第十八章 国民ジャーニーマップ
王の生誕大祭典の朝が、来た。
王都エルダンの城前広場は、すでに人で溢れかえっていた。
ヨコタの計画した、最大規模の祝祭。
広場の中央には、ついに完成した、黄金の大噴水。
その周囲には十二本の、巨大な装飾柱が煌々と、立てられていた。
宮廷魔術師団の若い魔術師たちが、整列して、待機していた。
彼らの胸の派手な紋章が、朝日に、鈍く、光っていた。
広場の上空には、すでに最初の魔法の光がぱらぱらと、散らされていた。
王は、宮殿のバルコニーに、姿を現していた。
深紅の王衣、黄金の冠。
横田が、その隣に立っていた。
横田の上着は、これまでで、最も派手だった。
全身を、金糸で飾り立てていた。
頬は、酒で、赤く、笑顔が緩んでいた。
俺たち、地方代表団は、城門の外に整列していた。
王女アリーシャを、先頭に。
俺はその隣に。
ベルカ翁、ガレウス、ニナ、各地の有力者、合計、千五百人。
全員、地味なしかし、誇り高い装いだった。
俺の腕には完成した巨大なジャーニーマップの、巻物が抱えられていた。
それは十二冊のノートのすべての情報を、一枚にまとめあげた王国の感情の、地図だった。
「司、覚悟は、いいですか」
王女が囁いた。
「ええ」
「父が、私たちを見ていない場合、どうしますか」
「広場の民を、見ていただきます」
「民が、聞いてくれない場合は」
「俺は書き続けます。誰かが、聞くまで」
王女は微笑んだ。
「私たちは、まず、城門を、突破します」
ガレウスが剣を、抜いた。
五十人の腕利きの騎士が、彼の後ろに整列した。
「我ら、騎士団員は、貴殿の盾と、矛、となります」
「血を、流してはなりません」
俺は慌てて、言った。
「我らは、書く者の、味方です。剣は、抜きません」
ガレウスは頷いて、剣を納めた。
俺たちは、城門に向かって、歩き始めた。
城門の前で、衛兵たちが慌てて、列を組んだ。
「な、何事だ!地方代表団とは、何の用だ!」
衛兵長が、叫んだ。
王女が進み出た。
「私は、第三王女、アリーシャ・フォン・グランエル。父王に、面会を、要求します」
「王女様!失礼ですが、貴方様は、軟禁中で」
「軟禁は、解かれました」
ベルカ翁が進み出て書状を、見せた。
「これは王女様の正式な、外出許可状です。儂が、薬師として、署名しております」
「し、しかし」
ニナが進み出た。
「私は、商人ギルド代理人ニナ。我ら、地方の代表として王の生誕大祭典の祝辞を、申し上げに、参りました」
「祝辞を、ですか」
衛兵長は、戸惑った顔で衛兵たちを、見回した。
祝辞、という名目を、断る、理由が見つからなかった。
「お通し、いたします」
彼はようやく、言った。
俺たちは、城門をくぐった。
広場の人々が、一斉に、こちらを振り向いた。
派手な祭典の最中に、突如、現れた地味なしかし、堂々とした、地方代表団。
人々の視線が、こちらに集まった。
広場の人々の、おしゃべりが静まった。
王が、バルコニーの上で、目を見開いた。
横田の顔から、笑顔が消えた。
「あの男……!」
横田の声が低く、聞こえた。
「なぜ、ここに……!」
俺は広場の中央に進み出た。
腕の巻物をゆっくり、解いた。
それは長い長い巻物だった。
両手では、持ちきれないほどの、大きさだった。
ガレウスと、ベルカ翁が両端を、持って支えてくれた。
巻物が、広場の真ん中で、開かれた。
それは王国の人々の、感情の地図だった。
時間軸の左側、ヨコタが宮廷に来る前、人々の感情の点は、概ね、中央、横軸の上に並んでいた。
そしてヨコタが宮廷に登場した後の、時間軸の右側、点は、急速に、下に沈んでいた。
真っ赤な、苦しみの点が、地図の右端を覆っていた。
王がバルコニーから、それを見下ろした。
彼の手がわずかに震えた。
「司大臣!」
王の声が響いた。
「お前は、何をしている!」
俺は頭を下げた。
「陛下。これは王国のすべての民の、感情の、地図でございます」
「感情の、地図……?」
「人々がいまどれだけ、苦しんでいるか。それを、一枚の絵に、まとめました」
「お前、なぜ、王都に、戻ってきた」
「呼ばれて、参りました」
俺は振り返って広場の千五百人を、見た。
「彼らが、私を呼んだのです」
地方代表団が、一斉に頭を下げた。
広場の民衆も、それに引きずられるように、頭を下げた。
