


 水瀬は、俺からの最終的な返答を静かに待っている。


 前回の面談の時のように、


「採用ですか?」


 と、焦って迫ることはしない。


 俺が自分の頭で結論を出すまで、黙って微笑みを浮かべていた。


 俺は、今日一日の彼女の行動を振り返った。


 水瀬蓮花は、怪しい。


 能力の本当の上限を隠している。


 登録されている年齢や経歴も、完全には信用できない。


 何のために、俺のような素人が作ろうとしている何もないチームへ近づいてきたのか、その目的も分からない。


 《ライブラリ》は今も、彼女を『処理不能な警戒対象』としている。


 それでも。


 今日、俺の隣で行動した水瀬は。


 他人が落とした金を取らなかった。


 俺の背後の危険を隠さず、正確に教えた。


 俺の指示を無視しなかった。


 戦闘の際、自分だけ逃げ出さなかった。


 面倒な事務仕事を正確に処理した。


 不明な点は記録へ残した。


 そして、手に入れた報酬を、公平に分けようとした。


 俺が思い描いた仲間の条件を、彼女は今日の三時間の行動で満たしてみせた。


 能力の正体は、何一つ分からない。


 目的も分からない。


 だが、今日俺と一緒に仕事をした水瀬蓮花が、どう考え、どう行動したかは、この目で見た。


 分からない部分があるというだけで、すべてを拒絶してはいけない。


 自分の目で見た行動まで疑い始めれば、俺は一生、誰ともチームを作れない。


 俺は水瀬へ向き直った。


「水瀬さん」


「はい」


「今日の実地試験は……合格です」


 水瀬の表情が、ぱっと明るくなった。


「では、正式に採用していただけますか?」


「まだ俺のチームそのものが、ネクサスへ暫定登録すらしていない空箱ですけど」


 俺は、少し照れくささを隠すように言った。


「俺がこれから作るチームの、最初のメンバーになってください」


 水瀬は、一瞬だけ黙った。


 いつもの、作ったような笑顔ではない。


 年齢相応の、少し柔らかで、安心したような表情を見せた。


「……はい」


 だが、次の瞬間には、いつもの調子へ戻っていた。


「まだまだ不束者ですが、これから末永くよろしくお願いしますね、代表♡」


「頼むから、結婚の挨拶みたいに言うのはやめてください」


「公の場ですので、表現は適切に選んでください」


 霧島も横から刺す。


「もう、二人とも冗談が通じないですねえ。では、業務上、末永くよろしくお願いします♡」


     ◆


 水瀬が、鞄からクリアファイルを取り出し、正式加入の同意書と準備書類を差し出してきた。


 驚いたことに、氏名や連絡先、能力の登録番号など、俺が記入すべき箇所以外の大半が、すでに記入され、捺印まで済まされていた。


「……これ、最初から俺が合格を出す前提で用意してたんですか?」


「備えあれば憂いなし、ですよ。準備しておいて損はありませんから」


「俺が不合格にしてたら、この書類はどうするつもりだったんです?」


「シュレッダーにかけて、別のチームを探す面接へ行っていたと思います」


 即答だった。


 だが、俺にはそれが本音だとは思えなかった。


 この少女は、俺のチームへ入り込むために来た。


 最初から合格を得るつもりで、準備をして面談と試験へ臨んだように見える。


 何が目的なのか。


 俺の持つ《ライブラリ》という異質な能力へ気づいているのか。


 ただ新しく作られる組織へ興味を持っただけなのか。


 答えは、まだ分からない。


 怪しさは満点だ。


 俺は内心でため息をついた。


 それでも、今日の仕事ぶりと、俺の背中を守ってくれたことまでが嘘だったとは思えない。


 何より――面倒な事務作業と経理を任せられる人間が隣にいるのは、三十五歳の会社員にとって、正直かなり助かる。


 その本音には、少し後ろめたさもあった。


 便利だから採用したわけではない。


 彼女の行動を信用したからだ。


 能力が便利なのは、合格を出した後についてきた、ただの幸運なオマケだ。


 俺はそう自分へ言い聞かせた。


     ◆


 書類へ署名していると、水瀬が思い出したように言った。


「そういえば、チームの広報活動も、私がある程度担当できますよ」


「広報?」


「休憩の時に言ったでしょう。私、Vチューバーをしてるんですって」


「そういえば、そんなよく分からない話をしてましたね」


「毎日配信の経験がありますから。動画の編集、音声調整、配信の告知、SNSの運用や視聴者の管理まで、一通りできます」


「いや、能力者社会の活動を、表のネットで配信するのは絶対に駄目でしょう」


「もちろん、表向きの当たり障りのない広報だけですよ。八咫烏に怒られるような機密情報を漏らすつもりはありません」


 霧島がすかさず釘を刺す。


「公開する広報内容は、事前に必ず八咫烏の確認を受けてください」


「もちろんです」


 俺は、Vチューバーの文化などほとんど理解していなかったが、とりあえず分かったような顔で頷いた。


「今度、本当に私の配信を見に来てくださいね、代表」


「……時間が合えば」


「あ、その返事。社会人がよく使う、絶対に見ない時の返事ですね」


「会社員の『前向きに検討します』よりは、はるかに誠実ですよ」


「ふふっ。信用できませんねえ」


「信用されるための試験は、今日俺も受ける側だったんですから、お互い様でしょう」


 俺が返すと、水瀬は今日一番の、心底楽しそうな声で笑った。


     ◆


 夜。


 帰宅した俺は、パソコンでネクサス・マッチングのチーム準備画面を開いた。


 これまでは、


『所属予定メンバー:一名』


 だった。


 俺は、今日受け取った水瀬の加入承諾データを入力し、登録ボタンを押した。


 画面が更新される。


『所属予定メンバー:二名』


『代表:佐伯直人』


『メンバー:水瀬蓮花/《睡蓮》』


 だが、その下には、まだ赤いエラー表示が残っている。


『暫定登録には、三名以上の登録能力者が必要です』


 俺は画面を見つめた。


 仲間は増えた。


 俺のチームの、初めてのメンバーだ。


 だが、暫定登録を済ませ、正式なチームとして動き出すためには、あと一人、仲間が必要になる。


 しかも、最初の一人目からして、底が見えない、エラーを吐き出す正体不明の少女だ。


 本当に、この少女を仲間にしてよかったのだろうか。


 《ライブラリ》は、今も水瀬を登録能力として正常に認識していない。


 目的も、正体も、すべて不明。


 それでも今日、彼女は子鬼の群れの中で、俺の死角を守った。


 ドロップ品の千円札を一枚もごまかさなかった。


 言葉ではなく、俺は彼女の行動を見て、仲間にすると決めたのだ。


 異界の子鬼を倒すと、なぜか現代の千円札を落とす。


 それがどういう仕組みなのかは、まだ分からない。


 それと同じように、水瀬蓮花が、どうして俺の仲間になろうと近づいてきたのかも分からない。


 分からないことだらけの世界だった。


 それでも、何一つ持っていなかった俺のチームは、この日、ようやく二人になった。


最後までお付き合いいただき感謝します。


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本当に素の18歳なんですかねえこの子?
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