王の指がバルコニーの欄干を強く握った。
彼は巻物の地図をまた、見た。
そして、自分の足元の、広場の人々を、見た。
横田が、王の腕を掴んだ。
「陛下こんな見せかけの絵に、騙されてはなりません!派手な祭典を、お続けください!」
「ヨコタ殿、儂は」
「これは王の威厳に対する、挑戦です!即座に、捕らえて、処刑なさいませ!」
王はしばらく、横田の手を見ていた。
そして、その手をゆっくり、振り払った。
「儂は、自分の目で、見る」
王はバルコニーから、降りてきた。
深紅の王衣の裾を、引きずりながら、階段をゆっくり、下りていった。
広場の人々が、道を開けた。
王は、俺の前に立った。
「司大臣、巻物を、見せよ」
俺は頭を、下げて巻物を、王の前に広げた。
王は、しゃがんで、地図を指で辿った。
点の一つ一つの、名前を読んだ。
七歳の娘の話、五十代の女性の話、二十代の傭兵の話、老いた職人の話。
全てが、書かれていた。
王の指が止まった。
彼は長いあいだある一つの点に、指を当てていた。
それはある老兵士の、話だった。
四十年、騎士団に仕えてきた老兵が、宮廷魔術師団の予算削減で、年金を打ち切られた話。
「これは……儂の、若い頃の従士か」
王はぽつりと言った。
「儂が、王太子の頃に、儂を守ってくれた年若い従士の、ハーディと、いう男だ」
彼の声が震えていた。
「儂はハーディがいまこんな苦境に、いることを、知らなかった」
王は、地図を両手で押さえた。
広場が、静まり返っていた。
王は立ち上がった。
彼の頬に、涙がひとすじ流れた。
深紅の王衣の上にぽつりと暗い染みが、付いた。
「儂は、誤っていた」
王はゆっくり、言った。
「派手な祭典に、目を奪われていた。民の声を、聞いていなかった」
「父上」
王女が駆け寄った。
「アリーシャ、お前の言葉を、聞かずに、すまなかった」
王は、王女の頭に、手を置いた。
「儂はもう一度、王として目を、覚ます」
横田がバルコニーから慌てて、降りてきた。
「陛下!陛下!お聞きください!これは設計師の、陰謀です!」
「ヨコタ殿、黙れ」
王の声が低くなった。
「お前の祭典で、儂は民の顔を、見るのを忘れていた」
横田の顔が、青ざめた。
彼は、それでも、声を上げ続けた。
「私は陛下に、お仕えしました!派手な見せ物で、王国を輝かせました!」
「光と、温もりは、別物だ」
王は答えた。
「ヨコタ殿、貴殿は宮廷から、退かれよ」
宮廷の衛兵が、横田の前に立ち塞がった。
横田は振り返って俺を、睨んだ。
「司!お前!」
彼の目には東京で、見たことのない底知れない憎しみが燃えていた。
俺は、彼を見返した。
そしてノートを開いた。
新しい一ページに、書き付けた。
「ヨコタ・タケシ・五十二歳・派手な見せ物に、頼ってきた男・本当は誰かを、楽しませたかった・だが誰のためかを、見失った・自分のペルソナを、書けない男」
書き終えた瞬間、ノートがまた光らなかった。
俺は息を吐いた。
横田はまだ、自分の弱さと向き合えていない。
「ヨコタさん」
俺は声をかけた。
「あなたを、書きました。けれど、光りません」
「な、なんだと」
「あなたが、自分のペルソナを、自分で、書き、自分で、認められるようになるまで、これは光りません」
「ふざけるな!」
横田は、衛兵の手を振り払って俺の前に、駆け寄った。
そして、俺のノートを奪おうとした。
ガレウスが横田の手首を掴んだ。
鋼鉄のような握力が、横田の動きを止めた。
「無礼者、王の御前である」
ガレウスの声は低く、しかし迫力に満ちていた。
横田は、ガレウスの手を、振り払えなかった。
彼はぜいぜいと、息を切らせていた。
頬が紅潮していた。
東京で、何百回と見た勝ち誇った横田の顔はもう、そこになかった。
代わりに、追い詰められた迷子のような表情が彼の顔に、浮かんでいた。
俺はその顔を、見てふと思った。
横田もまた、何かを失った男なのかもしれない、と。
王が静かに、命じた。
「ヨコタ殿を、客間に、軟禁せよ。処分は後日、決める」
「は」
衛兵たちが、横田を連れ去っていった。
横田は、最後に、もう一度、俺を振り返った。
その目にはまだ憎しみと何か別の、深い悲しみが混ざっていた。
俺は振り返らずに、王女と、ベルカ翁の方を、見た。
王女の頬に、安堵の涙が流れていた。




